毒視姫(どくみひめ)の憂鬱

翠晶 瓈李

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魔性の王〈2〉

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 その昔

 彼の髪は、

 今のように忌まわしい紫などではなく……

 美しい金色だった。




 その瞳は春の新緑のような翡翠色だった。



 今のような冷たさなど欠片も感じられない、陽だまりのように暖かな眼差しを湛え……。



 笑うと天使のようだと思った。


 あの笑顔のためなら自分は……

 どんな苦しみにも、耐えられると……思った。




 それなのに。


 その面影は


 あの日……絶たれた。




 私の天使は……


 魔性に姿を変えた。







「俺は今の自分も悪くないって思ってる、ユカ……。あの頃は何も出来ずに、ただ怯えているばかりだったからな。その結果こそが、災いを招いたのだと思わないか? ユカ」



 弱さが招いた災い。


 何も出来なかった

 無力だった……あの頃。



「守りたかった……守ろうと決めたモノが……結局守れなかった。
 ユカルス、今の俺と過去の俺はそんなに違うか? そんなに嫌いか?」




 キライか、などと……。

 簡単に訊いてくるあたりが……。


 素直なのか

 計算なのか


 子供……なのか。



 そしてそれを否定出来ない自分もまた結局は彼のことを……。




「いいえ、陛下……ロキルト様」



 たとえその身が変わってしまったとしても。



 残酷に……

 妖しく。



 彼がそんな大人になってゆくとしても。




「私は……そのままのあなたで良いかと」



 きっと惹かれ続けていくのだろう。



「嫌いではありませんよ、陛下のそういう子供っぽいところ」




「なんだよ、ソレ……」




 少し膨れ、そしてまた食事を続ける目の前の少年王を見つめながら、ユカルスは静かに笑ってみせた。






 ♢♢♢♢♢


「姫様……? リシュ姫さま……そろそろ起きてくださいませ」




 耳元をくすぐるリィムの可愛らしい声に、リシュは午睡からゆっくりと覚醒した。



 なぜなのか、心配そうに真上から自分を見下ろすリィムの顔があった。


(リィムって、ホントに可愛いなぁ)


 ぼんやり思いながらリシュが小さく笑ってみせると、リィムはなぜかホッとした顔になって微笑んだ。




「よかった……。姫様、ちっとも起きてくださらないから私、お医者様を呼んだ方がいいのかと思いました」



「あぁ、ごめんねリィム。私、寝付きはとてもいいんだけど、寝起きがとっても悪いの。もしもこれからこういう事があったときは、冷たく絞ったタオルでも顔に乗せてみてくれる? 早く起きてあげられるかも」



「そうなんですか……わかりました。あの、朗報ですわ、姫様」



「朗報?」



「今夜、リシュ姫さまが庭園で待つことを陛下にお知らせしたんですが、応接の間でも良いと……。外は夜風が冷たいからと。姫様が風邪でもひかれたら困るからと仰ったそうです。お優しいですわね、陛下は」





 優しい?


 首を斬り、それを掲げたり。


 平気でそんなことする人が優しいわけない。



 私はそうは思わない。



 応接室に変更されたことは、ホッとしたけれど。




「姫様はこれからゆっくりと湯浴みをなさってくださいね。湯殿へご案内しますから」



「湯……」




 そうか。

 ここは毎日でも入浴可能な広い湯殿がある贅沢な場所だった。



「入浴の後に夕食、それから陛下を迎える準備に入りますわ」



「準備って?」



「それはやっぱりお着替えですわ。着飾っていただかないと。御髪はどう結いましょうか。お召し物は先に選んでおきましょうか? でしたらこれから衣装部屋へ」



「リィム」




 楽し気に話進めるリィムに、リシュは溜め息を漏らしながら言った。



「悪いけど、着飾る気は全く無いから。寧ろ嫌なの。……そりゃ陛下がここへ来るのにそれなりの身支度は必要かもしんないけど。……お願い、リィム。必要最低限にしたいわ。髪も結いたくないし、服もできればこういう、今着ているようなものか、私が持ってきた楽なモノにして」



