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1巻

1-2

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「ところで、お腹は空いたかしら?」

 ふるふると首を横に振る。すると、奥様は「そう」と呟いて、そっと私の手を包み込むように握る。じんわりと広がる体温に戸惑いながら、奥様を見た。

「わたくしね、以前あなたのお母様に一度だけお会いしたことがあるの。その時、彼女のおなかは大きくて、あなたたちを宿していた。あなたのお母様はおなかを優しく撫でていて……とても幸せそうな家族に見えたの。それがどうして、こんなことに……」

 奥様は私の目を見つめながら、過去を語り出した。
 すべてを見かすような奥様の瞳を見ることが出来なくて、視線をらす。

「……私が、みにくいからです。私の顔がみにくいから、お父様もお母様もジュリーも、使用人たちも、……私が嫌いなんです。みんな、みんな、私を愛してくれていたのに……」

 幼い――それこそ、三歳の誕生日までは、普通に愛されていたと思う。双子ということもあって、いろいろなお揃いの服を着せられたこともあった。その時のお母様たちはとっても優しかった。今でも、優しかった両親のことをすぐに思い出せる。

『やっぱり、私たちの子は最高に可愛いわね』
『ああ、どちらも天使のようだ』
『ええー、また――とお揃いやだ~!』
『なにを言っているの。お姉ちゃんとお揃いで可愛いじゃない。ああ本当に可愛い、私の――とジュリー! 私とパパの良いところをバッチリ引き継いでくれたのよね!』

 ぎゅっと抱きしめられて、ジュリーと一緒にきゃあきゃあと騒いでいた頃を思い出し、胸が痛くなった。こんなにもきちんと覚えているのに、家族が私を呼ぶ声だけがぽっかりと抜け落ちているのは、今の私と同一人物とは思えないほど幸せだったからだろうか。
 でも、そんな幸せな日々は、あっさりと終わりを迎えた。

『そのみにくい顔を見せないでちょうだい!』

 顔の火傷やけどが治らず、誰より嘆き悲しんでくれていたお母様が、私を拒絶するようになった。最初の頃は私のことを気の毒がっていたお父様や使用人たちも、時間が経つにつれて冷たいまなざしを向けるようになった。
 それに対してジュリーは、自分を着飾ることで屋敷の人たちの心を掴んだ。お母様は美しいもの、可愛らしいものが好きな人だったから、自分の子どもが愛らしく着飾る姿を見ることで、精神を保とうとしていたのかもしれない。
 過去を思い出して黙り込んだ。ぎゅっと握られた手を見て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……ごめんなさい、私、すぐに出て行きますから……」
「――なにを言っているの、そんなのダメよ」

 凛とした声だった。思わず奥様に顔を向ける。奥様は目に涙を浮かべていた。……どうして、奥様が泣いているの?

「私の存在は、迷惑でしょう……?」
「迷惑じゃないわ、本当よ。今までずっと、つらかったでしょう?」

 涙声で、奥様がそう言ってくれた。

「……つらい、よりも……つかれ、ました。みんなが楽しそうに笑っているのを見るの……。だって、三人とも、私をみじめにさせるために、やっているのだもの……」
「……あなたにつらい思いをさせた人に、会いたい?」

 私は首を左右に振る。会って、またみじめな思いをするのは嫌だ。

「そう。そうよね。――決めたわ、わたくし、あなたを引き取ります」
「――え?」
「わたくしたちの爵位なら、あなたの家族は手も足も出せないわ。ね、良い話だと思わない?」

 涙をぬぐった奥様が、意志の強い瞳を私に向けた。本気で私を引き取るつもりなのだろう。

「そ、そんなのダメ、ダメです……! こんなみにくい顔の子どもを引き取るなんて……!」
みにくくなんてないわ。それに大丈夫。あなたの顔の火傷やけど痕は、絶対に治してあげるから!」

 使命感に燃えているような奥様に、思わず目をまたたかせた。――どうして? と聞きたかったけれど、扉がノックされた音に反応して、そちらに意識が向く。

「すみません、奥様、お嬢様。遅くなりました。すぐにベッドを整えますね」

 リタさんが新しい布団とシーツを持って中に入り、手際よく整えてくれた。私は奥様に手を引かれながら、ベッドへと寝かされた。肩までしっかりと布団をかけられて、ぽん、と優しく頭を撫でる奥様を見上げる。

