神様の料理番

柊 ハルト

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ミルクの優しさ

10.5 ー スイール村

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 王都騎士団の新人入団は春に行われる。入団者の半数は騎士学校の卒業生、それ以外は平民や冒険者の息子、魔術学院の卒業生達だ。
 入団すると、騎士学校の卒業生でも復習がてらに騎士の精神を叩きこまれ、より王都騎士団としての矜持と精神を持つようにと教育される。
 そして夏の地獄の合宿があり、翌年の春には新人はまず第四部隊へと配属される。そこで初めて、王都騎士団の新人とみなされるのだ。
 第四部隊の職務は、基本的に王都の警邏と治安維持だ。それに慣れてくると、今度は各部隊への出向が行われ、各部隊の業務の理解、連携を学び、そこから各部隊へと配属が決まる。希望する部隊への配属はある程度叶えられるが、配属されてからがある意味本番と言って良い。
 秋の討伐遠征は、毎年行われる。それゆえに、アレクセイ以上の上官達は部下の査定の時期としている。
 今回、アレクセイがレビとライトの諍いを誠に任せたのも、これが原因だった。
 本来なら一応は声をかけ、すぐに上官の命令を聞くのかを見る。しかしその間に入ったのが誠だった。
 この時アレクセイは、誠がどのような行動を起こすのか、ある種の上官目線で見ていたのだ。無理に止めると、双方に遺恨が残る。言葉だけで諭しても、あのライトはまた同じことを繰り返す。
 さあ、どうする?
 アレクセイは、誠に期待していた。
 誠の引き出しは多い。アレクセイが思ってもみないことを、易々とやってのける。人間だと思っていたが、先祖は狐だと言う。これも思ってもいなかったサプライズだ。
 飄々としているようで、楽しそうな表情をよく見せてくれる。怒ると心の中を見透かされそうな瞳に、目を逸らせなくなる。
 誠の見せる全てが、アレクセイを魅了していた。
 しかし、ここまで怒る誠を、アレクセイは見たことがなかった。
 食堂内に落ちた雷は、誠が原因だ。オークの亜種を倒した時に見せた時以上に、誠からは近付き難い何かが発せられている。
 それは、この世のいかなるものと比べられるものではない。王都の大聖堂の祈りの間よりも清涼な空気が、誠の周りにはあった。
 誠は、何者なんだろうか。
 誠という存在を、知れば知るほど不確かになる。本当は、自分達よりも遠い存在ではないのか。そんな考えに囚われたことは、一度や二度ではない。アレクセイは誠によって、いつも不安と幸福の波に飲まれている。
 手を伸ばそうとしたが、なぜだか止めてしまった。
 自分は誠の隣に並ぶ存在ではない、咄嗟にそう思ってしまったからだ。
 けれど、夜になると現れる滑らかな毛並みが、自分の手をそっと擦り抜けていった。アレクセイは慌てて手元を見るが、その存在は見えない。
 一瞬だけ、誠と目が合った。
 ああ、許されたんだ。アレクセイは、そう思った。
 試しているようで、試されているのは自分だ。お互いに、距離を測り合っているのだ。少しずつ、慎重に誠の中に爪痕を残さなければならない。離れないように、離されないように。
 だから、誠と食堂に戻って来た時のライトの行動は、許せるものではなかった。何をしたのか誠が簡単にライトを跪かせたが、アレクセイの怒りはそれで治るものではない。
 距離を測り間違えると、きっと誠は自分達なぞ簡単に切り捨てることができるだろう。だからこそ、余人に手を出してほしくはないのだ。

「ライト」

 アレクセイの声が、食堂内に低く響く。

「いい加減にしろ。貴様は騎士の何たるかを忘れたのか」

 騎士は高潔であれ、紳士であれ、国王の剣であれ、民の盾であれ。
 これは騎士学校でも王都騎士団でも、訓練前の声出しとして覚えておかなければならない規律だ。

「マコト、君はもう上がっても良い。後片付けは俺達でしよう」

 アレクセイはライトの首根っこを掴み、唇を尖らせている誠に言った。誠は素直に頷いたが、チラッとワゴンを見る。

「どうした?」
「…いや。飯は?」

 こんな時でも団員達の食事を心配してくれる誠は、いっそ女神か何かだと思ってしまう。おかげでアレクセイは少しだけ毒気を抜かれ、ライト班の団員達にテーブルに着くように指示をした。
 彼らの食事中に、交代の引き継ぎを済ませる。こちらもミョート村もその後特に魔獣が増加したという報告が無かったので、スムーズに終わる。
 アレクセイはライト達の話を聞き終わると、ティーカップを静かに置いた。

「…そうか。では我々は明日の朝、次の目的地に発つとしよう」

 空になったカップに、オスカーが新しい紅茶を注ぐ。厨房からは、ダン、ダン、と何かを打ち付ける音がここまで聞こえて来た。誠が何かを作っているのだろうか。
 アレクセイは、ライトに視線を向けた。

