あなたの血を飲み干したなら

佐久間 譲司

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血の催促

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 昼休みが終わり、午後の授業が始まった。

 午後一発目の授業は非常に気だるく、眠気を誘うものだ。おまけに、数学であるため、思考停止に拍車をかける。

 広希は、眠気を紛らわせようと、教師の目に注意しながら、そっと教室を見渡した。自身の席は、前方であるため、後ろに首を回すだけで、全体をよく把握出来るのだ。

 他のクラスメイト達も、広希と同じような気分らしく、徹夜明けのような眠たそうな目で、授業を受けていた。中には、うつらうつらと船を漕いでいる者もいる。

 視線を前方へ戻そうとした瞬間、隣の席に座っている早紀と目が合う。早紀は、水筒の中身を飲んでいた。

 授業中の飲食は禁止されているが、血は別だった。感染者にとって、必須の行為だからだ。そのため、早紀が飲んでいるものは、血液飲料ということになる。先ほど教室中を見渡した時も、同じように、血液飲料を飲んでいる者が、何人かいた。

 早紀は、血液飲料を飲み終わると、水筒をしまいながら、こちらに軽く目で問いかける。そこには「眠いね」との意味が込められていることに気が付く。広希は、小さく笑みを浮かべつつ、頷いた。 

 早紀とのアイコンタクトが済んだ後、広希も、スタンレーの水筒を取り出し、中身を飲んだ。血を飲むアピールは、忘れがちになるため、こういったことをきっかけに、行わなければならない。

 フェイクである血を飲み終わった広希は、再び授業へ意識を向ける。やがて、五時間目の授業が終わり、休み時間に入った。

 六時間目が始まるまでの短い休み時間、広希は、自身の席で、達夫達と談笑を行っていた。今回は、近くの席にいる早紀も混ざっている。

 話題は、今人気のアイドルの話だ。どこぞのお笑い芸人との熱愛報道が、つい先日報道されたばかりだった。

 そのお笑い芸人は、お世辞にも恵まれた容姿とは言えず、また、特に売れっ子というわけでもなかった。一方、アイドルの方は、テレビや雑誌に引っ張りだこである、大人気の美女なのだ。

 そのような不釣合いのカップルがなぜ誕生したのか、皆は不思議がった。

 広希も同じだった。もっとも、人の好みなので、他人にはわからない魅力でもあるのだろうと、想像はしていたが。

 しかし、その答えを、達夫は知っているようだった。

 「その芸人、実は非感染者だって噂があるぞ」

 達夫が口にした思いがけない単語に、広希はつい達夫の顔を見つめた。

 「えーそうなんだ。知らなかった」

 早紀は口に手を当て、目を丸くする。その目には、キラキラとした輝きが入り混じっていた。

 好血病の感染者は、本能的に非感染者の血に魅力を覚えるらしいのだ。

 「なるほど。だったら、わかる気がするな」

 茂も理解したように、頷く。温厚そうな垂れ目の奥に、早紀と同様の、獣のような輝きが生じているのを、広希は見逃さなかった。

 「いいなー。それが本当だったら、毎日、非感染者の血を飲めるんだよね」

 早紀は、うっとりとした表情をした。大きな目が潤んでいる。

 「そうなんだよな。羨ましいよ。こっちは、非感染者なんて、もう一人も見当たらないのに」

 達夫も、アイドルを射止めた芸人ではなく、どちらかと言うと、非感染者のお笑い芸人のほうに興味の矛先が向いているようだ。生じた気分を紛らわすかのように、手に持っていた黒の水筒から、血を飲む。

 「私の五歳の甥っ子が、去年までは非感染者だったけど、もう感染者になっちゃったもんね。もう非感染者は、私の周りには、ほとんどいないみたい」

 「そうか。惜しいことしたな。血を貰えば良かったのに」

 「甥っ子だよ。そんなことしないよ」

 早紀はそう言いながら膨れっ面をした。だが、まんざらでもなさそうな顔である。そして、達夫同様、水筒の血を飲んだ。

 「広希どうした? 急に黙って」

 達夫が不意に、声を掛けてくる。広希の心臓が少し高鳴った。非感染者の話になったため、思わず黙り込んでしまっていたのだ。

 「いや、何でもないよ。僕も羨ましいなーって思って」

 広希は首を振って、弁明する。おかしな疑惑を抱かれないか不安が生まれた。

 「広ちんの近くに非感染者はいないの?」

 早紀は、何気なく聞いてくる。

 「うーん、いないかな。親戚の子も、皆感染者として生まれてきているし」

 感染者の子供は、確実に感染者として生まれてくる。先程の早紀の甥っ子は、生まれた時は、両親が非感染者であったため、子供も非感染者として生まれてきたのだろう。その後、両親、子供という順で、感染者に変貌していったに違いない。