「ゆっくり休んで、元気になりましょうね」

 優しい声で言われて、小さく頷く。優しさが、心にみ込んで、私はそのまま目を閉じた。


 ◆◆◆


 次に目を開けるとすでに朝になっていた。しばらくすると扉がノックされて、「はい」と答えると奥様が入ってくる。私の元まで近付くと、「体調はどうかしら?」と首をかしげた。

「昨日よりも、とても楽になりました」

 そう伝えると、奥様は嬉しそうに笑った。そして、スープが運ばれてきた。美味しそうな匂いがする。

「食べられるだけで良いですからね」

 奥様が椅子に座り、スプーンを持つとスープをすくい、息を吹きかけて冷まし、私の口元に運ぶ。自分で食べられます、と言おうとしたけれど、奥様の笑顔に負けた。ぱくりと食べると、トマトの味が濃い。今まで食べたことはないけれど、多分ミネストローネだ。きっと普段よりも細かく野菜を刻んで、丁寧に煮てくれたのだろう。野菜がくたくたになっていて食べやすく、一皿全部食べ終えることが出来た。
 食事が終わるとすぐに、昨日のお医者様が顔を出して、診察を始める。昨日よりも顔色が良くなっていると言われて、ホッとした。

「カーラ、わたくし、この子の目に魔法がかけられていると思うの」
「……うーん、確かに魔力を感じるような……。ちょっと待って」

 お医者様は何かを取り出すと、私に向かって「目を閉じて」と口にした。言われるがまま目を閉じると、まぶたに何かを押し付けられたような感覚がする。紙、かしら? しばらく動かないでいると、「いい子だ」と褒められた。そして、「もう目を開けてもいいよ」と。目を開ければ、奥様とお医者様が何かを見ながら話している。

「わかりそう?」
「どうだろう……。あたし一人の手に負えなかったら、クリフ様に手伝ってもらうさ。……まあ、でも、一ヶ月はかかると思って。その間に、この子の体力をどうにかしないと。こんな骨と皮の状態じゃあ、耐えられるものも耐えられないだろうからさ」

 奥様は私をちらりと見て「そうね」と眉を下げた。……確かに、体力には自信がないわ……
 お医者様は鞄からゴソゴソと何かを取り出し、奥様に渡した。

「はい、これ薬。毎食後に一錠ね。それと、こっちは塗り薬。火傷やけど痕と傷痕に塗って。こっちは朝と夜の二回で良いわ。お願いね」
「ありがとう、カーラ。恩に着るわ」
「どういたしまして。それじゃあ、お嬢ちゃん。薬はしっかり飲むんだよ」
「あ、ありがとうございました……!」

 お医者様は急ぎ足で出て行った。きっと、お忙しい方なのだろう。
 奥様が一粒の錠剤と水の入ったコップを渡してくれたので、薬を飲んだ。舌に残るちょっとした苦味に、少しだけ眉を下げると奥様が「よく飲めたわね」と頭を優しく撫でてくれた。

「その薬はちょっと強いから、またゆっくり休んで……」
「あの、教えて欲しいことがあります! どうして、私を助けてくれたのか……」

 そのまま去ろうとする奥様に、声をかける。奥様は私を見て、目をまたたかせると「そうよね……」と納得したように頷いた。

「それじゃあ、そうね。ティータイムにお話ししましょう。今はゆっくり休むこと。ね?」

 私に布団をかけて、ぽんぽんと優しく胸元を叩く奥様。薬が効いてきたのか、急激に眠くなり目を閉じた。


 そして、暗闇が、広がる。
 暗闇の中で、ぽうっとどこかが明るくなった。ジュリーと私が照らされている。

『お姉様はいつものろまで、クズで、私の引き立て役にしかなれないのよ』

 さげすむ視線を私に向けて、双子の妹がそう言った。パッと、両親も光に照らされた。

『本当、お前と違ってジュリーは賢くて、裁縫も刺繍も天才的だよ』

 愛しそうな表情を浮かべて、ジュリーを抱きしめるお父様。

『あなたは、この家に要らないのよ』

 扇子で私の頬を叩くお母様。

『どうして、そんなに私を嫌うの! 私がなにをしたというの!?』
『お前の存在そのものが迷惑だと、気付かないのか』


 がばっと起き上がった。ドクンドクンと心臓が嫌な音を立てている。あれは……過去の記憶。去年の誕生日に言われた言葉。……わかっている。ジュリーは可愛い。私はみにくい。生きていること自体が、迷惑なんだって、ちゃんとわかっている……。わかって、いるのに……。ポロポロと涙が零れ落ちた。
 声を押し殺して泣く。大きな声で泣いちゃダメ。迷惑だから。あの優しい人たちに、心配をかけたくない。……でも、痛いの。胸が締め付けられるように、痛いの……。きっと、優しさに触れたことで涙腺るいせんが緩くなったのね。