「ライト。ここからは、一班の班長ではなく、ヴォルク家の者として貴様に言う」
「…何ですか?」

 少しは反省しているのか、ライトの顔色は悪い。

「ヴォルク家のツガイに手を出す者は…」

 ダン!
 と、一層大きな音が聞こえる。

「決闘だ」

 アレクセイが言い終わると共に魔力が漏れ出し、また室内が雪原に変わっていく。
 これは脅しではない。警告だ。
 アレクセイの本気が分かったのか、ライトは無言で、コクコクと頷いていた。


 団員達を解散させた後、アレクセイは厨房を覗きに来ていた。
 カウンターから見手見ると、誠は手に棒を持っている。

「マコト、何をしているんだ?」
「おー、アレクセイか。これは、肉を柔らかくしてるんだよ」

 作業台の上には、平になった肉が何切れも重ねられていた。中へと招かれたアレクセイは、入る前に自分に洗浄魔法をかける。

「こんな調理法もあるんだな」
「うん。そろそろチキンカツとか食べたいなーって思ってさ」
「チキンカツ?」

 マコトはまたアレクセイの知らない料理名を言う。それはさながら、魔法の呪文のようだ。

「えーっと…揚げ物…フリッターの一種?」
「ああ、フリッターか」

 それならば、アレクセイでも知っている。王都ではメジャーな料理で、徐々に各地にも広がってきている調理法だ。

「そ。その下準備」
「そうか。だが、明日の朝には出発だぞ。朝からそのチキンカツとやらか?」
「ああ、ライト達が来たもんね。うーん…どうしようか」

 頼めば誠は、朝食にチキンカツを出してくれるだろう。しかし、アレクセイの心はさほど広くはない。今の小班のメンバーに与えてやるだけで、精一杯だ。

「それは、移動中では無理か?」
「大丈夫だけど…ソースも作りたいし、移動中の夕飯にしようか」
「ああ、頼む」
「了解。楽しみにしといて」

 ニッコリと笑う誠に、アレクセイの胸はじんわりと暖かくなる。綺麗に弧を描く唇に引き寄せられるように、アレクセイはそこに小さく口付けた。
 ちゅ、とリップ音をさせながら離れると、誠の頬はほんのりと色付いている。
 自分の両親もよくこうして、何もない時でもキスをしていた。ただの親愛の証としか思えなかったが、誠とキスをするようになって、アレクセイはその意味がようやく分かった。
 愛おしい。
 それを相手に伝えたい。そして、誠の可愛らしい反応を見たい。

「ったく…料理中はキスすんなよ」
「すまない。つい、な」
「ついじゃないっつーの。危ないだろ」
「大丈夫だ。君がその棍棒を俺に振り下ろさないことは知っている」
「棍棒じゃなくて、麺棒だよ」
「メンボー…?」

 パシリ、と棒の先端を片手で受け止めた誠は、アレクセイの目の前でその棒をゆらゆらと揺らした。

「メンボーじゃなくて、メンボウ。いろいろと使えるんだ」
「武器ではないのか」

 アレクセイは感心したように言った。

「…武器にしてみようか?」

 ニヤリと笑いながら、誠が言う。本気で言っていないことは分かっているので、アレクセイは誠の腰を抱いた。

「それは怖いな。君を怒らせると、周囲にある物全てが武器になりそうだ」
「正解!ご褒美は、俺の手伝いだ。嬉しいだろ?」
「ああ、そうだな。それで、俺は何をすれば良いんだ」

 雑用でも何でも、誠が自分を頼ってくれることが嬉しい。アレクセイは、ゆらゆらと尾を揺らしていた。

「じゃあ、パン作りでも手伝ってもらおうかな。移動中の分を今から作らないと」
「ああ、任せてくれ」

 こうして、アレクセイの手伝いは深夜まで及んだ。
 誠は自分に新しい風を運んでくる。そして自分の背後に何があるかを、再確認させられる。
 知らない料理、考え方、感情。そして守る対象である市民達の苦労の一端。
 市井に下り、各国を周れば同じ風を感じられるだろう。けれど、この感情だけは誠でなければ無理だ。
 アレクセイは、オーブンの焼き具合を見ている誠を後ろから抱きしめた。

「何?」
「いや…。君を抱きしめたくなっただけだ」
「ふーん。そう」

 思わず伝えそうになった想いを、アレクセイは腕に込めた。
 抱きしめていても、誠との間には薄い壁がある。それを壊すのは、自分の役目だ。そのためには、誠にもっと自分を信じてもらわなければならない。
 誠に相応しい男になろう。
 アレクセイは誠の髪にキスを繰り返しながら、ひっそりと誓った。
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