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3巻
3-2
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私自身とマザー・シャドウが最後に交わした会話も、決して良いものではなかった。それを思い出して目を伏せると、ヴィニー殿下はそっと私の肩に触れた。
「つらいなら、無理に思い出さないで」
「……ありがとうございます。でも、大丈夫です」
顔を上げてヴィニー殿下に笑みを見せると、ぽんぽんと優しく肩を叩いてくれた。その手があまりにも優しくて、目の奥が熱くなる。こうしていつも気遣ってくれていることに、本当に感謝しているの。
「蒼い炎か……。不思議な力であるのは確かだね。今も使えるの?」
「あれから何度か試したけれど、一度も使えなくて」
そう伝えると、ヴィニー殿下は少しのあいだ黙り込んだ。それから、にこりと微笑む。
「それでソルとルーナがなにも言わないなら、悪いものではないんだろう。なら、今は建国祭を楽しむことに集中しよう。それで、あとからまた、一緒に考えよう?」
とても柔らかい口調だった。ずっと自分の中に溜めていた思いを口にしたこと、わからないなりに悪いものではなさそうだと自分自身以外の判断をもらえたことで、心はスッキリと軽くなった。だから、こくりと首を縦に動かす。
「……あれ? ジェリー嬢じゃない?」
ふと、ヴィニー殿下がなにかに気付いたように顔を上げる。彼の視線を追うように顔を動かすと、確かにジェリーの姿が視界に入った。ご両親と一緒なのかしら。屈託なく笑っている。彼女は私たちに気付くと、一緒にいる人になにかを話して、こちらに近付いてきた。精霊たちにお願いして結界の中に入れてもらった。
「ごきげんよう、リザ姉様」
「ごきげんよう、ジェリー」
「朝のダンス、とても素敵でした。あ、ごきげんよう、ヴィンセント殿下」
「やぁ、元気そうでよかったよ」
ジェリーはにこやかにカーテシーをすると、ダンスの感想を教えてくれた。ヴィニー殿下にも挨拶をして、それに応えるように彼はひらりと手を振る。
アンダーソン邸で二週間ほど一緒に過ごしてからというもの、ジェリーはすっかり私に懐いてくれた。自分の出生のことも知っていると聞いて……マザー・シャドウが聞かせたらしい……私も気兼ねがなくなり、十三年、ファロン家で暮らしてきた妹のジュリーよりも、ずっと仲良くなった気がする。
「一緒にいたのは……?」
「両親です。その節は本当にお世話になりました。家族で話し合って、一から関係を築くことになりました」
ソルとルーナがジェリーと後方にいる彼女のご両親に視線を移し、安堵したように表情を綻ばせた。
「後遺症もなくてなによりだ」
「――後遺症?」
ソルの言葉に、私たちは思わず目を瞬かせた。ばさりと翼を広げて、「そうだ」と続ける。
「マザー・シャドウの魔力を浴び続けていただろう。あれは人を追い詰めることに徹している魔力だ」
「あんまりにも長く浴び続けていると、考え方が変になることもあるよ」
「……あの、それだと私にも影響があることになるんじゃない……?」
だって、マザー・シャドウと過ごした時間が長いのはジェリーよりも私だ。彼女は私のカヴァネス……女家庭教師と一字違いで周囲に混同させる、架空の職業……としてファロン家に入ったのだから。……もっとも、一番長い時間を過ごしたのはジュリーだろうけど。
「エリザベスは大丈夫」
「そういうふうに出来ているから」
精霊たちの言葉に、「どういうこと?」と怪訝な表情を浮かべてしまった。
「あっ! そういえば、リザ姉様は旅芸人たちのことをご存知ですか?」
「旅芸人?」
ジェリーが、パンッと両手を合わせて聞いてきた。どうやらマザー・シャドウの話題から別の話題に移ろうと考えたみたいね。
「建国祭に来ているみたいですね。いろんなパフォーマンスを見せてくれるようです」
「へぇ……時間があれば、見てみたいな」
「ですね! 私も行ってみたいと思っていました。もし時間が合えば、一緒に行きませんか?」
ジェリーの誘いに、「そうね」と顎を引いた。旅芸人がどんなことを見せてくれるのか興味があるし、みんなと一緒に見られたらきっと楽しい。
「みんなで見に行きましょう。楽しいことを、共有したいの」
「ええ!」
「それ、ぼくも一緒に行っていい?」
私とジェリーは顔を見合わせて、「もちろんです!」と声を揃えた。その様子を見て、ヴィニー殿下はくすくすと笑う。それからすっと表情を真剣なものにして、口を開いた。
「ジェリー嬢、とても失礼な話だとは思うんだけど……ブライト商会は大丈夫そう?」
とても言いづらそうだったけれど……きっと、ずっと心配していたのだろう。ジェリーは一瞬目を丸くしてから苦笑を浮かべる。
