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3巻
3-2
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家が貧乏だというヘレンがこうして入学できたということは、一般試験をクリアし、更に特待生として認められたのだろう。
たぶん認めたのはノア様じゃないかと俺は推測する。
あぁ……ヤバい。ノア様にいろいろ借りを作ってしまったな。怖くて仕方ない。
「何にしろ、よかった」
「ほんまやな。試験官に睨まれてたワイらが合格したなんて、思ってたより実力主義の試験やってんな」
俺とロバートがそう言うと、ヘレンが微笑んだ。
「ふふ。私も半分諦めてたよ」
「まぁ、受かったんだからいいんじゃないか……」
三人で呑気に雑談を続けていた俺達は、教室の前列に陣取っていた生徒達に思いっきり睨まれて黙るのだった。
しばらくすると教員と思しき男が教室に入ってきた。
彼は教壇に立つと、じっくりと生徒を見渡す。
「おはよう。諸君。まずは、入学おめでとう、と言っておこう。俺は、クリスト。お前らの担任をすることになった」
ん? なんだろうか? この教員、やたら強くないか?
直感だが……。
たぶんまだ第一線で戦闘できるほどだ。もしかして現役か?
ガートリン家の警備担当であるディランからは、騎士学校の教員は怪我などで騎士を辞めた者が多いと聞いていたので意外だな。
【鑑定】でステータスを覗いてみたいところだが、ある程度の実力者だと【鑑定】が感知されてしまう恐れがあるから、やめた方がいいか。
「授業に入る前に。お前らには、貴族連中の子息のようにコネがない。ついでに言うと金もない」
クリストはそう言いながら威圧するような気を放ち、教室に漂う緩んだ空気を引き締めた。
「そんなお前らがこの学校を卒業し、一人前の騎士になるには、力がいる。そのため修練は厳しくなるだろう。だが、ついてこいよ。必ず強い騎士にしてやるから」
うわ……わかりやすい体育会系だな。理不尽で苦手なタイプだ。
……どうでもいいけど、眠たいな。
なんて考えていると、クリストの鋭い視線が俺に向いた。
「まぁ。お前らは入学してきた時点で、何かを拒否する権利などないけどな。さて、普通ならここで校舎の設備などを見学したりするのだが、はっきり言って時間の無駄だ。後で見取り図を渡すので目を通しておけ。いいな。では、早速授業を始めるか」
……なんて強引な。
クリストが軍規の教本を開くと、生徒みんなが慌てたように教本とノートを取り出した。
うぁ……初日から授業とか、めんどくさい。お家に帰りたい。
そんな願いも虚しく、死ぬほど眠い軍規の授業が始まるのだった。
◆
登校初日から数日経った、ある日の昼休み。
僕――ニール・ロンアームスは、手早く昼食を切り上げて騎士学校の校舎を歩いていた。
目指すは、1‐Eクラス。
教室の目の前に辿り着くと、思い切って扉を開けた。
一斉に僕に向けられる視線。恥ずかしさを覚えながらも、近くにいた生徒に話しかけた。
「すまない。このクラスにユーリ・ガートリンという者はいないか? ガートリン男爵家の三男だ」
「え? あ……いえ……ここはEクラスでして……貴族の方は」
僕もEクラスが一般人クラスだというのは知っていた。
しかし、騎士学校に入学してから数日……。
一緒に入学したはずのユーリ・ガートリンが、どこを探しても見つからないのだ。
そんなことを考えていると、周りにいた生徒達が僕の顔を見ながらひそひそ噂を始める。
「あれ……主席のニール・ロンアームス」
「武勇あるロンアームス伯爵家の四男でしょ」
「え、え? 何でEクラスに?」
耳に入ってくるそれらの言葉に、僕は心の中で溜め息を吐いた。
そして問いかけた生徒に礼を言うと、踵を返してEクラスの教室から出ていく。
異世界でも地球でも基本的に優等生として学生生活を送っていただけに、僕にはユーリの行動パターンがいまいちよくわからない。
結局、無情にも時間だけが過ぎていった。
◆
騎士学校生活も数日が経過した。
昼寝に適した場所を探し回った結果、俺が辿り着いたのは屋上であった。
この素晴らしい昼寝スポットを見つけて以来、休み時間になるとほぼ毎回訪れている。とくに昼休みは必ずここで寝ていた。
