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1巻
1-3
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◆◆◆
私の中の一番古い記憶――……それは、三歳になったばかりの頃。
誕生日パーティーのために、私とジュリーは子ども部屋で遊んでいた。
その頃の家族仲は良かったと思う。お揃いの服を着て、お揃いの髪型にして、私とジュリーは仲良しの姉妹だったはずだ。……ちょうどジュリーが何でもかんでもお揃いは嫌だって駄々をこね始めた頃だったから、姉妹仲については、ちょっと自信がないけど。
『やっぱり私たちの子は最高に可愛いわね』
『ああ、どちらも天使のようだ』
『えー、また――とお揃いやだ~!』
『なにを言っているの。お姉ちゃんとお揃いで可愛いじゃない。ああ、本当に可愛い、私の――とジュリー! 私とパパの良いところをバッチリ引き継いでくれたのよね!』
ぎゅうっと抱きしめられて、『誕生日おめでとう』と両親からお祝いの言葉をもらった。そして私はお父様に、ジュリーはお母様に抱っこされて食堂へ向かい、誕生日パーティーが始まった。
美味しい料理とケーキをたくさん食べて、満腹になった私たちは眠くなって、すぐに眠ってしまった。いつもより早い時間に眠ってしまったからか、夜中に目が覚めた。それは、ジュリーも同じだったようで、私たちは水を飲みにキッチンへ歩いて行った。
『あれ、ねえ、おねーちゃん、あれなぁに?』
『……本、かな? おもそうだね……』
キッチンの床にぽつんと置かれていた本に、ジュリーが気付いた。その日は満月だったから、窓に差し込む光でなんとか本が読めるくらいの明るさだった。……とはいえ、まだ簡単な文字くらいしか教わっていなかったから、読める場所を競い合うように探した。
そのうちに、魔法陣のような挿絵が見えた。魔法陣を見るのは初めてだったけれど、大人が魔法を使っているところをたまに見ていたから、それが『魔法陣のようなもの』だとわかった。
『なんだろ、これ?』
『ふたつあるね。なんだろ? ええと、たから……いし……め、の?』
私が下の魔法陣に触れて、ジュリーが上の魔法陣に触れて、読める場所を探す。ジュリーが『火?』と呟いた瞬間、その魔法陣から勢いよく火が上がった。
ジュリーが危ない。そう思った私はジュリーを力任せに引っ張った。その反動で本の近くに行ってしまい、火が左頬に触れた瞬間、ぶわっと熱が広がった。
『キャァアアアッ!』
『お、おねえちゃん!』
静かだった家が、一気に騒がしくなった。お父様とお母様、使用人たちが叫び声に気付き、慌てたように駆け寄った。私の顔の半分が火傷を負ったことに気付いたお母様が、『ひっ!』と短い悲鳴を上げた。
『うそ、うそよ……。わたし、私の子がこんなことになるなんてっ!』
『今はそんなことを言っている場合ではないだろう! 早く子どもたちを助けるんだ!』
思えば、あの頃はきちんと愛されていたのだろう。お父様と使用人たちで助けてくれたし、手当てもしてくれた。唯一手出しが出来なかったお母様も、何度も私の名前を繰り返していたから、私が大事だったからこそショックで動けなかったのだとわかる。
そして、その翌日、お医者様から完璧に治すには莫大な治療費がかかると伝えられた両親は、私に『ごめんね』と謝った。ファロン家は子爵家で、更に経済的には平民が一代で成り上がった大商会とあまり差がなく、お金がないとまでは言わないが私一人にお金をつぎこめば家が傾くことは幼心にもわかっていた。だから私は小さく頷いた。仕方のないことだと思ったから。
『ジュリー、なにがあったのか、教えてくれないか?』
『ジュリー、悪くないもん! おねえちゃんが勝手にやけどしたんだもん!』
ジュリーはひたすらに、自分は悪くないと主張した。あのままではジュリーが火傷を負っただろうけれど、助けてなんて一言も口にしていない、勝手に庇ったのだ、と。
そのうちに、ジュリーはおかしくなっていった。外を歩けば自分の姉が火傷を負ったことを多くの人たちが知っていて、その症状がどんなものなのかを聞いてくる。そして、完璧には治せないとジュリーが話すと、『可哀想に、女の子なのに』と私が同情される。……ジュリーの中では、勝手に火傷を負って同情を買っている姉に見えたのだろう。
『……ジュリーは悪くない。悪いのは、おねえちゃんなの。おねえちゃんがあの夜、水を飲みに行く時にジュリーを誘ったから。ジュリーは悪くない! 悪くないの!』
そして、ジュリーは変わった。可愛らしいドレスを着て、リボンで髪を結んで、やつれたお母様に『見て、お母様。ジュリーは可愛いでしょう? おねえちゃんの顔は酷いけれど、お母様にはジュリーがいるよ』と笑いかけるようになったのだ。
最初は『やめてちょうだい、ジュリー。あなたが可愛いのはわかっているわ……』と言っていたお母様だけれど、そのうちに段々と、私の顔を見ると眉間に皺を深く刻み、顔を背けてしまうことが多くなった。
ジュリーが可愛くなればなるほど、お母様の関心はジュリーに移っていった。お父様もそうだった。たまに買ってくるアクセサリーはすべてジュリーのもの。
私のお目付け役と称した監視を雇ったのは、私を外に出したくないから。その女性も、私のことを見てイヤそうに表情を歪めていた。それが、十年間、続いた。