「大丈夫だと思います。ありがたいことに、マクラグレン侯爵家から援助の申し出があり……」
「ジーンの家から?」
「はい。だから、きっと大丈夫です。……いいえ、大丈夫にしてみせます」
自分の胸に手を置いて、真っ直ぐに私たちを見つめる彼女の瞳は、ブライト商会を立て直す決意に燃えていた。その意気込みを感じ取り、彼は「そっか、がんばって」と朗らかに声をかけた。
「ジェリー、夜のダンスが終わったら、控室まで来てくれない? みんなで旅芸人のところに行きましょう」
「わかりました! それでは、私はこれで失礼しますね」
にこっと微笑んで、ジェリーは去っていく。元気そうな姿を見られてホッとした。彼女を待っていたご両親がこちらに向けて頭を下げたのが見えたので、私たちも会釈する。
「大丈夫そうだね」
「はい。……本当に、よかった」
きっと家族で建国祭を楽しむつもりなのだろう。ご両親と手を繋いで去っていく姿を見送っていると、今度はルーナがピクッと耳を動かした。
「エドワードだ!」
「え? エド?」
この大勢の中、よく見つけたなぁと思ったけれど、カインに肩車をしてもらっていたので、見つけやすかった。建国祭のあいだ、私の護衛であるカインはエドの護衛になった。私たち舞姫には、国王陛下がこの日のために護衛を派遣してくれているからだ。その人たちは基本的には姿を見せず、こっそりと私たちを守ってくれているようで、顔を合わせたのは数えるほど。
「あ、リザ姉様とヴィー兄様!」
精霊たちが大きな身振りでアピールしたからか、エドが私たちに気付いてぶんぶんと手を振る。カインが肩車をしたまま私たちに近付いてきたので、精霊たちに頼んで結界を解いてもらった。
「ダンス見たよ! みんなすっごく可愛かった!」
「お嬢様方の勇姿、しっかりとこの目に焼き付けました」
エドとカインもダンスを見てくれたみたいで、褒められて嬉しいと同時になんだか気恥ずかしい。照れて視線を彼らの顔から少し下に落とすと、エドがもじもじと両手を動かしているのが視界に入った。「どうしたの?」と問うと、意を決したように顔を上げ、ぎゅっと拳を握って私たちを見つめる。
「あ、あのねっ、ヴィー兄様とリザ姉様、今、時間ある?」
目をキラキラと輝かせているエドに、私とヴィニー殿下は顔を見合わせる。お昼のダンスまで、まだ時間はある。アカデミー入学前で滅多に一緒に過ごせない弟を優遇したいという私の気持ちに気付いたのか、ヴィニー殿下はぽんと私の肩を軽く叩き顎を引いた。
「時間はまだあるから、一緒に建国祭を見て回ろう?」
「うんっ!」
ぱぁっと表情を明るくするエド。カインは彼を降ろしたので、そっと手を差し出す。エドは私の手を取り、反対の手をヴィニー殿下に向けた。
彼は一瞬目を丸くしたけれど、すぐにふわりと微笑んでエドの手を取る。
私たちに挟まれたエドが、にこにこと笑っているのを見ると、なんだか心が和むわ。それはきっと、ヴィニー殿下とカインも。二人とも、優しいまなざしをエドに注いでいたから。
そういえば、二年前にドレスを買いにいった時はアル兄様とお母様に私が挟まれていたわね。まだ二年しか経っていないのに、なんだかすごく昔のような気がする。
四人で一緒に建国祭を見て回ると、機嫌良さそうに足を弾ませて歩いていたエドが、「あっ!」と大きな声を上げた。
「どうしたの?」
「リザ姉様、ぬいぐるみがあるよ」
「え? どこ?」
「あそこ! かわいいねぇ」
エドが手を繋いだままぐっと左側に私の手を引っ張る。辺りを見渡していると、動物の形をしたぬいぐるみがずらりと並んでいるお店があった。昔からエドはぬいぐるみが大好きみたい。
「近くに行ってみようか?」
「いいの?」
「もちろん!」
わぁい、と素直に喜ぶ姿がとても可愛かった。近付いてみると、大きなものから小さなものまでいろいろなサイズのクマのぬいぐるみがあり、その中でも特大バージョンのぬいぐるみをじぃっと見つめていた。すっぽりとエドを包み込めるような大きさだ。
「エド、あれが欲しい?」
「うん、大きくてかわいい!」
「そっか、じゃあ……」
ヴィニー殿下は手を繋いだまま店の中に入り、店主に声をかけた。エドと私が顔を見合わせているあいだに、彼はサクサクと購入を決め、受け取りをアンダーソン邸に指定する。
「あ、ありがとうございます! 早速手配しますね!」
店主はにっと白い歯を見せる。購入までの流れが早すぎて、呆然としてしまった。我に返るのはエドのほうが早く、すぐに「ありがとう、ヴィー兄様!」と満面の笑みでお礼を伝えた。
「どういたしまして、大切にしてね」
「うん!」
エドのことを実の弟のように可愛がっている……とは思っていたけれど、本当にいいのかしら?
