セーニョまで戻れ

寒星

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01 グリッサンド:流れるように弾く

04−02 獣の数字

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 そういった同意の上での友人関係が、ミランとドミトリとの間にもあった場合。
 その事実を彼らが「恋人」とオブラートに包むのも無くはない。
 それから五百メートルほど泳いでも、あらゆる可能性は推測と想像の域を出なかった。
 ケヴィンの考え事はプールサイドの人をたっぷりと待たせていた。
 だがケヴィンはゴーグルをしていても水泳帽をしていなかった。息継ぎのたび顔を上げていたとしても、目元に前髪がかかっていたと言えば「気づかなかった」で理屈がつく。
「やあ」
 と、ケヴィンはたった今気づいたと言わんばかりに笑顔を浮かべた。
 プールサイド奥のベンチに腰掛けていたブルネットの看護師は私服姿だった。夜勤を終えてこれから帰宅するのだろう。入り口に程近く、二階に突き出たトレーニングルームの床のせいで影になっている中では肌が白く浮かび上がって見える。
 二人の間にあった距離はケヴィンが全て埋めた。
 そうしてはじめて看護師は組んでいた足を解いた。膝下まであるタイトスカートから覗く足にはタイツもストッキングも履かれていない。
 ナースキャップから解放されたブルネットは左右対称のウェーブを描いている。黒いVネックのニットの襟の内側へ毛先が入り込んでいた。
「まるでプロの水泳選手みたいね、カタギリさん」
「体の丈夫さだけが取り柄だからね」
「それはよく知ってる」
 看護師はケヴィンがベンチに置いていた青いタオルを広げ、それで目の前の男の肩を包んだ。看護師の顔は丁度ケヴィンの鎖骨の高さにあった。
「意識のない貴方の点滴を変えて、毎日脈を取っていたのは私」看護師はタオルの端でケヴィンの顎の辺りを拭いた。拭いたそばから新しい水滴が流れた。「今なら手を握っただけで貴方が分かるかも」
「嬉しいよ」
 ケヴィンは言いながら、タオルの端を看護師からそっと奪った。
 看護師の眉がかすかに跳ねた。目尻よりやや長く、山なりに描かれた美しいアイラインは髪色より暗いオレンジブラウンだった。アイシャドウはしていない。それが却ってアイラインの完璧さを際立たせていた。
「あのバンドマンと付き合っているの、本当に?」
「どうにもそうらしい」
「覚えていないのね」
「ああ、でもほら俺ってゲイだから。君に勃たなかった、分かるだろ?」
「——なんですって?」
「分かりづらかったかな。取引の方法を変えようと言ってるんだ」
 咄嗟に看護師が横へ逃れようとするのを、ケヴィンは壁に腕をついて止めた。端からこの位置はプールの監視カメラの死角だった。頭上は二階のトレーニングルームのフロアが屋根代わりになっているし、角度によっては二人の足元ぐらい見えているかもしれないが、逢引にしか見えない。
「何の話?」看護師は至近距離でケヴィンを見上げた。
「そっちの事情は別に興味は無い」ケヴィンは壁についた手の指を動かした。ピアノを弾くように。「どうせあのアクターとか言う医者だろう? 君とあのハゲなら俺は君の方が好みだ。だから君に肩入れする。ゴシップのネタなら適当にでっち上げてやればいい」
「ジャーナリストごっこもさせてくれないの?」
「プロなら、尚更きちんとした対価を受け取って仕事をするべきじゃないか?」
 二人の顔がさらに近づいた。監視カメラ映像を外科の医師が見ることはまず無いだろうが、もし見たとすれば、看護師の色仕掛けにまんまと引っかかった患者がそこにいるだけだ。
「あの医師は歩合制かもしれないが、俺は前払いだ。プロへの敬意がある」
 長い睫毛に縁取られた看護師の目は溶かしたチョコレートのように艶めいていた。それと見つめ合うケヴィンの目は凍った湖のように凝った水色をしている。
「ゴシップ誌にネタを売り込んで、その情報代の何割をあの医者から貰う約束をしてるんだ?」
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