「お嬢様、そろそろ準備を……」

 扉をノックする音に続いて、女性の声が聞こえた。私は慌てて涙をぬぐう。全然止まってくれなくて、どうしようと途方に暮れていると扉が開いた。私が泣いていることに気付いて、急いでこちらへ近付く女性。シーツを替えてくれた人だ、ちゃんと名前を覚えたのに、混乱していて思い出せない。

「お嬢様! 大丈夫ですか!? 具合が悪くなったのですか!?」

 本当に心配してくれているのだとわかる、切羽詰まったような声。私は首を横に振って、それからまた声を押し殺して泣いた。女性はそっと手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「夢見が悪かったようですね……」

 沈黙で答えると、彼女はぽんぽんと一定のリズムで私の背中を優しく、なだめるように、慰めるように叩いた。優しくされると、涙がいっそうあふれてくる。

「もう大丈夫。大丈夫ですからね……」

 伝わってくる体温と優しい声に、私の涙は止まってくれなかった。
 私が泣きやむまでずっと、ぎゅっと抱きしめてくれて、泣きやんだことに気付くと静かに体を離して顔を覗き込んできた。

「目が真っ赤になってしまいましたね」

 目をこすろうとしたら、ひょいと抱き上げられてビックリした。

「あ、あの?」
「ティータイムまでまだ時間がありますし、お風呂に入りましょう!」

 ベッドから浴室まで向かい、脱衣所でネグリジェと下着を脱がされて、いつの間にか用意されていた湯船にとぷんと入れられた。早業過ぎて、何も言えずにされるがままだ。ぬるま湯に浸かりながら、ようやく彼女の名前を思い出す。確か、リタさんだ。

「あ、あの、リタさん……」
「敬称はいりませんよ、お嬢様」

 そう言って髪や体を洗ってくれた。髪と肌がつやつやになったのはいつぶりだろう。水で冷やした濡れタオルをまぶたの上に置いて冷やす。じんわりと広がる冷たさが心地よかった。ぬるくなったらまた水で冷やして……と、数回繰り返す。
 そうしているうちに、目元がだいぶ、スッキリしたような気がする。
 お風呂から上がり、優しくタオルでかれて、髪を魔法で乾かされた。あっという間だった。私に魔法が使えたら、こんなに早く身支度が終わるのかな、とぼんやり考えていると、リタさん……じゃなくて、リタが満足そうに微笑む。

「とても可愛らしいですわ、お嬢様」

 きゅっとリボンで髪を結んで、身分の高い人が着るような、とっても肌触りの良い可愛いドレスを着せてもらい、さらに顔の半分を隠すための仮面まで渡される。……いつの間に、用意してくれたんだろう?

「ティータイムの時間が近付いてきたので、失礼しますね」

 ひょいと私を抱き上げて、屋内から出る。庭……中庭、なのかな? そこにテーブルと椅子がセッティングされていた。昨日会った奥様たちと見たことのない青年がいて、私に気付くと奥様が近付いてきた。

「まぁまぁまぁ! 可愛いっ! やっぱりわたくしの目に狂いはなかったわね!」
「うんうん、本当に可愛い。やっぱり女の子がいると一気に華やかになるな」
「お母様、お父様。この子がびっくりしちゃうじゃないですか。ごめんね、騒がしくて。具合は大丈夫?」
「きのうの子?」
「……そんなに一気に言われても、困るんじゃないか?」

 青年のその一言で、しん、と静かになった。でも、嫌な沈黙ではなくて、全員が彼の言ったことに納得したから喋るのをやめた、という感じで、この人たちの仲の良さが伝わってくる。
 リタは私を椅子に座らせると、そのままお茶の準備を始めた。慣れない状況にどうにも落ち着かない私を奥様が微笑ましそうに見ていることに気付いて、「あ、の……」と言葉を出す。

「助けて頂いて、ありがとうございます」
「いいのよ。アルフレッドの気まぐれが、こんな風に役に立つとは思わなかったわ」

 気まぐれ? と首をかしげると、私と年齢が近いだろう男の子が少し慌てたように「お母様っ」と声を上げた。青年が男の子の頭にポンと手を置いてくしゃりと撫で、説明してくれた。

