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第167話 黒き執念

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「くそっ……くそっ……くそっ……くそぉぉぉぉぉっ!」

 王国の第4王子コンラッドはこの日すでに十数度目となる怒声を上げた。
 馬車に同乗している彼の従者らはビクッと肩を震わせる。

「もっとゆっくり走れ! 揺らすな!」

 コンラッドは金切り声を上げ、おびえた御者が馬の脚をゆるめる。
 コンラッドは脂汗あぶらあせをかきながら自分の右手を見た。
 指を失った右手は彼の意思に反して絶えずワナワナと震えている。
 すでに失われてしまったはずの指がひどく痛むように感じられた。
 馬車の振動すら傷口の痛みを増し、コンラッドは苦渋の表情で馬車の床をにらみつける。

(何でこんなことが……何でこの私が)

 地下水路であの黒髪の女に襲われた時からずっと震えが止まらない。
 切り落とされた指はもう元には戻らない。
 得意としていたふえの演奏すらままならないだろう。
 コンラッドは憎々しげに黒髪の女の顔を思い返す。
 だがすぐに彼の怒りは別の女へと向けられた。

「……あの役立たずめ。救援要請を出したにも関わらず、駆けつけるのが遅いのだ」

 役立たず。
 王子の言うそれがクローディアのことだと彼が言わずとも従者たちには分かる。
 
「あの役立たずがもっと早く駆けつけていれば……私の指は……」

 コンラッドが怒りに打ち震えて再び叫び出そうとしたその時、ふいに馬が大きないななきを上げて馬車が急停車した。

「うわっ!」

 思わずコンラッドは転倒して床に腰を打ち付ける。
 だが、腰の痛みよりもその振動による手の痛みのほうが激烈で、コンラッドは悲鳴を上げることも出来ずにその場にうずくまる。
 しかしすぐに怒りがこみ上げて来て立ち上がると、彼はほろの前方の戸布を上げた。
 御者の背中がすぐそこにある。

「な、何をやっている……」

 怒りに任せてコンラッドは後ろから御者の肩をつかんだ。
 だが、御者はグラリと揺れてそのまま御者台に倒れ込んでしまった。
 その様子を見たコンラッドは思わず短い悲鳴を上げる。

「ひっ!」

 御者はすでに死んでいた。
 その頭は、原形を留めぬほど破壊された血肉のかたまりとなっている。
 そして……。

「急いでお帰りですか? コンラッド王子」

 そう言って馬車の前方をふさぐように馬に乗っていたのは黒髪の女だった。
 アメーリアだ。
 彼女の周囲にはすでに数人の兵士たちが御者と同じく頭をつぶされ、物言わぬむくろとなって倒れている。
 その姿を見たコンラッドの顔は恐怖に引きつった。 

「な、なぜここに……」
「王子がとりでからあわててお帰りになられると聞きましたので」
 
 流された先の大河から大急ぎでクルヌイとりでに戻ったアメーリアは、ある人物からコンラッド王子の足取りを聞き、ここまで追いかけて来たのだ。
 アメーリアの話にコンラッドはすっかり青ざめる。

「じょ、情報が……れているのか」
「ふふふ。何でワタクシがあなたの侍女と入れ替わることが出来たと思いますか? ワタクシ、こう見えてもお友達が多いんですのよ。王子。クルヌイとりでにお勤めのお友達が教えて下さったの。王子がこの道を通ってお家に帰ろうとなさっているって。どうしてもお見送りしたくて早馬でここまで参りましたの」

 そう言うとアメーリアはニッコリと微笑み、馬から降りると、その手に握っている太く無骨な金棒を振り上げる。

「お見送りといっても……あの世へのお見送りですけれど」
「こ、この女を殺せ! 殺せぇぇぇぇぇ!」

 コンラッド王子が半狂乱になって叫ぶと、馬車の後方を守っていた残りの護衛の兵士たちがたばになってアメーリアに襲いかかった。
 だがアメーリアはその手にした金棒をとてつもない速度で振り回す。
 巨大な質量の金属のかたまりが猛烈な速度で振るわれると、それを防いだり避けたりすることは到底不可能だった。
 金棒を受けようとする槍や剣は簡単にへし折れ、くだけて用を成さない。
 それはもう一方的な殺戮さつりくだった。
 
 そして十数名の護衛の兵士たちはものの数分も持たずに全員がアメーリアに殺された。
 地面には腕や脚、頭を失った無残な遺体が無数に横たわり、血の海が広がっている。
 残されたのはコンラッド王子と、数名の戦えない従者のみだ。

「ば……馬鹿な……」

 コンラッドは恐怖におびえ切って御者台の上に座り込み、腰を抜かしてしまったようで呆然ぼうぜんとアメーリアを見つめるばかりだ。
 アメーリアは倒れている兵士の死体から一本の剣を抜き取った。

「王子。先刻は指だけでしたが、今回は首を頂きますわ」

 そう言うとアメーリアは一足飛びに御者台に飛び乗り、剣を一閃させた。
 目に見えぬほどの太刀筋たちすじが光のようにひらめくと、コンラッドの首が胴体から切り離されて宙を舞う。
 アメーリアは落ちてくるその首を手でつかみ取った。
 おびえて動けずに馬車の荷台の中で座り込んだままの従者数人が悲鳴を上げる。  

「ひっ……」
「お、王子っ!」

 アメーリアは首を失ったコンラッドの胴体を、その荷台の中へと蹴り込んだ。
 従者たちは恐慌きょうこう状態におちいりながら、コンラッドの亡骸なきがらを必死に受け止めた。

「お体はお返ししますわ。ワタクシは首、あなた方は体。仲良く半分こいたしましょうね」

 そう言って満面の笑みを浮かべるとアメーリアは王子の首を持っていた袋にしまい込み、そのまま馬に乗ってその場を後にするのだった。
 一度は取り逃した相手だったが、アメーリアの黒き執念しゅうねんはコンラッドを逃がさなかった。
 コンラッドにとって唯一の幸運だったのは、一瞬で殺されたことだ。
 痛みを感じることもなく、自分が死んだことも分からないほどの最後だったのだろう。
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