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第一章「和」国大乱

幕間「善乃の日記・その二」後編

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 出雲さん――出雲日和さん。過去に何回か、私はその人の名前を聞いたことがありました。禮斎神宮の巫女の長であり、大和で一番強いと噂される発現者。

 最強の発現者と称されるその人のまぶしさに、どこか哀しさを覚えたのは、私の勘違いだったのでしょうか、と、今でも思ってしまいます。

「竹世、その様子だと、お前がここまで食い止めてくれたようだな。ご苦労だった。後は、私に任せよ」

 彼女は、竹世お姉さまが疲へいしているのを見ると、状況を理解したのでしょう。労いの言葉をかけて、前方の狐をにらみました。

 その眼光に、少しおびえたようなそぶりを見せた妖怪は、一瞬のうちに、九本の尻尾を全て、出雲さんめがけて振り下ろしました。

「ふん」

 しかし出雲さんは、その素早い攻撃を意に介さず、刀で振り払うと、逆に手を前にかざして、何らかの魔術を使いました。

 いえ、私は魔法使いではないので、彼女の魔法は見えないのですが――彼女が右手を前に向けた瞬間に、九尾の狐の身体にいくつか深い傷がついたということは、それは彼女の魔法だったのでしょう。

 傷ついた狐はそのまま、全身から血を流して倒れ込みました。

「九尾の狐、玉藻前。封印から逃れ、我らが都をおそうとは――この手は避けたいが、やむをえまい。私の手で、直接引導を下してやる」

 妖怪を無力化したことを確認した出雲さんは、彼女を生かしておくときけんだと判断したのか、彼女の脳天目掛けて、刀を振り下ろそうとしました。

「待ってください」

 しかし私は、その間に入って手を広げ、出雲さんを止めました。ちょうど先ほど、彼女が私たちと九尾の狐の間に入ったように。

「見ない顔だな。お前、うちの神社の新しい巫女か。邪魔をするな。今から私は、この化け狐を成敗せねばならない。今まさに暴走をしているこいつを、見逃すわけにはいかぬのだ」

 出雲さんからすれば、その行動は不可解だったのでしょう。聞き分けの無い子供に説くように――実際、私は子供なのですが――厳しく、諭すように語りかけました。

 しかし私は、それにひるむわけにはいきませんでした。

 ここをどいてしまえば、お滝との約束が果たせなくなる。お滝から受け継いだ想いを、無駄にしてしまうことになる。それだけは、他の誰でもない、私自身が許せない事だったのです。

「出雲さん、こんなことを言っても、信じられないかもしれないですが、私には、この方を正気に戻す手立てがあります。だから、彼女を殺す前に、私に任せて欲しいのです」

 こと細かく事情を説明する暇はないと判断し、私は手短に要件を伝えました。とにかく私に任せて欲しいと、そんな思いをこめて彼女にぶつけました。

「――妙なことを言うな。発現者でもない、なおかつ子供のお前に、何かできることがあるというのか」
「はい、そうです」
「駄目だ。生憎私には、子どものたわごとに耳を貸す趣味はない。このような有事の時に、遊んでいる暇はないのだ」
 
 しかし彼女は、私の言い分をにべもなくつっぱね、私の身体をどかそうとしました。

 それはそうでしょう。私のような子供が、九尾の狐に何かしようなど、あまりにあぶない行為ですから。だから、彼女のその制止は、正しかったのです。

 しかしその時の私は、その境地を切り抜ける方法を思いつけず、うろたえるのみでした。

 私は、誰かを説得させるほど言葉がうまくないし、発現者を押さえつけるほどの力もない。

 この人を納得させることは、私には不可能なのだろうかと思い、絶望しかけた矢先。

「ちょ、ちょっと待っとくれよ。少しは彼女の言い分を聞いてあげたらどうだい?」
「っ、何だ? 誰だ、お前は――」

 その矢先に突然、この場から少し離れた家の陰から、一つの声がかかりました。私たちは驚き、その声のする方を向きます。

 それは、私が見慣れた男の人――町でよく見かけるおじさんである、三六さんその人でした。

「俺はただの町人で、その子の知り合いさ。群衆が一目散に逃げる中、真逆に走っていくこの子の姿を見て、放っておけなくてよお。皆と一緒に、様子を見に来たんだ」

 いえ、三六さんではありません。気付けばそこら中の物陰から、何十人もの人々が出てきました。それは、いつも私と話して、仲良くしてくれる、都の大人たちでした。

 私はその光景を見て、そして三六さんの説明を聞いて、呆気に取られてしまいました。彼らは、私の身を案じてここまで来てくれたのかと。妖怪に襲われるかもしれないのに、それを省みず、私を心配してくれたのかと。

