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ようこそ、オオトリ様

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私の目の前には椅子に腰かけた癖毛の美形が居る。
私が見下ろす形になっているこの美形は、この世界の第5王子・・らしい。
ちなみに出会って、まだ一時間も経っていない。
そして今、簡易的な「お見合い」の最中だ。
仲人さんが居る訳でも無いし、身上書を貰った訳でも無い。ただ「この国の第5王子です。粗相の無い様に」的な事を言われて、部屋に放り込まれた。
突っ立って置物になっている私に痺れを切らしたのか、目の前の王子が顔を上げてイライラした声で告げる。

「おい、早くしろ。オオトリ」

ペリドットを思わせる彼の緑の瞳と目が合う。その眼には、甘い感情など無くて不機嫌そのもの。
こんな雰囲気なのに、私は彼にキスをしないといけないらしい。
初見の相手、しかも王子とキスなんて、どう考えても「粗相」だと思うが相性を確認する為に必要らしい。
うぅ・・確かに初見でキスが出来ない人とはそれ以上も無理って聞いた事あるけど、こんなに事務的に確認して意味が有るのか?
色々、不平不満は有るが、今の私に拒否権は無い。

「・・はい」

私はしぶしぶ彼の肩に手を置くと、腰をかがめて彼の額におずおずと口づける。多分、王子の希望は唇同士なんだろうけど、私と王子は初見で顔見知りですらない。唇同士は躊躇われる。
さすが王子、良い香りがするし、お肌もしっとりすべすべだ、そう思いながら唇を離すと、彼とまた目が合った。
一段階進めれば、ちょっとは変わるかと思ったが先程と変わらず「いいムード」なんてものは一ミリも無い。
王子は肩に置いていた私の右手をぎゅっと掴んで、眉間に皺を寄せ睨みつけて来た。
美形にじとっと睨まれて、私は息を呑む。じわりと嫌な汗も滲んで来た。

「・・おい、オオトリ。お前は俺を子ども扱いしているのか?」
「そ、そ、そんな事は無いです!子ども扱いなんてしてません!」

王子の認識は「額へのキスは子ども扱い」なのかもしれないが、私は違う。その辺りの事をご理解いただきたい・・。
私が慌てて否定すると、王子が私の後頭部に右腕を回して来た。王子が私を引き込む。
距離が一気に縮まった所為かふわっと薔薇の様な、華やかな香りに包まれる。
王子の鼻先がこつっとぶつかった。唇は触れないが、彼の息遣いが肌に触れる。

「子ども扱いした事、後悔させてやろうか」

低い声ですごまれて、蛇に睨まれた蛙の様に固まってしまう。また置物になってしまった私に王子が呆れた声で指図する。

「おい、目くらい閉じたらどうなんだ。お前の世界では、口づける時に目を閉じる習慣は無いのか?」

横柄な物言いだが、何故だか王子の言葉に従ってしまう。
生まれてからずっと、人にかしずかれて来た王子の迫力に負けてしまったのか、それとも、王子ともっと触れ合いたくなってしまったのか、自分でもよく分からない感情のまま瞳を閉じる。

目を閉じると、私の唇の端に王子の唇がふわっと触れて、今度は反対側に触れる。それを数回繰り返す。
「後悔させてやろうか」と言っていた割には、ずいぶん遠慮がちな進め方だ。
私が嫌がるかどうか反応を見ているみたい、そう思っていると彼の濡れた唇が私の唇に触れた。

その瞬間、お腹の奥の方がきゅうっと縮まる感覚が起こった。
触れるだけのキスなのに、なんだ、この感覚・・。
唇を合わせただけなのに、お互いに吐息を漏らす。二人の声が重なる。

「・・はぁ」

王子は感触を確認する様に、私の下唇を柔らかく食んだ。
与えられる刺激に、背筋から気持ち良さが抜ける。快感に足元がぐらつく。

「・・ん、ふぅ」

下唇を甘噛みすると言う積極的なキスの仕方と、自分の漏らした官能的な吐息に自分でも驚いて、目を開ける。
当たり前と言うか何と言うか目の前の王子とバッチリ目が合ってしまった。
また無粋な女と思われるかもしれない、と思っていると、王子が余裕の無い声で呟く。

「おい、さっさと目を閉じろ。もう一度・・」

言い終わるか言い終わらない内に、王子にぐっと顎を掴まれる。痛い、と思ったら噛みつく様にキスをされた。
な、な、何で突然王子から雄になったんだ!そう思って、王子の肩を押して逃れようとするがびくともしない。
もっともっと深く、と言う様に王子の舌先が私の唇にぶつかる。王子は角度を変えてこじ開けようとするが、これ以上の侵入を許すのが怖くてぎちっと唇を結ぶ。
王子のキスの合間の吐息が熱い。薔薇の様な香りも濃くなった気がする。

やばい、やばい。本当にやばい。
王子の豹変ぶりもやばいが、私の自制心もやばい。
唇が触れ合うキスが久し振りな所為か?王子が美形だからか?
なるべくキスの気持ち良さから気持ちを逸らそうと別の事を考えるが、色んな事を全部ほっぽりだして身を委ねそうになる。

「・・オオトリ」

王子の濡れた名前呼びに、私はぐいっと現実に引き戻された。ひやりとした不安を思い出す。

そうだ、私の名前は「オオトリ」では無い。この世界の人間でも無い。


/////////////

事の始まりは数日前。二、三日程前だったか・・。
その日も最終電車に揺られて帰宅する途中だった。

終点から三つ前が私の降りる駅だ。後、二駅・・・・。
身体を座席に預けると、イヤホンから聞こえる音楽が子守歌の様に聞こえてしまう。

「はぁぁ、疲れたなぁ」

この前、寝過ごしてしまって終点まで行ってしまい、エライ事になったじゃないか。そう自分を叱咤するが、自然と瞼が下がって来る。
何とか眠気を払おうと、人影もまばらな座席で軽く伸びをしてみたが、効果は無い。

