18 / 31
魔性の血〈5〉
しおりを挟む朝の閣議を終え、スウシェが部屋を出て歩き始めてから数分。
後ろから雑な足音が響いて自分を呼ぶ声が聴こえた。
「お待ちくださいっ、スウシェ殿!」
男性にしては高めなその声に、スウシェは渋い顔で立ち止まった。
そして溜息を一つ。
けれどすぐにそんな顔も和かな表情に変えて、スウシェは振り向いた。
「これはこれはスカヤール侯爵様」
目の前に立つ男を見てスウシェは思った。
(嫌な相手が来たものね)
カムエル・スカヤール。
焦げ茶色の髪に青い瞳。
痩せ型で神経質な表情はいつものことだが、今朝は一段とスウシェを見つめる瞳が険しい。
「なにか?」
「スウシェ殿! あのような閣議では納得しかねますぞっ。陛下もお見えにならないのに、いったいどういうことなのか、説明してもらおう!」
「説明? 陛下が閣議をすっぽかすのはよくあることでしょう。なのに納得できないとはスカヤール侯、あなた質問の主旨が違っているのではありません?
いったい何をお聞きになりたいのです?」
「そ、それはっ、昨夜の騒ぎの詳細が、まだ未報告ではないかと言ってるのだ!」
「昨夜の騒ぎ? ……はて、何のことでしょう」
「とボケないでいただきたい!」
「あら、トボけてませんけど。今朝の閣議でそのような質問をしてきた者は一人もいませんでしたが……」
「それはわたしが! 今こうしてあなたに直接尋ねる方がよいと考えて……つまり皆を代表して、それで訊いてるのですぞ」
「まあ……」
───うるさいハエめ。
スウシェは心の中で呟いた。
「けれど貴方に話すことは何もありませんの」
「そのような返事が通ると思っておられるかっ!」
スカヤールの癇癪に、スウシェはおもわず顔を顰めた。
「では何と申し上げましょうか。スカヤール侯爵様に返す御言葉が、見つかりませんわ。何を知りたいのか判りませんが、あなたにお話することは一つもありません」
「こっ、この成り上がり者がッ!」
「貴様! スウシェ様に向かって口を慎めっ!」
スウシェの傍に控えていた一人の護衛が、スカヤールに詰め寄った。
背が高く褐色の肌と短めの黒い髪。
瞳は濃いグレー。
そして騎士の衣装がとてもよく似合ってはいるが豊かな胸元や腰のラインから、その護衛が女性であることは確かだった。
「おやめ。ルルア」
「しかし、スウシェ様……」
「スカヤール侯、これ以上の問答は意味のないこと。どうしても話がしたいのであれば、直接陛下に申し込みなさったらいかがです? わたくしが取り次いでさしあげましょうか。……でも陛下が会ってくださるかは判りませんけど」
───会う筈がない。
こんな下衆の三下野郎になど。
スウシェは心の中で毒突いた。
「いっ、いつまでも、そんな勝手が通ると思うなッ……」
「勝手とは、どういう意味だ?」
別の通路から声がして、ユカルスを伴ったロキルトが三人の前に現れた。
「閣議は無事に終わったか、スウシェ」
「はい。でも無事かどうかは……」
「なんだ」
「陛下のお顔を拝見できないと、ご機嫌の悪くなる者たちが大勢いますので」
スウシェの言葉にロキルトは鼻で笑った。
「見ても見なくても同じだろ。老臣どもの機嫌が悪いのはいつものことだ。
なあ、スカヤール侯。貴公はスウシェが何の勝手をしていると思うのだ? この国の宰相が勝手をしていると?