「クハァ……いい天気だ。こんな日に、部屋にいるなんて勿体無い」
屋上に置かれた古いベンチに腰掛ける。
「フハ……欠伸が止まらないよ」
うむ……ちょっと寒いか。日差しは暖かいんだけどな。
季節は、秋の終わり頃。
火魔法の【ヒーター】を唱えると俺の周囲がホワンっと熱を帯びる。
空は青く、白い雲がゆっくりと動いていく。
のんびりと流れる時間に身を任せるのは気持ちいい。おまけに、騎士学校は王都でも高台に位置するだけあって、屋上からは王都の街並みが一望でき、しかも海まで見えるのだ。
街並みは綺麗だし、海を行き交う船もいくら眺めていても飽きない。
「ん?」
そんな心地好いひと時に浸っていたところ、遠くの船が何やら慌ただしく揺れていることに気付いた。
よく見れば、どうやら魔物に襲われているようだった。
「おお? アレはクラーケンか?」
水面から現れたクラーケンは、全長二十メートル近くはありそうな烏賊の化け物だった。水面に隠れて全体像は見えない。しかし、魔物の本で読んだ限りだと、二十本を超える長い足が巨船すら押し潰し、裂けたように広がった大きな口で全てを丸呑みしてしまうのだとか。
その船も、やはりクラーケンの長い足で締め上げられて、海の中へ引きずり込まれようとしている。
襲われた船は救難信号を出しているのだが、周りの船もクラーケンの襲来に気付いて距離を置いているようだった。
流石に誰も助けには行けないか。相手は巨大なクラーケン。
火の粉は避けるのに限るからな。
しかし、魔物による襲撃現場を目にしながら何もしないのは、少しばかり心苦しい。
仕方ない。俺がちょっとだけ助け船を出してやるか。
むくっとベンチから起き上り、水魔法の【ウォーターブレット】を唱える。
すると、手のひらの上で三つの水の塊が発生した。
それぞれの水の塊に魔力を追加し圧縮することで、全長一メートルくらいの細長い槍のような形状に変える。
「こんなもんかな?」
狙いは、クラーケンの頭部。船体への直撃は避けなくてはいけない。
「……っと」
軽く息を吐き、遥か遠くの魔物目掛けて、三発の【ウォーターブレット】を高速で打ち出した。
数秒としないうちに、【ウォーターブレット】がクラーケンに着弾して水柱が上がった。
「二発着弾、一発は外れたか……。倒しきれてないな。やっぱり、距離が離れるとずいぶん威力と命中率が落ちる」
仕方ない、もう少し魔力を強くして……と再度魔法の準備をしていたら、クラーケンは獲物を放り出して海底へと逃げていった。
しばらくすると、クラーケンがいなくなったことを確認したのか、周りの船が被害に遭った船に近寄り救助を始めたようだった。
しかし、狙撃ゲームみたいで面白かったな。
「助かってよかった。ふぁふぁ……ねむ」
一仕事終えた俺は、再びベンチに横になって秋の緩やかな風を感じながら眠りにつくのだった。
◆
「くそ……何で、僕ばかり」
僕――ノーマン・ラストイは震える手を押さえながら自分の不運を呪った。
僕の家、ラストイ伯爵家は汚名を着せられて父とともに海外追放になった。
それだけでも十分不運だと思うが、神様は物足りないと感じたのか、僕ら家族に対してさらなる追い打ちをかけてくる。
不幸は続くとは言うものの、クリムゾン王国に移り住むために乗ってきた船がまさかクラーケンに襲われるだなんて。
「もう駄目だ……」
「まさかあんな巨大な……。ここ最近、海底に棲む魔物達が活発化していると聞いてはいたが」
「誰も船長は責められませんよ」
「クラーケンがこんな浅瀬に現れるなんて誰も予想できませんぜ」
クラーケンの長い足によって今にも海底に引きずり込まれそうな状況で、船員達から諦めに近い声が聞こえてくる。
そんな船員に対し、肥えた身体に豪奢な装飾品を纏った父が詰め寄っていく。
「何をしているんだ! 早く私を助けろ!」
「無理言わないでくださいよ」
「金ならいくらでも払う! 私を助けてくれ!」
絶望する船員の声を聞いた父が顔を青くする。
そこで船が大きく揺れ、父が甲板の上で派手に転んだ。
その拍子に、船員が手にしていた片手剣が僕の目の前に転がってくる。
僕は片手剣を見つめながら考える。幼少時代から剣を習い、周りからは天才だと持て囃されてきた。だが、今この片手剣を手にしたところで、目の前のクラーケン相手に何の意味がある?
