乙女な騎士の萌えある受難

悠月彩香

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外伝

第2話 幸せの迷図

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 昼食は執務の合間に済ませ、侍女の淹れてくれた茶を飲みながら、各所からの報告書に目を通していたときのことだ。
「陛下、お仕事中に失礼いたします」
 執務室に入って来たのは、騎士の姿から王妃の姿に戻ったルディアだ。とはいっても、彼女の好むのは布がたっぷりふくらんでいるようなドレスではなく、細身で動きやすいものだ。結婚した直後、外国の使節から贈られた中にそういった意匠のドレスがあり、それがかなり気に入ったようだ。
 おかげで宮廷中では今、この形のドレスが流行している。一部で残り続けていたコルセット文化も、ついに滅亡したといえるだろう。
「やあ、ルディアンゼ。今朝の雄姿はしかと見せてもらったよ」
 妻を迎えるために席を立ったが、彼女は浮かない顔をして戸口に立ち尽くし、執務室内を見回している。
「どうした?」
「キリアさま、こちらにディルアーツがお邪魔していませんか?」
「いや、来てないよ」
 王子とはいえ、まだ分別のつかない子供だ。極力、執務室には入れないようにしている。子供の遊び場にはできない場所だ。
「昼食のあとでちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまって……申し訳ありません。今、心あたりのある場所をみなに探してもらっているのですが」
「またか」
 ディルアーツは好奇心の旺盛な子だ。城には物珍しいものもたくさんあるし、ひとりでどこかへふいといなくなってしまうことは割と多い。常に傍に誰かがいるようにはしているのだが、子供とは、大人のほんの一瞬の油断をついて姿を眩ませてしまうものだ。この数年で俺も身をもって学んだ。間諜の才能でもあるのではないかと感心するほどだ。
「とりあえず宮廷警備班に連絡して、出入り口をおさえてもらうといい。城の中にさえいれば心配はないだろう」
「はい。本当に申し訳ありません」
 しゅんとするルディアの頭を撫で、首を振った。
「仕方ないよ、子供のすることだ。俺も子供の頃はよく城の中で行方をくらませた」
「ああ、アルベス老から聞いたことがあります。キリアさまはかくれんぼが大の得意でいらしたとか」
「アルベスめ、余計なことを吹聴してくれる」
 むくれて見せると、ルディアが目を細めて俺を見上げたので、結婚前よりはふっくらとした頬にキスをする。すると昔と変わらずルディアは頬を染めた。
「ディルアーツもおやつの時間になれば出てくるだろう。そんなに心配しなくていいよ」
「そう、ですね。私ももうちょっと探してみます。お邪魔しました」
 ルディアを見送って仕事の続きに取りかかる。
 このときはよくある日常の一コマと深く気にも留めずにいたのだが、珍しく誰にも邪魔されることなく集中して執務をこなしていた俺の元に、侍女のミミティアが明かりを持って訪れた。いつの間にやら夕方になっていたようだ。
「ひとりの客もこないなんてめずらしいこともあるものだね、ミミティア」
「それが、キリア陛下」
 女性騎士の立ち合い稽古を観戦し、黄色い悲鳴をあげていた人物とは思えない曇った表情でミミティアは言った。
「ディルアーツ殿下のお姿が見えないのでございます」
「昼過ぎにルディアからそんなことは聞いたが、それからずっと?」
「はい。今、城中で捜索を行っておりますが、まだ見つかっておりません。キリア陛下のお邪魔になってはと、ルディアンゼさまもおひとりで裏庭や厩まで探しにゆかれていて……」
 ルディアンゼも城内の構造には明るいはずだが、それでもみつけることができなかったのか。窓の外を見れば、陽が傾いて西の空が日中の残照をほのかに残す時刻で、じきに完全な日没だ。城の中には明かりのつかない場所がいくらでもある。
「余も探そう。暗くなると大変だ」
「申し訳ございません」
「いや、王子がみなに迷惑をかける。すまないな」