それは一体どんなものだ? なあ、スカヤール侯爵、俺に教えろ」
面白がるように細められた眼は薄白く怪しげでいて鋭く、まるで妖蛇の眼差し。
そんな雰囲気だった。
「い、いえっ、わたしはただっ……」
ロキルトの冷たい視線を受け、スカヤール侯爵は身を縮ませながらも発言する。
「昨夜の騒ぎが……風凪の門で何があったのか、我々にも聞かされるべきではないかとっ」
「たいしたことじゃない。ネズミが六匹忍び込み、そのうちの一匹を俺が捕まえただけだ。しかし残念なことにそれは舌を噛んで自害してしまったがな。
つまらぬから首だけでも刎ねようと思ってね。今から行くところだ。
そうだ、スカヤール侯、よかったらついて来るといい。刎ねた首を門に飾るのを、ぜひ君に手伝ってもらおうか」
「い⁉ いえっ! わたくしはっ、今日はそのっ、本日はこれからッ……」
「何か用事? な~んだ、残念だなぁ。じゃあ早く戻ったら?」
「はははいっ、失礼いたします!」
「……あらあら」
あたふたと戻って行くスカヤール侯爵の後ろ姿を見つめながら、スウシェは苦笑し、そして言った。
「次に首を斬り落とされるのが、あの方だったらいいのに」
「その時はこのルルアにお役目、お申し付けください」
傍らの麗人ルルアの切れ長で形の良いグレーの瞳が、スウシェに向けられた。
「ダメよ、ルルア。可愛い貴女にそんなことさせたくないわ」
「しかしあやつはスウシェ様を侮辱しました。私は許しません」
「ありがとう、ルルア。気持ちだけ受け取っておきます」
見惚れるような笑顔をルルアに向けてから、スウシェはロキルトに言った。
「それにしても、陛下に助け舟を頂けるとは思いませんでしたわ」
「あれか? スウシェが前から言っていた、しつこいハエというのは」
「ええ。もうしつこくて、困ってますの。どうやらわたくし気に入られてしまったようですわ。いつも何かと文句を言ってくるのですもの」
「ふーん。ま、放っておけ、あんなハエは。あいつの悪意はたいした色じゃない。可愛いもんだ」
「でも陛下はどうしてこちらに? わたくし、今から伺おうかと思ってましたのよ。お伝えすることがあって」
「なんだ」
「ロゼリア様が今夜ぜひ晩餐をご一緒したいと。オリアル様も同席で、例の件についていろいろとご相談されたいそうです」
「今夜はダメだな。俺は今宵、宵の宮へ行く」
「あらまあ、随分お早いお渡りですこと。リシュ姫さまは、まだこちらに戻られたばかりだというのに。あまり姫さまに無理させてはいけませんわよ、陛下」
「おまえ、なんか勘違いしているな」
「え?」
「俺は話に行くだけだ」
「あら。なんだ、そうなんですか?」
「なんだその顔はっ。まったく……。逢った初日からそんなことするかよ。んな展開になるわけねーだろ」
「でもそのための宵の宮なんですのに」
まだ何か言いたそうなスウシェに話す隙を与えぬよう、ロキルトは続ける。
「リシュには今日から舞踏会に向けてダンスの練習をさせることになった。
それでな、ルルアを講師に借りようと思ってな。それを伝えるためにここへ来たんだ」
「そうですか。わかりました。ルルア、お願いね」
ルルアは無言で頷き、ロキルトに腰を折る。
「それにしても。ダンスの講師でさえ、殿方を許されないとは。
どのような者であっても、あの花に触れさせたくないのですね、陛下は」
「ああ、そのつもりだが。何かおかしいか?」
ロキルトの言葉に、スウシェは微笑んで返した。
「いいえ。ただ、敵が増えるのではないかなと。それに、ご自分がダンスの練習相手として付き合ってさしあげたらよろしいのに」
「楽しみは後にとっておくタイプだからな、俺は。それに……なんだかさっき、少し機嫌を悪くさせたようだから。じゃあ頼んだぞ、ルルア」
「これからどちらへ?」
「首を斬りに」
実に愉しげな様子で笑みを浮かべて去って行く少年王に、スウシェとルルアは然して動じることもなく頭を下げて見送った。
♢♢♢
庭園の東屋で、リシュはあれからぼんやりとリィムが迎えに来るのを待っていた。
毒の染みた土に触ったせいで、薄紫色の付いた指先ばかりに目がいく。
毒に触れると手を洗っても二、三日は色が残る。
そのうち自然と薄れて消えていくのだが。
そして約束の一時間が経った頃、リィムがリシュを迎えに来て言った。
「姫様。今日はこれから舞踏会に向けてダンスのお稽古をするようにと、陛下からのお言葉です。お部屋ではなくこれから練習用のホールへ移動してもらうことになりますが」
「ダンス……」
(……あぁ、面倒くさい)
リシュは再び憂鬱になった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる