152 / 162
第六章
#152 追悼の灯火 (Side ソニス)
しおりを挟む遠い峰の稜線が、朝ぼらけの空にくっきり見え始めた頃。
王都の中央神殿の鐘が重く響きわたりました。
1日の始まりに、忙しく活動し始めていた人々がその音を聴いた瞬間、皆ハッとして動きを止め立ち止まり、王城の方に体を向けました。
男達は帽子を脱ぎ、胸に握りしめ、女達は手に持っていたものを手近な台に乗せて、手指を組み合わせ、目を閉じ項垂れました。
人によっては両膝を石畳の上に付き、肩を震わせている者も居ます。
私はちょうどいつもの日課で、早朝の広場清掃に来ておりましたが、やはり箒を脇に置き、膝を折って王城に祈りを捧げました。
国王陛下ご崩御。
今日から三日間は、貴族・市井関わらず、経済活動を限りなく全面的に停止し、静謐を護ること。
市井に関しては三日を過ぎたら最低限の経済活動は開始出来ますが、華美な服装は避け、歌舞音曲は禁止。話すときも極力大きな声を出してはいけません。
冒険者や騎士も、よほどの緊急案件でも無ければ、魔獣討伐などの殺生を禁じられます。
3週間を経た後は、市井に関してのみ歌舞音曲も解禁になるのですが、ある程度の節度を配慮して…と言う条件付きとなります。
居酒屋や娼館などの商売も、再開しても良いことになりますが、煌びやかな看板や声高な客引きは控えなくてはなりません。
そして、3ヶ月を過ぎた頃にはようやく市井に関しては、ほぼ元に戻ることが許されます。
当分の間、庶民もそのように過ごさなくてはなりません。
ただ、貴族に関しては、最低でもこの三ヶ月間は歌舞音曲や社交を控え、できるだけ喪服、もしくは落ち着いた色味の服装で過ごすことが義務づけられます。
この期間に予定されていた慶事は延期しなくてはなりません。
また身分の高低に関わらず、貴族は皆、毎日都市の神殿もしくは自邸の礼拝設備の前で、亡き陛下の為のお祈りを捧げることを体面上必要とされます。
実行しているかしていないかは私は貴族ではないので分かりません。
ただ、毎日黒いヴェールをかぶって神殿参りをなさる貴婦人や、黒いフード付きマントの紳士は沢山おられます。
貴族社会との関係性を重んじてのことと思いますが、平民であっても、多くの大手商会もこの三ヶ月間は全ての従業員が喪服やそれに準ずる衣服を着用し、接客でもあまり大きな声で話さないように気配りするのが慣例です。
勿論商会に関しては義務ではありません。王家や貴族社会への配慮からの行動です。
これが、王族及び限りなく王家とゆかりの深い高位貴族となれば、もっと厳かな戒めが色々と有るようです。
約9ヶ月間、実質1年間は喪に服さねばなりません。
これらの制約が召喚者であるダイの行動を、どの程度拘束するのかは分かりませんが、それでも彼も今はもう准王族。
やはり、向こう一年間は実質表立った動きは出来なくなるでしょう。
とはいえ、自分に厳しい彼のことです。きっと水面下の修行は続けているはず。
ただ、それはつまりこれから一年間は、ラーラ王女殿下の救出作戦を実行出来ないと言う事になるのではないかと思うのです。
父君であられる陛下のお旅立ちを見送ることも、ご追悼の場に立ち合うことも出来ずに、囚われの身となっていらっしゃる王女殿下のお心を思うと、ただただ苦しいばかりです。
ダイもきっと、一日も早く陛下に王女殿下の無事の姿をご覧に入れたいと、果敢に修行の日々を送っていたというのに。
今はきっと間に合わせられなかったことを思い、自分を責め、胸を痛めていることでしょう。
もう随分前から政務の表舞台には陛下はお姿を見せず、常に王太子殿下がご名代として采配しておいでだったのは誰しもが知っておりました。
ですが、最初の頃こそ陛下のご病気療養を不安にも思ったものですが、容態が変わったりなど極端に悪い状態にはならず、それなりに安定しているご闘病が続いていたことで、何となくずっとこの状態が続くような、どこか楽観的とも言えるような心情になってきてしまっていたのも事実です。
随分陽も昇ったようですが、今日は少し曇天らしく、あまり鮮やかな朝のまぶしさが刺してくることもありません。
きっと三柱女神達も陛下の死を悼んでくださって居るのでしょう。
ああ、陛下。どうか安らかに。
天でお待ちのリリアナ元大聖女様と再会を果たされてくださいませ。