「寝ちゃいけない、寝ちゃいけない。これは終電だから・・・・」

呪文の様に唱えながら、スマホの画面を確認しノリの良い曲へとスキップする。
私の努力も空しくとろとろとした眠気に呑み込まれて行く。
私が降りる駅の一つ前に着いたのか、遠くで微かにアナウンスが聞こえる。

「・・・・、・・・・、お降り・・・・は・・・・」


・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

少し前まで感じられた揺れや、人の気配が無い様な気がしてドキリとする。いつの間にか眠っていたらしい。

「イカン!寝過ごした!!」

ハッと目を開けると、見慣れない白い天井が目に入った。電車で寝入ってしまったはずなのに、気が付くと私の体はベッドの上だった。

「は?」

なんだこれ。ここ何処だ?最後の記憶は到着のアナウンス。今の自分は何故だかベッドの上。余りの落差に頭が混乱する。
もしかして、車内で意識を失ってしまい何処かに運び込まれたのか?もぞもぞと起き上がり辺りを確認するが、病院らしくない部屋だ。
病院と言うより、生活感の無い・・そう、モデルルームみたいな感じだ。
病院じゃないとすると・・。

「まさか、誘拐とか?」

呟いてみるが、全然全くピンと来ない。一般庶民で社畜の私を誘拐したところで身代金なんてたかが知れている。
じゃあ、拉致か?その単語に、鈍い私の危機管理も黄色信号を灯す。
せめて現在地は確認しないと!

「と、取り合えずカバン!スマホ!」

慌ててベッド周りを確認するが、私の持ち物らしき物は無い。
車内で意識を失った時に盗られたのか失くしたのか、この部屋の主が預かってくれているのか。スマホが有れば、ここが何処だか分かると思ったのに。
何か手掛かりは無いかと改めて部屋を見回してみる。広さ的には20畳ぐらいかな。家具が少ない所為かガランとしていて生活感が全く無い。手掛かりも無い。
ベッドは広々、フカフカ。リネン類は白く、清潔。どれも端の方に紺色の糸で模様が刺繍してある。
脇にはサイドボードが一つ。その上にはアンティーク調の燭台が一つ。
足元には、濃紺のソファが一台。
茶色い厚手のカーテンが引かれている窓が二か所。良く見てみれば薄っすら光が漏れている様な気もする。時間は夜では無いらしい事だけは分かる。
ベッドから一番遠い場所にドアが有る。

「・・本当にここ、何処よ・・」

持ち物は無い。現在地も分からない。不安が一気に押し寄せて半分泣きそうになりながら呟く。夢なんじゃないかと手の甲をつねってみるが一向に覚める気配はない。
居眠りしてただけなのに・・。あの時、居眠りしなければ。最終電車まで残業が長引かなければ。
色々悔やまれて唇を噛む。

よし、決心がついたら、あのドアを開けてみよう。
後、生きて帰れたら転職先を探そう。もう最終電車は懲り懲りだ。
私は一つだけのドアを見詰める。

「・・よし」

決心を固めて、ベッドから出てドアの方へ向かおうと一歩踏み出した時、ドアが小さくノックされて私の返事を待たずに開いた。

「ひぃっ!!」

ドアから出て行く事は考えていたけど、向こうから入って来ることは全く予想していなかった!
予期せぬ出来事に、私は引きつった悲鳴を上げる。

ドアから現れたのはさらさらの銀髪に日に焼けた肌の背の高い男性だった。手元には数枚のタオルが有り、備品の交換をしに来た様だ。
男性の方も、私がベッドの傍で立ちすくんでいる姿は予想外だったらしい。琥珀色の瞳が大きく見開かれる。

「あっ!し、失礼しました。まさかお目覚めだったとは」

そう言いながら、こちらに向かって慌てて一礼する。そして、ベッドの足元のソファへ向かうと手元のタオルを置いた。彼の反応から判断するに、今すぐ何か危険にさらされる訳では無さそうだ。その点はちょっと安心する。
少し安堵すると同時に戸惑いも生まれる。聞きたい事は沢山有るのだが、相手は外国人だ。色々質問攻めにしても大丈夫なのか?こんな時に何だが不勉強を後悔する。

「えーっと・・・・あの、日本語通じますか?」

私の恐る恐る尋ねた質問に、銀髪の男性は柔らかく微笑んで答える。

「『ニホンゴ』と言うものがどういう物かは分かりかねますが、言葉は通じますよ」
「あ、そうですか。それにしても日本語お上手ですね・・・・」

そこまで言って、ある違和感に気が付く。
確かに、彼の言葉は理解出来る。でも、彼の話す「音」は日本語じゃない・・。
でも、何故だか彼の話す言葉は理解出来る。その事に気が付くと、ざぁっと血の気が引く様な気がした。

「す、すいません!ここは何処ですか?後、今日は何日ですか?」

私はさっきまで警戒していた事を忘れて、銀髪の男性の元に駆け寄って前のめりで聞く。
彼の答えを聞いてもいないのに、何故だか泣きそうだ。
銀髪の男性が一瞬、憐みの様な表情を浮かべる。けれど、それは本当に一瞬。すぐに柔和な微笑みを浮かべながら恭しく一礼して、日本語じゃない「音」で答える。

「・・ここはバシレイアーです。ようこそ、オオトリ様」

な、何?何が起こってるの?
私は膝から崩れ落ちて、近くのソファにしがみ付いた。
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