あなたの血を飲み干したなら

佐久間 譲司

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この血を飲んで

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 教室に入った途端、クラスメイト皆の視線を受けて、広希は面食らった。思わず硬直する。

 一体なんだろう。

 視線は自分に向いている。広希はそれを悟る。達夫達が後ろにいるが、視線はそちらではない。達夫達も集まった視線に硬直しているようだが、あくまで視線の矛先は、自分なのだ。

 面食らった状態で、広希は、しばらく固まったままだった。だが、ハッと我に返り、教室の中へと入っていく。このままここにいても、仕方がなかった。

 広希は、戸惑ったまま、自身の席に向かう。それに合わせて、皆の目が自分を追っていることがわかった。なぜだが知らないが、やはりクラスメイト達は自分に注目しているようだ。

 まるで犯罪者になった気分だ。驚くことに、あの千夏でさえも、こちらを見つめていた。

 広希が、自身の席に近付いた時、そこに早紀と明日香がいることに気が付く。早紀は隣の席だが、自分の席ではなく、広希の席にたむろっているようだ。

 二人共、神妙な顔をしていた。

 「どうしたの?」

 広希は、二人に問いかける。何か、嫌な予感がした。背後に付いてきている達夫達は、無言だった。

 答えたのは、明日香だった。

 「ねえ、広希、血液飲料ってどうしているの?」

 「え?」

 明日香の思いがけない質問に、広希の目が点になる。どういうことだろう。

 「どうしているって、普通に飲んでるよ」

 「これに入っているやつ?」

 明日香は、広希の机の上にある、スタンレーの赤い水筒を指で指した。

 「う、うん」

 次第に、鼓動が早くなっていくのを、広希は自覚した。確か、水筒は机の上に出したままだった。そう心掛けたからだ。もしかして……。

 そして、明日香は、衝撃的な言葉を口にした。

 「嘘でしょ。これ、血じゃなかったよ」

 広希は、自身の顔から、血の気が引くのがわかった。足が震える。

 すぐに理解した。明日香は、勝手に飲んだのだ。梅子が作ったフェイクの血を。

 「どういうこと?」

 後ろにいる達夫が、状況を把握出来ず、困惑した声を上げた。

 「さっき、広希の水筒の血を飲んだら、血じゃなかったの」

 「それが?」

 「つまり、広希は血液飲料を飲んでいないってこと」

 「あ……」

 明日香の説明を受け、達夫と茂は理解を示したようだ。つまりは、『非感染者』である可能性を広希に見出したのだろう。

 二人は、様々な感情が入り混じった表情で、こちらを見る。

 広希は唾を飲み込んだ。何か言わなければ。そう思うものの、何も思い浮かばない。

 明日香は、なおも追及の手を緩めなかった。

 「ねえ、広希、血をどうしているの? まさか、飲んでいないの?」

 広希は、慌てて首を振った。

 「そ、そんなわけないよ。飲んでいるよ。もちろん」

 広希はようやく声を出したものの、掠れていた。ますます疑惑を深めるかもしれない。

 「じゃあその血はどこにあるの?」

 「もう一本水筒があるから、そこに……」

 「それはお茶でしょ? どうして嘘をつくの?」

 明日香は、広希に詰め寄った。明日香は小柄であるため、自然に視線を下げなければならない。

 上目遣いの明日香の瞳と目が合う。それは、肉食獣のように、光を放っているように見えた。獲物を狙う、鋭い視線。

 思わず、広希は、目を逸らした。そして、教室中の生徒が、固唾を飲んでこちらの展開を見つめていることに気が付く。皆、興味津々の様子だ。それは、達夫達も、早紀も同様だった。

