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3 新しい生活の始まり

3‑1 考えた事もなかったけれど

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     💓

「今すぐ、夫になりたいなどと焦った事は言わない。成人するまで待つから。俺と結婚して欲しい。だから、まずは、婚約者になってくれないか?」

 子供の頃から優しかった、デビュタント前のマナーレッスンの相手も努めてくれ、誕生日や祝い事などの節目に贈り物をしてくれる、頼もしく優秀な騎士になった素敵な親戚のお兄さん。──だったセオドア従兄にいさまが、私の前に跪かれて、私の手をとり、指先に口づけを落として、熱い目を向けて求婚なされた。


 夢でも見ているのかしら? セオドア従兄にいさまが、私に求婚?

 こんな時に、こんな冗談を言うような人ではない。

 では、本当に、求婚されたの? 私?


 自覚出来ずに、頭の中でセオドア従兄にいさまの言葉を繰り返し、何度も何度も反芻する。

 やがて、男性として、女性である私を望まれたのだと思い至り、本気らしいと悟ると、一気に顔に熱が上る。

「あ、あの、なんて言うか、セオ従兄にいさまはお兄さまで、クレディオス様と家を継ぐはずだったから、他の男性のことを考えたことがなくて⋯⋯」
「うん。だから、考えてみてくれないか?」

 どう返事をしよう? 今すぐ、受け容れることも拒絶することも出来ない。
 本当に、私が、クレディオス様以外の男性から求められることがあるなど、夢にも思ったことがなかったのだ。

 まだ幼い頃、母が亡くなり、弟や妹と言う後継者候補を望めないとなった時、王命がくだり、引き合わされたクレディオス様は、物語に出て来る王子様のように、薄金茶のサラサラの髪と時にシトリンの光も射す淡いヘーゼルの瞳の美少年だった。
 これまでに見たことのある一番美しい人は母だったけれど、少年だから母に及ばなくても、初対面で見蕩れるには十分な、相貌だった。

 セオドア従兄にいさまも父も、ノーブルな整った顔立ちではあるけれど、精悍さが際立つ。
 まだ幼い事もあって、少女と言われても信じそうだった。

 ──この人と、大人になったら結婚するのだ

 その思いは、ずっと変わることなく、エスコートの数が減っても、二人での外出にエミリアが伴うようになっても、変わらなかった。


 だから、他の男性を、夜会で会う人も身近な人も、そういう対象として見たことはなかった。


 何か言わなければ。さすがのセオドア従兄にいさまだって、勇気の要る告白だろう。
 恥をかかせてしまうし、傷つけてしまう。何か言わなくては⋯⋯! でも、なんて言えば?


 コンコン コン


 男性が訪ねて来た事で、廊下に通じる扉を開けっぱなしにしていたけれど、それでも勝手には誰も入ってこない。
 開け放たれた扉をノックする音に振り返ると、気まずげに笑みを浮かべるエリオス殿下が立っていた。

「お取り込み中すまないね? リレッキ・トゥーリとは話は終わった。中々納得はしなかったけれど、最終的には、王子としての要請の形をとって承諾させたよ」

 やはりお父さまは、私が殿下のお側で働くことをよしとしなかったのね。

「荷物は出来たかい? 取り敢えず身の回りのものがあれば足りないものは追々足せばいいだろう? もう出られるかな?」
「出る?」

 跪いていたセオドア従兄にいさま立ち上がり、私の肩を支えるように手を添えて、殿下に訊き返す。

「そう。エステルは、王立魔法士師団の司令部職員として、わたしの補佐官をしてもらうことになった」
「エステルは、まだ学生ですが⋯⋯」
「だが、もう、次学期で卒業だ。就職先が決まるのに早くはない。学校でも、わたしの研究室で共鳴魔法の開発チームに加わってもらう。彼女なら、わたしの魔法と親和性が高いので、研究も進むと思うからね」
「そう、ですか。エステル。光栄なお役目を頂いたんだね。だが、荷を纏める、とは?」
「あ、あの、研究生として色々都合もあるので、職員寮に入ることになりましたの」
「その許可を、リレッキ・トゥーリに取り付けるのに、こんなに時間がかかるとは思わなかったよ。魔法士師団の役職に、よほどコン⋯⋯いや、それはいいか。で? もう、出られるのかい?」
「はい。荷は出来ました。新しい生活に、何が必要か判らないので、今は必要最低限のものだけ。個室かルームメイトが居るのかは聞かされておりませんが、あまり物を増やさないようにしないと、と思いまして」
「もちろん、個室だよ。試験を受けて正規入隊した隊員でもなく、宮廷から派遣された職員でもない、まだ学生の君を誰かと一緒にすると、中途採用の新人として、何らかの軋轢を受けたりするかもしれないし、わたしの研究と仕事を手伝う以上、研究資料や誰かとやりとりをした手紙、君の知り得た情報などは、機密扱いを受けるものも出て来る。その事もあって、個室を用意させたよ」

 それはそれで、特別扱いだと言われないだろうか?

「事実だ。君から就職活動をした訳ではなく、わたしが直接スカウトした。わたしと共鳴魔法を対等に研究できる数少ない、特別な存在だ。多少のやっかみを受けるかもしれないが、職権乱用して釘を刺しておく」

 さあ行こう、と、手を差し伸べる殿下に、明るく短くハッキリと返事をして、新しい生活への一歩を踏み出した。





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