『お姉様が惨めであればあるほど、私が輝けるの。良かったね、お姉様。そんな顔でも役に立てて。あは、アハハハハハハッ!』
天井裏に部屋を移された時、ジュリーはそう言って恐ろしいほどの綺麗な笑顔で、勝ち誇ったかのように笑い声を上げた。
あんなに何もかも同じだったあの子はもう、私にとって、何を感じ何を考えているのか、全く理解出来ない存在になった。
私が話し終えると、ため息が聞こえた。……やっぱり、こんな過去を持つ私は冷遇されて当然と言われるかしら……と恐る恐るアンダーソン家の方々の反応を窺う。
「……よく、耐えたね……」
アルフレッド様がぽつりと呟いた。とても心配そうなまなざしを受けて、私は何も言えなくなる。黙って話を聞いていたエドワードくんが、ぴょんと椅子から降りて私に近付くと、そっと手を握った。
「いたかったですよね、いまも、いたい?」
「……たまに、痛むけれど……、もう、平気だよ」
本当は子爵家の私はエドワードくんに対しても敬語を使うべきなんだろうけど、難しい話はわからないようだし、これから解消されるとしても一度は迎え入れてくださるという話だったし、簡単な言葉を使わせてもらう。
抱きしめられながら話していたから、マリアお母様の体温が感じられて、なんだか心強かった。
眉を下げて私を見上げるエドワードくんを安心させるように、すっと手を伸ばして彼の頭を撫でていると、ガバリとマリアお母様が私から離れ、涙で滲んだ目を見つめられた。
「……いいえっ、平気なはずがないわ! 安心して、エリザベス! その火傷痕、絶対に治してあげるから!」
何かの使命に燃えているかのように熱いまなざしを向けられ、目を瞬かせる。
「あ、あの、私にそんなにお金をかけてくれなくても……」
「あら、あなたはわたくしたち、アンダーソン家の娘になるのよ? 娘にお金をかけたっていいじゃない。それにわたくし、ずぅっと娘が欲しかったから、嬉しいわ!」
「あー、妻がすまんね。でも、俺らも大歓迎だ。なあ?」
旦那様の言葉に、全員が頷いた。私、本当にここにいていいの……?
みんなが立ち上がって、私の元に近付いた。そして、優しく頭を撫でたり、手を握ったり、肩に手を添えてくれた。……温かい。心の中が、ぽかぽかと温かくなる。
「――ぁ、ありがとう、ございます……!」
悪夢を見て流した涙とは、違う涙が溢れた。知らなかった。人って、嬉しくても涙が出るんだって……! ぽろぽろと涙を流す私の目元を、シリル様が拭ってくれた。
「あ、すみません、シリル様……」
「もう家族になるんだから、『シー兄様』って呼んで?」
「……え、と……。シー兄様?」
嬉しそうに微笑むシリル様。羨ましそうな旦那様とアルフレッド様。そして、そんな家族を見て不思議そうにしているエドワードくん。
……どうやら、アンダーソン一家は本気で私を『家族』として迎えてくれるみたいだ……
「さて! それじゃあ泣いた分、たくさん水分を摂らなきゃね。お茶はぬるくなっちゃったでしょう? 取り替える?」
「い、いいえっ! いただきますっ!」
「そう?」
みんなが離れて、代わりにお母様がカップを持たせてくれた。こくりとお茶を飲む。味があるお茶を飲んだのは久しぶりだ。おいしい……
「甘いものは好きかしら?」
「……ええと、たぶん、好きです……」
「たぶん?」
「十年間、食べていないから……」
「たくさんお食べ!」
「あなたっ! おやつはほどほどに!」
そんな会話を繰り広げるアンダーソン一家に、思わずくすっと笑ってしまった。それを見たアルフレッド様が、「笑った!」と嬉しそうに声を弾ませた。私は慌てて口元を隠そうとしたけど、手を取られた。
「リザ、笑おう? これからリザはたくさん幸せになるんだから、笑わないと!」
「アルフレッド様……」
「自己紹介の時に言ったでしょ。『アル兄様』だよ、リザ」
「……アル兄様、ありがとう、ございます」
アンダーソン家の優しさがとても嬉しくて、嬉しくて……。変な笑顔になってしまったけれど、アル兄様は満足そうに微笑んだ。そのやり取りを見ていたお母様が、ふと私と視線を合わせて首を傾げる。
「……エリザベス、あなたの目なんだけど……。ちょっと確認させてちょうだい? あなた、きちんと色が見えている?」
心配そうに私を見つめるマリアお母様に、声が出なかった。代わりに、喉がひゅっと鳴る。
「あ、の……?」
「うちは大体の人が金髪で碧眼なのよ。ジャックは婿養子だから違うけど。……ジャック以外は金髪碧眼なの。見えている?」
「……え、と、はい……」
小さく頷くと、マリアお母様の眉がぴくりと動いた。私と視線を合わせて、じっと見つめる。
「よく見て、エリザベス。わたくしの目は、碧眼かしら?」
「は、はい……」
私が返事をすると、みんな驚いたように目を丸くした。
「……あ~、これは、うん」
「見えてない、ね」
……私は、間違えてしまった? 次にどんな言葉をかけられるのかがわからなくて、ぎゅっとカップを握りしめた。
「……嘘よ。いえ、金髪なのは本当よ。でもね、わたくしたちの目の色は、赤なの」
「同じ目の色ってことで、シンパシーを感じて思わずプロポーズしたんだよなぁ」
「真っ赤なバラを抱いてね。何事かと思ったわ。……エリザベス、本当のことを教えてちょうだい?」
マリアお母様に優しく肩を叩かれて、私はおずおずと口を開いた。