 広希は、混乱しそうになる頭を必死に働かせ、上手い言い訳を模索する。

 しかし、先に明日香が、死刑宣告のように、決定的な言葉を言い放った。

 「広希、あなた非感染者でしょ?」

 息が詰まる。心臓が跳ね上がり、バクバクと音を立て始めた。

 落ち着け。ここで、混乱しては、認めているのも同然だ。あくまでも、冷静に。

 広希は、小さく息を吐いて、言った。

 「違うよ。何でそうなるんだよ」

 「だって、そうとしか……」

 「誤解だよ。その水筒のやつは、健康のためにお婆ちゃんが持たせてくれたやつ。漢方のお茶。今日だけ入れてきたんだ」

 「さっき、嘘ついたのは?」

 「嘘じゃなくて、間違えただけ」

 「じゃあ血はどうしているの?」

 「普段は、その水筒に入れてたけど、今日はペットボトルを買って飲んでたんだよ。それが、もうなくなって、買わなきゃって思ってた所」

 「……」

 苦しい言い訳だと自分でも思う。明日香も、とても微妙な顔をしている。信じていないぞと、その顔は物語っていた。その上、早紀も問題だ。午前中のやりとりを覚えているのならば、今の言葉が嘘だとわかるはずだ。幸い、早紀は、忘れているのか、口を挟む気配はなかったが。

 何はともあれ、押し通すしかない。

 「まあ、だから、全て誤解だってこと。ちゃんと僕は血液飲料を飲んでいるんだよ。考えすぎ。第一、人の物を勝手に飲むのは失礼だよ」

 広希の批判に、明日香は頷いた。ツインテールの髪が揺れる。そして、こちらに、微笑んだ。

 「そう。ごめんね」

 納得してくれたのだろうか。意外にもすんなりと信じて貰い、広希は、面食らう。心の中で、胸を撫で下ろす。

 明日香は、言った。

 「なら、感染者だと証明するために、これを飲んで」

 明日香は、家畜の血が入ったペットボトルをこちらに差し出した。

 一瞬、頭の中が真っ白になる。眩暈を覚えた。まずいぞと、心の中で、声がする。

 広希は、手を明日香の目の前で、ひらひらさせた。

 「悪いけど、今は飲みたくないんだ。いらないよ」

 「そんなこと言うから、疑われるのよ。一口でいいから飲みなさい」

 明日香は、強引にこちらにペットボトルを押し付けた。広希は、仕方なしに受け取る。

 ペットボトルは、未開封だった。おそらく、明日香自身のものだろう。こうして自分のものを持っているくせに、人の血液飲料を飲もうとするのだ。明日香は。

 広希は、ペットボトルを持ったまま、硬直していた。皆が見ている。広希の額に、汗が滲み始めていた。

 「どうしたの? 早く飲みなさい。感染者なんでしょ?」

 明日香が、鋭い目を向け、責め立てる。

 広希は、腹を括った。もう飲むしかない。我慢して、一口飲むのだ。

 以前、血を飲んだのは、随分前だった。その時は、あまりの不味さに思わず吐き出してしまった。だが、今なら大丈夫かもしれない。あの時の味を覚えているのだ。覚悟して飲めば、耐えられるはずだ。いや、耐えなければならない。耐えなければ、非感染者だという事実が、判明してしまう。そうなれば、学校生活は終わりだ。

 「わかったよ」

 広希は、そう言い、ペットボトルのキャップを開ける。手が震えていることを悟られないように、注意した。

 これはただ、飲めば良いというものではない。無理して飲んでいるのを悟られては、元も子もないのだ。あくまで自然に、出来れば美味しそうに飲む。それこそ、感染者がいつも血を摂取しているように。

 出来るはずだ。所詮は血だ。我慢して飲むことなど容易いはず。

 広希は、意を決して、ペットボトル内の血を口の中に流し入れた。

 口の中に海水のような塩辛い味と、魚の内臓のような生臭い味が広がった。鉄錆に似た、むせる臭いも、鼻を貫く。あの時の、味だ。

 広希は堪らず、血を吐き出した。そして、床に手を付き、大きく咽る。まるで吐血したかのように、目の前の床に、血が広がった。

 飲む所の話ではない。口に含むことすら不可能だった。血液というものは、それほど、非感染者にとって、体が拒否をする物質なのだ。

 「やっぱり……」

 うな垂れたままの頭上から、明日香の呆然とした声が聞こえる。首筋に、教室中の、熱を帯びた視線が集中しているのがわかった。

 広希は、顔を上げることが出来なかった。
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