「そんな、姫さま……」



 リィムが、黒目がちの大きな瞳をウルウルさせながら見つめてくる。


 しかしここは心を鬼にして、リシュは自分の要望を通すつもりだった。



「でなければ私、陛下とは会いません。あ、夕食も少なめでお願いね。あまりお腹空いてないから」




「……はぃ。かしこまりました」



 リィムはとても残念そうに目を伏せたが、すぐにまた可愛らしい笑顔に戻って言った。



「でも姫さま、豊穣祭でお召しになる御衣装の着付けは必ずっ、絶対にっ、このリィムにお手伝いさせてくださいませね? お願いですから……」



「う、うん……」




 どうしちゃったの、リィム。


 可愛いのに、少し恐いような、妙な迫力を感じるのは気のせいだろうか。




「判ったわ、リィム。お願いね」



「はい! 姫さま。では湯浴みに参りましょう」




 ご機嫌になったリィムの後ろを、リシュは複雑な思いでついて行くのだった。




 久しぶりに洗った長い髪はリィムが丁寧に拭きながら梳いてくれたおかげで夕食を終えた頃には完全に乾いていた。



「本当に不思議な色の御髪ですね。とても美しい青で」



 着替えが済んだリシュの髪を再び梳かしながらリィムが言った。



「美しい? ……リィムは不気味だと思わないの?」



「そんなこと思いません。とても柔らかですし、銀の光沢のある群青なんて……まるで月下の海のようですわ」



「海……。私、海はまだ見たことがないの。南方に行くと海が望めるって聞いてるけど。リィムは見たことがあるの?」



「はい、ずっと昔にですけど。では月影の輝く湖水を想像してみてください。どちらも煌めいて美しいことに変わりはありませんから」



 月の煌き、か。


 そういえば……。



 リィムは輝夜の姫と呼ばれているオリアル様のことを、何か知っているだろうか。


 訊いてみようと思ったとき、扉をノックする音が部屋に響いた。


 リィムが返事をし扉を開けると、薄墨色の髪をした銀縁眼鏡の青年が立っていた。



 彼は冷ややかな眼差しをリシュに向けて言った。



「支度は済んだのか? 陛下が応接の間へ入られた」


「はい、ユカルス様」


 答えたリィムがリシュの傍に戻って言った。



「姫さま、今宵、ここより先はユカルス様の御案内になります」



「え⁉ リィムが案内してくれるのではないの?」



「はい、私は別室で控えるように言われてますので」



「そうなの。あの人、ユカルスさんというのは?」



 リシュは小声で訊いた。



「今朝、朝食のときに見たような気がするけど」



「ユカルス様は陛下の側近を務めている方ですわ。では姫さま、頑張ってきてくださいませねっ!」



 力強く言い放つリィムに、リシュは苦笑した。




 頑張るって、何を……。




 リィムは絶対、自分とは全く違う想像をしていると思いながら、リシュはぎこちなく微笑んで部屋を出た。




 ♢♢♢

「ユカルス・セザハ、と申します」



 部屋の外、廊下に出たリシュに彼は一言名乗っただけで、くるりと向きを変えると先を歩き出した。


 リシュは慌ててその後に続いた。



 宮殿の通路を右へ曲がり左へ曲がり、また左へと折れた先の突き当たった部屋の前でユカルスは止まり、リシュに向いて言った。



「こちらで陛下がお待ちです。サリュウスの魔女……」




 サリュウスの、魔女。



 その名を呼んだユカルスの声に、

 その響きに。

 込められた想い……のような、

 そんな何かを、リシュは感じた。




 怒り、のような。

 敵意、のような……。

 悪意のようでもある。


 そんな感情。




 私を見る眼差しも、なんだかとても嫌なモノだ。


 それは私に対しての嫌悪?

 それとも母に?




 どちらとも嫌われてるのは確かなようだと、リシュは思った。


 気にしても仕方ないので、リシュはユカルスと目を合わせないようにしながら開けられた扉の中へ進む。




 彼だったら……?