そう思って視線を送ると、「リザにもぬいぐるみ買おうか?」と聞かれたので慌てて首を左右に振る。エドのことを羨ましく思った、と考えたのかもしれない。
「私の分は結構です」
丁重に断ると、残念そうに肩をすくめられた。
「リザ姉様は本当にいいの?」
「ええ、私にはエドからもらったぬいぐるみがあるもの」
ぱちくりと目を瞬かせたエドは、口元を緩ませて「そっかぁ」と納得したように前を向く。
「他の場所も見てみましょう?」
「うん!」
ぬいぐるみを売っていた場所から離れて、会えなかった分を埋めるようにいろいろな話をした。エドはあまり外出しないようで、服や靴などもデザイナーを屋敷に招いて作っているため、こんなふうに街を歩くのは年に数回みたい。
『だって、ぼくまで外に行っちゃったら、お母様たち寂しいでしょ?』
以前、どうして外に行かないの? と質問した時に返ってきた答え。確かに、シー兄様は王国騎士団員として魔物討伐のために遠征してなかなか家に帰ってこられない時もあったし、アル兄様はアカデミーに入学してから長期休暇しか帰ってこられない、私は私でアカデミー入学前からジーンと一緒に慈善活動をして家を留守にすることが多かった。あどけない表情で言っていたけれど、エドは自分で考えて家に残っていたんだなぁと感心したの。
「リザ姉様?」
「あ、ううん。なんでもないの。ところで、エド。楽しい?」
「うん!」
エドが楽しいのなら、よかった。こちらを窺うように見上げて、「リザ姉様は楽しい?」と問われたので、笑顔で「エドと一緒だから楽しいわ」と答えた。ほっとしたように笑う弟を見て、心に温かいものが広がった。
途中、本屋に入り、ディアが好きそうな本を見つけたので思わず買っちゃった。エドは一冊の童話を選んで、自分でお金を支払った。こうして自分でお金を払う機会なんて滅多にないから、少し……ううん、かなり新鮮に感じているみたい。
「自分の分はいいの?」
ひそり、とささやくようにヴィニー殿下に耳元で問われて、こくりと頷いた。本を選んでいるあいだにダンスの時間が近付いてきて、私たちはここで解散することに。カインにエドをお願いして、私とヴィニー殿下は手を繋いで控室まで走り出す。
エドが「ダンス、楽しみにしてるねー!」と最高の応援の言葉をかけてくれた。「任せて!」とあの子に聞こえるように大きな声を出す。……楽しみにしてくれている人がいると思うと、もっとがんばれそう。
控室に戻り、ヴィニー殿下にお礼を伝えてから急いで着替える。
昼のダンスはジーンがセンターだ。アカデミーで料理を教えてくれるグレン先生の故郷である国の民族衣装を知り、着てみたいと彼女が言ったのでデザイナーに頼んで作ってもらった。もちろん、グレン先生の意見も交えて。ジーンがセンターのステージはどちらかといえばしっとりしたダンスで艶やかなイメージ。彼女の大人っぽい雰囲気によく合っていると思う。
そして、夜は私がセンターだったから、ひらひらとした布で自身を大きく見せる衣装にした。私の身長はあれから少しだけ高くなったけれど、やっぱり同じ舞姫である二人と比べると低いから、こういう工夫が必要だと思ったの。
夜のステージはライトアップされていて、そのライトはなんと魔塔の人たちが魔法で出した、目にも優しく、幻想的に見せてくれる淡い光。ヴィニー殿下が頼んでくれたのかな? それとも、自分でやると言い出したのかな? そう考えながらステップを踏む。ひらりと布が揺れるのと、淡い光が相まって、幻想の世界で踊っているような感覚になった。
本日の舞姫のステージはすべて終わり、控室に入り魔法を使って汗を流した。さっぱりしてから着替えると、扉がノックされる音が耳に届く。
「ジェリーです」
「入って、ジェリー」
「お邪魔します。えっと、ジーン様、クラウディア様、ダンスお疲れ様でした!」
扉を開けて中に入ってきたジェリーは、興奮冷めやらぬ様子で私たちに声をかけてきた。
「これから旅芸人のステージを観に行く予定なのだけど、よかったら二人も一緒にいかない?」
ジーンとディアを誘うと、彼女たちは目をきらめかせて「いいの?」と声を揃えた。私とジェリーが「もちろん!」と首を縦に動かす。すると、二人はふふっと微笑む。私たちが同じ動きをしたので、「そっくりね」って。
控室から出ると、ばったりとヴィニー殿下たちと会った。ううん、きっと私たちを待ってくれていたのだろう。
アル兄様とシー兄様も一緒に、その旅芸人のステージに向かう。控室からあまり遠くない場所でやっているみたいで、人気の旅芸人のステージをシェイドが探し当ててくれたみたい。お礼の言葉を伝えると、照れたように隠れてしまった。
「シェイドは本当にシャイなんだから」
ヴィニー殿下が両肩を上げながらも微笑んでいたのが少し、面白かった。幼い頃からの付き合いだからか、彼と精霊の関係は護衛というよりは兄弟のように見える。
裏路地を使ったほうが近道になるようで、ちょっと暗いけれどこのメンバーなら大丈夫だろうとそこを通ることにした。――でも。
「キャァァアッ!」
女性の悲鳴が聞こえて、いち早くシー兄様が駆け出した。私たちも思わず追いかける。走りながらシー兄様が携えていた剣を鞘から抜き、壁を蹴って高さを作るとそのまま跳び上がって、男性たちに囲まれている女性を庇うように前に降りた。
「大丈夫かい?」
「な、なんだっ!?」
おそらく、彼らにはシー兄様が空から降りてきたように見えたと思う。シー兄様が辺りを見渡し、こちらに視線をやり緩やかに首を横に振ってから――剣を振るった。あまりにも素早い攻撃で、私にはなにがあったのかわからない。
アル兄様が「さすがシー兄様」と呟いたのが聞こえ、彼に視線を送った。
「……すごい……一瞬で、制圧するなんて……」
ディアが口元を手で覆いながら、シー兄様を見つめている。シー兄様はポケットからブローチを取り出して、ぼそぼそとなにかを話しかけていた。もしかして……以前、私たちがレイチェル様からいただいたイヤリング型の魔道具と似たようなもの、かもしれない。
それから数分もしないうちに騎士団の人たちが集まり、シー兄様の手によって地面に伏せさせられている男性たちと、囲まれていた女性を保護して、騎士団の一人がシー兄様と会話をしてから去っていく。
「シリル様は、本当にお強いのね」
ぽそりとディアが呟いた。シー兄様が戦っている姿は、アル兄様やエドに剣術の指導をする時に見ていたけれど……こんなに強いとは、私も知らなかった。考えてみれば、アカデミーに異動する前は魔物を相手にしていたのだもの、強くても当然、よね。
「……怖がらせちゃった?」
心配そうにシー兄様が私たちを見渡したので、全員ふるふると首を横に振った。そのことに安堵したのか、胸元に手を置いてほっと息を吐いた。
「こういうこともあるから、一人で路地裏に入っちゃダメだよ」
シー兄様の言葉に、さっき見た光景がよみがえる。女性は一人で歩いていたから狙われた……ということ?
