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断りは要らないですよ

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ミスティコさんが持っていたトレイをガチャンとテーブルに置くと、アルケーさんの後ろから声を掛ける。
ミスティコさんと目が合い、アルケーさんの気持ちが落ち着くまではそっとしておいてあげて欲しい、と視線で訴えるが鼻で嗤われた・・様な気がする。

「・・えぇ、オオトリには複数のトマリギが必要な事位、分かっています。私は婚約者と言っても、所詮はトマリギの一人に過ぎない」
「おいおい、所詮って何だ。トマリギになりたくてもなれない枝が大勢、存在するって忘れたのか?」

呆れた様にミスティコさんが言う。アルケーさんはミスティコさんの言葉には答えず溜息を吐く。
アルケーさんの様子も気になるが、ミスティコさんの言葉も気になる。トマリギになりたい人って、そ、そんなに大勢居るの?ちょっと怖いんですけど。
私の不安とは違う不安で一杯らしいアルケーさんは、私の頬に添えていた手にぐっと力を入れて自分の胸に私を掻き抱いた。
突然、アルケーさんの胸の中に引っ張り込まれたので、少し苦しくなる。

「そうですね、こうやってオトを胸に抱ける。それが出来るのは私だけで有って欲しい、と思うのは強欲なのかもしれません」
「北の、『かも』じゃないからな。その願望は欲深いからな。お前は昔から本当に諦めが悪い」
「ミスティコも昔からですけど、かなり女々しい部類に入ると思いますがね」

あ、アルケーさんがいつもの調子に戻って来た、少し安心した、とぼんやり思う。
ぼんやりしているのは、二人がぎゃあぎゃあやり合っている間、密着して息がしづらい所為だ。酸素を求めて大きく息を吸った瞬間、胸一杯にアルケーさんの香りが広がり、私の意識の端っこを侵食し始める。
その浸食が予想よりずっと早くて、深い。完全にアルケーさんに身体を預けて力が抜けてしまう。
ちょっと前までは、ここまでアルケーさんの香りに当てられる事は無かった様な気がする。な、何なの、私は一体どうしちゃったんだろう。
私がアルケーさんにぐったりもたれ掛かっているのに気が付いたミスティコさんが「おい」と声を掛けて来た。いや、もしかしたらアルケーさんに言ったのかも。

「おい!オオトリを離せ!」

ミスティコさんが右手でアルケーさんを引き剥がし、左腕で私を支える。ミスティコさんの苛立った声が傍で聞こえる。

「おい、アルケー、お前が力加減をしないから・・」
「・・そ、そうじゃない・・んです。えっと・・何か、アルケーさんの・・香りが・・変って言うか、いや、私が変・・なのか・・な?」

私がしどろもどろになりながら答えると、ミスティコさんがゴチンッと音がしそうな勢いでおでこを合わせて来た。

「体調が悪い訳じゃないんですよね?」

お互いの吐息が溶け合う位の距離で心配そうにミスティコさんが尋ねる。
アルケーさんの香りから解放されと思ったら、今度はまたミスティコさんの香りが微かに鼻腔をくすぐる。アルケーさん程じゃないのが救いだけども、二人の香りが混じり合って、それが私の感覚を酔わせる様な・・。

「た、た、多分、大丈夫だと・・思うんですけど・・と、取り合えずアルケーさんもミスティコさんも、ちょっと離れて貰えます?」

そう言うと、二人は慌てて分担して窓と寝室に続くドアを開ける。本当は出入り口のドアも開けたかったんだろうけど、私が居るから出来ないらしい。
窓と言う窓を開け放すと、二人ともちょっと迷ってから正面のソファに腰掛けた。本当は私の隣で様子を見たいんだろうけど、私の「離れてくれ」を聞き届けてくれたのだろう。
窓を開けた所為なのか、二人からちょっと距離を取った所為なのか頭が若干ハッキリして来た。やはり香りに当てられただけの様だ。
向かいから、二人が心配そうにこちらを無言で見詰めている。

