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生涯、彼は初恋の修道女を忘れる事ができない

却下したので、もう来ないで下さい

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「ユートゥルナ様、資料をお持ちしました。ここに置いておきますね」

 ユートゥルナの仕事部屋である壁一面本だらけの部屋にて。

 一言でいうとそこは汚い部屋だった。床にも本、机の上にも読みかけの本。

 ユートゥルナの生活においてここにある神の記録――つまり数代前の神の日記は大切な資料であり、彼が受け継ぐものだ。
 だから毎日おぼろげな前世の記憶を整理するためにそれらを読むことが彼の大事な仕事である。

 マリーは乱雑に積み上がった本を整理しながら、分かりやすい位置に明日の会議の資料を置いた。
 
 最近のマリーの仕事は、ユートゥルナのスケジュール管理や部屋の整理整頓、彼の食事用意、来客応対、問い合わせ書類の確認等多岐に渡る。

 マリーは一見天然で抜けているところもあるが、物覚えや気配りも出来て、一緒にいてきつい感じもしない。
 しかも、今までのてきぱきした秘書たちの中に彼女が入ることで今までにない穏やかな雰囲気が近頃流れている。
 そして、ひどく謙虚。
 失敗を素直に認めることもでき、分からない事は真摯な態度で教えを請えると評判だった。

 そう。マリーはそこまで落ちこぼれではなかったのだ。

 だから、内部には「なぜ今まで出世できなかったのかね」「余程運に恵まれなかったのかな」などというものも出てきたくらいである。

(全部……僕が危険な目に遭わないようにした結果、出世を逃したんだけどね……)

 少なからず、マリーに可哀想な事をしたとユートゥルナは思っていた。
 だから、このように最近はマリーが認められ、仕事が出来ている様子を見て嬉しく思っていたのだった。

(マリーが王都から帰って来た時はぼろぼろだったから心配したけど)

 フレッドに連れられて王都から帰って来たマリーは淀んだ瞳に暗い表情だった。
 しかも、マリーは帰って来て直ぐに高熱を出し、しばらく床に臥せていたくらいだ。

 話によると、王都で『氷華殿下』に仮とはいえ何故か婚約者にされ、遊ばれたらしい。
 影曰く、マリーの純情を、立場を利用した邪な王子が弄んだとの事だ。

 修道女に手を出そうとするなんてよっぽど背徳感を味わいたかったのかな、変態め! と思わずにはいられなかったし、いっそ本格的に教会の権限で宗教裁判にかけて断罪してやろうとすら思っていた(近々その予定)。

 実のところ、ユートゥルナはマリーたちに間違いが起こる前にすぐに修道院に連れ戻すように命令したが、フレッドもマリーも命令を聞かずに滞在したのだ。

 命令を頑なに拒んだせいで、マリーはひどい目にあったのかもしれない。

 詳細は、悲しいことにわからなかった(氷華の結界のせい? だろうか)。

 ただ、王都から帰還してからずっとマリーは悲し気だ。
 でも最近は以前の死にそうな顔よりはすこしはマシになってきたから、そろそろ意を決して行動しようと考えていた。

「マリーちょっと話があるのだけど、いいかな?」
「何でしょう? 何なりとお申し付けください」
「そんな畏まった言い方やめてよ。いい加減、ため口まではいかないけど、もう少し気楽に話して欲しいな」

 マリーは丁寧な人物だ。恐れ多い神様にそんなため口なんて無礼で出来るわけもない。
 マリーは困りながらも、「は、はい……」とうなづくしかなかったようだ。

 最近は先輩に教わりながら秘書補佐もしているからなおさら恥ずかしくないようにユートゥナに距離を持ち、上司として礼儀正しく接してくるから困っていた。

 距離を縮めたいのに、今や彼女は何故かかなり遠い。
 敬語、よりももっと他人行儀だ。なんというかとても業務的。丁寧ではあるんだけど。

「今日のミサが終わったら、話があるんだ。王都に行く前に言った私用だよ」
「はい。私に出来るこのなら何なりとご命令ください」
「だから、その気持ち悪い敬語やめてくれないかな? 王都から帰ったら急に体調崩したり、ボーっとしてたり、なんか大丈夫? なんかショックな事であったの? 嫌な男に出会ったとか……それなら僕に相談」
「いえ。特に。もう二度とないようないい経験が出来ました。ありがとうございました。あ、もうこんな時間ですね。ミサの準備に取り掛かりますね。では!」

 ばたんと扉が閉まる。ユートゥルナは深くため息をついた。

「二度とない経験って何?」

 ユートゥルナは理解できなかった。絵のコンクールで入賞したことだろうか。

 でもそれにしても二度となんて意味にはならないはずだ。
 コンクールは毎年あるし。

「肉体関係とかじゃないよね? いやまさか。ちょっとちょっかい出したかっただけで、いや、婚約者にするくらいだから。でも王家って婚前交渉だめじゃなかったっけ? 最近はいいんだっけ?」

 ユートゥルナは考えれば考えるほど不安になったのはいうまでもない。

「どっちでもいいや! そんなことは。もう二度と氷華なんかに会わせないからね! 何度か面会要請が来たけど、却下だよ。お前なんて永遠に却下!」

 ユートゥルナはマリーの面会要請を却下していた。

 来月のサラ姫訪問は了承したし、毎日彼女からくる手紙(内容は日記みたいなものでサラ姫の一日が事細かに書いてある。もはや業務日誌のようなものに、マリーにたわいもない会話を書いている)もマリーに渡しているが、氷華殿下については全て却下だ。

「あーあ、こんなはずじゃなかったのに」

 ユートゥルナは前髪をぐしゃぐしゃして、いらいらしていた。

 本当はマリーが修道院に帰って来て直ぐに私用について話すつもりであった。

 彼はずっとマリーが好きだったから、いくら神という身分といえど、今生は好きな者と添い遂げたいと思っていたのだ。代々続く神の日記は悲恋ばかりだったが、今の世の中は時代が違う。
 そして好きになった子は修道女だ。何も問題はないはずとずっと思っていた。

 しかしながらも大切な彼女を任務に出したくなくてずっと下働きばかりさせてしまい、功績もないのにいきなり秘書にするわけにもいかず。

 以前からユートゥナの恋に気づいていたフレッドの「神様の都合でマリーが肩身の狭い思いをしているのは可哀想だ。試験を受けさせてやってよ。彼女はそれなりに魔法も使えるんだから機会を与えないと!」という意見により、昇進試験を実施することにした。

 試験は、フレッドが用意すると言う事で任せたのが悪かったのだ。

(フレッドはどこまで知っているんだろう?)

 以前、マリーが修道院に入って数年たったころ、とある王族が訪ねて来た事があったという。

 年配の修道女が追い返したという話を後から聞いてほっとしたのを覚えている。
 それが、もし彼なら。氷華なら。

 万が一の可能性を考えて、王都に行くマリーに厳重に魔法をかけたのだ。
 しつこいしつこい、王族様から守るために。

 弾く手数多の王子様が、今更数十年前の初恋を覚えているなんて思いはしなかったけど。
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