「ああ、そうだ。クラウディア王女、こんなところで渡すのもなんですが、これを受け取ってください」
ポケットから小さな箱を取り出して、ディアに渡す。彼女は不思議そうな表情をしながらも箱を受け取り、シー兄様を見上げた。
「これは……?」
「クラウディア王女は本国からの護衛がいないと耳にしたので……。オレに繋がっているから、なにか困ったことや知らせたいことがあったら、使ってください」
ディアは困惑した様子で頷いた。「開けてみても?」とシー兄様に聞き、「どうぞ」という言葉にヴィニー殿下が杖を取り出して淡い光で彼女の手元を照らす。
「……まぁ、これはポードレッタイトではありませんか! かなり希少な宝石を、よく見つけましたね」
「ポードレッタイト?」
「ええ。あ、わかりました。ディアのストロベリーブロンドに合わせて宝石を選んだのですね。とても似合っていると思うわ」
ジーンは箱の中身――ポードレッタイトのブローチを見て、しみじみと言葉を呟く。希少な宝石を魔道具にしたってことかしら? シー兄様、もしかしてディアのことが異性として気になっているのかもしれない。だって、家族以外の女性に宝石を渡すなんて、初めてのことだもの。
「そ、そんな……こんな希少なもの、わたくしが持つわけには……!」
「いいえ、ディア。もらってちょうだい。シー兄様、きっとこの宝石を見つけるのに苦労したと思うから……」
シー兄様の顔を見ると、少し照れたように後頭部に手を置いていた。……以前、アミュレットを創る時に様々な宝石を買ったけれど、この宝石は見たことがないわ。
「このポードレッタイトって、本当に原石も希少だから、観賞用が主なのよね。それを魔道具にするなんて……見事な腕前だわ」
「わ、わたくしがいただいても本当にいいのかしら……? こ、壊してしまったらどうしましょう……!」
ハラハラしたようにディアが私たちとブローチを交互に眺める。
「大切に扱いなさいな」
「え、ええ……」
心配そうにブローチを見つめるディアに、私とジーンは小さく微笑んだ。ふと、思いついたことがあり、精霊たちを呼び出した。
「ソル、ルーナ。このブローチの強度を高めることって、出来ないかしら?」
精霊たちがぴょこりと姿を現し、ソルは飛んで私の肩に止まり、ルーナは私の胸に向かって飛び跳ねて抱っこをされてから、ブローチに視線を落とした。
「……魔道具になっているから、多少の強化しか出来ないが……」
「それでもいーい?」
一応、強化は出来るのね。ディアはソルとルーナに縋るような視線を送りながら、「お、お願いします……!」と頭を下げる。
精霊たちは「わかった!」と承諾して、早速ブローチに強化魔法をかけた。
「これで少しは強度が上がった」
「でも、大切に扱ってね!」
「あ、ありがとう……!」
ディアはそっとブローチに触れて、大事そうに優しいまなざしを注ぐ。……とっても気に入ってくれたみたい。よかったね、シー兄様。二人を交互に視界に入れて、小さく口角を上げる。
「シリル様、こんなに希少な宝石、どこで入手したのですか?」
ジーンが好奇心を隠さない瞳で問いかけると、シー兄様は軽く頬をかいた。
「王国騎士団で働いていた時の同僚の伝手で。入手ルートは秘密」
口元で人差し指を立てるのを見て、ジーンは残念そうに項垂れる。
シー兄様はアル兄様とヴィニー殿下に脇腹を肘でうりうりと突かれている。きっと、二人もシー兄様が家族以外の女性に宝石をプレゼントするところを初めて見たのだろう。
「ジーンは本当に、こういう話が好きなのね」
「お父様の影響でね。アクセサリー類は、女性の目線も必要だから、よく意見を求められるの」
「そうね……ネックレスやイヤリング、ブレスレット、アンクレット……女性が主に使うものね」
ふと思い出したのは、着飾ったジュリーの姿だった。
……とはいえ、あの頃の私には、彼女が身につけていた色はわからなかったのだけど。
あの頃の私は、世界が白黒に見えていた。世界に色彩が戻ったのは、目にかけられた魔法を解いてもらった時。
世界が再び色付いた瞬間の感動は、今でもすぐに思い出せる。お母様たちの……アンダーソン邸の人たちの色やヴィニー殿下の色がわかった時、とっても嬉しかった。
そこまで考えて、ハッとした。
ジュリーのことを思い出しても、胸が痛くない。……いいえ、痛みは本当に僅かになったということに気が付いた。頭を飾る花に、そっと触れる。
「……そっか、そうよね……」
目を伏せて、小さく言葉をこぼした。
「どうしたの? リザ?」
「――心の傷って、こうやって癒されていくんだな、と思って」
ぽつりと紡いだ私の言葉に、ジーンとディアが腕に抱きついてくる。
「なにかつらいことを思い出した?」
「妹……ジュリーがよくアクセサリー類を買ってもらっていたなって思い出したの。ただ、それだけよ。親からプレゼントをもらうジュリーが羨ましかったなぁって。……でも、ね。それはもう過去のことだって、受け止められている自分に気付いたの」