「あの、少し落ち着きました。ご心配お掛けしてすいません」

私は少し頭を下げて、そう言うと、ミスティコさんが持って来たトレイからお茶のカップを一つ私の前に置いた。

「まぁ、大丈夫そうには見えませんが、少し落ち着かれたのならこちらをどうぞ」

自分とアルケーさんの所にも同じ様にカップを置く。アルケーさんが居ない時にお茶を淹れ直しに行ったはずなのに、きちんとアルケーさんの分を用意しているのがミスティコさんらしい。
「あ、いつもと違うお茶だ」と思いながら、ミントの様な清涼感の有るお茶を一口すする。アルコール度数の高いお酒を一気に煽った後の様な感じだったから、このお茶は助かる。
私がお茶を口にすると、少し安心したのか、アルケーさんは自分の手首や肩の辺りの匂いを確認し始めた。隣のミスティコさんも一緒になってアルケーさんの肩に顔を寄せて首を傾げている。

「やはり自分では分かりませんね・・オトが酔わない程度に調整出来れば良いんですが」
「魔力の強さが、そのまま香りと比例するなら、北の魔力が急に強まったのか?魔力が急に強まるとか聞いた事は無いが」
「まさか。私自身にもそんな感覚、全然有りませんよ」

そう言いながら、アルケーさんもミスティコさんの肩の辺りですんすんと鼻を鳴らす。
二人の様子が、犬のお互いを匂いで確認する行為に見えて「ふふ」と笑ってしまう。

「おい、笑い事じゃないだろう」
「そうですよ、オト」
「・・はい、そうですね。でも、ふふ」

私の様子に、二人は安堵の溜息を吐く。
私も額に手を当てたり、深呼吸をしてみたりして体調に変化が無いか自分で確認してみるが、どうやら大丈夫そうだ。

「えーっとミスティコさん、ちょっと隣に来てもらっても良いですか?」
「それは・・良いですけど」

やはり、私が香りに当てられた事が気になるのか、ミスティコさんはいつもより少し離れた場所に遠慮がちに腰掛けた。正面のアルケーさんは顔を顰めている。さっきみたいにフラフラになる事を心配しているんだろう。
一つ深呼吸してみる。何も変わりはない。うん、大丈夫。いつもと同じ感じだ。そう確信し、自分からミスティコさんの首筋辺りにぐっと顔を寄せた。切り揃えられたグレーの髪の毛から覗く首筋からはいつもの緑茶の様な爽やかな香りがする。

「うわっ!」

いつも冷静なミスティコさんが、物凄い焦った声を上げる。その声に驚いて、至近距離からミスティコさんの顔を見ると耳の辺りが赤い。
恋人でも無いのに本人の了承を得ず、首筋の匂いなんか嗅いだりしたら、そりゃ驚くだろう。もう大丈夫だと確信したからって、断りも入れずにいきなりはマズかった・・。

「あ!すいません!そのですね、どうしても確認したくなってしまって・・すいません」

私の謝罪(言い訳)が終わるか終わらない内に、ミスティコさんとは反対側のソファがドスンと沈んだ。恐る恐る顔を振って隣を見ると、アルケーさんが足を組んでソファに座り悠然と微笑んでいる。

「ふふ、オトの様子を見る限り、東の副司祭の香りは大丈夫そうなんですよね?だったら、引っ越しも有りますし、東の副司祭にはお引き取りいただいても良いのでは?」

アルケーさんがメッチャ笑顔だ。いや、これは「笑顔」じゃない。経験から知っている。

「ねぇ、オト、私も確認して貰っても良いですか?貴女の傍に居ても、もう大丈夫だと確認したいんです」

とてもとても甘い声で私にお願いをして来た。言葉に魔力を乗せたみたいに、言いなりになってしまう甘い声。も、もう十分傍に居ますよって言いたいけど言い返せない。

「え?うぅ・・はい・・」

思わず頷いてしまう自分が憎い!私は身体の向きを変えて、アルケーさんの方へ向き直る。アルケーさんはゆったりとソファに腰掛けて「さぁ、どうぞ」と言う状態だ。
うわー、これって私から行かなきゃいけないって言う事だよね?絶対に、ミスティコさんに自分から匂いを嗅ぎに行った事を根に持っている。
背中で物凄い大きな溜息が聞こえたが、ここは私が折れないと終わらない気がする、いや終わらない。確実に。

「し、失礼します・・」
「ふふ、私たちの仲なのですから、断りは要らないですよ」

私は覚悟を決めて、自分からアルケーさんの左肩に手を掛けて首筋に顔を寄せようとすると、香りを嗅ぎ易い様になのかアルケーさんが銀色の髪を耳に掛けてた。
そういう仕草は妙にドキドキするから止めて欲しい!!
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