「うち、公爵家だからさ、結構お茶会の招待状が届くんだ。アルはいつも家名なんてろくに確認せずに直感で選ぶの。すごいだろ?」

 この言い方から察するに、お二人は兄弟なのかしら? ……待って、今、公爵家って言わなかった……? 耳に届いてはいたけれど思わず聞き流しかけた言葉に慌てた。私、とても、身分違いの場所にいる!
 口をパクパク動かす私に、奥様が「緊張しなくてもいいのよ」と微笑む。リタも笑みを浮かべながらお茶を配り、全員に配り終えるとお茶菓子もテーブルの上に置いて、少し離れた。

「わたくしが、あなたを引き取るという話は覚えている?」

 小さく頷く。忘れられるわけがない。奥様は紅茶を手にして、一口飲むとカップを戻し、それから透き通るような凛とした声を発した。

「我がアンダーソン家の娘として、あなたを引き取るわ」

 私は目を大きく見開く。あ、アンダーソン公爵家……! その家名を知らない者は、このウォルテア王国にいないだろう。ろくに社交の場に出してもらえなかった私でさえ知っている名家、王族と並ぶ最古の血筋と呼ばれている公爵家だ。……私が、アンダーソン家の養女になるということ……?

「昨日家族と話し合ってね。わたくしたち、あなたを家族に迎えたいと結論を出したのよ」

 私はびっくりしすぎて、体を硬直させた。いや、体だけではなく思考も停止してしまった。だって、あまりにも急展開だ。

「だいじょうぶ?」

 小さな男の子に尋ねられて、ハッとした。

「そ、そんな、私なんかがアンダーソン家の一員になるなんて……!」

 奥様たちの気持ちは嬉しい。嬉しい、けれど……。どう考えても、私がアンダーソン家の一員になるのは……分不相応よ。

「引き取る、というのは、てっきり、働かせて頂けるのかと……」
「えっと、家族になるのは嫌……?」

 悲しそうに眉を下げる旦那様に、私はぶんぶんと首を横に振った。ただ、みにくい私が養女になることで、優しいアンダーソン家の人たちがどんなことを言われるかわからない。それが不安だった。

「なら、家族になろう。……ええと、そういえば名前を聞いていなかった。名前を教えてくれる?」

 本当に、優しい人たちだ。こんな私を迎え入れようとしてくれて……。とても、嬉しかった。
 だからこそ、名前を尋ねられて、答えることにためらった。私の名前はもう何年も呼ばれていない、私が元の家で不要だったことを示す象徴だ。あまりに呼ばれなさすぎて、自分自身でさえ、それが自分の名前だという実感がないし、多分、呼ばれても咄嗟に反応できない。それなら……!
 あちこちに視線を彷徨さまよわせる私に、「どうしたの?」と奥様が首をかしげるのを見て、覚悟を決めてぎゅっと胸元で手を組んだ。

「あ、あの。お願いが、あります。――私に、名前を付けてください!」

 よほど意外なお願いだったんだろう、奥様たちは目を丸くした。戸惑っているのがわかる。どうして? と聞かれる前に、言葉を続けた。

「図々しいお願いだとわかっています。ですが……、私は自分の名前が嫌いです。嫌いなその名前を助けてくれた方々に教えて、ずっとその名前で呼ばれるのは嫌です……。名前は、呼ばれないと意味がないでしょう? 私の名前を呼んでくれる人は、いなかったから……っ」

 段々と、声が小さくなってしまった。涙声の私に、奥様が椅子から立ち上がり、そうっと包み込みように抱きしめてくれた。

「わたくしたちが、名前を決めていいの?」
「……はい、お願いします」
「わかったわ。アルフレッド、あなたが連れてきた子よ。名前の候補はあるかしら?」
「え、ええーっと、そうだなぁ」

 指名された男の子は、目を丸くして考えるように顎に手をかけたけれど、すぐに名前を口にした。

「……え、エリザベス……」
「……お前、それ、エドが生まれる前に『女の子ならこの名前がいい!』って言っていた名前じゃないか?」

 一番小さい子、男の子だったんだ。可愛らしい顔をしていたから、女の子かと思っていた。旦那様の『女の子がいると華やか』という言葉は、子どもたちが全員男の子だったから……?

