毒姫達の死行情動

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歪に軋む歯車

生骸化

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 思惑とは裏腹に、夜羅は意識を取り戻しており玄関で腕を組んだ状態で二人を出迎えた。どちらも即座に目を逸らすが溢れ出る圧には抗えず、顔を見合わせたあと渋々と部屋内にあがり込む。

「なるほど? 粗方理解しました。それで買い物という、一番の用事すら忘れて帰って来たという訳ですか。冗談にしては少しやり過ぎでは?」

 無理矢理に座らされた二人は説教が始まることを察する。無表情でテーブルの向かいに座る夜羅の表情には影が落ちており機嫌の悪さは明白だった。
 
「ご、ごめんなさい。でも茉白が心配で……」

「そうですか。ですがやり方が少し乱暴では? まさか気絶させられるとは思いませんでした」

 殴られたであろう後頭部をさする夜羅。傷やタンコブは残らない強さだったようで身体的に異常は無いが、何も言い返せない弥夜は俯くと更に小さく縮こまった。

「お前も気絶させられるなんて情けないな、稀崎」

「警戒していない者からの唐突な気絶目的の手刀を、貴女はかわせるとでも? まあそれは良しとして、そもそも夜葉。貴女がその七瀬という者に着いていかなければ、初めからこんなことにはならなかったのでは? 救いの街へ一人で乗り込んだり、蓮城を殺す為に一人で救いの街に残ったり……貴女も柊も、いつも勝手に突っ走っては面倒事を起こす」

「ごめんなさい」

「……悪かった」

 しゅんとした二人を見て苦笑いをした夜羅は一息つくように大きく伸びをする。緩められた表情に怒りは微塵も含まれていない。

「実は、別に怒ってなどいません。人に一切の関心すら抱かなかった夜葉が、まさか七瀬に助けを求められて応じるとは驚きましたが。変わりましたね」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味です。今の貴女には大切に想ってくれる人がいる、共に生きたいと願ってくれる人がいる。柊もその内の一人であり、だからこそ貴女を追ったのでしょう」

 次いで、流れるように視線が隣へと向く。弥夜は、猫に目を付けられたネズミのように小さくなり茉白へと寄り掛かった。

「乱暴なやり方は感心しませんが、実は柊の気持ちも解ります。それでも……少し水臭くはありませんか? 死ぬ為に生きるのは結構、その為にタナトスを殺すのも結構、何ら否定するつもりはありません。ですが共に戦うと私も言った以上、目的を果たすまでは一つの組織であり仲間の筈ですが? 単独行動は危険を伴うと、余程の馬鹿でもない限りは解るでしょう?」

「……うん」

「柊、何故貴女は一人で行こうとしたのです? 確かに私は夜葉の心配は要りませんとは言いました。けれど、共に行こうと一言下されば私は貴女に従いましたよ」

「ごめんね夜羅、迷惑を掛けたくなくて。危ないことに巻き込まれるかもしれないと思ったから」  

 三角座りで前後に小さく揺れる弥夜は膝の上に顎を乗せる。齎された優しさに感謝すると共に、胸中に広がる温かさに身を浸した。

「なるほど。心配を掛けられないほど私のことが信用ならないと。元還し屋である以上、踏んだ場数は貴女達よりも圧倒的に多い筈ですが」

「ごめんなさい、そういう意味じゃないの。大切だから迷惑を掛けたくなかったの」

「すみません、意地悪が過ぎました。私が言いたかったのは、共に戦う意志を私が示した以上、全ては共に背負いましょうということです。私が信用ならないというのであれば話は別ですが」

「まさか。信用してるよ。あの時は助けに来てくれてありがとう、無事でいてくれてありがとう……茉白を護ってくれてありがとう」

 目を潤ませた弥夜は囁くような声で紡ぐ。共に戦うと誓った仲間を放って行くという、愚かな選択をした自身を悔やんだ瞬間だった。

「要は拗ねてるだけだろ」

 茶化した茉白に鋭い視線が突き刺さる。

「なるほど、私が拗ねていると?」

 ひよこパジャマを着こなす夜羅は立ち上がると、冷蔵庫から大きな袋を取り出してテーブルの上に置く。コンビニで調達してきたであろう歯ブラシや生活必需品が大量に詰め込まれており、その中にはお弁当などの食料品も含まれていた。

