神様の料理番

柊 ハルト

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蜂蜜の吐息

14.5 ー ミョート村

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 オーガの亜種を討伐したからと言って、まだ森の警戒を解くわけにはいかない。
 アレクセイは渋る誠を客室に案内してから、フレデリクが待っている執務室へ向かった。

「失礼します」
「入れ」

 ノックをしてから、室内に入る。
 通常なら自分が使う部屋だが、使う人間が変わるとこうも空気が変わるのか。慣れているとは言え、室内は重厚な雰囲気が漂っている。
 フレデリクはソファにどっかりと座り、長い足を組んで鷹揚に構えていた。
 目線で示されたのでフレデリクが向かい側に座ると、テーブルにはハーブティーが用意された。ローゼスだった。

「俺はもう、寝たいんですが」

 フレデリクが何か言う前に拒絶する。長い付き合いだ。目の前の黒豹が、獲物を定めたのか否かは分かる。
 おや、と片眉を少し上げたフレデリクは、ゆらりと大きく尾を揺らした。

「本人は、何も言わなかったのか?」

 フレデリクが相手の都合を考えずに聞くのは、いつものことだ。
 これからだと言うのに、兄に引っ掻き回されたくないアレクセイは目を細めて黒豹を睨む。しかし子猫に引っ掻かれた程度にしか思っていないのか、フレデリクはゆっくりとティーカップを傾けた。

「向こうにもいろいろあるみたいなんで、口出ししないでください」
「おや。最短で団長のサインを貰ったのは私だが?」
「その点は、感謝しています。けれど、それとこれとは別かと」
「ほぉ…。強情だな」
「そうですか?普通だと思いますが。それに、貴方はマコトに警戒されている。むやみに近付かないでいただきたい。彼が逃げたら、貴方を恨みますよ」

 アレクセイが更に睨んだ瞬間、室内に雪の結晶が降りてきた。感情が昂ったせいで、アレクセイの魔力が漏れたのだ。
 ライトに当たって宝石のようにキラキラと輝くそれは、この雰囲気には不釣り合いの物だった。

「…お兄ちゃんが、そんな無粋なことをすると思うのかね?」

 一気に冷えた室内にも関わらず、フレデリクはテーブルに肘を付いてニヤリと笑う。

「そう見えるからですよ」
「ああ。狼の血は面倒臭いな…いや、君が真面目なだけか」
「…どうとでも」

 挑発に乗らなかったアレクセイが面白くなかったのか、フレデリクはまた尾を揺らす。
 馬鹿正直にフレデリクの揶揄いに反論していたのは、子供の頃だけだ。いい加減、自分が大人になったのを理解して欲しいと思う反面、フレデリクが自分を揶揄うのは未だ弟だと思ってくれているからだとアレクセイは理解している。
 しているのだが、マコトの事は別問題だ。
 彼を逃してはならない。逃してもやれない。
 ヴォルクの血は、己のツガイをただひたすらに求めてしまう、厄介な血だ。彼が何を隠し、何を言えないのかは知らないが、そんなものは纏めて包み込めるくらいの度量は持っていると、今は自信を持って言える。
 アレクセイは、魔力を抑えた。

「それはそうと」

 フレデリクは、小皿に盛られたクッキーを齧った。
 それは誠が特別に、ローゼスにあげたものではないのか。アレクセイはそっとローゼスを見ると、その視線はフレデリクに釘付けになっている。
 本当は一人で全部食べたいだろうに、相変わらずの献身っぷりだ。

「美味いな、このクッキーと言う菓子は」
「そうでしょうよ。マコトの手作りですし、彼の故郷ではポピュラーな菓子だそうです」
「東の国の出だと聞いたが」
「ええ。夕飯も作ってもらいましたが、大変美味でした。王都や周辺諸国でも味わった事のない料理でしたがね」
「…お兄ちゃんも食べたいのだがね」
「そうですか」

 盛大に羨ましがると良い。
 アレクセイは鼻で嗤うのを我慢した。

「それで、本題だが。神託の人物の件はどうだ」

 やっと本題に入った。
 アレクセイとフレデリクは、フレデリクが騎士団に入団するまで殆ど一緒に育ったというのに、性格は驚く程似ていない。
 アレクセイが生まれる前の事件がきっかけなのか、それとも元々の性格なのかは不明だ。
 けれど、お互いブラコンで特に弟を可愛がる傾向にあることだけは似ていた。

「手がかりすらありません。本当に王都の神殿に"料理番"が降りると言っていたのですか?」
「神官は、そうだと言い張っている。何しろ数年振りの神託だからな。向こうも張り切っているんだろう」
「張り切るのは布教だけにして欲しいんですがね」
「まったくだ」

 今回のアレクセイ班の遠征は、毎年行われる秋の討伐が一つ。そして秘密裏に「神様の料理番」を探すことが加わっていた。
 幸いにも、この国の教会との距離は、付かず離れずだ。 けれど教会側の、料理番の捜索依頼が騎士団に通ったのは、創造神が困るからと言う理由だからだ。すなわち、国の行く末に関わってくる可能性が大きい。
 神が今どういう状況か、誰も分からない。けれど、創造神ルシリューリクが実在することだけは、誰もが知っている。

「他の班からは?」

 そう聞いてから、アレクセイはハーブティーで口を湿らせた。
 誠と共に飲んだ物と同じなのだが、あの時の方が甘かったとアレクセイは思った。

「何も。そもそも、その料理番の特徴すら知らされていない。どうやって探せと言うんだろうな」
「…そうですね」
「ただ、狐の化身というのが追加の神託で降りている。狐の化身…どういうことか分かるか?」
「いえ。狐の獣人なら分かりますが、それとは違うのでしょうか」
「どうだかな。神のことは我々には分からんよ」
「兄上でも、ですか」
「ああ、俺でもな。雪豹達にも聞いてみたが、同じだった」
「ふむ…」

 アレクセイは狐と聞いて、先日出会った九尾の狐のことを思い出した。
 自分には獣姦の趣味はない。しかし、あの柔らかな毛並みの下の皮膚に牙を立てた。あの甘美な時を、忘れられないでいる。

「九本の尾を持つ狐…」
「……」
「お前が報告してきたことだ。しかし、獣だったのだろう?」
「はい。言葉を発することはありませんでしたので」
「年寄り連中に聞いてみたが、知らないとのことだ。古い文献を当たってみたが、そんな記述も無かったしな」

 料理番も九尾の狐についても、手詰まりだということが判明した。
 血眼になって探さなければならない、という状況ではないだけマシなのだろうか。
 アレクセイは小さな溜息を吐いて、クッキーに手を伸ばした。ローゼスの強い視線を感じるが、無視した。
 何しろ、バスケットいっぱいに貰っていたのだ。後で好きなだけ食えば良いし、何だったらフレデリクの膝の上で食べさせ合えば良い。フレデリクはローゼスに甘いので、頼まれなくても、それくらいはするだろう。
 バターの香りが鼻腔を擽る。サクっと小気味よい音を立てたクッキーは、アレクセイの口内でほどけた。
 室内には暫く、大の大人二人がクッキーを食べる音が響いていた。

「母上が、店を出そうと言いかねんな」

 ポツリと呟くように、フレデリクが言った。彼が言う「母上」とは、ヴォルク公爵夫人のことだ。
 アレクセイは「確かに」と同意した。
 社交会を牽引する一人である彼女は、ローゼスと同じくらい甘い物に目がない。フレデリクがヴォルク家にローゼスを連れて行くと、かなりの確率で彼女に取られ、一緒にお茶をしているのを眺めるだけになる。
 甘い物は好きだがそこまでではないフレデリクは、貴族街のどこそこに新しいカフェがオープンしただの、大通りのどこそこの跡地に新しいスイーツの店ができただのと、楽しそうな二人の間に入れず、幾度となく歯噛みしている。
 誠が自分との仲に承諾してくれれば、そうなるのは次は自分だ。母の専属料理人として取られるのだけは、阻止しなければならない。
 アレクセイはそっと、冷や汗を拭った。

「次の村に出立するのは、予定通り行え」
「分かりました。交代の討伐班のリーダーはライトなので、心配はいらないでしょう」
「そうだな。お前の班の中でも、特に優秀な奴だしな」
「ええ」



 それから二人は通常の情報交換を行い、話し合いはお開きとなった。
 アレクセイが部屋を出ようとすると、フレデリクは呼び止めた。

「何か?」
「マコトに伝言を頼む。"いつ尻尾を出すのか?"、と」
「…は?」

 アレクセイの目付きが変わり、耳が寝て臨戦態勢になったのを見たフレデリクは、さすがにマズいと思ったのか、アレクセイの両肩をパンパンと叩く。

「いやなに、彼を疑っているわけではないよ。別件だ。そう言えば彼には伝わる」
「…そうですか。それでは失礼します。王都に戻っても、ちゃんと仕事はしてくださいよ」
「分かった分かった。アレクセイ、無事に王都に帰還したまえ」
「はい」

 執務室を出たアレクセイは、気が重かった。
 フレデリクの伝言の内容のことだ。言葉通りなら、マコトの何かを掴んでいることになる。獣人の中でも魔力が桁外れのフレデリクだ。何かが見えたのも頷ける。
 しかし、それを自分に伝えないというのが解せない。
 アレクセイの心の中に、一滴の不安が落とされたが、待つと言ったのは自分だ。頭を振り、アレクセイはその不安を追い出した。
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