あなたの血を飲み干したなら

佐久間 譲司

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ニュース

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 翌朝、千葉の空は、鉛色をした雲に覆われていた。昨日、祖母が宣言したように、今日は雨のようである。今はまだ降り出してはいないが、いつ大雨が来てもおかしくはない空模様だ。

 広希は、起床直後に見上げていた窓際から、離れ、部屋を出た。

 一階の洗面所で顔を洗い、居間に入る。

 毎朝の如く、食卓には朝食が並んでいた。今日は卵焼きに、納豆の付け合わせである。

 広希は、二人に声を掛け、自身の椅子へと座った。克己はすでに、自分の椅子に着いていた。

 広希は、台所にいる梅子へ先に食べる旨を告げた後、克己と共に朝食に手を付け始める。

 点けたままのテレビから、ニュース番組の音声が居間へと流れていた。広希は、時折、そちらに目を向けながら、卵焼きを口に運ぶ。

 ニュース番組は、芸能界の話題を取り上げていた。例の非感染者であると疑いがかかっている、お笑い芸人と、美人女優の結婚の話題だ。

 そのお笑い芸人が非感染者なのか否かは、直接触れられてはいなかった。マスメディアが詮索するのは禁忌だからだ。だが、遠まわしに探られているかもしれない。

 視聴者やテレビ局の関係者のほとんどが、感染者なのだ。非感染者に対する興味は凄まじく強い。表層は結婚に対し、祝福しているようだが、非感染者との疑惑が持ち上がった以上、皆の関心は、そちらにも向けられるだろう。おそらく、この傾向は、しばらく続くに違いない。

 やがて、ニュース番組は、次の話題へと移り変わった。それまでの華やかな雰囲気が一変して、神妙な空気が流れる。それなりにセンセーショナルな内容らしい。仰々しいテロップが画面に表れた。

 何の感慨もなく、目を向けていた広希は、そのテロップを読んで、食事の手を止めた。胸中に、ドロリとした、黒いものが圧し掛かったのを自覚する。

 テロップには、こう書かれてあった。

 『非感染者を監禁! 男を逮捕!』

 動きを止めたまま、広希はテレビ画面を注視する。隣に座っている克己が、気に掛けるように、こちらを伺ったのを目の隅で捉えた。

 ニュース番組の司会者は大げさな表情を作り、事件のあらましをこう解説していた。

 事件が発覚したのは、一昨日の午後らしい。場所は大阪の泉佐野市。保護された被害者は二十代の女性で、命に別状はないという。ただ、衰弱が激しく、入院の措置が取られたようだ。容疑者は三十代の男。現在は取り調べの最中らしい。

 画面に容疑者の顔写真が映し出された。スキンヘッドの厳つい容貌をした男だ。街ですれ違った場合、避けて歩きたくなるような威圧感を放っている。そんな男に監禁されたのだから、その恐怖心たるや、相当なものだっただろう。

 司会者は、動機の説明に入った。

 被害者の女性は、岸和田にある建築会社の事務員だった。加害者の男とは同僚の間柄であり、ある時、偶然にも被害者の女性が非感染者だという事実に気が付き、拉致を行うことを決めたようだ。

 さらに、詳細な解説が続く。

 男は就業が終わると、被害女性を尾行し、一人住まいのアパートを突き止めた。そして、その後で、被害女性を拉致するために、様々な準備に取り掛かった。

 男は一人暮らしだった。両親は数年前に他界しており、両親が残した一軒家に、一人で生活をしていた。男は、その一軒家の一部を、自身の手で改装し、監禁に適した造りへと変えていったのだ。

 被害女性を『お迎え』する準備が整った後、男は、被害女性の生活を徹底的に調べ上げ、行動パターンを把握した。

 そして決行の日。

 休日で街に出ていた被害女性の帰宅途中に、偶然を装って声を掛け、送って行くからと、自身の車に乗せる事に成功する。用意してあった刃物を見せて脅迫し、粘着テープで拘束した後、泉佐野市にある自宅へと監禁したのだ。

 これが、彼女の地獄の始まりだった。

 ほぼ四六時中ベッドに拘束され、血を採取され続けた。採取には、インターネットを通じて、海外から購入した採血ホルダーが使用されたようだ。健康診断の採血時と同様に、静脈に針を刺され、血を抜かれていた。抜かれたその血は、その場で全て男が飲み干していたという。

 拘束と、強制的な採血により、被害女性は、大変な苦痛を味わい続けた。しかし、何よりも嫌だったのは、排泄関係だったようだ。被害女性はオムツを履かされ、そこで排泄を行わなければならかった。それは、死んでしまいたいと思うほどの、強い屈辱だったと語っている。

 男の家は隣家との距離が、かなり離れている上に、監禁部屋が防音加工されており、助けを求める声は誰にも届かなかった。また、一人暮らしである以外に、交友関係も乏しかったため、第三者に見咎められる可能性が極めて低い環境となっていた。

 二週間ほど地獄の同居生活が続き、やがて、終わりを迎える。

 救助のきっかけは、男に拉致された被害女性が持つスマートフォンだった。拉致された際、女性が所持していたスマートフォンは監禁場所まで一緒に運ばれている。しかし、男は拉致後、被害女性のスマートフォンを取り上げ、電源を落としていた。スマートフォンを元に追跡される事を見越していたからだ。

