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第52話
アリシア様が部屋から出て来ないまま、三時間が過ぎた。レオとの会話はとても楽しく、時間はアッという間に過ぎる。
「もう三時間も経つのね」
「意外と早かったですね」
レオもそう思ってくれていたようで、ホッとした。私にやましい気持ちがないことも分かってくれていたようだ。
「どうしましょう……私一人で帰っても良いのかしら?」
私は三時間前にアリシア様が入って行った扉に目をやった。
「三時間以上は追加料金がかかります。今出て来ないのであれば、まだ最低でも一時間は出て来ないかも……」
レオもその扉に視線をやった。開く気配はない。
「ねぇ、紙とペンを用意して貰えるかしら?」
私の言葉にレオは直ぐに席を立つと、白い便箋とペンを持って来てくれた。私はそれを受け取ると、急いでアリシア様への伝言を書き付ける。最後に自分の名前を書く段になって『デボラ』と書けば良いのか『デビィ』と書くのが正しいのか悩む。
ペンが止まった私にレオは不思議そうに尋ねた。
「どうしました?」
「名前よ。ここでは本名を使うなと言われたの……どちらで書けば彼女に伝わるかしら……と思って」
悩んだ私は仕方なく『デビィ』と書いた。彼女は私に『デビィ』と名付けたことを覚えているのかしら?
「……貴女の本当の名前は?」
それを見ていたレオが躊躇いがちに尋ねる。
「デボラよ」
ニコリと私が微笑むと、レオも同じように微笑んで言った。
「素敵な名前です」
「ありがとう。じゃあ、私は行くわ。手紙をアニー様に。それでお会計は……」
「入場料は予約された段階でいただいています。追加料金はないので、このままお帰りいただいて構いません」
「分かった。じゃあ……お仕事頑張って。あなたとお話するのは楽しかったわ」
「俺も楽しかったです。ここに居ると聞こえてくるのは愚痴ばかり。でも貴女は違った。チェス……俺にも教えてください」
あらら。これはレオなりの営業トークなのかしら。でも、もう私はここに足を踏み入れることはないだろう。だから私はこう答えた。
「機会があれば」
私の意図を汲んだようにレオは頷いた。
「貴女にここは似合わない」
レオの言葉に私も返す。
「あなたもよ。事情があるのは察したけれど……無理はしないでね」
レオがブルーノに似ているからだろうか。私は何となくレオが心配になった。レオは少しハッとした表情を浮かべたが、直ぐに笑顔になる。
「お帰りはコチラです」
私はレオの案内を受け、きらびやかだが、どこか混沌としたこの屋敷を後にした。
「おかえり」
クラブから戻った私を出迎えたのは、何故かレニー様だ。
「ただいま戻りました……って何故ここに?」
「し、執事が忙しそうだったから、僕が代わりにと思って」
いや、執事が忙しくても侍女もメイドも居るだろうに……。当主が出迎えるのもおかしな話だ。だが私にはそんなレニー様に構っている余裕はない。疲れた。
「ふぅ。慣れないドレスで少し疲れたので私は部屋へ戻りますわ」
レニー様に出迎えられたとて、湯の準備が出来ているのかを尋ねることすら出来ない。私はとにかくこの少しタイトな真紅のベルベットのドレスを早く脱ぎたかった。馬鹿にされないようにと気合いを入れたが、結局マドリー夫人に会うことすらなかったのだ。……ここまで豪華にせずに済んだかもしれない。
「そ、そんなに洒落て行かなければならないクラブだったのか?」
「マドリー公爵夫人が主催とお聞きしましたので、少し気合いを入れすぎましたわ」
あぁ……肩が凝る。レオと話すまでの約三十分、無意識に身体に力が入っていたのかもしれない。
「ア、アリシアとは仲良く出来たか?」
レニー様にそう言われて私の胸は少し痛んだ。貴女の愛する女性は男娼と秘め事に耽っていましたよ……そう思うとレニー様が哀れに思える。
きっとアリシア様と私が揉めていないのか気になって、わざわざ出迎えまでしてくれたのだろう……彼の行動の理由が分かって、私はますますレニー様に同情してしまいそうになる。
「お互い他の方々とのお喋りに花を咲かせていましたから。社交ですもの、色んな方と交流をいたしませんと」
アリシア様とは馬車を降りてあの屋敷で落ち合ってから、彼女がケインと消えるまでの間しか話していない。仲良くしようにも無理な相談だ。
「そうか……そうだな。君は社交に長けているけど、アリシアはあまりそういうのが得意ではないから……」
ああ、アリシア様を心配しているのね。……大丈夫、アリシア様はケインととても仲良くしてましたよ……とは言えない。可哀想なレニー様。
「アリシア様はあのクラブには良く顔を出されているようでしたから、見知った顔もいらっしゃったみたいで。楽しそうになされてましたよ」
あの場で起きたことは他言無用と契約書にサインさせられている。レニー様を安心させてあげたいが、言葉を選ぶのが難しい。
「もう三時間も経つのね」
「意外と早かったですね」
レオもそう思ってくれていたようで、ホッとした。私にやましい気持ちがないことも分かってくれていたようだ。
「どうしましょう……私一人で帰っても良いのかしら?」
私は三時間前にアリシア様が入って行った扉に目をやった。
「三時間以上は追加料金がかかります。今出て来ないのであれば、まだ最低でも一時間は出て来ないかも……」
レオもその扉に視線をやった。開く気配はない。
「ねぇ、紙とペンを用意して貰えるかしら?」
私の言葉にレオは直ぐに席を立つと、白い便箋とペンを持って来てくれた。私はそれを受け取ると、急いでアリシア様への伝言を書き付ける。最後に自分の名前を書く段になって『デボラ』と書けば良いのか『デビィ』と書くのが正しいのか悩む。
ペンが止まった私にレオは不思議そうに尋ねた。
「どうしました?」
「名前よ。ここでは本名を使うなと言われたの……どちらで書けば彼女に伝わるかしら……と思って」
悩んだ私は仕方なく『デビィ』と書いた。彼女は私に『デビィ』と名付けたことを覚えているのかしら?
