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第五章 交差する陰謀
143、エルという名の虚像(中編)1
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「ぜひ一度、クリスタル領にきてください。私やリビー様の故郷です。クリスタルなら、混血や他国の人間にも寛容で、どんな格好でどこに行っても誰も咎めません」
リタが漆黒の瞳を細め、わずかに口の端を上げ、静かに優しく控えめな笑みを湛えていた。
エルは同じ混血でありながら、彼女の心はなんと純粋で清らかなのだろうと思った。周りの人間に恵まれたというのもあるが、きっと彼女自身のまっすぐさがあってこそだろう。傷つかないように先回りをして付き合う人間を選び、心無い他人を牽制し接触を控えてきた自分とは大違いだ。
「クリスタル領?」
「はい。ただエルは顔を出すと、美形ですから女性の視線が集中するかもしれませんが……」
ふふっと息を漏らし最後は冗談で締めたリタを見て、エルはテーブルの上に置かれた彼女の手を目掛けて自分の手を伸ばそうとしていた。
無意識だった。
気づいた瞬間、その手をテーブルの下まで引っ込めズボンの生地を力いっぱい握る。それを気取られないように笑ってごまかした。
「そんな、僕なんて……。けど、ぜひ行ってみたいです。クリスタル領に。そのときは案内をお願いしますね!」
「はい、もちろん」
そのまま、エルはクリスタル領の変わった店の話や、面白いデザートの話などを聞いていた。
しばらくして、そろそろ店に戻ろうかというところで、階下から怒鳴り声が聞こえた。耳を澄ませて言葉を聞き取ろうとしていると、目の前に座るリタの様子がおかしくなった。彼女の顔は青ざめ、俯き、肩が震えているようだった。
「どうしました、リタさん? 具合でも悪いんですか?」
「エル……申し訳ありません。すぐに店を出ましょう。ああ、でも下には……」
「リタさん?」
「申し訳ありません、エル」
エルは席を立ちリタの席の隣にしゃがみ込み、彼女に視線を合わせ震える肩に手を置いた。絞り出すような謝罪の言葉に、眉を寄せる。
「おい、ポール! オーナーの私がいないうちにまたお前は勝手なことを!」
「どうか……を……」
階下からポールに対する叱責のような声が聞こえた。ポールも何か言っているが内容までは聞き取れない。
「あれほど汚い雑種は店に入れるなと言っただろう! 誰がこの店の資金援助をしていると思っているんだ!」
耳を塞ぎたくなるような侮辱の言葉。エルは思わず呟いていた。
「な、なんてことを」
「ごめんなさい、エル……」
入店時にオーナーがいるかどうかを気にしていたのはこういうことだったのかと合点がいった。
階下へ続く階段を睨みつける。リタに視線を戻すと、彼女の瞳は悲しみで濡れていた。
「リタさん、立てますか?」
「はい……」
エルはリタの手をしっかり握り、慎重に階段を降りた。階下には下を向き歯を食いしばるように唇を一文字に結んでいるポールと、彼と親子ほど歳が離れていそうな男が立っていた。不機嫌そうにポールを睨みつけていたこの男がオーナーだろう。金だけ無駄にかかっていそうな、趣味の悪い服や装飾品を見てエルは一瞬吐き気を覚えた。
「ポールさん、長居してすみません。失礼いたします」
「お客様っ」
「お釣りは結構ですから」
差し出した一万エールの高額紙幣に、ポールは慌てて釣りを用意しようとしていたが、エルは軽く頭を下げリタを連れ店を出ようと歩みを止めなかった。
オーナーがそれを不快そうに顔をしかめながら目で追ってくる。エルにとってもその視線は不快だった。
そして、ふんっと鼻を鳴らし、エルは背中にさらなる侮辱の言葉を投げつけられた。
「雑種の分際で王都の広場に出てくるとはな。もっと奥の路地の店で目立たないようにしていればいいものを」
>>続く
リタが漆黒の瞳を細め、わずかに口の端を上げ、静かに優しく控えめな笑みを湛えていた。
エルは同じ混血でありながら、彼女の心はなんと純粋で清らかなのだろうと思った。周りの人間に恵まれたというのもあるが、きっと彼女自身のまっすぐさがあってこそだろう。傷つかないように先回りをして付き合う人間を選び、心無い他人を牽制し接触を控えてきた自分とは大違いだ。
「クリスタル領?」
「はい。ただエルは顔を出すと、美形ですから女性の視線が集中するかもしれませんが……」
ふふっと息を漏らし最後は冗談で締めたリタを見て、エルはテーブルの上に置かれた彼女の手を目掛けて自分の手を伸ばそうとしていた。
無意識だった。
気づいた瞬間、その手をテーブルの下まで引っ込めズボンの生地を力いっぱい握る。それを気取られないように笑ってごまかした。
「そんな、僕なんて……。けど、ぜひ行ってみたいです。クリスタル領に。そのときは案内をお願いしますね!」
「はい、もちろん」
そのまま、エルはクリスタル領の変わった店の話や、面白いデザートの話などを聞いていた。
しばらくして、そろそろ店に戻ろうかというところで、階下から怒鳴り声が聞こえた。耳を澄ませて言葉を聞き取ろうとしていると、目の前に座るリタの様子がおかしくなった。彼女の顔は青ざめ、俯き、肩が震えているようだった。
「どうしました、リタさん? 具合でも悪いんですか?」
「エル……申し訳ありません。すぐに店を出ましょう。ああ、でも下には……」
「リタさん?」
「申し訳ありません、エル」
エルは席を立ちリタの席の隣にしゃがみ込み、彼女に視線を合わせ震える肩に手を置いた。絞り出すような謝罪の言葉に、眉を寄せる。
「おい、ポール! オーナーの私がいないうちにまたお前は勝手なことを!」
「どうか……を……」
階下からポールに対する叱責のような声が聞こえた。ポールも何か言っているが内容までは聞き取れない。
「あれほど汚い雑種は店に入れるなと言っただろう! 誰がこの店の資金援助をしていると思っているんだ!」
耳を塞ぎたくなるような侮辱の言葉。エルは思わず呟いていた。
「な、なんてことを」
「ごめんなさい、エル……」
入店時にオーナーがいるかどうかを気にしていたのはこういうことだったのかと合点がいった。
階下へ続く階段を睨みつける。リタに視線を戻すと、彼女の瞳は悲しみで濡れていた。
「リタさん、立てますか?」
「はい……」
エルはリタの手をしっかり握り、慎重に階段を降りた。階下には下を向き歯を食いしばるように唇を一文字に結んでいるポールと、彼と親子ほど歳が離れていそうな男が立っていた。不機嫌そうにポールを睨みつけていたこの男がオーナーだろう。金だけ無駄にかかっていそうな、趣味の悪い服や装飾品を見てエルは一瞬吐き気を覚えた。
「ポールさん、長居してすみません。失礼いたします」
「お客様っ」
「お釣りは結構ですから」
差し出した一万エールの高額紙幣に、ポールは慌てて釣りを用意しようとしていたが、エルは軽く頭を下げリタを連れ店を出ようと歩みを止めなかった。
オーナーがそれを不快そうに顔をしかめながら目で追ってくる。エルにとってもその視線は不快だった。
そして、ふんっと鼻を鳴らし、エルは背中にさらなる侮辱の言葉を投げつけられた。
「雑種の分際で王都の広場に出てくるとはな。もっと奥の路地の店で目立たないようにしていればいいものを」
>>続く
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