あなたの血を飲み干したなら

佐久間 譲司

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朝の教室にて

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 広希の通う私立江府高校は、木更津駅に程近い、文京区の小高い丘の上にあった。小高いとは言っても、自転車を漕ぎながらでも楽に登れるほど坂は緩く、標高も、造成された坂道の入り口から高校まで、五分も登れば、辿り着ける程度には低かった。もっとも、真夏となると、充分、地獄になる条件は揃っているのだが。

 十月である現在は、そのデッドゾーンを抜けているので、問題はなかった。しかし、それでも、日差しと残暑のコンボで、少し汗ばんでしまう。

 広希と達夫は、坂を登り切り、他の生徒に混ざりながら、校門を通過した。

 広希達が自分達のクラスである二年三組の教室に辿り着いた時には、広希は、汗を随分とかいてしまっていた。達夫を見ると、飄然としている。日頃から、体育会系として汗を流しているお陰だろうか。

 教室に入り、広希は、汗をハンカチで拭きながら自分の席に座る。広希の席は、教室の前方、窓際に位置しているため、朝日に照らされた校庭が良く見えた。

 通学鞄の中の物を机の中に入れていると、隣の席の諸井早紀もろい さきが登校してきた。チャムスのカラフルなリュックを背負っている。

 「やっほー広ちん、まだまだ暑いねー」

 リスを思わせる大きな目をクリクリさせながら、早紀は明るく挨拶を行う。

 「おはよう、諸井さん。まだ暑いよね。汗かいちゃった」

 「汗までかくとは広ちんは精進が足りないね。帰宅部なんてやらずに我が運動部に来なさい。鍛えてあげよう」

 早紀は広希の肩をポンポンと叩き、殊勝な物言いをする。健康的なショートカットの髪が、少し揺れていた。

 早紀の天真爛漫な言動に微笑みつつ、広希は答えた。

 「達夫にもさっき勧められたよ。家の事情があるから部活はちょっと無理かな。それに、走るのは苦手だし」

 「そうかー。家の事情なら仕方がないね。まあ部活をやれるようになったら、何時でも来なさい。運動部は来る者拒まずだよ」

 早紀は、リュック類を机のフックに掛けると、そう言い残し、自分の仲良しグループの元へ駆け寄って行く。

 その背中を見送った後、広希は再び、通学鞄の中身を机の中に移す作業に戻った。

 それが終わり、スマートフォンで検索サイトのニュース欄を流し読みしていると、達夫が広希の席にやって来た。面白い漫画を見つけたような表情をしている。

 「さっき、聞いたけど、隣のクラスの男子が、千夏ちかに告ったみたいだぞ」

 千夏、という名前を聞き、広希の脳裏に、可憐な女子生徒の姿がよぎった。

 「また? 本当に大里おおさとさん、モテるんだね」

 広希は、感嘆の溜息をついた。これは本音である。

 達夫が名前を口にした大里千夏は、広希と同じクラスの女子生徒であり、全校で一位、二位を争うほどの美少女だ。白薔薇のような、可憐で清楚な雰囲気を纏っている。成績も常に学年上位に入っており、また、親が医者であり資産家らしく、非の打ち所のない、才色兼備の『お嬢様』といったイメージの女子だ。

 広希は、教室の中を見渡した。始業時間が迫っているのに、まだ千夏は登校してきていないようだ。千夏は、いつも早めの登校なので、今日は休みなのかもしれない。

 「それで、結果は?」

 広希は、先を促す。達夫は、聞かなくてもわかっているだろう、という顔をした。

 「やっぱり断ったみたいだぜ」

 「まあ、いつものことだね」

 千夏はこれまでに、上級生も含め、何人もの男子生徒から、告白を受けている。しかし、その全てをことごとく断っていた。その中には、女子生徒から、絶大な人気を誇る男子生徒もいた。イケメンで成績もよく、バスケ部のエースであるという、今時、少女マンガでも使わないステレオタイプのような男子である。およその男子生徒は、この男なら、千夏を取られても仕方がないと諦めることが出来るほど魅力があった。そして、何より、二人はお似合いだと思われた。

 だが、千夏はあっさりと、その男を振った。話によると、その男子生徒は食い下がったようだが、全く取り付く島もなかったらしい。  

 千夏は、上級生に限らず、下級生からも告白を受け、一部では、教師からも口説かれたことがあるとの噂もあった。しかし、その全てを跳ね除けていることから、恋愛そのものか、あるいは男に興味がないのでは、との話も出ていた。

 いずれにせよ、千夏の心を射抜く人間は今だ現れず、どんな人物がその隣を共に歩くようになるのか、大勢の生徒は興味が尽きなかった。

 「おはよー。何の話してんの?」

 ふいに二人へ声が掛かる。声の方を見ると、桑宮茂くわみや しげるが歩み寄ってきていた。

 広希は、チラリと教室内の時計に目を走らせる。もう始業時刻ギリギリだ。

 「おはよう。遅かったね」

 広希の言葉に、茂は、垂れ目気味の柔和な顔を歪め、悲痛な表情を作った。

 「それがさー、昨日から家庭教師が付いちゃって、遅くまでやってたよ」

 「また家庭教師、増えたのか」

 達夫は呆れた声を出す。

 「うん。親に増やされた」

 茂は溜息混じりに呟く。

 茂の両親は、茂の勉学に熱心であり、塾や家庭教師による学習の機会を数多く設けていた。特に、二年になってからは、数が増え、このまま三年になると、自由が全くなくなるのではないかと、茂は嘆いている。

 しかし、その甲斐あってか、茂の成績は、相当高く、学年で、首位をキープしていた。

 「それで、何の話してたの?」

 茂は、悲痛な顔から一変して、好奇心を露わにした表情に変わった。ある程度、内容は予測しているようだった。

 「千夏の話だよ」

 達夫が答える。

 「ああ、二年一組の男子が告ったやつ?」

 「そう。よく知っているな」

 「昨日、隣のクラスのやつが、LINEで教えてくれたんだ。だけど、千夏さん、相変わらず、モテモテだね」

 茂が感心したように、そう言った時だった。

 教室の入り口で、ざわめきが起こった。

 広希は反射的にそちらの方を向く。そこに、教室へと入って来る、一人の女子生徒の姿があった。

 今まで、三人の話題に上がっていた、千夏だった。

 「おはよーギリギリだったねー」

 「休みかと思って心配したんだよー」

 「間に合ってよかったね」

 取り巻きの女子達の声が、千夏へ次々に掛かる。皆、不安な感情に包まれた声だった。

 「少し事情があって、遅れたの。心配掛けてごめんなさい」

 千夏は、凛とした、清流のような声で言った。透き通った、美しい声質である。

 千夏は、他にも声を掛けて来るクラスメイト達に、笑顔を振り撒きながら、自分の席に向かう。シルクの如き綺麗な長い髪をなびかせ、日本人形のように整った清楚な顔と、魅惑的なスタイルをもって歩く千夏を見ると、まるでアイドルのファッションショーを見学しているかのような気分になる。

 「可愛いよなー。うっとりするよ」

 広希と同じように、千夏へ視線を向けていた達夫は、心酔したような吐息を漏らした。

 「うん」

 茂も同意する。

 千夏が、優雅な雰囲気を纏いながら、教室後方にある自分の席へ着いた頃に、始業のチャイムが鳴った。
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