あなたの血を飲み干したなら

佐久間 譲司

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誘惑

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 心の中にモヤモヤしたものを生じさせながら、早紀は千夏の言葉に従った。

 千夏は、家の奥へと進んで行く。早紀は後ろに付いて歩いた。

 家の中は静まり返っており、人の気配がしない。千夏は一人娘だと聞いているので、おそらく両親との三人暮らしだ。今の時刻はまだ早く、両親共仕事から帰ってきていないのだろう。つまり、現在、家にいるのは千夏と自分だけ、らしい。

 やがて千夏は、一つの扉の前で立ち止まった。その扉は他のと違い、スチール製だった。ちょうど、視聴覚室の扉のような。

 その物々しい外観に、どこか邪悪さを早紀は覚えた。

 「入りましょう」

 千夏は、扉を開いた。その先は下へと下っている階段だった。打ちっ放しのコンクリート。地下室へ通じているらしかった。

 千夏が先にこちらを通す。早紀は大人しくそれに従った。

 階段へ入ると、千夏はスチール製の扉を閉めた。薄暗くなるが、天井にはライトが取り付けられているので、問題なく見通せた。

 再び千夏と入れ替わり、前になる。そして階段を下り始めた。

 早紀も同じように階段を下りる。足が震えるのを自覚した。何だか怖かった。このまま引き返し、帰ってしまおうかと思う。だが、なぜかそれはできなかった。どうしても、この先にあるものが見たかった。見なければならない気がした。

 階段の突き当たりには、上と似たような扉があった。これまたスチール製の防音扉。上よりも重厚な造りのように感じる。

 千夏は、その扉に手を掛け、開く。そのまま地下室の中に入る。早紀も後に続いた。

 地下室は十畳ほどの広さだった。壁には、音楽室のような穴だらけのタイルが貼り付けてある。

 そして、早紀は硬直する。早紀は見たからだ。部屋の中央にあるものを。

 部屋の中央にはベッドが置かれ、その上に、人が白いベルト状のもので拘束されていた。以前、昔の精神病院を写した写真を見たことがある。乱暴狼藉を働く患者を抑えるために、ベッドへ貼り付けにしているのだ。残酷ささえ感じるその風景と、今の風景が重なった。

 これは一体、何? そう思った直後、早紀はさらに衝撃を受けた。拘束されている人物が、誰なのか把握したからだ。

 それは広希だった。風邪で休んでいるはずの広希がここにいる。

 「広ちん!」

 早紀は思わず悲痛な叫び声を発した。あまりにも痛々しいその姿に、早紀は吐き気すら催す。

 広希は泣いていた。苦痛と悲哀がその顔に表れていた。極めて惨たらしい。

 そして早紀は、ハッと気付く。ショッキングな光景を目の当たりにして目に入らなかったが、部屋には、千夏と自分以外に人がいた。

 明日香と茂だった。二人共薄ら笑いを浮かべている。この悲惨な環境に、平然と身を置いていた。どうしてそうしていられるのかわからなかった。

 「どうして!? これはどういうこと?」

 早紀は、千夏に食って掛かった。しかし、千夏は何食わぬ風情で答える。

 「見ての通り、ここに監禁して、血を貰っているのよ」

 「何それ? そんなこと許されるわけないじゃない!」

 「私達だってそんなことわかっているわ。でも仕方ないでしょ? 血液飲料が足りないんだから。もう飲める血がないの。非感染者から採るしかないわ」

 「だからって、こんな真似……」

 早紀は、広希に目を向けた。広希は、涙を流しながら、辛そうに顔を歪めている。口枷はされていないので、声は出せるはずなのだが、もうその元気すらないのだろう。肉体的負担よりも、精神的な辛さが影響を及ぼしているようだった。

 早紀は、他にいる二人を指差した。

 「あなた達も共犯なの?」

 早紀が訊くと、二人は同時に頷いた。

 茂が最初に答える。

 「俺は達夫と一緒に監禁を手伝ったんだ。だから血を飲ませて貰っている。達夫がメインだったけど、その権利はあるよ」

 次に明日香が無邪気そうに答えた。

 「私は広希が非感染者だと発覚するきっかけを作ったから、という理由かな」

 「美術部の人達は? あの人達も広ちんの血を飲んでいたの?」

 千夏は首肯する。

 「ええそうよ。彼女達は私の好意で飲ませたわ。前から広希君の血に興味を示してたみたいだし」

 「もしかして神谷先生も?」

 「よくわかったわね。その通りよ。先生には学校側の隠蔽を任せているわ」

 何ということだ。早紀は、愕然とした。それほど多くの共犯者がいるとは。しかも、それだけの人数が関わっておきながら、一切この犯行が露呈していないことにも驚きを隠せない。皆、確実に箝口令を厳守しているのだ。それだけ広希を逃すつもりがないことの表れだと思われた。

 そして何より、クラスメイトを拉致監禁し、血を無理矢理採っているのに、微塵も罪悪感を見せない点に、狂気すら感じた。血液を摂取できていないことによって、根源的な血を求める欲求に、歯止めが利かなくなっているのだろうか。理性を凌駕する感染者の本能が垣間見れた気がした。

 そして、自分は――。

 唾を飲み込み、早紀は尋ねる。

 「どうして私を誘ったの?」

 千夏は微笑んだ。

 「あなたが色々嗅ぎ回っているみたいだったから、発覚する前に、味方に引き入れようと思って」

 「仲間?」

 「そう。あなたも血を飲めていないでしょ? だから広希君の、非感染者の血を飲ませてあげる」

 千夏は広希がまるで自分の所有物であるかのような物言いをした。そして、部屋の隅にある小さなテーブルの元へ歩いていき、その上に置いてあったコップを手に取った。そのコップには、トマトジュースのような赤い液体が半分ほど入っていた。

 コップを持ったまま、千夏は早紀の前まで戻り、こちらに差し出す。

 「さっき採ったばかりだから、まだ新鮮だよ。飲んでみて」

 早紀は、差し出されたコップを見つめた。これは、広希の血だ。以前、広希が鼻血を出した時に広希自身の血は見たことがあるが、それとは量が段違いだ。これほどの量をいつも抜かれているのだ広希は。いや、これは半分だ。いつもはこれ以上抜かれている可能性もあった。

 「非感染者の血ってとても美味しいんだよ。一度飲んだら家畜の血なんて飲めないわ。それに、ちょっと飲むだけで、血の欲求もすぐになくなるよ」

 千夏は高揚したように言いながら、広希の血が入ったコップをこちらに押し付けた。

 仕方なくそれを受け取った早紀は、中の血に目を落とす。広希の血は、赤ワインのように綺麗だった。自然に、涎が湧いてくるのを自覚する。

 自分も血が必要だった。連日における血液飲料の不足により、非常に乾いていた。他の感染者よりも軽くではあるが、禁断症状も出ている。これをこのまま飲み干したら、さぞや快感だろうと思う。

 しかし。

 早紀は、再び広希の姿を目に映す。貧血の症状に襲われているのか、苦しそうに喘いでいる。流れ続けた頬の涙の後に、また一筋の涙が流れる。悲哀の証。広希は、とても苦しんでいる。そんな広希の、これまで一緒に過ごした友人の血液など、飲むことはできない。だから、ごめんね、広ちん。血を利用するから。
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