「えっと、あの、ごめんなさい……。三歳くらいまでは色が見えていました。……でも、今は、全部……白とか黒とか、灰色に見えます……」
人の表情はわかるけれど、色までは……。すべてが白黒の世界だ。お母様が「やっぱり」と小さく呟いた。
「母上、『やっぱり』とは?」
「この子の目、魔法がかけられているのよ。色が見えないのは心の問題かもしれないし、目にかけられた魔法が関係しているかもしれないの。カーラに調べてもらっているわ」
みんなが納得したように頷いた。そして、アル兄様が考えるように顎に手を置いて目を伏せた。
「では、リザには補佐役が必要ですね。この体を健康にするためにも」
「そうね。後でお姉様に聞いてみるわ」
お姉様……? と首を傾げると、マリアお母様はふふっと微笑んで私の頭を撫でた。
「わたくしのお姉様はね、この国の王妃なの」
私は目を大きく見開いた。多分、王妃様のご姉妹なんて、これは社交界では常識のはずだ、誰もが知っている知識も危うい自分を恥じると同時に、学べる環境になかったのだろうと察してさらりと教えてくれたお母様をありがたく思う。そして、そんなお母様と一緒に育ってきた王妃様はどんな人なのだろうと考えた。
「それはともかく、まずは体を優先させないとね」
「そうだな、ガリガリだもんな。いっぱい食べるんだぞ、リザ! あ、でもまだ固形物は早いかな?」
「それじゃあ、甘い飲み物にしましょうか」
「わ、私なら大丈夫です……! 出された料理はどれも、とても美味しかったので……!」
「だーめ。わたくし、とことん甘やかすって決めましたから!」
そう言って笑うマリアお母様に、みんなで笑い合った。そんなに甘やかされたら、溶けてしまいそう。こくこくとお茶を飲み干すと、すぐに甘い飲み物が用意された。
「お菓子食べてみる?」
問われて、首を横に振る。さっきは大丈夫だと言ってしまったけど、正直なところ、飲み込む力に不安を覚えたから。渡された甘い飲み物――ココアだけを頂くことにした。
「そういえば、どんな風に見えるの? 朝や夜はわかる?」
「え、ええと……太陽の光や月の光はなんとなくわかるので、朝か夜かはわかります」
世界が灰色に見えていても、太陽と月のおかげで朝なのか夜なのかは判断出来る。
「そっかあ。リザの目が治ったら、どんな風に世界が広がるのか、楽しみだね」
「……はい、楽しみです」
アル兄様の言葉に、頷いた。
あの日からずっと、白黒の世界で生きていた。色が判別出来ていないことについて、ずっと同じ屋敷にいた実の両親や子爵家で働いていた使用人たちにさえ、一度もばれなかったのに、どうしてこの家の人たちはすぐに気付いてくれたんだろう。
……違う。あの人たちは、同じ屋敷にいただけで、私のことが心底どうでもいい人と私が嫌いな人しかいなかったから……だからこそ、こうして『私』をちゃんと見てくれるアンダーソン家の人たちには、あっさりとバレたのね。
「……あの、たくさん、名前を呼んでください。それが私の名前なんだって、感じたいんです……」
温かくて甘い飲み物を一口飲んでから、カップをテーブルに置き、もう一度きゅっと胸元で手を組んでお願いした。すると、公爵家の人たちは私の新しい名前をたくさん呼んでくれた。
――私、この家で……生まれ変わった気持ちでがんばろう。
あの家の人たちは、私のことが嫌いなのだから……
そんなに嫌いなら、私は消えることを選びます。
私はあの家の怒りや不満の捌け口じゃない。
会って二日の人が気付けることに気付けない人たちなんて、家族じゃない。
エリザベス・アンダーソンとして、生きていく。
そう――心に強く、強く刻み込んだ。
たくさんココアを飲んで、たくさん新しい『家族』と話して、楽しい時間はあっという間に終わりを告げた。
「まだ体調が本調子ではないのだから、まずは体をしっかりと休ませてから、体力を付けましょうね」
マリアお母様の言葉に、首を縦に動かした。椅子から立ち上がり部屋に戻ろうとして、いつも使わせてもらっている部屋はどこかしら? と立ち止まる。
「あの、私が使わせて頂いている部屋の場所は……」
どこですか、と続けようとしたら、ハッとしたような表情を浮かべるみんな。そして、「ちょっと待ってて」とじゃんけんを始めた。最終的に、じゃんけんで勝利したシー兄様がひょいと私を抱き上げた。
「あ、あの、歩けま……」
「ダメ。まだ本調子じゃないんだろ? ああ、そうそう。昨日は会えなくてごめんね。深夜に帰ってきたんだ」
「……帰ってきた?」
「シリル兄様は王国騎士団で働いているんだよ!」
シー兄様を自慢するように、アル兄様が明るく教えてくれた。誇らしげに胸を張るアル兄様に、兄弟仲が良いんだなって思った。シー兄様がどのくらい強いのかを身振り手振りで伝えてくれるアル兄様に、シー兄様は「はいはい」と軽く笑いながら受け流している。
後ろから、ジャックお父様がシー兄様に声をかけた。
「そろそろ隊長クラスになれるんじゃないか?」
「やめてください、こんなに可愛い妹が出来たのに、隊長なんて」
「……か、かわ、かわ……!?」
仮面をしているとはいえ、私の顔は本来なら誰にも見せられたものじゃないくらい醜い。ずっとそう思っていた。だから、『可愛い妹』と言われて困惑したのと同時に嬉しかった。
「でも、シリル兄様が隊長になったら、最年少の隊長になるのでは?」
「だからイヤだって……。オレは隊長に向いてないしさ」
「最年少?」