ジェリーも堪らずとばかりに私を後ろから抱きしめた。みんなの体温を感じて、気持ちが温かくなる。僅かに感じていた痛みが、消え去るような感覚を覚えた。
そんな私たちの様子を、アル兄様とヴィニー殿下は顔を見合わせて、意思を確認し合うように小さく頷き、シー兄様はこちらに近付いて、ぽんぽんと優しく私の頭を撫でて微笑む。
「ほら、旅芸人のステージを観に行くんだろ? 早く行かないと終わっちゃうぞ」
シー兄様は先頭を歩き出した。アル兄様とヴィニー殿下が「照れてる、照れてる」と楽しそうに笑いながらも、私たちを先に歩かせた。最後尾にヴィニー殿下とアル兄様が移動して、そのまま旅芸人のステージまで足を運んだ。
「つらいなら、無理に思い出さないで」
「……ありがとうございます。でも、大丈夫です」
顔を上げてヴィニー殿下に笑みを見せると、ぽんぽんと優しく肩を叩いてくれた。その手があまりにも優しくて、目の奥が熱くなる。こうしていつも気遣ってくれていることに、本当に感謝しているの。
「蒼い炎か……。不思議な力であるのは確かだね。今も使えるの?」
「あれから何度か試したけれど、一度も使えなくて」
そう伝えると、ヴィニー殿下は少しのあいだ黙り込んだ。それから、にこりと微笑む。
「それでソルとルーナがなにも言わないなら、悪いものではないんだろう。なら、今は建国祭を楽しむことに集中しよう。それで、あとからまた、一緒に考えよう?」
とても柔らかい口調だった。ずっと自分の中に溜めていた思いを口にしたこと、わからないなりに悪いものではなさそうだと自分自身以外の判断をもらえたことで、心はスッキリと軽くなった。だから、こくりと首を縦に動かす。
「……あれ? ジェリー嬢じゃない?」
ふと、ヴィニー殿下がなにかに気付いたように顔を上げる。彼の視線を追うように顔を動かすと、確かにジェリーの姿が視界に入った。ご両親と一緒なのかしら。屈託なく笑っている。彼女は私たちに気付くと、一緒にいる人になにかを話して、こちらに近付いてきた。精霊たちにお願いして結界の中に入れてもらった。
「ごきげんよう、リザ姉様」
「ごきげんよう、ジェリー」
「朝のダンス、とても素敵でした。あ、ごきげんよう、ヴィンセント殿下」
「やぁ、元気そうでよかったよ」
ジェリーはにこやかにカーテシーをすると、ダンスの感想を教えてくれた。ヴィニー殿下にも挨拶をして、それに応えるように彼はひらりと手を振る。
アンダーソン邸で二週間ほど一緒に過ごしてからというもの、ジェリーはすっかり私に懐いてくれた。自分の出生のことも知っていると聞いて……マザー・シャドウが聞かせたらしい……私も気兼ねがなくなり、十三年、ファロン家で暮らしてきた妹のジュリーよりも、ずっと仲良くなった気がする。
「一緒にいたのは……?」
「両親です。その節は本当にお世話になりました。家族で話し合って、一から関係を築くことになりました」
ソルとルーナがジェリーと後方にいる彼女のご両親に視線を移し、安堵したように表情を綻ばせた。
「後遺症もなくてなによりだ」
「――後遺症?」
ソルの言葉に、私たちは思わず目を瞬かせた。ばさりと翼を広げて、「そうだ」と続ける。
「マザー・シャドウの魔力を浴び続けていただろう。あれは人を追い詰めることに徹している魔力だ」
「あんまりにも長く浴び続けていると、考え方が変になることもあるよ」
「……あの、それだと私にも影響があることになるんじゃない……?」
だって、マザー・シャドウと過ごした時間が長いのはジェリーよりも私だ。彼女は私のカヴァネス……女家庭教師と一字違いで周囲に混同させる、架空の職業……としてファロン家に入ったのだから。……もっとも、一番長い時間を過ごしたのはジュリーだろうけど。
「エリザベスは大丈夫」
「そういうふうに出来ているから」
精霊たちの言葉に、「どういうこと?」と怪訝な表情を浮かべてしまった。
「あっ! そういえば、リザ姉様は旅芸人たちのことをご存知ですか?」
「旅芸人?」
ジェリーが、パンッと両手を合わせて聞いてきた。どうやらマザー・シャドウの話題から別の話題に移ろうと考えたみたいね。
「建国祭に来ているみたいですね。いろんなパフォーマンスを見せてくれるようです」
「へぇ……時間があれば、見てみたいな」
「ですね! 私も行ってみたいと思っていました。もし時間が合えば、一緒に行きませんか?」
ジェリーの誘いに、「そうね」と顎を引いた。旅芸人がどんなことを見せてくれるのか興味があるし、みんなと一緒に見られたらきっと楽しい。
「みんなで見に行きましょう。楽しいことを、共有したいの」
「ええ!」
「それ、ぼくも一緒に行っていい?」
私とジェリーは顔を見合わせて、「もちろんです!」と声を揃えた。その様子を見て、ヴィニー殿下はくすくすと笑う。それからすっと表情を真剣なものにして、口を開いた。