「きゃ……」
無力感を覚えていたその時、甲板にいた女性がクラーケンの足に捕らえられてしまう。
「僕は……僕はぁぁぁぁ」
このまま女性を見捨てるなんて……僕のプライドが許さない。
片手剣を握ると、僕は斜めに傾く甲板を走り出す。
うねうねと動く足を躱し、女性を掴むクラーケンの足へと切りかかった。
不安定な足場ながら何度も何度も切り付ける。そして大木の幹のようなその足を三分の一ほど切り裂くと、クラーケンはようやく女性を放した。
「よかった……」
だが、安堵の声を漏らしたと同時に、いきなり背中に衝撃が走る……。
一瞬の油断だった。攻撃を受けたことに腹を立てたクラーケンが、思いっきりしならせた足を僕に向けて打ち付けてきたのだ。
凄まじい衝撃だった。僕の身体は紙くずのように吹き飛び、マストに激突した。
「……かはっ!」
マストにぶつかった衝撃で呼吸が止まり、内臓に傷を負ったのか派手に吐血する。
見れば、右腕が変な方向に曲がっていた。
その時だった――。
空気を切り裂くような音が聞こえたかと思うと、轟音とともに衝撃波が船全体を揺らす。
薄れゆく意識の中、盛大な水柱が上がりクラーケンが吹き飛ばされていくのが見えた。
僕の記憶はここまでしかない。
次に目覚めた時、僕は病室のベッドの上だった。
聞いた話によると、あの瞬間、どこからともなく飛んできた高出力の水魔法によってクラーケンは撃退され、すぐに周辺の船が救出に来てくれたんだそうだ。
その水魔法が誰の仕業かは不明だという。
民の間では、クリムゾン王国の最終兵器、あるいは海の神が引き起こした奇跡ではないかとまことしやかに噂されているらしいが……。
◆
「ユーリ……ユーリ……こんなところで寝ていたら風邪引くよ?」
誰かに身体を揺らされ、気持ちのいい眠りから俺は目覚めた。
折角いい気分で寝ていたのになどと考えながら、しょぼしょぼする目を擦る。
クリアになった視界には、俺の顔を覗き込むヘレンがいた。
「んー? ヘレン? どったの?」
「もう。どうしたも、こうしたもないよ」
ヘレンは呆れたような表情で口を尖らせている。
「へ?」
「もう放課後だよ? ユーリ、昼休みにどっかに行ったきり戻って来ないから。心配で探していたんだよ?」
「んーおお、寝過ぎたな」
どうやら、昼休みから放課後まで寝てしまったようだ。
周りを見れば確かに空は夕焼けだった。海も綺麗なオレンジ色に染まっている。
ああ、授業サボってしまったな……。ま、仕方ないか。
「ヘプチ……寒いな」
長時間マジ寝していたため、火魔法の【ヒーター】も切れてしまっていた。
「風邪引いちゃうから早く校舎に入ろう?」
「ヘプチ、そうだな、クシャミが出るな……ヘプチ」
「ふふ。変なクシャミの仕方だね。あ、そうだ、授業のノートを貸してあげるから写しちゃいなよ」
「おお、マジか! ありがとう」
嬉しさのあまり、ベンチから立ち上がりヘレンの手を取る。
すると、ヘレンは照れくさいのか頬を掻きながらそっぽを向いてしまう。
「そうだ。ヘレン、この後は時間あるか?」
「へ? な、なに? 特に用事はないけど」
「じゃあ、帰りに喫茶店でも寄って帰るか。お礼にお菓子奢ってやる」
そんなわけで俺は今、鼻歌混じりでご機嫌なヘレンとともに、王都の商業地区を歩いている。
やはり、「お菓子を奢る」というワイルドカードは世界が変わっても女子には有効なんだな。
うむ、中学、高校の頃を思い出すな。テスト前にケーキを餌にして、幼馴染の桜やクラスの女子によくノートをコピーさせてもらったものだ。
もちろん男子の友達もいたが、類は友を呼ぶという感じだったので、テスト前には頼りにならなかったのだ。
「この前、通りかかった時にちらっと見ただけだから、よくわからないんだけど。有名なんだ? フローリアって喫茶店」
「うん。えっと、一~二年前に出店してから大人気でね。コーヒーって海外の飲み物とか、フルーツがいっぱい載ったケーキとか、黒くて甘くて苦いチョコレートっていうものとか、いっぱい種類があるらしいんだ。あっ、チョコレートっていうのは、店独自に開発したお菓子なんだってさ。まぁ、チラシを見ただけだから、私もよくわからないんだけどね。ハハ」
口下手なヘレンがここまで饒舌になるとは、店の人気も間違いないのだろう。
ヘレンは本当にその喫茶店に行ってみたかったんだろうな。
しかし、コーヒーにチョコレート? まさか、転生者の店だろうか? 一応、警戒しておいた方がいいかもしれんな。
「ヘレン、ちなみに運営している商会の名前ってわかるか?」
「ん? えっと、ルイズ商会ってとこだったよ。確か」
ルイズ?