「ああ、年齢は言ってなかったね。オレは十七だよ。あと少しで十八だけど。ちなみにアルがきみの一個年上の十四歳、末っ子のエドは六歳」
長兄と末っ子で結構な年齢差があるのね……
「シリル兄様の誕生日まであと二ヶ月なんだ! ……あ、そうだ。お父様、お母様! シリル兄様の誕生日パーティー、今年はどこでやるんですかー!」
パタパタとジャックお父様とマリアお母様に近付いていくアル兄様に、私は首を傾げた。……アンダーソン家の誕生日パーティーは豪華そうだなぁ、と考えているとシー兄様がぽつりと呟いた。
「……いろいろ考えてそうだな、アル……」
「考えている、ですか?」
「アルはああ見えて結構策士なんだ。まあ、悪いようにはならないから安心して。うちはちょっと特殊な一族だし」
「……? 特殊とは……?」
「そこら辺は母上から聞いて。一番詳しいから。それと、たぶんオレの誕生日パーティーがきみの初舞台になるよ。『エリザベス・アンダーソン』としてのね。……っていうか、家族なんだからその敬語やめような」
「……努力しま……、ど、努力するっ」
がんばって敬語じゃない言葉で返すと、「うん、いい子」とシー兄様は綺麗に笑った。その表情はとても優しげだ。
シー兄様は私を部屋まで……正確にはベッドまで運んでくれて、そこからはリタがまた着替えを手伝ってくれた。私が着替えている間、シー兄様は部屋の外で待っていてくれた。着替えが終わると中に入り、私をベッドに寝かせると、眠りにつくまで頭を撫でてくれた。
仮面を外した私の顔を見て、少し眉を寄せて何かを耐えるように唇を噛み締めたけれど、何も言わなかった。ただ、優しく頭を撫でるシー兄様の手の感触に、私、頭を撫でてもらうのが好きだなぁって思った。ずっと撫でてもらっていないから、余計にそう思うのかもしれない。
目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。――今度は、悪夢は見なかった。
そして、翌日から本格的に治療を始めた。
朝、顔を洗ったら顔に薬を塗って、ご飯を食べて、風邪薬を飲んで、横になる。それを二週間ほど続けると、体が前よりもふっくらとしてきた気がする。骨と皮ばかりだった手がふくふくとしてきて、なんだか不思議な気分だった。
二週間もほぼ寝たきりの生活をしていたから、歩くのにも苦労した。最初はリタに手伝ってもらいながら、部屋の中を歩いた。目標の歩数を歩くまでは、絶対にやめなかった。
固形物も食べられるようになった。柔らかいパンを食べて、パンってこんなに美味しいんだと感じた。ミニトマトやアスパラなどの野菜、鶏肉や豚肉などのお肉類も食べられるようになった。
そんな生活を送っているうちに、段々と火傷痕が気にならなくなった。ここで暮らしていると、自分が年相応の振る舞いが出来ると気付いたからかもしれない。
アンダーソン家の人たちはもちろん、働いている人たちも私に良くしてくれたから、なんだか心がくすぐったい。誰かに優しくされると、空っぽだった心が満たされていくような感覚になる。
さらに二週間が経過して、一ヶ月ぶりにお医者様が屋敷を訪ねた。見たことのない老人と、私と同じくらいの年齢の男の子を連れて。
「すっかり元気になったようね! 魔法の解析、終わったよ!」
お医者様は明るく、そう言った。
魔法の解析……。私の目にかけられていたという魔法のことだろう。一ヶ月で解析が出来るなんて……!
ローブを着た老人は私をじっと見ていた。
「紹介するね、こちらは宮廷魔術師長のクリフ様。そしてこちらは――」
「カーラ、ぼくから挨拶をさせてください」
男の子はそう言って、私に近付いた。視線を合わせるとにこりと微笑み、口を開く。
「初めまして、レディ。ぼくはヴィンセント。よろしくお願いします」
「は、初めまして。エリザベス・アンダーソンです。よろしくお願いします」
柔らかな口調で挨拶をされ、僅かに声が上擦ってしまった。
「お近付きのしるしに」
ヴィンセント様が立ち上がり、私の顔に手を近付けて、パッと花を取り出した。……バラ、かな? 甘い香りのする花を受け取って、「ありがとうございます」とお礼を伝えると、嬉しそうに微笑んだ。
「……うん、うん。それじゃあ、始めるかね?」
「あ、あの……今から、なにをするのですか?」
「目の魔法を解除するんだ。大丈夫、あたしたちを信じて」
真剣な表情のカーラ様に、私はこくりと頷いた。大丈夫、怖くない。
「……で、扉の前に立っているやつらは入れんのか?」
「……一応、治療ですからね、これ!」
ちらりとクリフ様が扉へ視線を向けた。そして、カーラ様に対して扉を指しながら尋ねる。カーラ様は呆れたように肩をすくめた。扉の向こうから、人の気配がする。それも何人も。
私はその様子を見て、くすくすと笑った。それを見たカーラ様が、ぽんっと私の頭に手を乗せてくしゃりと撫でた。
「笑えるのはいいことだね」
「はい。……あの、私なら大丈夫ですので、みなさんに入ってもらってください」
「……まったく。患者からの許可が出た! 入ってきな!」
カーラ様が扉に向かい大きな声を出すと、扉が勢いよく開き、アンダーソン一家が一気に部屋になだれ込んできた。みんな、心配して来てくれたのだろう。私に近付くと、心配そうに顔を覗き込んできた。
カーラ様がパンパンと両手を叩き、自分に注目させる。
「これより目の魔法を解除します。お嬢ちゃんも、お前らも大人しくしているんだよ!」
