灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

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まだまだ足りない

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「うわー、懐かしい。とむってばこんなに若かったんだね」
 のっけから失礼な事を言ってくれてるご主人様。手にはスマホ、今までに撮りためたおいらの写真を見返しているらしい。
 おいらがご主人様のところへ来たのは七歳の時だ。もう立派に成人してるんだから、今とそんなに変わりない筈なのに。どんだけ違うのか、ぜひとも見せてもらおうじゃないか。おいらはご主人様の膝に飛び乗った。
「ほら見て、とむ。ここに来たばっかりの写真だよ」
 見せられた画面には、今よりちょっとシュッとしたおいらの姿。そういえば、この頃はもう少し鼻筋が通った顔をしてたっけ。
「今のもっさりした毛並みも可愛いけど、これはこれできれい系っていうか、美犬だよねぇ」
 もっさりしたは余計だ。確かにこの頃のおいらはハンサムって感じだけど、今の方がふわふわで可愛いじゃないか。毛並みだってきれいだぞ。
「最初はさー、慣れてくれるか心配してたけど、だんだん心開いてリラックスしてくれるようになったよねぇ。お腹も見せてくれるの結構早かったしさ。ほらほら、見て」
 クッションの上で気持ち良さそうにお昼寝をしているおいら。仰向けで寝てるから、お腹が丸見えだ。
「これなんか、もう日曜日のお父さん状態だよね。思わず側に新聞置いちゃったもん」
 置かなくていいよそんなもの。何を勝手に演出してくれてるんだ。どうせ撮るなら、もっとおいらの魅力が伝わるような写真を撮ってよ。
「これねー、動画バージョンもあるんだよ。イビキかいてるやつ。完璧おっさんだよね」
 ケラケラ笑いながらわざわざ再生しなくていいよ。思った以上に大きいイビキでおいらもビックリだよ。ちょっと前足が動いてるのが、お腹をボリボリ掻いてるみたいでお父さん感をさらに際立きわだたせてるよ。
「でも改めて見返してみると、ちゃんとカメラ目線してくれてる写真があんまりないんだよね~」
 ご主人様は残念そうにしてるけど、おいらはそう簡単に写真は撮らせない主義なんだ。マネージャーを通して、ちゃんとギャラの交渉をしてもらわなきゃね。マネージャーは誰なんだって?さあ、誰だろう。
「お散歩の時とかさ、笑顔向けてくれるから撮りたいのにカメラ向けるとすぐ顔らしちゃうんだもんなぁ」
 延々とお散歩中の写真が続いていて、ご主人様がどれだけおいらの笑顔をカメラに収めようとしていたか執念みたいなものを感じる。特に、春は群を抜いて多い。
「せっかくお散歩コースに桜並木があるから、ツーショットで撮ろうと悪戦苦闘したのが枚数でわかるよねぇ」
 ご主人様とおいらが桜の木をバックに映っている写真がいっぱいあるけど、そのほとんどでおいらの顔はブレブレだ。最終的に、抱っこされて無理やりカメラを見るように仕向けられている。
「お、これはトイレシリーズだね」
 嫌なタイトルのシリーズだな。名前の通り、おいらが用を足した後のトイレシートや大きい方をしたやつそのままの写真が並んでいる。
 おいらが犬だから許されてる感があるけど、これが人間の写真だったらご主人様ただの特殊な性癖の持ち主だからね。
「とむって、ちゃんとトイレシートにおしっこしてくれるのは素晴らしいんだけど、絶妙にギリギリのラインを攻めてくるよね。何なの、そのチャレンジ精神」