「ジェリー嬢、とても失礼な話だとは思うんだけど……ブライト商会は大丈夫そう?」
とても言いづらそうだったけれど……きっと、ずっと心配していたのだろう。ジェリーは一瞬目を丸くしてから苦笑を浮かべる。
「大丈夫だと思います。ありがたいことに、マクラグレン侯爵家から援助の申し出があり……」
「ジーンの家から?」
「はい。だから、きっと大丈夫です。……いいえ、大丈夫にしてみせます」
自分の胸に手を置いて、真っ直ぐに私たちを見つめる彼女の瞳は、ブライト商会を立て直す決意に燃えていた。その意気込みを感じ取り、彼は「そっか、がんばって」と朗らかに声をかけた。
「ジェリー、夜のダンスが終わったら、控室まで来てくれない? みんなで旅芸人のところに行きましょう」
「わかりました! それでは、私はこれで失礼しますね」
にこっと微笑んで、ジェリーは去っていく。元気そうな姿を見られてホッとした。彼女を待っていたご両親がこちらに向けて頭を下げたのが見えたので、私たちも会釈する。
「大丈夫そうだね」
「はい。……本当に、よかった」
きっと家族で建国祭を楽しむつもりなのだろう。ご両親と手を繋いで去っていく姿を見送っていると、今度はルーナがピクッと耳を動かした。
「エドワードだ!」
「え? エド?」
この大勢の中、よく見つけたなぁと思ったけれど、カインに肩車をしてもらっていたので、見つけやすかった。建国祭のあいだ、私の護衛であるカインはエドの護衛になった。私たち舞姫には、国王陛下がこの日のために護衛を派遣してくれているからだ。その人たちは基本的には姿を見せず、こっそりと私たちを守ってくれているようで、顔を合わせたのは数えるほど。
「あ、リザ姉様とヴィー兄様!」
精霊たちが大きな身振りでアピールしたからか、エドが私たちに気付いてぶんぶんと手を振る。カインが肩車をしたまま私たちに近付いてきたので、精霊たちに頼んで結界を解いてもらった。
「ダンス見たよ! みんなすっごく可愛かった!」
「お嬢様方の勇姿、しっかりとこの目に焼き付けました」
エドとカインもダンスを見てくれたみたいで、褒められて嬉しいと同時になんだか気恥ずかしい。照れて視線を彼らの顔から少し下に落とすと、エドがもじもじと両手を動かしているのが視界に入った。「どうしたの?」と問うと、意を決したように顔を上げ、ぎゅっと拳を握って私たちを見つめる。
「あ、あのねっ、ヴィー兄様とリザ姉様、今、時間ある?」
目をキラキラと輝かせているエドに、私とヴィニー殿下は顔を見合わせる。お昼のダンスまで、まだ時間はある。アカデミー入学前で滅多に一緒に過ごせない弟を優遇したいという私の気持ちに気付いたのか、ヴィニー殿下はぽんと私の肩を軽く叩き顎を引いた。
「時間はまだあるから、一緒に建国祭を見て回ろう?」
「うんっ!」
ぱぁっと表情を明るくするエド。カインは彼を降ろしたので、そっと手を差し出す。エドは私の手を取り、反対の手をヴィニー殿下に向けた。
彼は一瞬目を丸くしたけれど、すぐにふわりと微笑んでエドの手を取る。
私たちに挟まれたエドが、にこにこと笑っているのを見ると、なんだか心が和むわ。それはきっと、ヴィニー殿下とカインも。二人とも、優しいまなざしをエドに注いでいたから。
そういえば、二年前にドレスを買いにいった時はアル兄様とお母様に私が挟まれていたわね。まだ二年しか経っていないのに、なんだかすごく昔のような気がする。
四人で一緒に建国祭を見て回ると、機嫌良さそうに足を弾ませて歩いていたエドが、「あっ!」と大きな声を上げた。
「どうしたの?」
「リザ姉様、ぬいぐるみがあるよ」
「え? どこ?」
「あそこ! かわいいねぇ」
エドが手を繋いだままぐっと左側に私の手を引っ張る。辺りを見渡していると、動物の形をしたぬいぐるみがずらりと並んでいるお店があった。昔からエドはぬいぐるみが大好きみたい。
「近くに行ってみようか?」
「いいの?」
「もちろん!」
わぁい、と素直に喜ぶ姿がとても可愛かった。近付いてみると、大きなものから小さなものまでいろいろなサイズのクマのぬいぐるみがあり、その中でも特大バージョンのぬいぐるみをじぃっと見つめていた。すっぽりとエドを包み込めるような大きさだ。
「エド、あれが欲しい?」
「うん、大きくてかわいい!」
「そっか、じゃあ……」
ヴィニー殿下は手を繋いだまま店の中に入り、店主に声をかけた。エドと私が顔を見合わせているあいだに、彼はサクサクと購入を決め、受け取りをアンダーソン邸に指定する。
「あ、ありがとうございます! 早速手配しますね!」
店主はにっと白い歯を見せる。購入までの流れが早すぎて、呆然としてしまった。我に返るのはエドのほうが早く、すぐに「ありがとう、ヴィー兄様!」と満面の笑みでお礼を伝えた。
「どういたしまして、大切にしてね」
「うん!」
エドのことを実の弟のように可愛がっている……とは思っていたけれど、本当にいいのかしら?