そう宣言して、私とアンダーソン一家を見つめる。こくり、とみんなで頷いた。
私の中の一番古い記憶――……それは、三歳になったばかりの頃。
誕生日パーティーのために、私とジュリーは子ども部屋で遊んでいた。
その頃の家族仲は良かったと思う。お揃いの服を着て、お揃いの髪型にして、私とジュリーは仲良しの姉妹だったはずだ。……ちょうどジュリーが何でもかんでもお揃いは嫌だって駄々をこね始めた頃だったから、姉妹仲については、ちょっと自信がないけど。
『やっぱり私たちの子は最高に可愛いわね』
『ああ、どちらも天使のようだ』
『えー、また――とお揃いやだ~!』
『なにを言っているの。お姉ちゃんとお揃いで可愛いじゃない。ああ、本当に可愛い、私の――とジュリー! 私とパパの良いところをバッチリ引き継いでくれたのよね!』
ぎゅうっと抱きしめられて、『誕生日おめでとう』と両親からお祝いの言葉をもらった。そして私はお父様に、ジュリーはお母様に抱っこされて食堂へ向かい、誕生日パーティーが始まった。
美味しい料理とケーキをたくさん食べて、満腹になった私たちは眠くなって、すぐに眠ってしまった。いつもより早い時間に眠ってしまったからか、夜中に目が覚めた。それは、ジュリーも同じだったようで、私たちは水を飲みにキッチンへ歩いて行った。
『あれ、ねえ、おねーちゃん、あれなぁに?』
『……本、かな? おもそうだね……』
キッチンの床にぽつんと置かれていた本に、ジュリーが気付いた。その日は満月だったから、窓に差し込む光でなんとか本が読めるくらいの明るさだった。……とはいえ、まだ簡単な文字くらいしか教わっていなかったから、読める場所を競い合うように探した。
そのうちに、魔法陣のような挿絵が見えた。魔法陣を見るのは初めてだったけれど、大人が魔法を使っているところをたまに見ていたから、それが『魔法陣のようなもの』だとわかった。
『なんだろ、これ?』
『ふたつあるね。なんだろ? ええと、たから……いし……め、の?』
私が下の魔法陣に触れて、ジュリーが上の魔法陣に触れて、読める場所を探す。ジュリーが『火?』と呟いた瞬間、その魔法陣から勢いよく火が上がった。
ジュリーが危ない。そう思った私はジュリーを力任せに引っ張った。その反動で本の近くに行ってしまい、火が左頬に触れた瞬間、ぶわっと熱が広がった。
『キャァアアアッ!』
『お、おねえちゃん!』
静かだった家が、一気に騒がしくなった。お父様とお母様、使用人たちが叫び声に気付き、慌てたように駆け寄った。私の顔の半分が火傷を負ったことに気付いたお母様が、『ひっ!』と短い悲鳴を上げた。
『うそ、うそよ……。わたし、私の子がこんなことになるなんてっ!』
『今はそんなことを言っている場合ではないだろう! 早く子どもたちを助けるんだ!』
思えば、あの頃はきちんと愛されていたのだろう。お父様と使用人たちで助けてくれたし、手当てもしてくれた。唯一手出しが出来なかったお母様も、何度も私の名前を繰り返していたから、私が大事だったからこそショックで動けなかったのだとわかる。
そして、その翌日、お医者様から完璧に治すには莫大な治療費がかかると伝えられた両親は、私に『ごめんね』と謝った。ファロン家は子爵家で、更に経済的には平民が一代で成り上がった大商会とあまり差がなく、お金がないとまでは言わないが私一人にお金をつぎこめば家が傾くことは幼心にもわかっていた。だから私は小さく頷いた。仕方のないことだと思ったから。
『ジュリー、なにがあったのか、教えてくれないか?』
『ジュリー、悪くないもん! おねえちゃんが勝手にやけどしたんだもん!』
ジュリーはひたすらに、自分は悪くないと主張した。あのままではジュリーが火傷を負っただろうけれど、助けてなんて一言も口にしていない、勝手に庇ったのだ、と。
そのうちに、ジュリーはおかしくなっていった。外を歩けば自分の姉が火傷を負ったことを多くの人たちが知っていて、その症状がどんなものなのかを聞いてくる。そして、完璧には治せないとジュリーが話すと、『可哀想に、女の子なのに』と私が同情される。……ジュリーの中では、勝手に火傷を負って同情を買っている姉に見えたのだろう。
『……ジュリーは悪くない。悪いのは、おねえちゃんなの。おねえちゃんがあの夜、水を飲みに行く時にジュリーを誘ったから。ジュリーは悪くない! 悪くないの!』
そして、ジュリーは変わった。可愛らしいドレスを着て、リボンで髪を結んで、やつれたお母様に『見て、お母様。ジュリーは可愛いでしょう? おねえちゃんの顔は酷いけれど、お母様にはジュリーがいるよ』と笑いかけるようになったのだ。
最初は『やめてちょうだい、ジュリー。あなたが可愛いのはわかっているわ……』と言っていたお母様だけれど、そのうちに段々と、私の顔を見ると眉間に皺を深く刻み、顔を背けてしまうことが多くなった。
ジュリーが可愛くなればなるほど、お母様の関心はジュリーに移っていった。お父様もそうだった。たまに買ってくるアクセサリーはすべてジュリーのもの。
私のお目付け役と称した監視を雇ったのは、私を外に出したくないから。その女性も、私のことを見てイヤそうに表情を歪めていた。それが、十年間、続いた。
『お姉様が惨めであればあるほど、私が輝けるの。良かったね、お姉様。そんな顔でも役に立てて。あは、アハハハハハハッ!』