首を傾げながら記憶を辿っていると、ヘレンが俺の顔を覗き込んで問いかけてくる。
「ん? どうしたの?」
「ん~どっかで聞いた気がするんだけど。まっ……いっか」
「あ、ここここ。着いたよ。よかった。並んでないみたいだよ」
確かに店はそれほど混雑している様子はない。
「よかった。休日は大体行列なのか?」
「そうなの。まるでヘビのようにね」
「そうか。じゃあ、休みの日にはなかなか来られないね。とにかくよかった。早速、入ろうか」
俺が言うと、ヘレンは少し顔を強張らせた。
「なんか緊張してきたよ。私みたいな貧乏人が来てよかったのかな?」
「俺が奢るって言っているんだから、付いて来りゃいいのさ。ノートも写さなきゃだし」
「うっ、うん」
俺が扉を開けて先に入ると、ヘレンも慌てて追いかけてくる。
俺達を出迎えたのはメイドだった。軽くお辞儀をして言う。
「いらっしゃいませ」
「席は空いている?」
「はい。ご案内いたします」
レトロな雰囲気の内装で、手摺りやドアノブ、ランプなどにリスや犬、鳥といった可愛い動物の装飾が施されている。
更にクラシックギターの生演奏まであるらしく、ジャスのような曲調の音楽が上品に店内に流れていた。落ち着いた雰囲気である。
「いい店だな」
「ありがとうございます。席は、こちらです」
何より嬉しいのは、座席がゆったりとした革張りのソファという点だ。
うむ、なかなかの喫茶店だな。
「メニューとお水をどうぞ」
「ありがとう」
メニューを受け取ると、メイドは一度お辞儀をして、「決まりましたら、お呼びください」と言って離れていった。
「ふぁ、ケーキがいっぱいだよ。すごいよ。何だかキラキラしているよ」と目を輝かせていた。
「それは、よかった」
中性的な顔立ちのヘレンは、男性用の制服を着ていることもあり、ともすれば男の子に見えなくもないのだが、こうやって甘いものを前にした時の反応を見るとやはり女の子なのだなと感じる。
リムとか、冒険者のリナリーやルースもそうだが、なんかよくよく考えるとこの異世界には男っぽい女性が多いな。
まぁ……殺されそうだから口が裂けても言わないけどね。
さて、俺は何を頼もうか。
甘いものはそこまで好きじゃないし、食べ過ぎると夕食が入らなくなってしまう。
どれどれとメニューを眺めていると、「カフェラテ」という文字が目に入った。
ふーん、カフェラテなんてあるんだ。これでいいかな?
「どれにしようかな……これも……あ。このパフェも美味しそう。あぁ、高いよ。ダメダメ、一番安いのは……」
さくっと決めた俺に対し、ヘレンは何にしようかと随分悩んでいるようだ。
本当は食べたいものがあるのに、俺に気を遣って一番安いものを探しているらしい。
「お馬鹿。何、一番安いメニュー探してんの? そんな気遣いいいから。何と何で悩んでんの? 言ってみ」
「え、えっとね……。この野いちごが載ってるやつか、こっちのチョコレートっていうのがかかってるやつか、それともこのフルーツがいっぱい載ってるパフェってやつか……」
「飲み物は?」
「ホ、ホットチョコレート」
「わかった」
俺は側にいたメイドに視線を向ける。するとすぐさまメイドが伝票を持って席までやってくる。
「お決まりですか?」
「はい、これとこれとこれをください。あと、ホットチョコレートとカフェラテ。以上で」
メイドは頷きながらメモを取ると、「野いちごのケーキ、チョコレートケーキ、季節のフルーツパフェに、ホットチョコレートとカフェラテでございますね」と最後に確認をする。
「ああ。飲み物は先に出してくれ」
メイドは「かしこまりました」と頭を下げて厨房へと入っていった。
呆気に取られた様子のヘレンにメニューを返す。
「もう頼んじゃったからな。死ぬ気で食え。女には別腹っていうスペアポケットがあんだろ?」
そう言って俺はテーブルに置かれていた水を一口飲んだ。
「いいの?」
「ああ。それとも、足りない?」
俺が聞くと、ヘレンはぶんぶんと首を振った。
「んーん!! だ、大丈夫!!」
「ホントか? ヘレンは謙虚過ぎるな。俺の幼馴染の桜だったら二十皿はケーキを頼むね」
「ん? 幼馴染?」
「ああ。ここ何年かは会ってないがな。どこにいるんだか」
「ふーん。幼馴染か。良いな」
「いいか? 結構、口うるさいぞ?」
「私は子供の頃から武術の稽古や家の手伝いで忙しかったから、周りの同世代の子達と遊ぶ暇なかったもん」
ヘレンが少し寂しそうな表情を浮かべて言う。
たぶん認めたのはノア様じゃないかと俺は推測する。
あぁ……ヤバい。ノア様にいろいろ借りを作ってしまったな。怖くて仕方ない。
「何にしろ、よかった」
「ほんまやな。試験官に睨まれてたワイらが合格したなんて、思ってたより実力主義の試験やってんな」
俺とロバートがそう言うと、ヘレンが微笑んだ。
「ふふ。私も半分諦めてたよ」
「まぁ、受かったんだからいいんじゃないか……」
三人で呑気に雑談を続けていた俺達は、教室の前列に陣取っていた生徒達に思いっきり睨まれて黙るのだった。
しばらくすると教員と思しき男が教室に入ってきた。
彼は教壇に立つと、じっくりと生徒を見渡す。
「おはよう。諸君。まずは、入学おめでとう、と言っておこう。俺は、クリスト。お前らの担任をすることになった」
ん? なんだろうか? この教員、やたら強くないか?