「なあ、出雲さんとやら。この子は、伊達や酔狂を言う子じゃねえ。彼女はそこまで強く言うからには、何か理由があると思うんだよ」
「そ、そうそう。その善乃ちゃんは、変な嘘をつくような子じゃあないんです」
「出雲さん、少しだけでも、彼女を信じてみては?」
 
 そうして彼らは、口々に出雲さんに意見を申し出ました。その場の皆が、私に味方をしてくれたのです。普段からよくしてくれる彼らが、今この時も、私にほどこしを、慈悲をかけてくれたのです。

 いきなり大勢の人に、しかもこんなどこの馬の骨とも分からない小娘を擁護する言葉を言い寄られ、流石の出雲さんも、眉間にしわを寄せてたじろいでいました。まさか、禮斎神宮の巫女長である彼女が、こうも反対されるとは思わなかったのでしょう。

「い、いや、例えお前らが何と言おうと、私は――」
「出雲様、善乃ちゃんのことを信じてあげてください」
「た、竹世? お前まで――」

 彼女はその勢いに押されず、迷いを振り切って私の方に向かいました――が、その後ろから、またも一つ、声がかかったのです。それは、出雲さんとも親交が深いであろう、竹世お姉さまからの声でした。

「私も、皆さんと同意見です。彼女は、物事を正しい方向へと導く力を持つ人なのです。そんな彼女がすることには、一定以上の価値がある――私は、そう信じているのです」

 彼女は息も絶え絶え、しかし真剣な眼差しで、出雲さんにそう語ってくれました。

 誰よりも近く私のことを見てくれている彼女にそんなことを言われて、私は嬉しくて、また涙があふれてしまいそうでした。彼女が私のことを、ここまで信頼してくれているのだと思うと、良い意味で、胸がはりさけそうでした。

「……お前は、一体――」

 彼女が信頼を寄せ、巫女長の補佐に命じている竹世お姉さまからも助け船を出される私に対し、出雲さんはろこつに、得体の知れないものを見るようなまなざしを向けました。

 それは、私の深い所を、必死に探ろうとする目でした。今までに見たことがないものを、解き明かそうとするような目でした。

「――そこまで言うならば、分かった。お前がやろうとしていることを、やってみろ。ただし、私が危険だと判断した場合は、即刻その化け狐の首をはねるぞ」

 しかし、その調査を観念したのか、彼女は深いため息とともに刀をさやに納め、私に道をゆずりました。

 都の大人たち、そしてお姉さまの助力によって、私は目的を、約束を果たすことが出来たのです。

「ありがとうございます、出雲さん――それに、皆さんも」

 私はその場の皆さんに一礼をしてから、後ろを向いて、九尾の狐が伏しているめのまえまで行きました。

 さきほどから流血は止まっておらず、しかしていまだ目はうつろであり、荒い呼吸も止まっていません。素人眼に見ても、この狐が狂っているということは分かります。やはりこれを治すには、お滝の力が必要なのだと思いました。

「お滝、後は頼みましたよ」

 私は心の中で、彼女にお願いをしながら、その脇差しを鞘から抜き、そして静かに、その刀を九尾の狐の首元へと刺しました。

 すると、またもまばゆい光が、先ほどお滝がまとっていたような光が刀から流れ、九尾の狐の全身を包みました。

 狐は、叫び声にならないような叫び声を上げながら、その場にうずくまりました。光はどんどんと強くなり、火花のようになって辺りを駆け巡ります。

 閃光が、数十秒ほど続いた頃でしょうか。それはぱっと、何事もなかったかのようにおさまり、その中心には、一糸まとわぬ姿の女の人が、横たわっていました。

 髪が長く、顔立ちや体つきが整った、とても美人な女の人でした。

 私はすぐに、この人があの九尾の狐なのだということを理解しました。根拠はありませんが、それでも直感でそう思ったのです。出雲さんのことを、直感で強いと見抜いたように。

