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第一章 試しの一年
第一話 いつかの『才能ナシ』
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——聞こえてくるものが、うるさくて堪らない。また、この夢なのかと、叫びたくなる。
『いやー、いっぱい遊んだ後に見る夕陽は、染みるもんだねぇ……』
『……随分、年寄りくさい事言うな。受験ストレスで老けたか? 相談、乗ってやるよ』
『はあ? あんた、現役バリバリの女子中学生になんて事を……まあいいや、許してあげる。今は機嫌が良いから、そんな事言われても全然平気なのです! なんなら、夢とか叫んじゃうから!』
『おいおい……お前、本格的に狂ったんじゃ——』
『うるさい! 黙って聞いてろ! すぅ……あたし! 源田響は! 歌手になりまーす!!』
『——っ!』
————
「——はぁ」
最後の瞬間、浮かび上がったものまではっきりと見てから、目が覚める。時計を見れば、まだ六時半。もっと寝ていてもいいんだが、二度寝なんてする気分じゃない。
制服を来て、のそのそと階段を下ると、コーヒー片手にくつろいでいる人影が見えた。
「あら、おはよう優人。また早起き? 若いんだから、もっと寝なさいよ」
「……おはよう、母さん」
およそ親とは思えない言葉を吐いて、母さんはコーヒーを淹れてくれた。砂糖ゼロの、甘党の俺にはとても飲めそうもない、そんなやつを。
「どうぞ。あ、朝ご飯はそれね。トースト。バターはそっち」
「……今度はブラックかよ。砂糖とか、ミルクとか、ねぇの?」
「無いわよ。苦い方が、この天才の脳に染み渡る気がするの……うぇ、にっがぁ……」
「今なんか聞こえたぞ……」
自信たっぷりの自称天才が、顔を顰める。
正直、自分で自分の事を天才などと宣う人間に碌な奴がいた覚えは無いが、残念ながら母さんは天才だ。
別に、贔屓してる訳じゃ無い。何を言っても母さんの背後に出る、『才能アリ』の文字がそれを証明している。
俺には見る事が出来るんだ、人の才能が。よく分からない文字という形で。
昔近所に住んでいた、空手をやっていたお兄さんは才能アリ。メキメキと腕を上げて、全国大会にも出場したらしい。
逆に、テレビに出ていた有名な小説家の人は、才能ナシ。いつだかゴーストライターが居た事がバレて、問題になっていた。
それ以外にも、この手の話は枚挙に暇がない。本当に、いくらでもある。
自分でも馬鹿げた話だと思うんだが、俺の人生の全てが、真実だと言っている。妄想や見間違いだったなら、諸手を挙げて喜ぶんだけどな。
「——優人ー! 学校行こーよー!」
大体朝支度が終わった頃に、玄関先から能天気な声が聞こえた。もっとゆっくり出来ると思ったが、もうそんな時間なのか。
「お迎えみたいね。あ、お弁当はそれ。ピタサンド。具は母さん一推しのステーキ」
「昨日の夕飯より豪華じゃねぇか。ま、いってくる」
「いってらっしゃい。母さん寝るから、鍵掛けておいてー……ふぁぁ……」
扉を開く。朝日と共に目に飛び込んで来たのは、不機嫌そうに頬を膨らませていた、年相応より幼く見える、茶髪の少女。
「もー! 遅い! 待ったよ?」
こいつは同じ高校に通う幼馴染、源田響。俺の悩みの種だ。
「気のせいだろ。すぐだったぞ?」
「絶対待ったって! 大体、わざわざあたしが来てあげてるのに、その言い草は何!?」
「……はいはい。俺が悪うございましたよ」
まったく、寝坊常習犯のくせに言ってくれる。
「分かればよしです! じゃあ早速、レッツゴー!」
「……ごー」
「テンションが低い!」
「ゴー!」
「よし!」
上機嫌に響が歩き出し、それに俺が続く。
こいつと俺は、ずっと一緒に居る。小学生の時も、中学生の時も、そして高校に入った今でも。
他愛無い会話をして笑って、くだらない事で喧嘩をして泣く。こうやって二人でただ歩くだけの、代わり映えない普通の時間でさえ、俺は好きだった。
でも今は、こいつと一緒に居る事が辛い。こいつと話していると、胸が苦しくなる。
——最近ずっと見ている、夢の話をしよう。
中学三年の冬、受験の息抜きにと、響と二人っきりで、海に遊びに行ったある日の事。
人気のない白い砂浜と、青い海。晴れ渡った空は、もうそれはそれは綺麗で、二人で年甲斐も無く興奮したよ。
思わず俺達は、日頃のしがらみも時間も、なにもかも全部忘れて、小さな子供のように砂浜を駆け回った。
あいつは転んで砂まみれ、俺も転んで海藻まみれ。馬鹿にしあって、笑いあって、本当に楽しかった。楽しかったんだ。
あいつが将来の夢を叫ぶ、その時までは。
『才能ナシ』の文字を見る、その時までは。
才能が無いなら無いと、言ってやるのも優しさ。そんな事は分かってる。
でも誰が、一生懸命なあいつに諦めろ、なんて言えるのか。お前には才能がない、努力しても無駄だ、なんて言えるのか。
だから、必死に努力する姿を見ているのが苦しい。俺には他のやつみたいに、あいつの可能性を信じる事も、許されてはいないから。
学校の前の桜は、もうほとんどが葉桜。これから本格的に、高校生活が始まるだろう。
——俺の名前は白川優人。私立八角高校一年。
高校での目標は、響に今の夢を諦めさせる事。あいつが他に打ち込みたいと思えるものを、才能を持っているものを、見つけさせる事。
もしそれが出来たら、俺は告白する。響が好きだと、いつかの砂浜で思いっきり叫んでやる——!