直感だが……。
たぶんまだ第一線で戦闘できるほどだ。もしかして現役か?
ガートリン家の警備担当であるディランからは、騎士学校の教員は怪我などで騎士を辞めた者が多いと聞いていたので意外だな。
【鑑定】でステータスを覗いてみたいところだが、ある程度の実力者だと【鑑定】が感知されてしまう恐れがあるから、やめた方がいいか。
「授業に入る前に。お前らには、貴族連中の子息のようにコネがない。ついでに言うと金もない」
クリストはそう言いながら威圧するような気を放ち、教室に漂う緩んだ空気を引き締めた。
「そんなお前らがこの学校を卒業し、一人前の騎士になるには、力がいる。そのため修練は厳しくなるだろう。だが、ついてこいよ。必ず強い騎士にしてやるから」
うわ……わかりやすい体育会系だな。理不尽で苦手なタイプだ。
……どうでもいいけど、眠たいな。
なんて考えていると、クリストの鋭い視線が俺に向いた。
「まぁ。お前らは入学してきた時点で、何かを拒否する権利などないけどな。さて、普通ならここで校舎の設備などを見学したりするのだが、はっきり言って時間の無駄だ。後で見取り図を渡すので目を通しておけ。いいな。では、早速授業を始めるか」
……なんて強引な。
クリストが軍規の教本を開くと、生徒みんなが慌てたように教本とノートを取り出した。
うぁ……初日から授業とか、めんどくさい。お家に帰りたい。
そんな願いも虚しく、死ぬほど眠い軍規の授業が始まるのだった。
◆
登校初日から数日経った、ある日の昼休み。
僕――ニール・ロンアームスは、手早く昼食を切り上げて騎士学校の校舎を歩いていた。
目指すは、1‐Eクラス。
教室の目の前に辿り着くと、思い切って扉を開けた。
一斉に僕に向けられる視線。恥ずかしさを覚えながらも、近くにいた生徒に話しかけた。
「すまない。このクラスにユーリ・ガートリンという者はいないか? ガートリン男爵家の三男だ」
「え? あ……いえ……ここはEクラスでして……貴族の方は」
僕もEクラスが一般人クラスだというのは知っていた。
しかし、騎士学校に入学してから数日……。
一緒に入学したはずのユーリ・ガートリンが、どこを探しても見つからないのだ。
そんなことを考えていると、周りにいた生徒達が僕の顔を見ながらひそひそ噂を始める。
「あれ……主席のニール・ロンアームス」
「武勇あるロンアームス伯爵家の四男でしょ」
「え、え? 何でEクラスに?」
耳に入ってくるそれらの言葉に、僕は心の中で溜め息を吐いた。
そして問いかけた生徒に礼を言うと、踵を返してEクラスの教室から出ていく。
異世界でも地球でも基本的に優等生として学生生活を送っていただけに、僕にはユーリの行動パターンがいまいちよくわからない。
結局、無情にも時間だけが過ぎていった。
◆
騎士学校生活も数日が経過した。
昼寝に適した場所を探し回った結果、俺が辿り着いたのは屋上であった。
この素晴らしい昼寝スポットを見つけて以来、休み時間になるとほぼ毎回訪れている。とくに昼休みは必ずここで寝ていた。
「クハァ……いい天気だ。こんな日に、部屋にいるなんて勿体無い」
屋上に置かれた古いベンチに腰掛ける。
「フハ……欠伸が止まらないよ」
うむ……ちょっと寒いか。日差しは暖かいんだけどな。
季節は、秋の終わり頃。
火魔法の【ヒーター】を唱えると俺の周囲がホワンっと熱を帯びる。
空は青く、白い雲がゆっくりと動いていく。
のんびりと流れる時間に身を任せるのは気持ちいい。おまけに、騎士学校は王都でも高台に位置するだけあって、屋上からは王都の街並みが一望でき、しかも海まで見えるのだ。
街並みは綺麗だし、海を行き交う船もいくら眺めていても飽きない。