天井裏に部屋を移された時、ジュリーはそう言って恐ろしいほどの綺麗な笑顔で、勝ち誇ったかのように笑い声を上げた。
あんなに何もかも同じだったあの子はもう、私にとって、何を感じ何を考えているのか、全く理解出来ない存在になった。
私が話し終えると、ため息が聞こえた。……やっぱり、こんな過去を持つ私は冷遇されて当然と言われるかしら……と恐る恐るアンダーソン家の方々の反応を窺う。
「……よく、耐えたね……」
アルフレッド様がぽつりと呟いた。とても心配そうなまなざしを受けて、私は何も言えなくなる。黙って話を聞いていたエドワードくんが、ぴょんと椅子から降りて私に近付くと、そっと手を握った。
「いたかったですよね、いまも、いたい?」
「……たまに、痛むけれど……、もう、平気だよ」
本当は子爵家の私はエドワードくんに対しても敬語を使うべきなんだろうけど、難しい話はわからないようだし、これから解消されるとしても一度は迎え入れてくださるという話だったし、簡単な言葉を使わせてもらう。
抱きしめられながら話していたから、マリアお母様の体温が感じられて、なんだか心強かった。
眉を下げて私を見上げるエドワードくんを安心させるように、すっと手を伸ばして彼の頭を撫でていると、ガバリとマリアお母様が私から離れ、涙で滲んだ目を見つめられた。
「……いいえっ、平気なはずがないわ! 安心して、エリザベス! その火傷痕、絶対に治してあげるから!」
何かの使命に燃えているかのように熱いまなざしを向けられ、目を瞬かせる。
「あ、あの、私にそんなにお金をかけてくれなくても……」
「あら、あなたはわたくしたち、アンダーソン家の娘になるのよ? 娘にお金をかけたっていいじゃない。それにわたくし、ずぅっと娘が欲しかったから、嬉しいわ!」
「あー、妻がすまんね。でも、俺らも大歓迎だ。なあ?」
旦那様の言葉に、全員が頷いた。私、本当にここにいていいの……?
みんなが立ち上がって、私の元に近付いた。そして、優しく頭を撫でたり、手を握ったり、肩に手を添えてくれた。……温かい。心の中が、ぽかぽかと温かくなる。
「――ぁ、ありがとう、ございます……!」
悪夢を見て流した涙とは、違う涙が溢れた。知らなかった。人って、嬉しくても涙が出るんだって……! ぽろぽろと涙を流す私の目元を、シリル様が拭ってくれた。
「あ、すみません、シリル様……」
「もう家族になるんだから、『シー兄様』って呼んで?」
「……え、と……。シー兄様?」
嬉しそうに微笑むシリル様。羨ましそうな旦那様とアルフレッド様。そして、そんな家族を見て不思議そうにしているエドワードくん。
……どうやら、アンダーソン一家は本気で私を『家族』として迎えてくれるみたいだ……
「さて! それじゃあ泣いた分、たくさん水分を摂らなきゃね。お茶はぬるくなっちゃったでしょう? 取り替える?」
「い、いいえっ! いただきますっ!」
「そう?」
みんなが離れて、代わりにお母様がカップを持たせてくれた。こくりとお茶を飲む。味があるお茶を飲んだのは久しぶりだ。おいしい……
「甘いものは好きかしら?」
「……ええと、たぶん、好きです……」
「たぶん?」
「十年間、食べていないから……」
「たくさんお食べ!」
「あなたっ! おやつはほどほどに!」
そんな会話を繰り広げるアンダーソン一家に、思わずくすっと笑ってしまった。それを見たアルフレッド様が、「笑った!」と嬉しそうに声を弾ませた。私は慌てて口元を隠そうとしたけど、手を取られた。
「リザ、笑おう? これからリザはたくさん幸せになるんだから、笑わないと!」
「アルフレッド様……」
「自己紹介の時に言ったでしょ。『アル兄様』だよ、リザ」
「……アル兄様、ありがとう、ございます」
アンダーソン家の優しさがとても嬉しくて、嬉しくて……。変な笑顔になってしまったけれど、アル兄様は満足そうに微笑んだ。そのやり取りを見ていたお母様が、ふと私と視線を合わせて首を傾げる。
「……エリザベス、あなたの目なんだけど……。ちょっと確認させてちょうだい? あなた、きちんと色が見えている?」
心配そうに私を見つめるマリアお母様に、声が出なかった。代わりに、喉がひゅっと鳴る。
「あ、の……?」
「うちは大体の人が金髪で碧眼なのよ。ジャックは婿養子だから違うけど。……ジャック以外は金髪碧眼なの。見えている?」
「……え、と、はい……」
小さく頷くと、マリアお母様の眉がぴくりと動いた。私と視線を合わせて、じっと見つめる。
「よく見て、エリザベス。わたくしの目は、碧眼かしら?」
「は、はい……」
私が返事をすると、みんな驚いたように目を丸くした。
「……あ~、これは、うん」
「見えてない、ね」
……私は、間違えてしまった? 次にどんな言葉をかけられるのかがわからなくて、ぎゅっとカップを握りしめた。
「……嘘よ。いえ、金髪なのは本当よ。でもね、わたくしたちの目の色は、赤なの」
「同じ目の色ってことで、シンパシーを感じて思わずプロポーズしたんだよなぁ」
「真っ赤なバラを抱いてね。何事かと思ったわ。……エリザベス、本当のことを教えてちょうだい?」
マリアお母様に優しく肩を叩かれて、私はおずおずと口を開いた。
「えっと、あの、ごめんなさい……。三歳くらいまでは色が見えていました。……でも、今は、全部……白とか黒とか、灰色に見えます……」
人の表情はわかるけれど、色までは……。すべてが白黒の世界だ。お母様が「やっぱり」と小さく呟いた。