 執務室を出ると、近衛騎士隊長のアウレスがすぐさまとんできた。
「ディルアーツが見つからないって?」
「は。誠に申し訳ございません。宮廷警備、近衛騎士隊以下、宮廷内の人々に通達して各所を探させておりますが、未だに……」
「城の外へ出た形跡はないのか」
「それはございません。正門はもとより裏門、勝手口にいたるまで厳重に警備しております。日常から出入りする者の荷も検めておりますので、殿下は城内におわすかと」
 以前、城内にイフリーズ王子の手下の者が入り込んで以来、いいのか悪いのか城内への出入りはかなり厳重になっている。捜索を行った場所について報告を受けながら、正面の広間にいるルディアンゼの元へ行くと、彼女はさすがに憔悴した顔で俺の傍へと走ってきた。
「キリアさま……!」
 半べそのルディアンゼの頭を撫で、捜索隊にくわわっていたラグフェスからも詳細を聞く。主だった場所はもちろん、庭に点在する倉庫やあずまやもくまなく探したそうだ。
「姿をくらませたのは昼食の後か。食堂で?」
「いえ、私の部屋で一緒にいただきました。ミミティアたちに後片付けを頼んだ後、ラキアンス隊長と来期の編成について打ち合わせをしようと、資料をそろえるために執務室へ入って、ほんの一瞬、目を離してしまったんです。ものの一分も経ってはおりませんでしたが……」
 ルディアは悔いるように拳を握ったが、目を離したともいえない短時間だ。屋外のことならともかく、室内なら仕方がない。しかも相手は一歳や二歳の幼児とはわけがちがう。
「……もう一度、いなくなった場所から探してみよう。ルディア、おいで。他の者は一階と庭を重点的に、とくに出入り口には注意していてくれ」
「かしこまりました」
 こうしてルディアを伴って王妃の私室へと上がった。ここはルディアが自由に使っている部屋で、ディルアーツが生まれてからはもっぱら、子持ちの宮女たちが、子供を連れて訪れるこども広場と化しているが、奥の書斎は執務や打ち合わせで利用している。
「窓から出た形跡はないよね?」
「それはもう。昼時は窓は閉まっておりましたし、窓やその下も念入りに確認しましたが、ディルアーツが出て行ったり落下した形跡はありませんでした。扉から廊下へ出て行ったんだと思います」
 廊下はルディアの部屋の前から左右に伸びている。左へ行けば三階に降りる階段があり、出入り口には警備が立っている。右へ行くと国王夫妻の寝室とディルアーツの子供部屋があるが、日中は無人になるのでとくに警備は置いていない。どのみち、三階の入り口をふさいでしまえばここへ侵入するのは不可能だ。
「階下で警備につかまらなかったのなら、自分の部屋か寝室のどちらかか」
「一応、大浴場まで探してはみました」
 子供部屋に入ってみたが、ベッドもクローゼットの中も無人で、それは俺たちの寝室も同じだった。
「あいつが遊んでいたような形跡はないな」
「まさか城内でこんなことになるなんて……本当に申し訳ございません、キリアさま」
「そんな謝罪は不要だ。むしろ、ルディアも忙しいのにディルアーツの世話を任せきりにしていた。申し訳ない」
 ルディアの藍色の瞳には涙があふれる寸前まで溜まっていて、どれだけ胸を潰していたのかがありありとわかる。
「午前中に母の雄姿を見て、あいつはさぞや興奮していただろうな」
「……はい、ずっとおもちゃの剣を振り回していました。食事が終わってからも、すぐに剣を持って走り回っていて……」
 ディルアーツもそういうところは子供らしい子供だ。病がちだった俺とは似ても似つかない。このあたりはルディアンゼの遺伝でまちがいないだろう。
「ナルサーク村いちばんのガキ大将だったルディアスとしては、ディルアーツの行動がなんとなく読めるんじゃないかい?」
「――そんないじわるなことをおっしゃらないでください、キリアさま。さすがに五歳の頃の記憶なんて」
 泣き笑いするルディアンゼがかわいくて、こんなときだというのに、おもわず唇を重ねてしまう。
 そのときだった。
 どこか遠いところから、かすかな子供の泣き声が聞こえてきた。キスをしたまま彼女と目を見合わせ、廊下に飛び出す。
「ディルアーツ!?」
