毒姫達の死行情動

歪に軋む歯車

シガーキス

「……来い、弥夜」

　倉庫の上からふわりと飛び降りた茉白は顎を引いて臨戦態勢を取る。そこには微塵の油断すら存在しない。遅れて靡いた制服が、夜闇の中で相応しくない色気を晒した。

「さっすが私の相方、超✕＃ゞ∧─∮」

　回らない呂律で断鎌を引き摺る弥夜。金属が地面と擦れる不快な音が響き渡り、あまりの質量にアスファルトが削れるように捲れ上がっていた。

「頭の中まで犯してあげる」

　勢い良く飛び出した弥夜は断鎌で大きな弧を描く。振り抜いては脚を軸に身体の向きを入れ替え、左右での隙の無い攻勢が繰り出された。まるで少女が踊る死の舞踏。美しき毒蟲の術者が空間を蹂躙する。視覚化した殺意は未だ消えておらず、明白な意思を孕んで蠢いていた。

「いつまで感情に飲まれてる!!　目を覚ませ!!」

「えへへ、茉白を悪く言う奴は犯ころすからあ!!」

　何度も揺り返す断鎌の応酬。恐れること無く身を捻じ入れる茉白は左右の刀で応戦する。往なし往なされ続く攻防は、互いの腕を伝って脳裏に衝撃を迸らせた。

「さっさと戻って来い……弥夜!!」

　右手で薙がれた断鎌をやり過ごした茉白は、次いで振られるであろう左を意識する。だが、断鎌は手中で華麗に回転させられただけ。視線誘導を含むフェイント。代わりに腹部に迸った激痛が意識を現実へと回帰させる。食い込んだ蹴りの威力は凄まじく、嘔吐えずいた茉白は堪らず後方へと引き摺られるように吹き飛んだ。

「……馬鹿力が」

　文字通りくの字に折れ曲がる体躯。停まっている車に背を打ち付けた際、板金が大きく陥没して鈍い音が木霊する。

「──ッ!!」

　顔を顰しかめて視線を上げた茉白の鼓動が跳ね上がる。即座に距離を埋めた弥夜により振り上げられた断鎌が、月光を反射して歪に煌めいていた。

「茉白、大好きだよ」

　間一髪側方に飛び退き躱かわした茉白。背後の車が一刀両断され凄まじい爆発が起こる。腕を交差して爆風に巻き込まれた茉白は、風に吹かれたゴミのようにその身を虚空へと捧げた。それは弥夜も同じであり、急激に爆ぜた熱に蹂躙され乾いた音を立てて地を滑る。

「ったく、手の掛かる相方だな」

　立ち上がった茉白は足元を縺れさせながらも弥夜を見据える。未だ両手に握られた断鎌が得物を求めるように鈍い色を発していた。定まらない足元を煩わしく思いながらも歯を食い縛り魔力を絞り出した茉白。刀に纏われた漆黒が一際輝きを強め、軽く一振りした彼女は予備動作無しで地を蹴った。

「わお、大胆だね」

　軽々と得物を振り回して迎え撃つは弥夜。逃げも隠れもしないと言わんばかりに、炎を映す銀色の瞳が怪しげに煌めいた。

「もういいだろ……弥夜」

　軍配は茉白に上がる。競り合いは一瞬、僅か一回の得物同士の接触が勝敗を分けた。灰と化した断鎌は即座に宙へと誘われ、華奢な懐ががら空きとなる。腹の底から咆哮し刀を投げ捨てた茉白は即座に肉薄して弥夜を押し倒した。

「……離してよ!!　茉白、助けて!!」

「さっきから何処を見てる？　何と戦ってる？　うちは此処に居る……お前の目の前に居るから」

　普段の茉白からは想像もつかない優しい声色だった。覆い被さりながらの抱擁は、炎の如く蠢いていた殺意を嘘のように消失させる。虚ろだった瞳は徐々に光を取り戻し、呼び掛けに応えるように何度か瞬まばたきが行われた。

「茉白……？」

「おう」

「えへへ、女の子らしくない返事をしないの。どうしたの？　私が恋しくて抱き付いちゃったの？」

「……うん」
 
「はい、よく出来ました。でも似合わないね」

「どつくぞ」

　軽く小突かれた額。「どついてから言わないで」と弥夜の頬が僅かに膨れた。大破した車から立ち込める炎は未だ収まらず、鼻を突くような死臭に更なる拍車を掛けていた。

「怖かった……凄く怖かった……」

　震える声と共に頬を涙が伝う。髪は汗や血液で濡れた顔面に張り付いてしまっており、何度も浅い呼吸が繰り返されていた。

「身体の自由が奪われて、私じゃない誰かが私を支配して……茉白を殺そうとしたの」

　小さな手を何度も開閉させて可動域を確かめた弥夜は、肉体の主導権が自身へと回帰したことに安堵していた。

「もう大丈夫だ、心配すんな」

「茉白が強くて良かった……殺さずに済んで良かった……」

「泣くな、うちはこの通り大丈夫だ。涙じゃなくて、いつも通り涎を垂らしてる方がマシだぞ」

「それはそれで怒るくせに」 

「当たり前だろ」

　顔を見合わせて微笑み合う二人。涙は、茉白によりそっと指で拭われてその役目を終えた。

「帰るぞ」

「茉白を殴った奴は？」

「放っとけ。まだ倉庫の中で腰を抜かしてるだろ」 

　立ち上がり手を差し伸べる茉白。その手はすぐに握り返されるも、弥夜の顔には儚い笑みが浮かぶ。何度も立ち上がろうと試みられるも、足腰が言うことを聞かないのかその場にへたり混んだ。

「ごめん、立てない」 

「なら少し休憩だな」

　隣に腰を下ろした茉白は煙草を取り出すと火を灯す。吐き出された紫煙を無意識に目で追っていた弥夜が唐突に人差し指を立てた。

「一本ちょうだい」

「この前噎むせてただろ」

「何かそういう気分なの」

「どういう風の吹き回しだよ」

　手渡された煙草を咥えた弥夜は、飴の持ち手のようにふわふわと上下に揺らす。「火をつけて？」という端的な合図だった。そんな我儘わがままに付き合って隣から素直にライターが差し出される。だがガスが切れてしまっており、茉白は小さく唸ると煙草を咥えたまま弥夜に身を寄せた。

「うちの煙草を使え」

　ぴったりと肉薄した茉白は口元を寄せる。薄く妖艶な唇に咥えられた煙草からは静かに煙が立ち込めていた。

「何かキスみたいだね」 

「変なこと言うな」

　シガーキス。夜闇に灯る小さな火が一つから二つへと。至近距離でかち合う瞳が互いの姿を映す。煙草同士をくっ付け合った二人は、顔を離すと僅かに照れたのか控えめに微笑み合った。

「……まっず」 

「だから言っただろ。身体に悪いからやめとけ」
 
「ううん、相方が好きな物を好きになる努力をするの」

「メンヘラかよ」

「惜しい、健気けなげの間違いだね」

　仰がれた空は巨大な満月を抱える。その周囲では薄い雲が幾つも重なり合い幻想的な光景が広がっていた。例外なく吹き抜ける潮風も優しいもので、二人は心地の良い瞬間に身を浸していた。

「ありがとな。うちの為に怒ってくれて」

「あれあれどうしたの？　やけに素直だね」

「……嬉しかった」

　紡ぐや否や気まずそうに目が逸らされる。横から見える頬は僅かに紅潮しており、珍しい相方の姿を目で追った弥夜は、茶化したことを少し後悔しながら愛おしそうに八重歯を覗かせて微笑んだ。

「親から見捨てられて友達も居なかったからって、大切な人が居ないとは限らないから。貴女にとって私が大切かどうかは解らないけれど、少なくとも私は茉白のことを大切に想ってる。大切と思って貰えるように努力もするし、これからも茉白を冒涜する人は赦さない」

「……ありがとう。うちもお前のこと……大切だと想ってる」

「ん？　よく聞こえなかった」

「嘘つけ、聞こえてるだろ」

　再び小突かれた額。目をバツにした弥夜は額を抑えて大袈裟に痛がる。暫くして煙草を吸い終えた茉白は、弥夜がまだ立てないのを見て「うちに掴まれ」と背を向けて屈み込んだ。

「ごめんね」

「気にすんな。稀崎にお前が追って来ないように伝えたはずなんだがな」

「私が後を追おうとしたら、夜葉は強いから大丈夫ですよって」

「お前よりうちのこと信用してんじゃねえか」

「私だって信用してるもん。でも周りが敵だらけだし夜中だし……正直心配だった」

　茉白の首に腕を回す弥夜。感じられる背の温もりが肌に伝わる。初めて会った時もこんな風に抱き締めたよね、と密かに過去が思い返された。

「稀崎はどうした」

「えっと……解ってくれないから殴って気絶させた」

「はあ？　お前も大概乱暴者だよな」

「そんなこと無いもん」

「どの口が言うんだよ、あーこわ」

「あまり意地悪言うと後ろから首締めるよ」

「やってみろ、灰にしてやる」

　可愛げに含み笑いをした弥夜は、落ちないようにしっかりと捕まりながら茉白の肩口に頭を預ける。舗装された道を歩く際の僅かな振動が荒れていた胸中を落ち着けた。

「大丈夫？　重くない？」 

「重い」

「……ひっど、最低。このデリカシー無し!!」

「解ったから暴れるな」 
 
「茉白よりは軽いもん」

「あっそ」

　街灯に集まる蛾が群れで飛んでいる。群れから離れた一匹が光を見失ってはふらふらと遠くへと消え入った。そのすぐ下を通る二人は、些細な会話を交わしながら帰ってからの言い訳を考えていた。

「そもそも、稀崎が意識を取り戻すまでに帰ればいいだけの話だな」

「さっすが私の相方、超天才」

　適当な返事が背後から聞こえるも、背中から落ちないように釘を刺した茉白は少し速度を上げてアパートへの帰路に着いた。