 ロキルトは本当はどうなのだろう。



 ふと、そんなことをリシュは想った。




 私に。

 魔性の娘に。



 彼に魔性を与えた、魔女の娘に持つ感情は……。

 悪意、だろうか。


 敵意……だろうか。


 それとも……。






 そして。




 部屋の中、窓辺に佇み、リシュを待っていた少年王は……。



 ロキルトは、入ってきた彼女を前にして、



 妖艶に微笑んだ。







「やっと来たか。青き花……」






 パタン。   と、


 リシュの背後で扉が閉じられた。


 続いて、

 カチャリ。  と、

 鍵のかけられた音がして。





 そしてリシュは驚愕する。




 ここが応接室⁉



 違う、ここは……。





 身体から血の気がひくのを感じた。





 その部屋は応接の間ではなかった。


 それほど広くない室内の隅に白い革張りの長椅子と、まるで室内の装飾の一部であるような凝った造りの白い卓。



 そして。

 中央に目を逸らしたくてもその大半が視界に入ってしまうほどの位置を占め、大きな天蓋のある寝台。



(───あぁ、私はなんて愚かなのだろう)




 リシュは思った。



 ここは宵の宮。


 自室に宛がわれた部屋でなくても、王を待つための寝所などきっと何室もあるのだろう。



 宵の宮の中であれば………。




 そんなことも考えずに。

 ここはなんて広い所なのだろうなどと、ぼんやり思うだけだった自分がマヌケなのだ。





「どうした。意外そうな顔だな」



 ロキルトが愉し気に訊いた。





「騙したのね」



「騙す? 心外な。宵の宮の姫ならば寝台で俺を待つのが常識だ」



「あなたを寝台で待つ気はないわ」



「可愛くないな、リシュは。その声も瞳も……その髪も、リサナと同じなのに。可愛くない」




 こう言って、ロキルトはリシュに近付いた。



「もっと着飾ったらいいのに。美しい花でいてくれなくては困る」



「私は花ではないわ」



「だったらなんだ? おまえは……いや、リサナとおまえたち親子は何者だ……?」



 リシュを見下ろすロキルトの瞳がすぐ近くにあった。



 けれどリシュはその瞳ではなく彼の髪に視線を向けていた。





 その髪色は……。


 今朝の色とは少し違った。



 今朝、朝食の席で見たロキルトの髪は赤みがかった紫だった。

 妖しく燃える炎のようだと思ったその色が今は薄れ、赤みのない紫色に見えた。



「俺の髪、そんなに気に入ったか? おまえのその目と同じだろ。でもリシュの瞳はリサナよりも濃い黒紫なんだな。俺の髪と同じ」




「違うわ。今のあなたの髪色は、」



 言いかけてリシュはハッとなり口を噤んだ。




「違う⁉ おまえっ……」



 ロキルトの表情が一変した。



「おまえも、視えるのか?」




 ロキルトの剣呑な眼差しが焦りのようなものへ変わって揺れた。




「答えろ。俺の髪色の変化がおまえにも解るのか? ……親娘、だからか」



 黙ったままでいるリシュに、ロキルトは怒りのこもった声で続けた。



「リサナから何を聞いた? 何を知ってる⁉ 言え!」




 ───ロキは、ね。






(母様……)





 リシュの中で、遠い記憶の断片が甦る。





(母様の言っていた通りなの……?)


 リシュはかつて交わした母との会話を思い出していた。


 ───リシュ。 ロキは、ね……。

 ロキの髪色って変わるのよ。




「……変わる?」



 不思議な顔で訊き返したリシュに、リサナはうふふ、と笑って言った。



 ───そう。

 変化するの。


 ロキの機嫌は髪色ですぐわかるわ。

 薄かったり濃かったり。

 疲れとか、体調の変化に関係してるときもあれば、精神的に不安定だったりするときも変わるわね。




(母様……)

 それって、どっちだった?




 リシュは忘れかけてしまっていた記憶を、必死に思い出そうとした。




 濃い色と薄い色。

 心と身体のバランスが欠けるのは……。

 どちらの色だと、リサナは言っていただろうか。





 ───これってね、本人には解らないみたいなの。

 やっぱり……わたし達にしか視えない毒の色、だからなのかな……。


 母様はそう言って笑ってた。





 ───ふふ。

 ロキはいつも悔しがるのよ。

 彼はわたしにいつも意地悪するから。

 だから髪色に変化があるときはわたしがからかってやるの。

 イジメたお返しにね。



「意地悪? ロキルト様って、母様をイジメるの?」


「うーん。ちょっとニュアンスが違うかなぁ。……そうね。困らせるのよね。
 ───リシュ。あなたがときどき、駄々っ子になるみたいにね……」



 ♢♢♢♢♢




「リシュ、あいつはおまえに何を話した……?」


 


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