「……貴女の本当の名前は?」
それを見ていたレオが躊躇いがちに尋ねる。
「デボラよ」
ニコリと私が微笑むと、レオも同じように微笑んで言った。
「素敵な名前です」
「ありがとう。じゃあ、私は行くわ。手紙をアニー様に。それでお会計は……」
「入場料は予約された段階でいただいています。追加料金はないので、このままお帰りいただいて構いません」
「分かった。じゃあ……お仕事頑張って。あなたとお話するのは楽しかったわ」
「俺も楽しかったです。ここに居ると聞こえてくるのは愚痴ばかり。でも貴女は違った。チェス……俺にも教えてください」
あらら。これはレオなりの営業トークなのかしら。でも、もう私はここに足を踏み入れることはないだろう。だから私はこう答えた。
「機会があれば」
私の意図を汲んだようにレオは頷いた。
「貴女にここは似合わない」
レオの言葉に私も返す。
「あなたもよ。事情があるのは察したけれど……無理はしないでね」
レオがブルーノに似ているからだろうか。私は何となくレオが心配になった。レオは少しハッとした表情を浮かべたが、直ぐに笑顔になる。
「お帰りはコチラです」
私はレオの案内を受け、きらびやかだが、どこか混沌としたこの屋敷を後にした。
「おかえり」
クラブから戻った私を出迎えたのは、何故かレニー様だ。
「ただいま戻りました……って何故ここに?」
「し、執事が忙しそうだったから、僕が代わりにと思って」
いや、執事が忙しくても侍女もメイドも居るだろうに……。当主が出迎えるのもおかしな話だ。だが私にはそんなレニー様に構っている余裕はない。疲れた。
「ふぅ。慣れないドレスで少し疲れたので私は部屋へ戻りますわ」
レニー様に出迎えられたとて、湯の準備が出来ているのかを尋ねることすら出来ない。私はとにかくこの少しタイトな真紅のベルベットのドレスを早く脱ぎたかった。馬鹿にされないようにと気合いを入れたが、結局マドリー夫人に会うことすらなかったのだ。……ここまで豪華にせずに済んだかもしれない。
「そ、そんなに洒落て行かなければならないクラブだったのか?」
「マドリー公爵夫人が主催とお聞きしましたので、少し気合いを入れすぎましたわ」
あぁ……肩が凝る。レオと話すまでの約三十分、無意識に身体に力が入っていたのかもしれない。
「ア、アリシアとは仲良く出来たか?」
レニー様にそう言われて私の胸は少し痛んだ。貴女の愛する女性は男娼と秘め事に耽っていましたよ……そう思うとレニー様が哀れに思える。
きっとアリシア様と私が揉めていないのか気になって、わざわざ出迎えまでしてくれたのだろう……彼の行動の理由が分かって、私はますますレニー様に同情してしまいそうになる。
「お互い他の方々とのお喋りに花を咲かせていましたから。社交ですもの、色んな方と交流をいたしませんと」
アリシア様とは馬車を降りてあの屋敷で落ち合ってから、彼女がケインと消えるまでの間しか話していない。仲良くしようにも無理な相談だ。
「そうか……そうだな。君は社交に長けているけど、アリシアはあまりそういうのが得意ではないから……」
ああ、アリシア様を心配しているのね。……大丈夫、アリシア様はケインととても仲良くしてましたよ……とは言えない。可哀想なレニー様。
「アリシア様はあのクラブには良く顔を出されているようでしたから、見知った顔もいらっしゃったみたいで。楽しそうになされてましたよ」
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