そんな思いで祈りを捧げていると、背後に人が立つのを感じました。
徐に立ち上がり振り返ると、そこにはオーリさんが黒いローブを羽織り、フードで顔を隠すように私を覗き込んでおりました。
立ち上がる私に手を添えるように差し伸べていた彼は、そのまま私が下に置いたままにしていた箒を拾い上げて私の手を引き、神殿の方角に歩を進め始めます。
石畳の上に膝を着いていたので、すぐに歩き出すことが出来なかった私を気遣ってくれたのです。
私たちは人の眼に触れないよう、路地に入り、声を潜めて挨拶を交わしました。
オーリさんはおそらくダイに用事が有ったのだと思うのですが、少なくとも三日は絶対に神殿を訪れることはないでしょう。
ただ、9日目を過ぎれば、もしかすると神殿にお祈りを捧げには来るかも知れません。
王城の中にも神殿は有りますし、最も近しい親族で有るならば3週間はお側を離れず追悼のキャンドルの火を絶やさぬよう護りますが、おそらくそれは王妃殿下と王太子ご一家のお役目となっているはずです。
エレオノール殿下以下の弟王子様たちは庶子で有る故に、中央神殿の方に弔灯を捧げに来られる可能性が高いと思われます。
陛下のご崩御をもって、王太子殿下が新国王陛下におなりですが、死者の魂を護るお役目は非常に厳格ですから。
一応こちらが王都の中央神殿となりますので、王侯貴族も、故人を三柱女神が無事に天界に導いてくださるよう祈りを捧げる為に、こちらに参る人は多いのです。
オーリさんは、「3日を過ぎたら改めて神殿を訪れます」と告げて立ち去りました。
きっと大切なお話が有ったのでしょうに。
不測の事態になってしまいました。
そのまま神殿に戻ると、皆、朝の支度に忙しくはありましたが、余計な言葉を交わすことなく静かに項垂れ、互いの目を見ることなく通り過ぎるのみです。
シスター達の中には、時折涙を拭っている者も居りました。
小さな声で何か囁き有っている言葉の中に「聖女様が…」と聴こえたので、おそらくラーラ王女様と再会することなく旅立たれたことを、気の毒に思って涙していたのでしょう。
弔灯用の小さな蝋燭を、次々と礼拝所に運び込みます。
最初の三日間は、司祭様を始め我々神職一堂が追悼の香を焚き、大小のキャンドルに灯を点しては、ホールを一巡して三柱女神神像に魔力を捧げながら、陛下の御霊を導いてくださるよう祈るという動作を繰り返します。
三日を過ぎれば静かにではありますが禱歌を捧げながら、陛下のご崩御を悼む民の、祈りの弔灯を捧げ持った状態で神官達がホールを一巡し、一基に付き33本の小さな蝋燭が立った燭台を祭壇の上に刺して行きます。
民は一本の蝋燭を捧げ、文字の書ける者は自らの名を記帳し、文字が書けない者は神官に代筆して貰って、弔問とします。
平民達と貴族とは蝋燭の大きさも違いますし、受付が別です。
貴族は多くの場合、白い花束を持ち、それと交換するようにやや大きめのキャンドルを受け取り、灯を点して祈りを捧げて行くのです。
そして、やはり、10日目の午前に、エレオノール殿下とダイが白い花束を携えて弔問に訪れました。
王族はまた別の受付になります。
王族ともなれば、他の弔問に参った平民達に涙を見せないよう、男性でも黒いヴェールやフード付きのマントを被って訪れます。
エレオノール王子の後から続く弟王子様達も側妃様と揃いのヴェールで胸元まで隠しておられました。
ダイは喪服の上からフードを深く被ったマントを羽織っています。
労るようにエレオノール殿下に手を添えて。
つい先日、やっと試練の時を超えて、再び神殿を光らせてくれたばかりなのに、あのような痛々しいお姿を見ることになるとは。
そういえば、4日目には、やはりオーリさんは訊ねてきましたが弔灯を捧げることはしませんでした。
「私はこの国の民ではありませんから。国民の皆さんの弔問が終わった頃に捧げさせて頂こうと思います」
そのように仰っていました。
蝋燭が足りなくなりそうだという神官達の会話が聞こえていたようです。
エレオノール殿下達が花束を司祭に渡して弔灯用の蝋燭を受け取るまでの間に、やはり黒いフード付きマントを身に纏った、デュシコス様とルネス様ご夫妻が貴族エリアでの弔問を済ませていらっしゃいました。
私は、デュシコス様が弔灯を捧げ終わるのを待ち、近づいて「この後、少しお時間を頂けますか」と小声で話しかけました。
デュシコス様は、ルネス様ご夫妻に別れを告げ、そっと奥の回廊に来て下さいました。
本当はダイにオーリさんが会いたがっていることを伝えたかったのですが、あのように王族のご一行として参られた人に声がけするのは憚られました。
使ってしまうことになるのは申し訳ないと思いつつも、やはりここはデュシコス様に頼るほか有りません。
「ちょうど、ご崩御の鐘が鳴ったとき、広場で偶然オーリさんに会いました。おそらくアハティア将軍のご伝言か、あるいはナシェガ皇国関連の何か情報を伝えに来たのだと思います。申し訳ありませんが、デュシコス様からダイにそのように伝えて頂けますか」
「わかった。ちょうど私もそろそろダイと会っておかねばと思っていたところだ。面談する場所は神殿が無難だろう。今の時期は人の出入りも多いゆえ、逆に紛れられる。近いうちにここに連れ出すようにするから、ペイジア殿にもそのように伝えておくと良い」
「ありがとうございます…」
言いながらハッとしました。
私の言葉が終わらないうちにデュシコス様の、器用そうな細く滑らかな指先が私の頬に触れてきたのです。
僅かに眉を顰めて美貌を曇らせ仰いました。
「疲れた顔をしているな」
「はい。連日、早朝から夜まで弔問の方々が、途切れることなく押し寄せて参りますので。私だけではなく、神官は皆誰も彼も疲労しております。ただ、今は神職として当然のことですから。今が最も大変で、少しずつ落ち着いてくることでしょう。ご心配には及びません」
「…そなたは頑張りすぎるところがあるからな。だが、もっともだ。身を労りつつ、陛下のお為に頑張ってくれ」
「畏まりました」
誰に対しても厳しいと評判の天才少年は、いつも私にはお優しい。
喪中という事も有り、何かと沈み込みがちだった気持ちが少しだけ癒やされました。
そんなやりとりをしておりましたら、礼拝堂の方からざわめきが聞こえて参りました。
何事かと駆けつけると、エレオノール殿下とダイが捧げた蝋燭に灯を点した途端、その灯から幾つもの精霊が現れて、堂内を明るくしたらしいのです。
その光が揺らめきながら三柱女神神像に寄っていったので、その場に居た者達は息を呑みました。
光の揺らぎの加減でしょうか。
女神像が微笑んだように見えたのです。
幾つもの光の球が、差し伸べられた女神像の掌に吸い込まれて行きました。
殿下とダイの周りにも精霊が飛び交っております。
民は皆膝を着き、指を絡めて涙しました。
ああ、きっと陛下は間違いなく女神の導きで天に召されて行くでしょう。そんな確信が得られたのです。
私もその場に跪き、指を組んで陛下の御霊に、三柱女神のお導きに祈りを捧げました。
この国にエレオノール殿下がいて下さって本当に良かった。そしてまた、ダイという三柱の加護を持つ召喚者に恵まれたことも。
堂内にひしめく民達は、先ほどまでの沈痛な表情は消え、何処か安堵したような満たされたような面持ちになり、弔灯を捧げては、小声で感動を囁き会いながら去って行きました。
ああ、きっと明日の新聞にはこのことが載るのだろう、と、妙に現実的なことなどを考えてしまいました。
「見たか?」
デュシコス様が小声で話しかけていらっしゃったので「勿論です。やはり殿下とダイは凄いと思います。陛下も安心してリリアナ大聖女様の元にたどり着けることでしょう」と応えましたところ「違う」と言われ、思わず眼を向けました。
デュシコス様の視線の向こうには、限りなく王族寄りの高位貴族エリアに居て、蝋燭に灯を点す順番を待っている黒いフードを目深に被った紳士が居りました。
失礼ながらお顔が見えないので、密かに鑑定をしてみました。
ダッカム公爵です。
「先ほどのノール兄様とダイのアレを見て、鬼のような形相をして居ったわ」
確かに怒りか憎悪のせいなのか、少し良くない系統の魔力が漏れてしまっているようでした。
私は少し不安になりました。
あの方は元々エレオノール殿下のことも、ダイの事もよく思っていない一派の筆頭です。
何も無ければ良いのですが…。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
441
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる