愛に抗うまで

白樫 猫

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7話

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9月に入っても、まだまだ猛暑日が続き、日中の暑さは外回りのサラリーマンには堪える。
そんな事を考えながら、虎太郎は来栖の背中を追いかけていた。
あれから1ヶ月以上経つが、来栖があの日の事を口にすることはなかった。
今まで通り、主任として指導してくれ、その事が、虎太郎にはすごく嬉しくもあった。

「主任‥‥来栖主任!」

クールビズと言われてはいるが、ジャケットを脱ぐだけでは何も変わらないほどの気温。
振り向いた来栖も額に汗を流し、背中のシャツは汗で滲んでいた。

「早く来い、若奈」

汗だくで歩くだけでものぼせそうな気温の中なのに、来栖の顔は爽やかな笑顔だった。

「‥はっ、はい」

今日は一日、来栖と一緒にお得意様周りをしてた。それも、あと1社で終わる。

「あとは、伊藤食品だけだ。もう少し頑張れ。‥しかし暑いな~これが終わったら、お茶でもして帰るか」
「はい!」

汗だくで伊藤食品に着くと、受付へ向かいアポイントの確認をする。1階にある応接室に案内されしばらく待つ。
女性が出してくれた冷たいお茶を、グイっと飲み干すと、体の中の体温がグッと下がり、生き返った気がする。
伊藤食品とうちの大島食品とは、レトルト食品の開発を共同で行っている。
まぁ、開発しているのは主に伊藤食品だが、その製造・販売を手配しているのが大島食品。
お互いにメリットのある関係だった。

「いや、お待たせしました」

応接室の扉が開き、恰幅の良い男性とすらりとした眼鏡の男性が入ってきた。

「いえいえ、こちらこそお忙しい中、お時間を頂きまして、ありがとうございます。今日は、新人を連れてきまして、挨拶をさせて下さい」

虎太郎は入って来た男性に頭を下げながら、ニコリと微笑む。

「若奈虎太郎と申します。よろしくお願いいたします」
「私は、企画開発の村田です。来栖さんには、いろいろお世話になっております。よろしくお願いします」

まずは恰幅の良い男性と名刺交換をし挨拶を交わす。
続いて眼鏡の男性が鈴木と名乗り、同じ様に挨拶をする。
今日は、挨拶と開発中の商品について打ち合わせを少しだけすると、お暇することになる。
最近では、実際に会って打ち合わせする事はほとんどない。主にメールやオンラインで会議を行って詳細を詰める事が多い。
たまにこうして顔合わせを行うくらいだそうだ。

伊藤食品を出ると、先ほどまでエアコンで冷えた体が、すぐに熱を発し始める。

「あち~、今日の予定は終了だな。ちょっとお茶していこう」

来栖の言葉に、虎太郎は頷き、二人は近くのコーヒーショップへと入っていく。

「はぁ~生き返るな~」

来栖はアイスコーヒー、虎太郎はいつものアイスカフェオレを頼み、窓際に掛け一口飲むと、来栖の口から無意識に声が出てくる。

「ふふっ‥来栖主任、ちょっとオジサンっぽいですよ‥」

そんなふざけた言葉が出るのも、虎太郎が来栖の傍に居る事に慣れ、打ち解けているからだろう。

「なんだよ、オジサンって、5歳しか違わないだろ?失礼な‥」

優しく笑うその顔が、少し眩しく感じるのは、傍に居て心が穏やかになるのは、きっとあの時の来栖の優しさで、自分の心が少しだけ前向きに変化したからだろうと、虎太郎は感じていた。


来栖は自分のマンションに着くと、ポストの前で足を止めた。
何かを考えているようにジッと自分のポストを見ていたが、意を決した様に手を伸ばし、ロックを解除して開く。

「‥‥ちっ‥またか」

ポストの中には、いつも入っているダイレクトメール、それに‥A4サイズの紙切れ一枚。
『人のものに手を出すと、報いを受けますよ』
パソコンで印刷された紙。しばらく前から続いている。
まぁ、これくらいなら‥そう思い、無視しているが、かれこれ1ヶ月以上も続いており、途方に暮れているというところ。
思い当たる節が‥‥ありすぎて‥。
来栖は大きく溜息を付くと、手に取った紙をクシャリと握りつぶす。

部屋に入ると、来栖はスーツを脱ぎシャワーを浴びて着替える。
普段とは違うダークグレーのシャツに細身の黒のパンツを合わせ、シルバーのアクセサリーを身に着ける。
そして、少し長めの髪をワックスでセットし、いつもと全く違う雰囲気で出掛けて行く。