そう思って視線を送ると、「リザにもぬいぐるみ買おうか?」と聞かれたので慌てて首を左右に振る。エドのことを羨ましく思った、と考えたのかもしれない。
「私の分は結構です」
丁重に断ると、残念そうに肩をすくめられた。
「リザ姉様は本当にいいの?」
「ええ、私にはエドからもらったぬいぐるみがあるもの」
ぱちくりと目を瞬かせたエドは、口元を緩ませて「そっかぁ」と納得したように前を向く。
「他の場所も見てみましょう?」
「うん!」
ぬいぐるみを売っていた場所から離れて、会えなかった分を埋めるようにいろいろな話をした。エドはあまり外出しないようで、服や靴などもデザイナーを屋敷に招いて作っているため、こんなふうに街を歩くのは年に数回みたい。
『だって、ぼくまで外に行っちゃったら、お母様たち寂しいでしょ?』
以前、どうして外に行かないの? と質問した時に返ってきた答え。確かに、シー兄様は王国騎士団員として魔物討伐のために遠征してなかなか家に帰ってこられない時もあったし、アル兄様はアカデミーに入学してから長期休暇しか帰ってこられない、私は私でアカデミー入学前からジーンと一緒に慈善活動をして家を留守にすることが多かった。あどけない表情で言っていたけれど、エドは自分で考えて家に残っていたんだなぁと感心したの。
「リザ姉様?」
「あ、ううん。なんでもないの。ところで、エド。楽しい?」
「うん!」
エドが楽しいのなら、よかった。こちらを窺うように見上げて、「リザ姉様は楽しい?」と問われたので、笑顔で「エドと一緒だから楽しいわ」と答えた。ほっとしたように笑う弟を見て、心に温かいものが広がった。
途中、本屋に入り、ディアが好きそうな本を見つけたので思わず買っちゃった。エドは一冊の童話を選んで、自分でお金を支払った。こうして自分でお金を払う機会なんて滅多にないから、少し……ううん、かなり新鮮に感じているみたい。
「自分の分はいいの?」
ひそり、とささやくようにヴィニー殿下に耳元で問われて、こくりと頷いた。本を選んでいるあいだにダンスの時間が近付いてきて、私たちはここで解散することに。カインにエドをお願いして、私とヴィニー殿下は手を繋いで控室まで走り出す。
エドが「ダンス、楽しみにしてるねー!」と最高の応援の言葉をかけてくれた。「任せて!」とあの子に聞こえるように大きな声を出す。……楽しみにしてくれている人がいると思うと、もっとがんばれそう。
控室に戻り、ヴィニー殿下にお礼を伝えてから急いで着替える。
昼のダンスはジーンがセンターだ。アカデミーで料理を教えてくれるグレン先生の故郷である国の民族衣装を知り、着てみたいと彼女が言ったのでデザイナーに頼んで作ってもらった。もちろん、グレン先生の意見も交えて。ジーンがセンターのステージはどちらかといえばしっとりしたダンスで艶やかなイメージ。彼女の大人っぽい雰囲気によく合っていると思う。
そして、夜は私がセンターだったから、ひらひらとした布で自身を大きく見せる衣装にした。私の身長はあれから少しだけ高くなったけれど、やっぱり同じ舞姫である二人と比べると低いから、こういう工夫が必要だと思ったの。
夜のステージはライトアップされていて、そのライトはなんと魔塔の人たちが魔法で出した、目にも優しく、幻想的に見せてくれる淡い光。ヴィニー殿下が頼んでくれたのかな? それとも、自分でやると言い出したのかな? そう考えながらステップを踏む。ひらりと布が揺れるのと、淡い光が相まって、幻想の世界で踊っているような感覚になった。
本日の舞姫のステージはすべて終わり、控室に入り魔法を使って汗を流した。さっぱりしてから着替えると、扉がノックされる音が耳に届く。
「ジェリーです」
「入って、ジェリー」
「お邪魔します。えっと、ジーン様、クラウディア様、ダンスお疲れ様でした!」
扉を開けて中に入ってきたジェリーは、興奮冷めやらぬ様子で私たちに声をかけてきた。
「これから旅芸人のステージを観に行く予定なのだけど、よかったら二人も一緒にいかない?」
ジーンとディアを誘うと、彼女たちは目をきらめかせて「いいの?」と声を揃えた。私とジェリーが「もちろん!」と首を縦に動かす。すると、二人はふふっと微笑む。私たちが同じ動きをしたので、「そっくりね」って。
控室から出ると、ばったりとヴィニー殿下たちと会った。ううん、きっと私たちを待ってくれていたのだろう。
アル兄様とシー兄様も一緒に、その旅芸人のステージに向かう。控室からあまり遠くない場所でやっているみたいで、人気の旅芸人のステージをシェイドが探し当ててくれたみたい。お礼の言葉を伝えると、照れたように隠れてしまった。
「シェイドは本当にシャイなんだから」
ヴィニー殿下が両肩を上げながらも微笑んでいたのが少し、面白かった。幼い頃からの付き合いだからか、彼と精霊の関係は護衛というよりは兄弟のように見える。
裏路地を使ったほうが近道になるようで、ちょっと暗いけれどこのメンバーなら大丈夫だろうとそこを通ることにした。――でも。
「キャァァアッ!」
女性の悲鳴が聞こえて、いち早くシー兄様が駆け出した。私たちも思わず追いかける。走りながらシー兄様が携えていた剣を鞘から抜き、壁を蹴って高さを作るとそのまま跳び上がって、男性たちに囲まれている女性を庇うように前に降りた。
「大丈夫かい?」
「な、なんだっ!?」
おそらく、彼らにはシー兄様が空から降りてきたように見えたと思う。シー兄様が辺りを見渡し、こちらに視線をやり緩やかに首を横に振ってから――剣を振るった。あまりにも素早い攻撃で、私にはなにがあったのかわからない。
アル兄様が「さすがシー兄様」と呟いたのが聞こえ、彼に視線を送った。
「……すごい……一瞬で、制圧するなんて……」
ディアが口元を手で覆いながら、シー兄様を見つめている。シー兄様はポケットからブローチを取り出して、ぼそぼそとなにかを話しかけていた。もしかして……以前、私たちがレイチェル様からいただいたイヤリング型の魔道具と似たようなもの、かもしれない。
それから数分もしないうちに騎士団の人たちが集まり、シー兄様の手によって地面に伏せさせられている男性たちと、囲まれていた女性を保護して、騎士団の一人がシー兄様と会話をしてから去っていく。
「シリル様は、本当にお強いのね」
ぽそりとディアが呟いた。シー兄様が戦っている姿は、アル兄様やエドに剣術の指導をする時に見ていたけれど……こんなに強いとは、私も知らなかった。考えてみれば、アカデミーに異動する前は魔物を相手にしていたのだもの、強くても当然、よね。
「……怖がらせちゃった?」
心配そうにシー兄様が私たちを見渡したので、全員ふるふると首を横に振った。そのことに安堵したのか、胸元に手を置いてほっと息を吐いた。
「こういうこともあるから、一人で路地裏に入っちゃダメだよ」
シー兄様の言葉に、さっき見た光景がよみがえる。女性は一人で歩いていたから狙われた……ということ?
