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02:アッチェレランド:だんだん速く
12−2 ミスター・パーフェクト
しおりを挟む「俺にも日課がある。毎朝目を覚ましたら、コテージの周りを散歩することだ。すぐそばに葦が一面に生えた原があるから、そこをただ歩く」
「いいですね」
「葦がどんなところに生えるか知ってるか?」
「野原でしょ?」
「湖や沼、川のそばだ。ましてや地表に一メートル以上伸びる葦が群生していれば足元は留守になる。退院してからもう二人助けてやったよ、セントラルからの帰り道にわざわざ下道を選んで、道路沿いに見える葦の群れに感動して突っ込んでいったカメラマンたちを」
ケヴィンはチーズケーキに、今度は縦にフォークを刺した。泡ひとつない美しいチーズの中へ抵抗なく沈んでいく。滑らかなクリームが細い三叉の金属にまとわりつき、ひとくち分切り離すと、綺麗に跡が残っている。
「お前は一眼レフを落とさなかっただけ彼らより運がいい」
事故から目を覚ました直後、見知らぬ男が自分達は恋人だと主張した。ケヴィンはその男の言動を半分も信用していなかった。態度、挙動、顧客という関係からはそれらしい可能性ももちろんあったが、結局主張を裏付ける根拠がなかった。
そしてその翌日、別の男がやってきた。男は「自分達は恋人だった」と主張した。
二人目の男の主張もまた突拍子のないものだったが、この男は少なくとも、ケヴィンの自宅コテージの棚にあるDVDの内容や、滅多に他人へ伝えない嗜好について知っていた。
ドミトリ・カデシュの言動には、だから当時から一定の信憑性はあった。
退院し、コテージ内を調べ、テレビ台側のラックに並んだDVDに「マッドシャーク・サイクロン 愛と狂気の地中海」があること、セントラル目抜き通りにあるケーキ屋のシュガースティックの包装紙を見つけたことで、ドミトリの言動は全くの真実であることが確認された。
ドミトリはこのコテージに来た事があるか、あるいはそれだけ個人的な話をケヴィンから聞いたことがある。
ケヴィンはさらにコテージ内を洗い出したが、内部は驚くほど整理されていた。見つけたものはそう多くない。ほとんどないとも言える。
そもそも突然の交通事故に遭ったにしては、ゴミ箱の中はほとんど空であった。最寄りのゴミ回収の曜日は事故の二日前で、次の回収は事故の翌日だったというのに。あったかもしれないドミトリの痕跡もおそらく捨てられたのだろう。
それから数日経って、ある日の明朝、突然庭先から人が言い争うような声を聞いた。ケヴィンはコテージから散歩へ出て、葦の沼地を今まさに一周しようと歩き出していた。
振り返ると、ちょうど自分が散歩を開始したぐらいの場所で二つの頭が動いていた。わざと浅く被ったニット帽子が葦の穂波の間で揺れ、言う側も聞く側もうんざりするような人の声が聞こえてきた。
ケヴィンが沼地を一周して戻ってきても、その二人はまだそこにいた。ほぼペアルックの格好で、揃っていないのは、片方が首から提げている一眼レフがもう一人——葦の根元の泥に深く足を取られた男——の首には無かったことだ。
仲睦まじいカメラマンたちを引き摺り出し、外の水道を使わせてやってから、ケヴィンはもう一度沼地の方へ行った。
するとそこに一足のスニーカーが落ちていた。先ほどの二人よりも前に、もう一人犠牲者がいたらしい。
「どこかで見た靴だと思ったら、お前がいつも履いているスニーカーと同じものだった。サイズも靴紐も」
「ああ、あの靴見つかりましたか」
「鴨が巣に使ったらしくて葦の茎が突っ込まれてたが、持ってきたほうがよかったか?」
「ご存知の通り、同じものをもう買ったので大丈夫ですよ。どうぞそのままで」
「それは助かる。あの鴨の親子も折角見つけた別荘を手放すのは口惜しいだろうからな」
「俺も、あなたから借りた靴を気に入っているんです。このまま貰っていいですか?」
ドミトリが足を組み替え、上になった左足のつま先を揺らした。フェイクレザーの靴は、時と場所を選ばないだけの外見を備えてはいるが、その実本革でないだけに安価だ。激しく走ったりすればすぐに筋がついてしまうし、実際いまドミトリが履いているそれにはついていたが、なにぶん購入価格を思えば気兼ねなく履き潰すことができる。
ただそのせいで、ケヴィンのコテージにあるシューズボックスは閑散としている。
四段の収納には同じように履き潰れる寸前のブーツの他には、仕事用の革靴しかない。ましてや今日、その革靴を履いているから、あのヴィンテージ加工を極めたダメージブーツはひどく心もとない気分で暗い靴箱の奥にいることだろう。
「欲しけりゃくれてやるが、私物だからな。金を払え」
ドミトリは目を瞬かせる。ケヴィンは続けざまに言った。
「好きだろ、金で解決できる問題」
「……解決できない問題よりは、という意味ですけどね」
「デートらしくなってきたな」
ケヴィンはチーズケーキの最後の一口を頬張り、テーブルの端にある筒状のプラスチックに差し込まれた伝票をドミトリの方へ押しやった。
周囲の客の何人かはたびたび、例えば咳払いや頼みもしない追加メニューを考える仕草に隠して視線を送っていたが、話している内容までは聞き取れないだろう。挙句、ドミトリは素顔を晒しているし、ケヴィンもまたそうだ。
やがて彼らは、顔も隠さずに話すような内容に緊張感を持って耳をそば立てることは、自分の前にある洋菓子を犠牲にしてまですべきことではないと判断したらしい。
店内が雑然と人の話声に包まれ出したとき、ドミトリはどこか感慨深そうにため息をついた。
「もっと詰め寄られると思っていました」
「こんなに人目のある場所でか?」
「やろうと思えばできるのでは」
「何事もそうだが、しかし俺にそういう振る舞いを求めるな。俺の仕事は番犬と同じで、むしろ吠えないだけ番犬より仕事はひとつ少ない。俺はただそこにいて、番犬注意の看板の代わりに堅苦しい面をしてスーツを着る、これだけだ」
「確かに、今のあなたに好き好んで寄り付く人はいないでしょうね」
ドミトリが自分の右瞼を指で叩く。鏡合わせとすれば、その位置はケヴィンにとって左瞼だ。
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