 ご主人様が言ってるのは、おいらがおしっこをする場所の事だろう。トイレシートを敷いたトレーの枠に限りなく近い位置で用を足すのがおいらの癖だ。たまに攻めすぎてトレーの外に出ちゃう時があるから、ご主人様はちょっとはみ出すようにシートを重ねておいてある。だから、心おきなくギリギリを目指せるんだ。
 でも、せっかくトイレシートの上で用を足したのにその後汚れたところを踏んでトレーから出てきちゃうから、しょっちゅう現行犯で逮捕されては肉球をきれいに濡れたタオルで拭かれている。汚れた足であちこち歩き回られるのが嫌だっていう気持ちはわかるけど、真っ最中の姿をガン見して見張るのはやめてほしい。一応おいらにも恥じらいはあるんだからな。
「あとはうんちさえ一ヶ所でまとめてしてくれたら言う事ないんだけどねぇ。まあ、おしっこと違ってうんちは絶対踏まないのはすっごくありがたいんだけど」
 おいらは大きい方をする時、必ず歩きながらあちこちに落としていく。しょうがないよ。だって、歩かないと腸が刺激されなくてキレが悪いんだ。踏んでないだけマシでしょ?カーペットの上で踏んだりしたら大惨事だよ?おいらもそれは嫌だからちゃんと避けてるんだからね。
 それにしても、さっきからロクな写真がないな。日常の何気ないひとコマを切り取りたいんだろうけど、これじゃただの暴露写真だよ。もっと可愛いのだっていっぱいある筈なんだから、それを紹介してよ。
「ん?これ何の動画だっけ?」
 真っ黒な状態から始まる動画を発見したご主人様は、思い当たる節がないのか首を傾げながら再生した。
《とむ!ちょっと、落ち着いて!大丈夫だから!怖くないから!》
《キャンキャン!キャン!》
「ああー、これか」
 何かを思い出したご主人様が、笑ってこっちに見せてくる。
「覚えてるー、とむ?この”嵐でパニック事件”」
 最初は何の事だかわからなかったけど、動画が進んでいくにつれて記憶が掘り出されてくる。
 ご主人様のところへ来てからしばらくして、すごく激しいゲリラ豪雨が来た事があった。一瞬で風が強くなって、空が暗くなって、雨だけじゃなくて雷もゴロゴロ鳴っていた。あまりの激しさにビビったおいらは、ご主人様の膝に飛び乗ってご主人様の羽織っていたカーディガンの中に隠れようと必死に体を潜り込ませた。そんなおいらを見たご主人様は、最初こそビックリしていたけどおいらのテンパりようが途中から面白くなってきたらしく、一部始終を録画していたようだ。
 突然黒歴史を公開されて、おいらは恥ずかしさから顔をご主人様の肩にグリグリこすりつけた。何てもの保存してくれてるんだ。可愛さの中にも大人の余裕が漂うおいらのイメージが台無しじゃないか。
「アハハハ、恥ずかしいの?いいじゃんいいじゃん、めちゃくちゃ面白かったよ?」
 ご主人様はここぞとばかりにほらほらと言いながら画面を見せつけてくる。くそう、ご主人様に弱みを握られるなんて何かすごく屈辱的だ。
 何とかやめさせたいおいらは、ご主人様の肩によじ登って顔に張りついた。
「ブッ…とむー、痛い痛い!ごめん、ごめんってば!やり過ぎました!反省してます!」
 まだだ。こんなもんでおいらが受けたはずかしめは消えないぞ。おいらは前足でご主人様の顔を引っ掻きながらおでこをペロペロ舐める。
「いだだだ!くすぐったい!ちょ、痛みとくすぐりのダブルコンボは卑怯…わかった!降参!降伏!白旗上げます!」
 やーめーてー!というご主人様の雄叫おたけびがしたところで、二人して床に倒れ込む。
「キャン!」
「ハハハ、これもある意味シャッターチャンスかもね」
 そう言った後に、パシャッていうシャッター音がする。
「うん、いい感じ」
 満足そうなご主人様の視線の先には、床に横たわるご主人様とその頭の上で笑顔を浮かべるおいらの姿があった。

まだまだ足りない、たくさんの思い出。
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