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破片
しおりを挟む今日もいつも通りの朝が始まる。
母親、父親、一人息子の自分。三人だけの空間は、形式上は幸せな家庭なのだろうが、実際はそうではない。
この重苦しく、息が詰まる生活を早く抜け出したいのだが、なんせお金がない。高校生という身分で、アルバイトも禁止されていて、自由になることを大人が許してくれない。
両親がいて、一見何の欠陥もない家族に見える。だから尚更、実情は分かってもらえないのだ。
「おはようございます」
当然のように返事は返ってこない。自分は存在として、息子として、認識されていないようだ。
「おい、早く、飯」
父親は中卒の母親をいつも見下している。
夜職をしている母親は、いつも不機嫌で、ほとんど家事をしない。かろうじて、冷凍食品をレンジで温めて、投げるように父親の前に差し出す。
夜勤明けで眠たいだろうに、父親は一切家のことをしない。
そんな母親と父親だから、必然的にその他の家事は自分に回ってくる。自分は家族の一員であるために、出来る限りのことを尽くしてきたつもりだ。掃除、料理、洗濯、部屋の片付け。それでも、父親と母親の関係は変わらないし、自分自身も我が子だと認められない。家族で出かけたことなんて、一度も記憶にない。
二人の逆鱗に触れないように、そっとフォークを置く。当然、自分の食事は用意されていない。
両親は、俗に言う仮面夫婦だ。世間体だけはいい。
もう、家族の内部機能は崩壊している。
いっそのこと、別れて欲しい。
「お前そんな化粧して、また他の男のところに行くつもりか?」
「……あんただって自分勝手やって、家のことなんもしねーくせに文句たれてんじゃねーよ!」
母親も父親も口が悪い。吐き出す言葉全てに、相手に対する愛情など一切無い。
なんで、結婚したのだろうか。
そして、なんで自分を産んだ?
「あーはいはい、お前俺がいなきゃ生きていけないくせにな」
「あたしだってもう自由にさせてよ!あんたと結婚なんかしたのが間違いだったわ」
派手なワンピースと長い黒髪から、強い香水の匂いが漂ってくる。母親が派手な格好をするのは仕事のときくらいで、普段はそうでもない。近所では若くて美人で、夜まで働く一生懸命な母親だと言われているらしい。
異様に長い爪で、小言を言いながらガリガリと頭を掻きむしっている。その苛立ちが伝染するように、また父親も嫌なことを言って、家の空気は最悪で、自分は空気と化するしかない。
「俺はいつでも離婚していいですけどねー。一人でも全然やっていけるんで。むしろお前もユイも足枷でしかねーわ」
「子供なんてつくらなきゃよかったわ。そしたらもっと自由にできるのに…!」
「あのとき中出ししていいっつったのお前だろーが。俺は何も責任ねーよ、あとはお前が面倒みろ」
「はぁ、ほんと、ユイなんて産まなきゃよかったわ」
産まなきゃよかった。
その通りだ。
二人で一瞬の恋愛感情と快楽に溺れて、酔って、その結果がこれだ。かつて愛し合ってた二人が、我が子に佐倉由依《さくらゆい》なんて女の子みたいな名前を付けて。
さすがに産まれた時くらいは自分のことを愛していたのかな。いつからこうなったの?
こんなんなら、産まないでほしかった。
そう心の中で思っても、親であることは変わらない。
こんな親でも、実の両親にここまで存在否定されるのは、実際苦しい。
今日を持って、「いなくてもいい」存在から「いないほうがいい」存在にランクアップしたようだ。
涙が溢れ落ちそうになるが、ぐっと堪える。ここで涙を流しても、慰めてくれる人はいない。この辛さを誰が分かってくれるだろうか。
物心ついたときから、毎日こうだった。基本的に自分は無視される。自分の話題になると言われる言葉は「邪魔」「産まなきゃよかった」「お前なんかいらない」、毎日「ごめんなさい」しか言えない人間になった。
「お前もさっさと食えよ!お前食べるの遅いから、片付けよろしくね~。邪魔者は大人しく家事だけしてろ」
「……ごめんなさい」
突然矛先を向けられ、ビクっとする。
ただし、別に暴力を受けたりすることは無い。食事も寝床もあるにはある。この状況を警察に説明したところで、虐待と呼べるものでもないし、証拠もないし、家族のかたちの問題で片付けられるだろう。
友達と呼べる人もいない。
必要としてくれる人も、頼れる人も、相談できる人もいない。
今の自分には、こんなクソみたいな家族しか、いない。
誰からも、必要とされない。
むしろ、邪魔な存在。
消えてしまいたい。
父親が玄関のドアをわざと音を立てて仕事に出る。
母親は夜職の相手だろうかスマホ片手に電話しながら、足早にニ階の寝室に戻っていく。
リビングに一人、冷めたトーストを口に詰め込む。
喉が苦しくて、牛乳を取りに立ち上がったとき、皿に手が触れた。ガシャーンと音がして皿は勢いよく割れた。
床に散らばった皿の破片を見つめる。何故か、心が落ち着いている。安心した。皿だってこんな簡単に壊れるんだから、家族だって壊れてしまえばいい。とどめていた涙が、ぼろぼろと溢れてくる。
「ちょっと!うるさいんだけど!うわっ、何やってんのよ!面倒ごとばっか起こして、ほんっと迷惑なんだけど」
「ごめんなさい」
母親の存在を思い出して、焦って素手で破片を掻き集める。
手から血が出るが、身体の痛みを感じないほど、自分はおかしくなっていたようだった。
母親は階段から見下ろしたまま、溜息をつく。心配して駆け寄ってくるはずもない。
「あ、ごめん~!ちょっと皿の片付けしてたら落としちゃって!」
「そうそう、料理するよ~今度ゆうくんのために作ってあげる!うん!またね~」
料理なんか一度もしたことないじゃないか。そんなに我が子よりその人が大事なら、その人の所にいってくれ。
「はぁ……ほんと消えてくんない?」
小さい声だったけど、確かに目を見て言われた。
母親の本音なんだろう。十年以上、こんな扱いを受けてきたけれど、真っ向から目を見て言われるのは初めてだった。よっぽど自分は邪魔な存在なのだろう。
どうやら、両親が別れていなくなるよりも、自分が率先していなくなることを望んでいるようだ。
そうだよな。両親が消えたら育児放棄で訴えられるけど、自分が消えればただの家出になるからな。
寝室に戻る母親の背中を見送り、血だらけの手でスマホだけを持って、フラフラと家を出た。制服を着たまま、もう、何も考えたくなかった。
存在価値を真っ向から否定されて、立ち向かえるほど自分は強くない。
きっと、世間体を気にして捜索願くらいは出すだろうが、単に家出だと処理されて終わりだろう。地獄のような学校からも、登校拒否をして当然だと判断されるだろうし、自分がいなくなったところで、誰も心配する人はいない。
手のひらを見ると皿の破片が刺さっていた。
抜くと赤い血がだらりと垂れる。もう、この世からいなくなってもいいと頭では思うが、この破片で死ねるとは思えない。
正真正銘の独りぼっちになってしまった。
いや、元々独りぼっちだったか。
繁華街に行けば、仕事を探せるだろうか。
高校生でも、身分証が無くても、働けるところなんてあるんだろうか。
自分が非力であることを思い知らされ、また涙が出る。
とにかく、人が集まる所に行こう。こんな生活から逃げ出せるならどこでもいい。
誰か、救いの手を差し伸べてくれる人がいることを信じて。
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