「母上、『やっぱり』とは?」
「この子の目、魔法がかけられているのよ。色が見えないのは心の問題かもしれないし、目にかけられた魔法が関係しているかもしれないの。カーラに調べてもらっているわ」
みんなが納得したように頷いた。そして、アル兄様が考えるように顎に手を置いて目を伏せた。
「では、リザには補佐役が必要ですね。この体を健康にするためにも」
「そうね。後でお姉様に聞いてみるわ」
お姉様……? と首を傾げると、マリアお母様はふふっと微笑んで私の頭を撫でた。
「わたくしのお姉様はね、この国の王妃なの」
私は目を大きく見開いた。多分、王妃様のご姉妹なんて、これは社交界では常識のはずだ、誰もが知っている知識も危うい自分を恥じると同時に、学べる環境になかったのだろうと察してさらりと教えてくれたお母様をありがたく思う。そして、そんなお母様と一緒に育ってきた王妃様はどんな人なのだろうと考えた。
「それはともかく、まずは体を優先させないとね」
「そうだな、ガリガリだもんな。いっぱい食べるんだぞ、リザ! あ、でもまだ固形物は早いかな?」
「それじゃあ、甘い飲み物にしましょうか」
「わ、私なら大丈夫です……! 出された料理はどれも、とても美味しかったので……!」
「だーめ。わたくし、とことん甘やかすって決めましたから!」
そう言って笑うマリアお母様に、みんなで笑い合った。そんなに甘やかされたら、溶けてしまいそう。こくこくとお茶を飲み干すと、すぐに甘い飲み物が用意された。
「お菓子食べてみる?」
問われて、首を横に振る。さっきは大丈夫だと言ってしまったけど、正直なところ、飲み込む力に不安を覚えたから。渡された甘い飲み物――ココアだけを頂くことにした。
「そういえば、どんな風に見えるの? 朝や夜はわかる?」
「え、ええと……太陽の光や月の光はなんとなくわかるので、朝か夜かはわかります」
世界が灰色に見えていても、太陽と月のおかげで朝なのか夜なのかは判断出来る。
「そっかあ。リザの目が治ったら、どんな風に世界が広がるのか、楽しみだね」
「……はい、楽しみです」
アル兄様の言葉に、頷いた。
あの日からずっと、白黒の世界で生きていた。色が判別出来ていないことについて、ずっと同じ屋敷にいた実の両親や子爵家で働いていた使用人たちにさえ、一度もばれなかったのに、どうしてこの家の人たちはすぐに気付いてくれたんだろう。
……違う。あの人たちは、同じ屋敷にいただけで、私のことが心底どうでもいい人と私が嫌いな人しかいなかったから……だからこそ、こうして『私』をちゃんと見てくれるアンダーソン家の人たちには、あっさりとバレたのね。
「……あの、たくさん、名前を呼んでください。それが私の名前なんだって、感じたいんです……」
温かくて甘い飲み物を一口飲んでから、カップをテーブルに置き、もう一度きゅっと胸元で手を組んでお願いした。すると、公爵家の人たちは私の新しい名前をたくさん呼んでくれた。
――私、この家で……生まれ変わった気持ちでがんばろう。
あの家の人たちは、私のことが嫌いなのだから……
そんなに嫌いなら、私は消えることを選びます。
私はあの家の怒りや不満の捌け口じゃない。
会って二日の人が気付けることに気付けない人たちなんて、家族じゃない。
エリザベス・アンダーソンとして、生きていく。
そう――心に強く、強く刻み込んだ。
たくさんココアを飲んで、たくさん新しい『家族』と話して、楽しい時間はあっという間に終わりを告げた。
「まだ体調が本調子ではないのだから、まずは体をしっかりと休ませてから、体力を付けましょうね」
マリアお母様の言葉に、首を縦に動かした。椅子から立ち上がり部屋に戻ろうとして、いつも使わせてもらっている部屋はどこかしら? と立ち止まる。
「あの、私が使わせて頂いている部屋の場所は……」
どこですか、と続けようとしたら、ハッとしたような表情を浮かべるみんな。そして、「ちょっと待ってて」とじゃんけんを始めた。最終的に、じゃんけんで勝利したシー兄様がひょいと私を抱き上げた。
「あ、あの、歩けま……」
「ダメ。まだ本調子じゃないんだろ? ああ、そうそう。昨日は会えなくてごめんね。深夜に帰ってきたんだ」
「……帰ってきた?」
「シリル兄様は王国騎士団で働いているんだよ!」
シー兄様を自慢するように、アル兄様が明るく教えてくれた。誇らしげに胸を張るアル兄様に、兄弟仲が良いんだなって思った。シー兄様がどのくらい強いのかを身振り手振りで伝えてくれるアル兄様に、シー兄様は「はいはい」と軽く笑いながら受け流している。
後ろから、ジャックお父様がシー兄様に声をかけた。
「そろそろ隊長クラスになれるんじゃないか?」
「やめてください、こんなに可愛い妹が出来たのに、隊長なんて」
「……か、かわ、かわ……!?」
仮面をしているとはいえ、私の顔は本来なら誰にも見せられたものじゃないくらい醜い。ずっとそう思っていた。だから、『可愛い妹』と言われて困惑したのと同時に嬉しかった。
「でも、シリル兄様が隊長になったら、最年少の隊長になるのでは?」
「だからイヤだって……。オレは隊長に向いてないしさ」
「最年少?」
「ああ、年齢は言ってなかったね。オレは十七だよ。あと少しで十八だけど。ちなみにアルがきみの一個年上の十四歳、末っ子のエドは六歳」
長兄と末っ子で結構な年齢差があるのね……