 声は下の方から聞こえてくるような気がする。耳を澄ませ、漠然と方向に見当をつけるが、はっきりした声は聞こえてこない。広い空間で反響しているようにも聞こえた。
「浴場へ降りる階段のほうから聞こえないか?」
「何度も見て回ったはずですが……」
 壁沿いに階下へ続く階段のほうへ進んだ時のことだ。ある一部分の壁が剥離して、よく見ると床が砂だらけになっている場所があった。
「ディルアーツが剣を振り回したせいでしょうか、こんなところにくぼみが……」
 一ヶ所、不自然に穴の開いた場所があり、ルディアがそれに触れると、なんと剥離した壁が向こう側に開き、そこに入り口が出現したのだ。
「キリアさま!」
「なんだこれ……隠し扉……?」
 長く城に住んでいるが、こんなあやしげな仕掛けがあるだなんてついぞ知らなかった。恐る恐る、その穴に首をつっこんでみると、下へ降りる階段が続いていた。
 中は外の明かりが入り込むように設計されているらしく、うっすらとした明るさがあった。もっとも、そろそろ日没なのでだいぶ暗いが、日中なら明かりを持っていなくても行動できるかもしれない。
「ディルアーツ!」
 中に呼びかけると、自分の声が反響して戻ってきたが、すぐに「父さま!」とディルアーツの泣き声が戻ってきた。こんなところにいたのか。
「ルディア、誰か応援を呼んできてくれ! 男手がいい」
「わかりました! キリアさまは」
「俺は中に入ってみる」
「では、せめて明かりをお持ちください。お気をつけて」
 ルディアは廊下を照らしていたランプを外して、俺に手渡してくれた。彼女のこういうところが実際的で好ましいところだ。ドレスの裾を翻してルディアが走り去ると、俺はランプ片手にその小さな穴に屈んで入り込んだ。

   *

 城には隠し通路が存在するというのは、伝説的に語り継がれるものだが、アルバトスの王族として生を享けた俺に、隠し通路なるものの知識は存在しない。親からも聞かされたことはないし、童話の類だと思っていた。
 だが、王の私室付近から伸びるこのあやしげな階段、位置的にいえば下は裏庭に面しているはずで、案外と王族の脱出口として造られたものなのかもしれない。
 だが、暗い上に螺旋階段で、手すりの類もついていない。壁伝いに進んでゆかなければ落下してしまいそうだ。暗がりで見通しは悪いが、ここは建物の四階部分である。相当な高さがあるはずだ。
「ディルアーツ、どこにいる!」
「父さま! 父さま!」
 もっと下の方か。
「いいか、父さまが行くまでそこを動くんじゃないぞ!」
 足を踏み外して落下したりはしていないだろうか。俺の声を聞いてすこしは安堵したのか、泣きじゃくるような声は聞こえなくなったが、暗闇の中で怖い思いをしたのだろう、だいぶ怯えているようだ。
「ディルアーツ、今どこにいる? 怪我はないか?」
「怪我はしていません、でも怖くて……」
「大丈夫だ、すぐに行って抱っこしてやるからな」
 足早に、だが慎重に壁を伝って長い螺旋階段を降りると、最下層へ到着したようだった。ランプを掲げ持って見回すが、ディルアーツの姿は見えない。外はもう陽が落ちてしまったようで、外からの明かりはまったく射さなくなってしまった。
「ディルアーツ、父さまが見えるか? ランプを持ってる」
「見えます! 僕、父さまより高いところにいます!」
「高いところ?」
 辺りには古い倉庫のようなにおいが充満する。埃っぽいが、空気は流れているようだ。足許は石が敷き詰められていて砂っぽい。
 ディルアーツの声を頼りに進みながら辺りを照らすと、正面の壁に何かが見えた。
「これは……」
 壁際に寄ってランプを掲げると、それはたくさんの武具が並べられた棚だった。どれもこれも埃まみれだが、剣や盾、槍、斧、鎧など、ありとあらゆる武具が綺麗にならべられている。武器庫なののだろうか。
 そして、棚の最上部にディルアーツの姿。俺の身長よりもはるかに高い位置で、そこに置いてあった兜に抱きついて泣き顔を俺に向けていた。
「父さま!」
「そんな高いところにひとりで上ったのか、すごいじゃないか」
「ここでお昼寝してたら……真っ暗で……」
 ランプでぼんやり照らされたディルアーツは、ふだんの小生意気な表情をなくし、しゃくりをあげながら俺を見ていた。
「すぐに下ろしてやるからな」
 棚に触れてみたところ、固定されてはいないようだったから、俺がよじ登ったら倒れてきそうだ。
 だが、ディルアーツは俺が悠長に下ろす方法を考えているのを待ちきれなかったらしい。「はい!」と大きな声で返事をするなり、俺めがけて飛び降りてきたのである。
「うわぁっ」
 いきなりのことでさすがに慌てたが、急いでランプを放り出して反射的に手を伸ばす。腕にずしりと衝撃が走ったが、なんとか息子の幼い身体を受け止めることができた。
 ――自分の身長よりはるかに高い場所から落ちてきた五歳児の体重を支えるには、かなりの筋力が必要で、瞬間的にその力を出し切ったせいで、勢い余って後方にもんどりうってしまった。
「いてて……ディルアーツ、怪我はないか?」
「ありません!」
 はっきりと返事をしつつも、俺の身体にぎゅっと抱きついて大声をあげて子供らしく泣いている。
 普段は賢しげな口ばかり利く息子は、まだまだ幼かった。ぎゅっと抱きしめてやると、小さな体が震えていて、必死に俺にしがみついてくる。かわいいところもあるじゃないか。
 そんなとき、ルディアが呼んできた応援がやってきた。彼らが持つたくさんのランプに照らされて、ようやく辺りの様子がはっきりと見えてきた。
「陛下、ご無事ですか! ディルアーツ殿下は!」
「ああ、みつけた。無事だ!」
 ラグフェスとルディアが真っ先に駆けつけてきて、ディルアーツの姿を見て安堵したように胸をなで下ろした。
「ディルアーツ! よかった!」
 ルディアが真っ先に、俺の腕に収まり返っているディルアーツの頭を撫で、その髪や頬にキスをする。ディルアーツは母の姿を見るなり、俺などそっちのけでルディアに抱きついた。
「母さま……!」
 俺の役目はここまでだ、母親にかなうはずもない。苦笑して立ち上がったが……。
(ん、ちょっと、これは……)
 そんな俺の逡巡など知らず、ラグフェスが周囲を見回した。
「それにしても、ここはいったい」
 俺より城のことには詳しそうだが、彼もこんな秘密の部屋の存在に心あたりはないようだ。
「火急の際の脱出路のようなものだろうな。おそらく外につながる出口があるはずだ。ラグフェス、後日ここを調査してくれ」
「かしこまりました、陛下。内密の調査といたしますか?」
「いや、大っぴらにやってくれて構わない。もし外へとつながっているようであれば、ふさいでくれ」
「よろしいのですか?」
「こんな危険な場所で子供になにかあっては困る。幼子の周囲にある危険はすべて取り除く」
 この部屋の存在を知っていれば、外へ出ていくのもたやすかったんだろうなあ。そう思うともったいない気もするが、今の俺には必要ないものだし、実際のところ、こんな場所に入り込んだディルアーツが無事だったのは奇跡だ。子供の命に代えられるものなどない。
「では、そのように。今日のところはいったん引き上げることにいたしましょう。王子殿下、お母上が抱っこで階段をあがるのは大変ですから、わたくしが背負ってまいりましょう」
 ディルアーツのすごいところは、この見るから怖そうな副将軍にも物怖じすることなく、背中によじのぼったり足元にまとわりついたりと、まるで遠慮がない。ラグフェスもラグフェスで、子供の世話など不慣れそうだが、なかなかどうして子供のあしらい方はうまかった。
「ありがとうございます、ラグフェス副将軍。ですが、今日はお父さまにお願いしたいと思います」
 聞きわけがいいのは彼の美点だ。それに珍しく俺を頼ってくれるなんて、うれしいじゃないか。だが……。
「すまん、ディルアーツ。父さまはもう、おまえの役には立てないようだ……」
 ラグフェスの照らすランプの明かりに右手をかざすと、俺の右手首は赤く腫れ上がっていた。ルディアが悲鳴を上げる。
 さっき、ディルアーツを受け止めたときに手首に負荷がかかったのだろう。折れていなければいいが、明日からの執務に差し支えるだろうなあ、これでは。
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