『いやー、いっぱい遊んだ後に見る夕陽は、染みるもんだねぇ……』
『……随分、年寄りくさい事言うな。受験ストレスで老けたか? 相談、乗ってやるよ』
『はあ? あんた、現役バリバリの女子中学生になんて事を……まあいいや、許してあげる。今は機嫌が良いから、そんな事言われても全然平気なのです! なんなら、夢とか叫んじゃうから!』
『おいおい……お前、本格的に狂ったんじゃ——』
『うるさい! 黙って聞いてろ! すぅ……あたし! 源田響は! 歌手になりまーす!!』
『——っ!』
————
「——はぁ」
最後の瞬間、浮かび上がったものまではっきりと見てから、目が覚める。時計を見れば、まだ六時半。もっと寝ていてもいいんだが、二度寝なんてする気分じゃない。
制服を来て、のそのそと階段を下ると、コーヒー片手にくつろいでいる人影が見えた。
「あら、おはよう優人。また早起き? 若いんだから、もっと寝なさいよ」
「……おはよう、母さん」
およそ親とは思えない言葉を吐いて、母さんはコーヒーを淹れてくれた。砂糖ゼロの、甘党の俺にはとても飲めそうもない、そんなやつを。
「どうぞ。あ、朝ご飯はそれね。トースト。バターはそっち」
「……今度はブラックかよ。砂糖とか、ミルクとか、ねぇの?」
「無いわよ。苦い方が、この天才の脳に染み渡る気がするの……うぇ、にっがぁ……」
「今なんか聞こえたぞ……」
自信たっぷりの自称天才が、顔を顰める。
正直、自分で自分の事を天才などと宣う人間に碌な奴がいた覚えは無いが、残念ながら母さんは天才だ。
別に、贔屓してる訳じゃ無い。何を言っても母さんの背後に出る、『才能アリ』の文字がそれを証明している。
俺には見る事が出来るんだ、人の才能が。よく分からない文字という形で。
昔近所に住んでいた、空手をやっていたお兄さんは才能アリ。メキメキと腕を上げて、全国大会にも出場したらしい。
逆に、テレビに出ていた有名な小説家の人は、才能ナシ。いつだかゴーストライターが居た事がバレて、問題になっていた。
それ以外にも、この手の話は枚挙に暇がない。本当に、いくらでもある。
自分でも馬鹿げた話だと思うんだが、俺の人生の全てが、真実だと言っている。妄想や見間違いだったなら、諸手を挙げて喜ぶんだけどな。
「——優人ー! 学校行こーよー!」
大体朝支度が終わった頃に、玄関先から能天気な声が聞こえた。もっとゆっくり出来ると思ったが、もうそんな時間なのか。
「お迎えみたいね。あ、お弁当はそれ。ピタサンド。具は母さん一推しのステーキ」
「昨日の夕飯より豪華じゃねぇか。ま、いってくる」
「いってらっしゃい。母さん寝るから、鍵掛けておいてー……ふぁぁ……」
扉を開く。朝日と共に目に飛び込んで来たのは、不機嫌そうに頬を膨らませていた、年相応より幼く見える、茶髪の少女。
「もー! 遅い! 待ったよ?」
こいつは同じ高校に通う幼馴染、源田響。俺の悩みの種だ。
「気のせいだろ。すぐだったぞ?」
「絶対待ったって! 大体、わざわざあたしが来てあげてるのに、その言い草は何!?」
「……はいはい。俺が悪うございましたよ」
まったく、寝坊常習犯のくせに言ってくれる。
「分かればよしです! じゃあ早速、レッツゴー!」
「……ごー」
「テンションが低い!」
「ゴー!」
「よし!」
上機嫌に響が歩き出し、それに俺が続く。
こいつと俺は、ずっと一緒に居る。小学生の時も、中学生の時も、そして高校に入った今でも。
他愛無い会話をして笑って、くだらない事で喧嘩をして泣く。こうやって二人でただ歩くだけの、代わり映えない普通の時間でさえ、俺は好きだった。
でも今は、こいつと一緒に居る事が辛い。こいつと話していると、胸が苦しくなる。
——最近ずっと見ている、夢の話をしよう。
中学三年の冬、受験の息抜きにと、響と二人っきりで、海に遊びに行ったある日の事。
人気のない白い砂浜と、青い海。晴れ渡った空は、もうそれはそれは綺麗で、二人で年甲斐も無く興奮したよ。
思わず俺達は、日頃のしがらみも時間も、なにもかも全部忘れて、小さな子供のように砂浜を駆け回った。
あいつは転んで砂まみれ、俺も転んで海藻まみれ。馬鹿にしあって、笑いあって、本当に楽しかった。楽しかったんだ。
あいつが将来の夢を叫ぶ、その時までは。
『才能ナシ』の文字を見る、その時までは。
才能が無いなら無いと、言ってやるのも優しさ。そんな事は分かってる。
でも誰が、一生懸命なあいつに諦めろ、なんて言えるのか。お前には才能がない、努力しても無駄だ、なんて言えるのか。
だから、必死に努力する姿を見ているのが苦しい。俺には他のやつみたいに、あいつの可能性を信じる事も、許されてはいないから。
学校の前の桜は、もうほとんどが葉桜。これから本格的に、高校生活が始まるだろう。
——俺の名前は白川優人。私立八角高校一年。
高校での目標は、響に今の夢を諦めさせる事。あいつが他に打ち込みたいと思えるものを、才能を持っているものを、見つけさせる事。
もしそれが出来たら、俺は告白する。響が好きだと、いつかの砂浜で思いっきり叫んでやる——!
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