「柊、お腹が空きましたね。ご飯でも食べましょうか。意識を取り戻してから私が買って来ました。どうせ忘れてくるだろうと読んでいましたから」

「お前が一番うち等のこと信用してないじゃねえか」

「まさか? 柊を信用したから貴女のことを任せたのです。それと夜葉の分はありませんよ。何せ、私は拗ねていますから。仕方ありませんよね? 拗ねていますから」

「……くそが、根に持ちやがって」

 食べ物を見てお腹を鳴らした茉白は恥ずかしげに俯く。固く結ばれた口元が我慢を代弁していた。

「夜羅、買って来てくれてありがとう。でも意地悪しないで?」

「拗ねていますから」  

「そんなこと言わないで皆で食べよ?」

「冗談ですよ、夜葉の分ももちろんあります」

 茉白は差し出されたお弁当を見て目を輝かせるも、夜羅の視線に気付き即座に表情を是正する。心なしか、パジャマに描かれた舌を突き出した毒蛇が早く食べたそうな表情を浮かべていた。

「……悪いな、稀崎」

「いいえ、組織で動く以上はお互い様でしょう。私も貴女に……心を救われましたから」

 弥夜の居ない間に起こった出来事などが事細かく説明され、昇り始めた陽がカーテンを透かして差し込む。黙って聞き入っていた弥夜は夜羅の過去に心を痛め、茉白の取った行動を誇りに思った。

「そういえば夜葉、またこっ酷くやられて来ましたね。後で手当します」

「七瀬が赦せないから殺そうと思ったけれど、茉白に止められたの」

「うちはお前に殺されかけたがな」

「こら茉白、口に食べ物を入れたまま話さないの」

 もごもごと口篭る茉白は叱られ、そんな二人を見ていた夜羅は話の内容を思い返しながら思考にふける。顎に手を当てた彼女は脳内で無意識に過去へと遡っていた。

「柊が暴れた理由であろう殺意の視覚化。私も身に覚えがあります」

「何度も男を突き刺していた時、うちが止めただろ」

「はい。何と言いますか、意識体が身体の奥深くに引き摺り込まれるような感覚に遭いました。決して至ってはならない深淵に身を浸した気分でした。あの時止めてくれていなければ、私も貴女に刃を向けていたことでしょう」

「夜羅と私に共通しているのは、目の前の人間を本気で殺したいと願ったこと」

「そうですね……何か名前をつけておきましょう。もしそういった状況に陥った時、一言で伝えるすべが必要ですから。夜葉、先ほどの柊の変貌を見た際に何か感じましたか?」

 未だ手に残る戦闘の感触。浴びた血の匂いや炎の刺々しさですら記憶に新しい。弥夜と殺り合う映像を事細かに思い返した茉白は「そうだな……」と前置いた。
 
「まるで話が通じない……例えるなら生きた骸のようだった」

「生きた骸……ですか。でしたら『生骸化せいがいか』と呼称しましょう。もしタナトスとの戦争で生骸化した場合、敵味方の区別がつかなくなり戦況は圧倒的不利に傾く」

「殺意を抱かずに戦うなんて不可能じゃない? とくに蓮城……あいつだけは」

 握り締められた拳が僅かに震え、言葉に憎悪が宿る。それでも心を鎮めようと、弥夜は何度か深く深呼吸してみせた。

「もちろん、それもまた事実。生骸化の条件が度を超えた殺意だと仮定しても、それを防ぐ術はありません。でももし……毒を以て毒を制する。その力を使いこなすことが出来たのなら……」