駅前の繁華街の中を少し歩くと、暗い路地を入り、目立たない場所にある重厚な扉を開く。

「いらっしゃ~い」

カウンターの中から声を掛けたのは、ピッタリとした黒のTシャツとパンツが悲鳴を上げそうなマッチョな体に、刈り上げている髪に彫りの深い顔、そんな風貌の人間だ。

「ああ、いつもの」

片手をあげ挨拶を交わすと、来栖はカウンターへ座った。
座ると店の中をぐるりと見渡し、客の様子を窺う。
カウンター席以外にも奥にテーブル席があり、ひとつのテーブルでは数人が盛り上がっていた。
視線をカウンターに戻すと、目の前にコースターと琥珀色の酒が入ったロックグラスが置かれた。

「はい、どうぞ」
「サンキュ」

グラスを出しても、来栖の目の前にジッと立っている人間に、チラリと視線を送ると、そいつはニヤリと笑った。

「‥‥なんだよ」
「なんでもないけど~なんかハルちゃん、機嫌悪いから‥」

ハートでも飛んできそうな甘い言葉を、体をクネクネさせながら発して、いかつい風貌とは似合わず来栖がクスッと笑う。

「よく分かるな~イサム」
「いや――!名前で呼ばないで!ママって呼びなさいよ!」
「クックッ‥ママって姿じゃないだろ‥」
「いいの!もう‥‥で? 何があったの?」

心配されているのは分かった。

「あー別に大したことじゃないけど‥最近、イタズラが多くて‥」

イサムが興味津々と先を促すようにうなずく。

「マンションのポストにさ、人のものを取るなって書かれた紙が、しばらく前から入ってる。‥まぁ、毎日じゃないけどさ‥」
「え~やだ~!ハルちゃん、誰に手を出したのよ~ふふっ‥」

面白そうに指で来栖をツンツンと突きながらイサムが笑う。

「‥笑ってんじゃねぇーよ‥」
「ふふっ‥だって、可笑しいじゃない。それで、思い当たる人が多くて、見当付かないって事でしょ?‥クスクスッ」

腹を抱えて笑い出すイサムに、むすっとした来栖がグラスを空ける。

「おかわり!」

少し腹立たしそうに空のグラスを差し出してきた来栖に、イサムがはいはい‥と新しい酒を用意する。

「ママ、俺にも同じもの」

今、店に入って来た男が店内に視線を巡らせた後、来栖の隣にすっと座ってきた。

「は~い」

イサムは、チラリと来栖に視線を送る。
イサムが同じロックグラスを並べておくと、隣に座った男が来栖の方を見る。

「俺、ケン‥よろしく」

そう言って、グラスを合わせてくる。カチンと鳴ったグラスを目の前まで持ち上げ、ケンはニコッと笑う。
同じ様に来栖も微笑み、琥珀色の液体を口に含んだ。

「お兄さん、名前教えて」

ケンが聞いてきた。

「‥‥ハル」
「ふふっ‥ハル‥よろしく」

ケンと言う男は、小柄な可愛らしい顔立ちの男だった。笑うと目尻が下がる。
あ~虎太郎に似てる‥‥そんな事がふと頭をよぎり、来栖は苦笑した。

「なに?‥俺、なんかおかしい‥?」

不安そうな顔をこちらに向けてくる姿が可愛らしく、来栖は手を伸ばしケンの髪に触れた。

「いや‥可愛いなって‥」

少し赤くなるケンの顔を見て、来栖はふふっと笑った。
そして、カウンターの中では、イサムが肩を竦め呆れた顔をして息を吐いた。

「じゃあ、出る?」

来栖は、頬が赤いケンの頭の後ろに手を触れ自分の方に引き寄せると、耳元に唇を這わせそう囁く。
来栖はフッと笑みを浮かべると、コクンとうなずいたケンと一緒に立ち上がる。

「ママ、お会計‥」

機嫌のいい時は、ママって呼ぶんだから‥‥イサムはブツブツと言い、支払おうとするケンの手を遮った来栖から二人分のお金を受け取る。
ありがとうと入り口に向かうケンの背を見ながら、イサムは来栖の耳元で忠告する。

「ハルちゃん、ほどほどにね‥」

少し心配そうな顔のイサムを横目に、来栖はウィンクを返し、ケンの肩を抱きながら店を出て行った。

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