「いいでしょ、別に。リザって呼びたかったんだよ」
「それならリザでもいいのでは……?」
「ダメです。名前がエリザベスで、愛称がリザ!」

 どうやらこだわりがあるらしい。そして、青年が私に視線を向けて「そもそもその子何歳? アルより下だろうとは思うけど」と尋ねた。男の子は今気付いたとばかりに顔を上げて、私を見る。

「そういえば全然聞いてなかった……」
「そうね。とにかく体調を整えるのが先だと思っていたから……。ねえ、エリザベスって名前はどうかしら?」

 とんとん拍子に話が進んでいくのを感じながら、問われたことに対して「とても素敵だと思います」と返した。リザという愛称も可愛くて、そんな風に呼ばれたらと想像するとドキドキする。……本当に、そうなったらいいなって思った。

「じゃあ、あなたは今日からエリザベスよ。歳はいくつかしら?」
「十三歳です」

 え、と奥様以外の全員が絶句した。信じられないものを見るように、男性陣全員に凝視される。

「じゅ、十三歳……!? お父様、お母様、どういうことですか? どう見ても、十歳未満の体に見えるんですが……。あ、でも僕の一歳下だから妹だ!」
「まともな食事をしていなかったから、成長出来なかったんだろうなぁ。うう、ここでたくさんお食べ。そして大きくなぁれ」
「?」

 そんなに私の体は小さく見えるのかしら……。確かに、ジュリーと比べると小柄だとは思う。食事が違うから同じように成長出来なかったのだろう。小さな男の子はよくわからなかったみたいで、首をかしげていた。

「あ、あの、私はどうお呼びすれば……?」

 恐る恐る尋ねると、みんなハッとしたように私を見た。自分たちの名を名乗っていなかったことに気付いたのだろう。

「そうだったそうだった。まずは自己紹介から始めないとな! 俺はジャック・アンダーソン。よろしくな、リザ。ぜひぜひ、『お父様』や『パパ』と呼んでくれ!」
「あ、お父様ずるい! 僕が先にリザって呼びたかったのに! えっと、僕はアルフレッド・アンダーソン。アンダーソン家の次男。僕のことは、『アル兄様』って呼んでね」
「オレはシリル・アンダーソン。公爵家の長男。そうだな……、『シリル兄様』か『シー兄様』って呼んで?」
「わたくしはマリア・アンダーソン。『お母様』か『ママ』って呼んでちょうだいね。そして、この子は末っ子の――……」
「エドワード・アンダーソンです。えっと、『エド』って呼んでください、リザ姉様」

 総勢五名から一気に自己紹介をされて、理解するのに少し時間がかかった。なんだかもう、家族の一員のように扱われている気がする。

「あの、奥様……」
「エリザベス、『お母様』よ」

 にっこりと微笑む奥様に、目をまたたかせる。もう一度奥様と口にしたら、今度はじっと見つめられた。……にこにこと微笑む奥様は、なぜか迫力がある。

「……マリアお母様?」
「はい、なにかしら、エリザベス」

 言われた通りに『お母様』と呼ぶと、満面の笑みを向けられた。

「……本当に、私を養女にするおつもりですか……?」
「ええ。本気よ」

 きっぱりと言い切った奥様……じゃなくて、マリアお母様に、同意するようにエドワードくん以外が頷いた。エドワードくんもニコニコしているから、嫌なわけではないみたい。

「……ファロン家の……両親は、許してくれるでしょうか……」
「あ、それならたぶん大丈夫。手切れ金として宝石を置いて来たから」
「え、あの、宝石って……!」

 まさか私、宝石と交換されたの!? 私なんかが宝石と!?

「申し訳ない話だけれど、あの日、本当に適当に選んだ招待状の招待を受けて、ファロン家に向かったんだ。行ってみたらなんか騒がしいし、玄関口で女の子は倒れ込んでくるし、その女の子を罵倒してくるし、触れてみたら熱はあるし……っていうか、なんであんなにびしょ濡れだったの?」

 私は唇を噛み締めた。話したら、この家の人たちも態度を変えてしまうんじゃないかと体を震わせる。そんな私を落ち着かせるように、そっとマリアお母様に抱きしめられた。どうにか震える声を絞り出す。

「……あの日の朝、双子の妹であるジュリーに、水を、かけられました」

 冷たい水で起こされた。私が起きなかったら、何度だって水をかけていただろう。

「そんな、どうして……? 昔からそんな扱いを受けていたの……?」

 マリアお母様に尋ねられて、そっと目を伏せた。私が嫌われていた理由を話せば、家族として引き取る話はなくなるかもしれない。それでも、私を受け入れようとしてくれたアンダーソン家の方々に、真実を話したい。

「……私の話を、聞いてくれますか……?」

 不安そうに声が揺れた。でも、アンダーソン家の人たちは、真剣な表情で頷いてくれた。だから――私は、私が覚えていることを、話し始めた。


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