「ああ、そうだ。クラウディア王女、こんなところで渡すのもなんですが、これを受け取ってください」
ポケットから小さな箱を取り出して、ディアに渡す。彼女は不思議そうな表情をしながらも箱を受け取り、シー兄様を見上げた。
「これは……?」
「クラウディア王女は本国からの護衛がいないと耳にしたので……。オレに繋がっているから、なにか困ったことや知らせたいことがあったら、使ってください」
ディアは困惑した様子で頷いた。「開けてみても?」とシー兄様に聞き、「どうぞ」という言葉にヴィニー殿下が杖を取り出して淡い光で彼女の手元を照らす。
「……まぁ、これはポードレッタイトではありませんか! かなり希少な宝石を、よく見つけましたね」
「ポードレッタイト?」
「ええ。あ、わかりました。ディアのストロベリーブロンドに合わせて宝石を選んだのですね。とても似合っていると思うわ」
ジーンは箱の中身――ポードレッタイトのブローチを見て、しみじみと言葉を呟く。希少な宝石を魔道具にしたってことかしら? シー兄様、もしかしてディアのことが異性として気になっているのかもしれない。だって、家族以外の女性に宝石を渡すなんて、初めてのことだもの。
「そ、そんな……こんな希少なもの、わたくしが持つわけには……!」
「いいえ、ディア。もらってちょうだい。シー兄様、きっとこの宝石を見つけるのに苦労したと思うから……」
シー兄様の顔を見ると、少し照れたように後頭部に手を置いていた。……以前、アミュレットを創る時に様々な宝石を買ったけれど、この宝石は見たことがないわ。
「このポードレッタイトって、本当に原石も希少だから、観賞用が主なのよね。それを魔道具にするなんて……見事な腕前だわ」
「わ、わたくしがいただいても本当にいいのかしら……? こ、壊してしまったらどうしましょう……!」
ハラハラしたようにディアが私たちとブローチを交互に眺める。
「大切に扱いなさいな」
「え、ええ……」
心配そうにブローチを見つめるディアに、私とジーンは小さく微笑んだ。ふと、思いついたことがあり、精霊たちを呼び出した。
「ソル、ルーナ。このブローチの強度を高めることって、出来ないかしら?」
精霊たちがぴょこりと姿を現し、ソルは飛んで私の肩に止まり、ルーナは私の胸に向かって飛び跳ねて抱っこをされてから、ブローチに視線を落とした。
「……魔道具になっているから、多少の強化しか出来ないが……」
「それでもいーい?」
一応、強化は出来るのね。ディアはソルとルーナに縋るような視線を送りながら、「お、お願いします……!」と頭を下げる。
精霊たちは「わかった!」と承諾して、早速ブローチに強化魔法をかけた。
「これで少しは強度が上がった」
「でも、大切に扱ってね!」
「あ、ありがとう……!」
ディアはそっとブローチに触れて、大事そうに優しいまなざしを注ぐ。……とっても気に入ってくれたみたい。よかったね、シー兄様。二人を交互に視界に入れて、小さく口角を上げる。
「シリル様、こんなに希少な宝石、どこで入手したのですか?」
ジーンが好奇心を隠さない瞳で問いかけると、シー兄様は軽く頬をかいた。
「王国騎士団で働いていた時の同僚の伝手で。入手ルートは秘密」
口元で人差し指を立てるのを見て、ジーンは残念そうに項垂れる。
シー兄様はアル兄様とヴィニー殿下に脇腹を肘でうりうりと突かれている。きっと、二人もシー兄様が家族以外の女性に宝石をプレゼントするところを初めて見たのだろう。
「ジーンは本当に、こういう話が好きなのね」
「お父様の影響でね。アクセサリー類は、女性の目線も必要だから、よく意見を求められるの」
「そうね……ネックレスやイヤリング、ブレスレット、アンクレット……女性が主に使うものね」
ふと思い出したのは、着飾ったジュリーの姿だった。
……とはいえ、あの頃の私には、彼女が身につけていた色はわからなかったのだけど。
あの頃の私は、世界が白黒に見えていた。世界に色彩が戻ったのは、目にかけられた魔法を解いてもらった時。
世界が再び色付いた瞬間の感動は、今でもすぐに思い出せる。お母様たちの……アンダーソン邸の人たちの色やヴィニー殿下の色がわかった時、とっても嬉しかった。
そこまで考えて、ハッとした。
ジュリーのことを思い出しても、胸が痛くない。……いいえ、痛みは本当に僅かになったということに気が付いた。頭を飾る花に、そっと触れる。
「……そっか、そうよね……」
目を伏せて、小さく言葉をこぼした。
「どうしたの? リザ?」
「――心の傷って、こうやって癒されていくんだな、と思って」
ぽつりと紡いだ私の言葉に、ジーンとディアが腕に抱きついてくる。
「なにかつらいことを思い出した?」
「妹……ジュリーがよくアクセサリー類を買ってもらっていたなって思い出したの。ただ、それだけよ。親からプレゼントをもらうジュリーが羨ましかったなぁって。……でも、ね。それはもう過去のことだって、受け止められている自分に気付いたの」
ジェリーも堪らずとばかりに私を後ろから抱きしめた。みんなの体温を感じて、気持ちが温かくなる。僅かに感じていた痛みが、消え去るような感覚を覚えた。
そんな私たちの様子を、アル兄様とヴィニー殿下は顔を見合わせて、意思を確認し合うように小さく頷き、シー兄様はこちらに近付いて、ぽんぽんと優しく私の頭を撫でて微笑む。
「ほら、旅芸人のステージを観に行くんだろ? 早く行かないと終わっちゃうぞ」
シー兄様は先頭を歩き出した。アル兄様とヴィニー殿下が「照れてる、照れてる」と楽しそうに笑いながらも、私たちを先に歩かせた。最後尾にヴィニー殿下とアル兄様が移動して、そのまま旅芸人のステージまで足を運んだ。
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