「ん?」
そんな心地好いひと時に浸っていたところ、遠くの船が何やら慌ただしく揺れていることに気付いた。
よく見れば、どうやら魔物に襲われているようだった。
「おお? アレはクラーケンか?」
水面から現れたクラーケンは、全長二十メートル近くはありそうな烏賊の化け物だった。水面に隠れて全体像は見えない。しかし、魔物の本で読んだ限りだと、二十本を超える長い足が巨船すら押し潰し、裂けたように広がった大きな口で全てを丸呑みしてしまうのだとか。
その船も、やはりクラーケンの長い足で締め上げられて、海の中へ引きずり込まれようとしている。
襲われた船は救難信号を出しているのだが、周りの船もクラーケンの襲来に気付いて距離を置いているようだった。
流石に誰も助けには行けないか。相手は巨大なクラーケン。
火の粉は避けるのに限るからな。
しかし、魔物による襲撃現場を目にしながら何もしないのは、少しばかり心苦しい。
仕方ない。俺がちょっとだけ助け船を出してやるか。
むくっとベンチから起き上り、水魔法の【ウォーターブレット】を唱える。
すると、手のひらの上で三つの水の塊が発生した。
それぞれの水の塊に魔力を追加し圧縮することで、全長一メートルくらいの細長い槍のような形状に変える。
「こんなもんかな?」
狙いは、クラーケンの頭部。船体への直撃は避けなくてはいけない。
「……っと」
軽く息を吐き、遥か遠くの魔物目掛けて、三発の【ウォーターブレット】を高速で打ち出した。
数秒としないうちに、【ウォーターブレット】がクラーケンに着弾して水柱が上がった。
「二発着弾、一発は外れたか……。倒しきれてないな。やっぱり、距離が離れるとずいぶん威力と命中率が落ちる」
仕方ない、もう少し魔力を強くして……と再度魔法の準備をしていたら、クラーケンは獲物を放り出して海底へと逃げていった。
しばらくすると、クラーケンがいなくなったことを確認したのか、周りの船が被害に遭った船に近寄り救助を始めたようだった。
しかし、狙撃ゲームみたいで面白かったな。
「助かってよかった。ふぁふぁ……ねむ」
一仕事終えた俺は、再びベンチに横になって秋の緩やかな風を感じながら眠りにつくのだった。
◆
「くそ……何で、僕ばかり」
僕――ノーマン・ラストイは震える手を押さえながら自分の不運を呪った。
僕の家、ラストイ伯爵家は汚名を着せられて父とともに海外追放になった。
それだけでも十分不運だと思うが、神様は物足りないと感じたのか、僕ら家族に対してさらなる追い打ちをかけてくる。
不幸は続くとは言うものの、クリムゾン王国に移り住むために乗ってきた船がまさかクラーケンに襲われるだなんて。
「もう駄目だ……」
「まさかあんな巨大な……。ここ最近、海底に棲む魔物達が活発化していると聞いてはいたが」
「誰も船長は責められませんよ」
「クラーケンがこんな浅瀬に現れるなんて誰も予想できませんぜ」
クラーケンの長い足によって今にも海底に引きずり込まれそうな状況で、船員達から諦めに近い声が聞こえてくる。
そんな船員に対し、肥えた身体に豪奢な装飾品を纏った父が詰め寄っていく。
「何をしているんだ! 早く私を助けろ!」
「無理言わないでくださいよ」
「金ならいくらでも払う! 私を助けてくれ!」
絶望する船員の声を聞いた父が顔を青くする。
そこで船が大きく揺れ、父が甲板の上で派手に転んだ。
その拍子に、船員が手にしていた片手剣が僕の目の前に転がってくる。
僕は片手剣を見つめながら考える。幼少時代から剣を習い、周りからは天才だと持て囃されてきた。だが、今この片手剣を手にしたところで、目の前のクラーケン相手に何の意味がある?