 だが、そのタイミングが遅かった。スマートフォンは、電源が入っていた直前まで、その所在を辿ることが出来る。近くの基地局へ、定期的に電波を自動発信しているからだ。

 被害女性の無断欠勤が続き、心配した同僚が自宅のアパートへ訪ねた。しかし、いくらチャイムを鳴らしても不在であり、またスマートフォンも繋がらない事から、会社から被害女性の両親に連絡が行った。やがて両親の手で、警察に捜索願が提出されたのだ。

 捜索願が出されれば、警察は電波事業者に情報の開示請求が出来る。そして、その最後に発したマートフォンの電波から、警察は、基地局を割り出した。

 男が被害女性のスマートフォンの電源を落としたのが、男の自宅がある泉佐野市内に入ってからだった。それが致命的だった。警察お得意の聞き込みにより、男の家まで嗅ぎ付けたのだ。

 男は、職場では、行方不明となった同僚を本気で心配する素振りを見せ、決して疑わしい言動など取っていなかったという。

 だが、警察官が自宅というテリトリーに足を踏み入れたのでは、そうは行かなかったようだ。突如、玄関先に現れた警察官に対し、強い挙動不審を以って、出迎えてしまったのだ。

 そこからの展開は早く、聞き込みによる目撃車種の証言、基地局の該当範囲、行方不明女性の同僚という偶然の一致、挙動不審というフォーカードが揃い、裁判所から捜査令状が下り、監禁された女性を発見、現行犯逮捕に相成ったのだ。

 事件の解説が一通り終わり、ニュース番組は、コメンテーターの意見に移った。広希は食事を再開する。

 「大丈夫か? 広」

 克己が心配した表情で、広希の顔を覗き込む。

 「うん。大丈夫。気にしていないよ」

 広希は、努めて、明るく言った。本当は少し動揺があったが、祖父に心配をさせたくないとう気持ちがあった。

 それに、このようなニュースは、特別珍しくない。

 広希は、続けて言う。

 「時々あることだし、いちいち気にしていられないよ」

 ニュース番組は、広希の言葉に呼応するように、テロップが変化した。

 『今月二人目! 非感染者の被害』

 感染者による、非感染者の加害事件は、決して珍しいことではなかった。拉致監禁こそは滅多にあるものではないが、衝動的な暴行や傷害、猥褻行為なども時折起こっている。それらは、通常の、人同士の軋轢や欲望によるものとは事情が違い、感染者の『血を飲む』という目的が伴ったものだった。

 感染者の数が増えるに従い、被害件数は軒並み増加していった。ピークは、感染者と非感染者の数が、およそ半々になった時期だった。まるでムーブメントであるかのように、『吸血事件』のニュースを目にしない日はなかった。

 やがて、次第に非感染者の数が減るに従い、当然だが、被害件数も減少していった。非感染者の数が少数となった現在では、全盛期に比べると、随分と鳴りを潜めていた。だが、それでも、思い出したかのように、定期的に発生している事象である。

 それはまだ、非感染者がこの日本に潜在している証でもあり、そして、同時に、非感染者だと発覚した場合、確実に感染者に狙われるという危険の表れでもあった。

 「学校の方は問題ないか? その、周りは皆感染者なんだろう?」

 食事を再開した克己が訊く。あまり大げさに感じさせないよう、配慮した口調だった。

 「うん。問題ないよ。バレてない」

 「達夫君も感染者なんだろ? いつも一緒にいるけど、バレる心配はないのか?」

 「大丈夫だって。ちゃんと偽物の血は飲んでるし、それにバレても達夫なら何もしないと思うよ」

 広希は本心を言った。実際、非感染者という事実が周りに発覚した場合、先程のニュースのように、真っ先に血を狙うのが同僚や知人だという。言い換えれば、身近な人間達だから、発覚し易く、即被害に合うのだ。

 しかし、達夫は違うような気がする。幼馴染であり、良く行動を共にする仲だ。広希の事も良く気遣ってくれる。カミングアウトする気はないが、仮に達夫に発覚したとしても、血を狙わず、むしろ、自分の身を案じてくれるのではないかと広希は思っている。

 「広ちゃんの言う通り、達夫君は優しくてしっかりしているけど、油断しちゃ駄目よ。非感染者が被害に遭う事件は、いつもそんな事から始まるらしいから」

 キッチンから出てきた梅子が、いつものように、カウンターへ弁当箱と二本の水筒を置きながら、警告する。ニュースの内容や、二人の会話をしっかりと聞いていたようだ。

 「一人でもバレたら、それが皆に広がって広ちゃんが被害者になっちゃうわ」

 梅子は、広希の周り全てが敵であるかのような物言いをした。今も続いている非感染者の被害事件を鑑みれば、無理のない話だとは思う。ましてや、唯一の孫の事なので、ひどく心配なのだろう。

 広希自身、その気持ちはひしひしと感じているため、強く反発するつもりはなかった。

 「わかってるよ。絶対にバレないようにするから、心配しないで」

 広希は宥めるように言った。

 梅子はそれ以上は言及せず、自分の椅子に座り、朝食を摂り始めた。

 テレビは、コマーシャルに入り、血をメインに使った、シチューを紹介する映像が流れ出していた。
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