「やめとけ、帰って来られなくなるぞ。うちだって次は止められる保証は無い」

「……そうですね。無差別な殺戮を繰り返す生骸化、今は認識しておくことで精一杯です」

 一息ついた夜羅はお茶を啜る。マグカップから登る湯気が、カーテン越しに差し込む陽に照らされて静かに揺蕩たゆたっていた。

「そういえば弥夜、久遠くおん アリスがタナトスの切り札だと言ってたな」

「うん、救いの街で話した通りだよ。久遠 アリスは二度目の命の再分配を起こす鍵。だから首を刎ねればタナトスの目論見は失敗に終わり、この戦争は私達の勝ち」

「能力者だけに作用する猛毒の黒い雪、だったな」

 頷いた弥夜は淀んだ瞳を伏せる。

「能力を発動されたら全滅と思った方がいい」

「随分と危険な能力ですね。真っ先に殺すべきでしょう。久遠さえ殺めてしまえば、極論で言えば後は戦う必要は無い」

「……何か腑に落ちなくてな」

「どうしたの?」

 救いの街から脱出する際のことを思い返した茉白は、小さな唸り声を発しながら難しい顔をする。巡らされた思考にはもやが掛かっていた。

「東雲は、救いの街から脱出するうち等を止めようとすらしなかった。特別警戒区域アリスでうち等を殺るつもりなら、さっきみたいな大勢の刺客を寄越す必要は無い」

「タナトスは巨大な組織だから、内部統率すら取れていないんじゃない?」

「それだけなら良いけどな。うち等に攻め込まれたら困る理由でもあるのかもな……例えば久遠 アリスが機能しない状態にあるとか」

「どちらにしろ、少なからず能力者達が乗り込んでいるはずだよ」

「今は戦場だろうな。殺されると解っていて黙っている奴なんて居ないだろ」

 話を黙って聞いていた夜羅がお茶を飲み干す。眠気に蝕まれているのか、口を押さえながら可愛らしい声をした欠伸あくびが発せられた。

「久遠 アリスの正体が解らない以上、私達が何を考えた所で平行線であり、全ては憶測の域を出ない。今日はもう寝ましょう? さすがにここまで長く起きていると身体に毒です」

「そうだね、今日はもう動けないよ」

 胡座をかく茉白の内ももを枕にして寝転がる弥夜。ひよこのぬいぐるみを胸元に抱いた彼女は、動く気配など微塵も無いと言わんばかりに我が物顔で目を閉じた。

「おい、ベッドで寝ろ。風邪引くぞ」

「やだやだ、ここで寝るの」

「また涎垂らすだろ」

「私は気にしないよ?」

「うちがするんだよ」

 時間にして僅か数分。即座に微睡みへと堕ちた弥夜は、特徴的な八重歯を覗かせながら大口を開けて寝息を立てる。肩を落とした茉白は大きなため息をつくと、諦めたように夜羅へと視線をやった。

「誰とも群れなかった死灰姫しがいきや毒蛇と呼ばれた貴女が、随分と慕われていますね」

「出会いは最悪だったけどな。うちも弥夜に……心を救われてな」

「以前言っていたお弁当の話ですか?」

「それだけじゃない。うちがどれだけ拒絶しても見捨てずに寄り添ってくれたんだ。親すらも見てくれなかった、うち自身を真っ直ぐに見てくれてな」

 言葉を噛み締めるように瞑目した夜羅は「そうですか」と優しい声で相槌を打つと、引っ張り出してきた毛布を弥夜に被せる。

「悪いな」

「風邪を引かれては面倒ですから。もちろん、貴女もね」

 夜羅はそのまま後ろに回り、茉白にも暖かい毛布を掛ける。ふんわりとした羽毛の感触が、戦闘で火照った肌にやけに深く染み入った。

「ありがとう」

「難しい言葉を知っていますね」 

「どつくぞ」

 朝日は煌めき、先程よりも強い日差しがカーテン越しに伝わる。例外無く時を刻む秒針の音だけが、静かな部屋内で心地良く響き渡っていた。

「夜葉、一つ忠告です。これからは単独行動は慎んで下さい。柊を失ったと確信していた時、貴女は泣いていましたね。柊もそれは同じであり、貴女が居なくなればきっと同じ想いをすることになる。相方を泣かせるのは推奨しませんよ」

 忠告とは言いつつも、声色はなだめるように穏やかで。茉白の肩に優しく触れた夜羅は、そのままベッドに入ると布団を深く被る。

「……おう」

「おや? 珍しく素直ですね」

「一言多いんだよ」 

 鼻で笑う茉白につられて夜羅も表情を緩める。窓の外では電線に止まった小鳥達が唄い始めており、重くなった瞼が身体の活動限界を告げていた。

「明日は少し行きたい所があるので外出します」

「何処だ? 付き合ってやるよ」

「ゆずの所へ。ですが、大した用事じゃありませんので一人で十分です。むしろ貴女と柊は一歩も出ないで下さい。ですから」

 念を押すように強調された語尾。舌打ちをした茉白は、早速大口を開けて涎を垂らした弥夜に嘆息する。当の本人は全く悪気の無い幸せそうな寝顔を晒していた。

「こいつ絶対わざとだろ。で、ゆずりはには何の用だ? また廃学校へ行くのか?」

「ええ、そのつもりです。能力者狩りが至る所で行われているので彼女は無事かと思いましてね。もう戦いたくないと言っていましたから、見付かっていなければ良いのですが。昼は買い出しなどで居ない可能性があるので夜を狙います」

「安全を確認したらすぐに帰って来いよ。今、外を出歩くのは得策じゃない」 

「もちろんです」

 茉白は内ももに垂れされた涎を拭くと、上半身を倒して弥夜に身体を預ける。なかむつまじくつがいのように寄り添う二人を見、夜羅の表情が優しさを帯びた。

「おやすみなさい、夜葉」

「……おう」

 時刻は早朝。各々は、睡魔に身を委ねた。
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