「きゃ……」
無力感を覚えていたその時、甲板にいた女性がクラーケンの足に捕らえられてしまう。
「僕は……僕はぁぁぁぁ」
このまま女性を見捨てるなんて……僕のプライドが許さない。
片手剣を握ると、僕は斜めに傾く甲板を走り出す。
うねうねと動く足を躱し、女性を掴むクラーケンの足へと切りかかった。
不安定な足場ながら何度も何度も切り付ける。そして大木の幹のようなその足を三分の一ほど切り裂くと、クラーケンはようやく女性を放した。
「よかった……」
だが、安堵の声を漏らしたと同時に、いきなり背中に衝撃が走る……。
一瞬の油断だった。攻撃を受けたことに腹を立てたクラーケンが、思いっきりしならせた足を僕に向けて打ち付けてきたのだ。
凄まじい衝撃だった。僕の身体は紙くずのように吹き飛び、マストに激突した。
「……かはっ!」
マストにぶつかった衝撃で呼吸が止まり、内臓に傷を負ったのか派手に吐血する。
見れば、右腕が変な方向に曲がっていた。
その時だった――。
空気を切り裂くような音が聞こえたかと思うと、轟音とともに衝撃波が船全体を揺らす。
薄れゆく意識の中、盛大な水柱が上がりクラーケンが吹き飛ばされていくのが見えた。
僕の記憶はここまでしかない。
次に目覚めた時、僕は病室のベッドの上だった。
聞いた話によると、あの瞬間、どこからともなく飛んできた高出力の水魔法によってクラーケンは撃退され、すぐに周辺の船が救出に来てくれたんだそうだ。
その水魔法が誰の仕業かは不明だという。
民の間では、クリムゾン王国の最終兵器、あるいは海の神が引き起こした奇跡ではないかとまことしやかに噂されているらしいが……。
◆
「ユーリ……ユーリ……こんなところで寝ていたら風邪引くよ?」
誰かに身体を揺らされ、気持ちのいい眠りから俺は目覚めた。
折角いい気分で寝ていたのになどと考えながら、しょぼしょぼする目を擦る。
クリアになった視界には、俺の顔を覗き込むヘレンがいた。
「んー? ヘレン? どったの?」
「もう。どうしたも、こうしたもないよ」
ヘレンは呆れたような表情で口を尖らせている。
「へ?」
「もう放課後だよ? ユーリ、昼休みにどっかに行ったきり戻って来ないから。心配で探していたんだよ?」
「んーおお、寝過ぎたな」
どうやら、昼休みから放課後まで寝てしまったようだ。
周りを見れば確かに空は夕焼けだった。海も綺麗なオレンジ色に染まっている。
ああ、授業サボってしまったな……。ま、仕方ないか。
「ヘプチ……寒いな」
長時間マジ寝していたため、火魔法の【ヒーター】も切れてしまっていた。
「風邪引いちゃうから早く校舎に入ろう?」
「ヘプチ、そうだな、クシャミが出るな……ヘプチ」
「ふふ。変なクシャミの仕方だね。あ、そうだ、授業のノートを貸してあげるから写しちゃいなよ」
「おお、マジか! ありがとう」
嬉しさのあまり、ベンチから立ち上がりヘレンの手を取る。
すると、ヘレンは照れくさいのか頬を掻きながらそっぽを向いてしまう。
「そうだ。ヘレン、この後は時間あるか?」
「へ? な、なに? 特に用事はないけど」
「じゃあ、帰りに喫茶店でも寄って帰るか。お礼にお菓子奢ってやる」
そんなわけで俺は今、鼻歌混じりでご機嫌なヘレンとともに、王都の商業地区を歩いている。
やはり、「お菓子を奢る」というワイルドカードは世界が変わっても女子には有効なんだな。
うむ、中学、高校の頃を思い出すな。テスト前にケーキを餌にして、幼馴染の桜やクラスの女子によくノートをコピーさせてもらったものだ。
もちろん男子の友達もいたが、類は友を呼ぶという感じだったので、テスト前には頼りにならなかったのだ。
「この前、通りかかった時にちらっと見ただけだから、よくわからないんだけど。有名なんだ? フローリアって喫茶店」
「うん。えっと、一~二年前に出店してから大人気でね。コーヒーって海外の飲み物とか、フルーツがいっぱい載ったケーキとか、黒くて甘くて苦いチョコレートっていうものとか、いっぱい種類があるらしいんだ。あっ、チョコレートっていうのは、店独自に開発したお菓子なんだってさ。まぁ、チラシを見ただけだから、私もよくわからないんだけどね。ハハ」
口下手なヘレンがここまで饒舌になるとは、店の人気も間違いないのだろう。
ヘレンは本当にその喫茶店に行ってみたかったんだろうな。
しかし、コーヒーにチョコレート? まさか、転生者の店だろうか? 一応、警戒しておいた方がいいかもしれんな。
「ヘレン、ちなみに運営している商会の名前ってわかるか?」
「ん? えっと、ルイズ商会ってとこだったよ。確か」
ルイズ?
