友だちは君の声だけ

山河千枝

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6 声だけが友だち

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『わからないことがあっても、お母さんには聞けないんだ。家に帰ってきても、お金を置いてすぐに出て行っちゃうから』
「えっ、本当? そんなに忙しいの?」
『たぶん……だから、勉強のこととか、学校のこととか、弟のことも、最近は話を聞いてもらえない』
「それじゃあ……あ、電話してみたら?  お仕事がお休みの日なら出られるんじゃない?」

 少しの間、息を詰めるような音が続いた。そのあとに、どことなく苦しそうなユウマくんの声が聞こえた。

『かけても出てくれないよ。3年生の時は、こんなんじゃなかったのに……』

 ユウマくんのお母さんの外泊は、去年の4月から、月に1回くらいの頻度で始まったのだそうだ。その頃は、家に帰ってこなくても、ちゃんと電話に出てくれたらしい。
 でも、ユウマくんとタクマくんは寂しさに耐えられなかった。2人は学校にいる時以外、朝や夕方や寝る前に、何度もお母さんに電話をかけた。そうしていたら、ある日、

 ──仕事中なのよ! 用もないのにかけてこないで!──

 と、声が割れるほどの勢いで怒鳴りつけられたという。それからは、滅多に電話が繋がらなくなってしまった……らしい。

 聞いているうちに、私も一緒に怒鳴られたような気持ちになって、思わずぎゅうっとひざを抱いた。パンパンのお腹が苦しかったけれど、きつくうずくまると、胸を刺されたような痛みがやわらぐ気がした。

 電話の向こうで、また鼻をすする音がした。ユウマくんはかすれた声で言った。
 
『だから、いやなことがあっても誰にも言えない……本当は、学校、行きたくない』
「勉強がわからないから?」
『うん……友だちもいないし。でも弟が、お腹が空くから行こうって……』

 つまりユウマくんと弟くんは、給食だけを目的に学校へ行っているんだろう。そして、そのほかは苦痛でしかない。授業中も、休み時間も。
 そういう毎日を送ることが、どのくらい辛いのか、いくら考えてもわからなくて、「そっか」と返すしかなかった。

『だからって、家にいても休めない……洗濯して、掃除して、弟の相手もしないといけないもん』
「そっか……」
『宿題もあるし。やっても、どうせ間違いだらけだけどさ』
「そっかあ……」

 そっか、しか知らないロボットみたいに、私は相づちをくり返した。
 それに合わせたように、窓の外で、街灯が頼りなげに点滅している。

 鼻をすする音は、止まる気配がない。ユウマくんはずっと泣いている。
 励ましてあげたい。だけど運動会の応援みたいに「がんばれ、がんばれ」って叫ぶのは、違うと思った。

(こういう時、どう言ってあげたらいいのかな)

 算数のテストで、60点以上を取ったことのない私の頭。ユウマくんが今すぐ元気になる魔法の言葉なんて、思いつくわけがない。
 みじめさの底へ心が沈み始めた時、「でも」とユウマくんが言った。

『今は、前よりも楽しい』

 さっきまでの弱々しい言い方じゃなくて、明るくて大きな声だった。

「前よりも楽しいって、どうして?」
『友だちがいるから』
「もしかして……私?」

 違ったら恥ずかしいな、と思いながら、ドキドキして尋ねた。ユウマくんは小さな声で、ためらいがちに「うん」と言った。

『メイさんが、友だち。……だめ?』

 最後の「だめ?」は、空耳かと思うくらいかすかだった。私に怒られないか、不安がっているみたいだ。

「ううん!」

 ユウマくんの不安を吹き飛ばすように、強く答えた。

「ユウマくんに、友だちだと思ってもらえてうれしい!」

 そう続けると、体のあちこちが照れ笑いするみたいにモゾモゾしてきて、ひざを曲げたり伸ばしたりしたけど、それでも治らない。

「お互いの声しか知らないけどね」

 全身のモゾモゾをごまかそうとして、冗談っぽく言ってみた。そうしたら、ユウマくんも照れたように笑った。

『そうだね。ぼくたち、声だけ友だちだ』

 そのあとすぐにケータイの向こうから、「にいちゃーん」とタクマくんの声がした。私たちは「また明日」と笑い合って、電話を切った。

 私は、ケータイの画面をじっと見つめた。しばらくすると、画面の光がパッと消える。
 真っ黒の四角は、「今日はおしまい」と言っているようで冷たく感じたけれど、手のひらを当てると、ほのかに暖かかった。

(……私と友だちだから楽しい、だって)

 黒い画面に映る自分は、口元がだらしなくゆるんでいる。
 気持ち悪いなあ、と思ってやめようとしたけれど、体の奥から「うれしい」がこみ上げてきて、唇が言うことを聞いてくれない。

「でへへ……」 
「何笑ってんの、あんた」

 突然聞こえた声に、心臓が口から飛び出すかと思った。ドアの方をバッと振り返ると、パジャマ姿のお姉ちゃんが立っていた。

「おおおお姉ちゃん、いきなりドア開けないでよっ!」
「何言ってんの。芽衣だって、私の部屋から勝手にマンガ持ってくじゃん」
「うぐ……」

 行き場のない文句をほっぺたに溜めて、バスタオルで頭を拭くお姉ちゃんを睨みつけた。

「それで……お姉ちゃん、何か用? お風呂、空いたの?」
「それもあるけど、『ううん!』とか『うれしい!』とか、うるさかったから。あんた、誰と電話してたの?」
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