 達夫達が言及しているように、非感染者の数は、常に、その数を減らし続けていた。今では極少数と言われている。

 とは言え、非感染者を狙った事件は、まだ時折報道されるので、非感染者は僅かなながらとも潜在しているはずである。外観から感染者、非感染者の区別が付かないため、把握が難しく、詳しく判明していないのが現状である。

 「そう言えば、広ちんって、何の血を飲んでいるの?」

 早紀が、なぜか脈絡のない質問を行う。昼休みの時、茂にされた質問と同じではあったが、なぜ急に気になったのか、訝ってしまう。

 「クセのないやつだよ。おいしくもないし、不味くもない」

 「商品名は?」

 早紀は続けて訊いた。嫌な方向に話が進んでいる気がした。

 広希は商品名を伝える。それは、このような時のために返答できるよう記憶していた商品名だ。血液飲料の中では、メジャーな部類で、誰が飲んでいてもおかしくはない。

 早紀は、頷きながら、さらに口を開いた。それは、困るお願いだった。

 「それ知ってる。私も大好き。一口ちょーだい」

 早紀は、悪戯っぽく笑い、自身のコップをこちらに差し出す。

 広希は、表情に出ないよう気を付けつつ、小さく息を漏らす。

 広希の水筒に入っている血はフェイクであるため、このまま飲ませると、偽物だと即座に判明してしまう。それは発覚の危険を大きく伴った。

 しかし、こういった時の対処も想定済みだ。今までも、何度か、持っている血液飲料を催促されたことがあるのだ。

 「ごめん。もう血がなくなったんだ。もう残ってないんだよ」

 広希は、申し訳なさそうに伝える。これで引き下がるだろうと考えた。今まではそれで問題なかった。しかし、早紀は、そうはしなかった。

 「嘘ばっかり。さっき、飲んでたじゃん」

 「その後、全部飲んじゃったんだよ」

 「嘘つきなさい。ケチな男は嫌われるぞ。ほら、さっさと飲ませて」

 早紀はしつこく食下がった。さすがに困惑した。早紀にとっては、コミュニケーションの一貫なのかもしれないが、この展開は困る。ここは何とか早紀の要求をかわすべきだった。

 広希は、頭の中で、対処法を模索した。いくつか、思い浮かんだところで、突然、早紀のそばで、声が上がる。

 「いただき!」

 早紀が手にしていた水筒とコップを、横から、誰かが奪い取った。早紀は、とっさにそちらへ顔を向ける。

 鰐口明日香わにぐち あすかだった。明日香は、ツインテールの小柄な女子生徒だ。妹のような無邪気さと、幼さを持っている。

 早紀本人の水筒を奪取した明日香は、早紀の反応などお構いなしに、中身を勝手に飲んだ。

 「あーっ」

 早紀は、抗議の声を発する。

 水筒の中身を飲み終わった明日香は、薄い唇を血で塗らしたまま、子供のような悪戯っぽい笑みを早紀に向けた。

 「もう、また勝手に飲んだな」

 早紀は拗ねたように、頬を膨らませた。もちろん、本気の非難ではなく、冗談に近い訴えだ。明日香は、よく人の血液飲料を勝手に飲む行為をする。もうお馴染みの光景だ。

 「隙がある方が悪いのよ」

 明日香は、口元の血をハンカチで拭い去り、小さな舌を出して早紀をからかった。達夫や茂が笑い、広希もつられて笑う。

 それと同時にチャイムが鳴った。達夫達は、軽く挨拶を行い、広希の席を離れていく。明日香の方は、早紀に侘びもせず、自分の席へ戻って行った。

 早紀は、ため息混じりに、自分の水筒をチャムスのリュックの中へと収めていた。広希に血液飲料を催促していたことは、すでに忘却しているようだった。

 図らずとも危険は回避出来たようだ。とりあえず安心していいだろう。

 広希がホッとしたところで、現国の若い女教師が教室へと入ってくる。

 そして授業が始まった。
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