首を傾げながら記憶を辿っていると、ヘレンが俺の顔を覗き込んで問いかけてくる。
「ん? どうしたの?」
「ん~どっかで聞いた気がするんだけど。まっ……いっか」
「あ、ここここ。着いたよ。よかった。並んでないみたいだよ」
確かに店はそれほど混雑している様子はない。
「よかった。休日は大体行列なのか?」
「そうなの。まるでヘビのようにね」
「そうか。じゃあ、休みの日にはなかなか来られないね。とにかくよかった。早速、入ろうか」
俺が言うと、ヘレンは少し顔を強張らせた。
「なんか緊張してきたよ。私みたいな貧乏人が来てよかったのかな?」
「俺が奢るって言っているんだから、付いて来りゃいいのさ。ノートも写さなきゃだし」
「うっ、うん」
俺が扉を開けて先に入ると、ヘレンも慌てて追いかけてくる。
俺達を出迎えたのはメイドだった。軽くお辞儀をして言う。
「いらっしゃいませ」
「席は空いている?」
「はい。ご案内いたします」
レトロな雰囲気の内装で、手摺りやドアノブ、ランプなどにリスや犬、鳥といった可愛い動物の装飾が施されている。
更にクラシックギターの生演奏まであるらしく、ジャスのような曲調の音楽が上品に店内に流れていた。落ち着いた雰囲気である。
「いい店だな」
「ありがとうございます。席は、こちらです」
何より嬉しいのは、座席がゆったりとした革張りのソファという点だ。
うむ、なかなかの喫茶店だな。
「メニューとお水をどうぞ」
「ありがとう」
メニューを受け取ると、メイドは一度お辞儀をして、「決まりましたら、お呼びください」と言って離れていった。
「ふぁ、ケーキがいっぱいだよ。すごいよ。何だかキラキラしているよ」と目を輝かせていた。
「それは、よかった」
中性的な顔立ちのヘレンは、男性用の制服を着ていることもあり、ともすれば男の子に見えなくもないのだが、こうやって甘いものを前にした時の反応を見るとやはり女の子なのだなと感じる。
リムとか、冒険者のリナリーやルースもそうだが、なんかよくよく考えるとこの異世界には男っぽい女性が多いな。
まぁ……殺されそうだから口が裂けても言わないけどね。
さて、俺は何を頼もうか。
甘いものはそこまで好きじゃないし、食べ過ぎると夕食が入らなくなってしまう。
どれどれとメニューを眺めていると、「カフェラテ」という文字が目に入った。
ふーん、カフェラテなんてあるんだ。これでいいかな?
「どれにしようかな……これも……あ。このパフェも美味しそう。あぁ、高いよ。ダメダメ、一番安いのは……」
さくっと決めた俺に対し、ヘレンは何にしようかと随分悩んでいるようだ。
本当は食べたいものがあるのに、俺に気を遣って一番安いものを探しているらしい。
「お馬鹿。何、一番安いメニュー探してんの? そんな気遣いいいから。何と何で悩んでんの? 言ってみ」
「え、えっとね……。この野いちごが載ってるやつか、こっちのチョコレートっていうのがかかってるやつか、それともこのフルーツがいっぱい載ってるパフェってやつか……」
「飲み物は?」
「ホ、ホットチョコレート」
「わかった」
俺は側にいたメイドに視線を向ける。するとすぐさまメイドが伝票を持って席までやってくる。
「お決まりですか?」
「はい、これとこれとこれをください。あと、ホットチョコレートとカフェラテ。以上で」
メイドは頷きながらメモを取ると、「野いちごのケーキ、チョコレートケーキ、季節のフルーツパフェに、ホットチョコレートとカフェラテでございますね」と最後に確認をする。
「ああ。飲み物は先に出してくれ」
メイドは「かしこまりました」と頭を下げて厨房へと入っていった。
呆気に取られた様子のヘレンにメニューを返す。
「もう頼んじゃったからな。死ぬ気で食え。女には別腹っていうスペアポケットがあんだろ?」
そう言って俺はテーブルに置かれていた水を一口飲んだ。
「いいの?」
「ああ。それとも、足りない?」
俺が聞くと、ヘレンはぶんぶんと首を振った。
「んーん!! だ、大丈夫!!」
「ホントか? ヘレンは謙虚過ぎるな。俺の幼馴染の桜だったら二十皿はケーキを頼むね」
「ん? 幼馴染?」
「ああ。ここ何年かは会ってないがな。どこにいるんだか」
「ふーん。幼馴染か。良いな」
「いいか? 結構、口うるさいぞ?」
「私は子供の頃から武術の稽古や家の手伝いで忙しかったから、周りの同世代の子達と遊ぶ暇なかったもん」
ヘレンが少し寂しそうな表情を浮かべて言う。
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