「シリル兄様の誕生日まであと二ヶ月なんだ! ……あ、そうだ。お父様、お母様! シリル兄様の誕生日パーティー、今年はどこでやるんですかー!」
パタパタとジャックお父様とマリアお母様に近付いていくアル兄様に、私は首を傾げた。……アンダーソン家の誕生日パーティーは豪華そうだなぁ、と考えているとシー兄様がぽつりと呟いた。
「……いろいろ考えてそうだな、アル……」
「考えている、ですか?」
「アルはああ見えて結構策士なんだ。まあ、悪いようにはならないから安心して。うちはちょっと特殊な一族だし」
「……? 特殊とは……?」
「そこら辺は母上から聞いて。一番詳しいから。それと、たぶんオレの誕生日パーティーがきみの初舞台になるよ。『エリザベス・アンダーソン』としてのね。……っていうか、家族なんだからその敬語やめような」
「……努力しま……、ど、努力するっ」
がんばって敬語じゃない言葉で返すと、「うん、いい子」とシー兄様は綺麗に笑った。その表情はとても優しげだ。
シー兄様は私を部屋まで……正確にはベッドまで運んでくれて、そこからはリタがまた着替えを手伝ってくれた。私が着替えている間、シー兄様は部屋の外で待っていてくれた。着替えが終わると中に入り、私をベッドに寝かせると、眠りにつくまで頭を撫でてくれた。
仮面を外した私の顔を見て、少し眉を寄せて何かを耐えるように唇を噛み締めたけれど、何も言わなかった。ただ、優しく頭を撫でるシー兄様の手の感触に、私、頭を撫でてもらうのが好きだなぁって思った。ずっと撫でてもらっていないから、余計にそう思うのかもしれない。
目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。――今度は、悪夢は見なかった。
そして、翌日から本格的に治療を始めた。
朝、顔を洗ったら顔に薬を塗って、ご飯を食べて、風邪薬を飲んで、横になる。それを二週間ほど続けると、体が前よりもふっくらとしてきた気がする。骨と皮ばかりだった手がふくふくとしてきて、なんだか不思議な気分だった。
二週間もほぼ寝たきりの生活をしていたから、歩くのにも苦労した。最初はリタに手伝ってもらいながら、部屋の中を歩いた。目標の歩数を歩くまでは、絶対にやめなかった。
固形物も食べられるようになった。柔らかいパンを食べて、パンってこんなに美味しいんだと感じた。ミニトマトやアスパラなどの野菜、鶏肉や豚肉などのお肉類も食べられるようになった。
そんな生活を送っているうちに、段々と火傷痕が気にならなくなった。ここで暮らしていると、自分が年相応の振る舞いが出来ると気付いたからかもしれない。
アンダーソン家の人たちはもちろん、働いている人たちも私に良くしてくれたから、なんだか心がくすぐったい。誰かに優しくされると、空っぽだった心が満たされていくような感覚になる。
さらに二週間が経過して、一ヶ月ぶりにお医者様が屋敷を訪ねた。見たことのない老人と、私と同じくらいの年齢の男の子を連れて。
「すっかり元気になったようね! 魔法の解析、終わったよ!」
お医者様は明るく、そう言った。
魔法の解析……。私の目にかけられていたという魔法のことだろう。一ヶ月で解析が出来るなんて……!
ローブを着た老人は私をじっと見ていた。
「紹介するね、こちらは宮廷魔術師長のクリフ様。そしてこちらは――」
「カーラ、ぼくから挨拶をさせてください」
男の子はそう言って、私に近付いた。視線を合わせるとにこりと微笑み、口を開く。
「初めまして、レディ。ぼくはヴィンセント。よろしくお願いします」
「は、初めまして。エリザベス・アンダーソンです。よろしくお願いします」
柔らかな口調で挨拶をされ、僅かに声が上擦ってしまった。
「お近付きのしるしに」
ヴィンセント様が立ち上がり、私の顔に手を近付けて、パッと花を取り出した。……バラ、かな? 甘い香りのする花を受け取って、「ありがとうございます」とお礼を伝えると、嬉しそうに微笑んだ。
「……うん、うん。それじゃあ、始めるかね?」
「あ、あの……今から、なにをするのですか?」
「目の魔法を解除するんだ。大丈夫、あたしたちを信じて」
真剣な表情のカーラ様に、私はこくりと頷いた。大丈夫、怖くない。
「……で、扉の前に立っているやつらは入れんのか?」
「……一応、治療ですからね、これ!」
ちらりとクリフ様が扉へ視線を向けた。そして、カーラ様に対して扉を指しながら尋ねる。カーラ様は呆れたように肩をすくめた。扉の向こうから、人の気配がする。それも何人も。
私はその様子を見て、くすくすと笑った。それを見たカーラ様が、ぽんっと私の頭に手を乗せてくしゃりと撫でた。
「笑えるのはいいことだね」
「はい。……あの、私なら大丈夫ですので、みなさんに入ってもらってください」
「……まったく。患者からの許可が出た! 入ってきな!」
カーラ様が扉に向かい大きな声を出すと、扉が勢いよく開き、アンダーソン一家が一気に部屋になだれ込んできた。みんな、心配して来てくれたのだろう。私に近付くと、心配そうに顔を覗き込んできた。
カーラ様がパンパンと両手を叩き、自分に注目させる。
「これより目の魔法を解除します。お嬢ちゃんも、お前らも大人しくしているんだよ!」
そう宣言して、私とアンダーソン一家を見つめる。こくり、とみんなで頷いた。
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