 お滝はきちんと自分の役目を果たしたのだと、そう思ったその時、私は膝から地面に崩れ落ちました。安堵と気疲れで、足に力が入らなくなってしまったのです。

「こ、これは――」

 出雲さんも、目の前の人物が玉藻の前であることに気付いたのでしょう。私の手立てが成功したことに、目を丸くして驚いていました。

「――善乃と言ったか。お前、何やら特殊な事情があるらしいな。説明してもらうぞ。急いで神社まで戻れ」

 彼女はそう言うと、玉藻の前の身体を抱き上げ、またも光となって消えてしまいました。魔法を使って、神社まで移動したのです。

「善乃ちゃん、お滝と――いえ、『山姥』と、何かあったのですね」
「お姉さま」

 私が地べたにへたりこんでいると、体力を取り戻したお姉さまが、私に手を差し伸べてくれました。私はそれにつかまり、よろけながらも立ちます。

「はい、私はあの子から、全てのことを聞きました」
「そう、だったのですね。ということは、山姥が、あの九尾の狐を――」
「いいえ。竹世お姉さま。それは違います」

 彼女の言葉をさえぎり、私はきっぱりと言いました。

「それは違うのです。あの子は『山姥』としてではなく、『お滝』として死ぬことを選んだのです」

 あの子は、最期の最後まで、お滝だったのです。私の、妹だったのですから。

 私がそう言うと、竹世お姉さまはもう、何も聞いてきませんでした。その代わりに、彼女は優しく、頭を撫でてくれました。

 周りの皆さんに再びお礼を言って、お姉さまと共にその場を後にしました。神社まで、二人で手を繋いで帰ったのです。

 そこからのことは、正直あまりよく覚えていません。大人たちが神社の中をせわしなく走り回り、今回の一連の事件について、色々と後始末をしていたようでした。

 私はと言うと、出雲さんだけでなく、様々な人から事情を聞かれました。そのどれもが私にとってはこたえるものだったのですが、中でも名塚さんという、お兄様たちの先生と話す時が、一番疲れました。矢継ぎ早に質問をしてきて、休む暇がなかったからです。

 ただ、悪いことばかりではありませんでした。夕方、日の沈む暮れ六つの刻、四日ぶりにお兄様たちが帰ってきてくれたのです。それも、皆さんご無事の状態で――疲れてはいるようでしたが、笑って、私の前に帰ってきてくれました。

 その笑顔を見るだけで、今日一日の疲れが、吹っ飛ぶような感覚でした。私はしばらくの間彼に抱き着いて、頭を撫でてもらっていました。それくらいの我がままは、かなえてもらってもいいかなと思ったのです。

 そうして、今に至ります。私はいつもと変わらず、自室で日記を書いています。思えば、今日はずいぶんと長くなってしまいました。夜も、とっぷりとくれてしまっています。

 ふと今、今日の朝、お滝と話していたことを思い出しました。

 それは、将来について。私はいったい、将来何になりたいのかということについて。あのときは、はぐらかして答えてしまったのですが。

 正直今でも、そう簡単に答えは出せそうにありません。十数年先の未来のことなんて、今の私には分からないですから。

 ですが、これだけは言えます。私は、お滝からたくさんのものを貰いました。

 あの子は、私にできた初めての姉妹であり、対等な友達であり、そして、私に生き方を示してくれた先生でもありました。

 その全てのことを、私はきちんと、受け継いでいきたいと思います。これから先、私がどんな大人になろうと、それだけははっきりと、胸に刻んで生きていこうと思います。

 さて、今日は本当に長いこと筆を走らせていましたので、手も疲れたし、眠くなってしまいました。

 明日からどんなことになるのかはまだわかりませんが、どんなことがあろうとも、私は私らしく、未来を生きていこうと思います。

 今日は、ここまでにします。おやすみなさい。
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