R18『東京くらくら享楽心中』

緑野かえる

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第4話 (2025/02/20 改稿済)

ビターチョコレート (3)

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 それどころか「今夜の夕飯、どうするよ」とつけあがって来る始末。だから櫻子も頑なに恭次郎に「愛している」と言葉で伝える事を拒んでいた。言ったら最後、離してくれなくなる。

 夕飯ね、ともう一つのチョコレートに食指を動かす櫻子は「いつものケータリングで良いけど」と言う。そもそも表向きはただの経営者としている櫻子はコンビニ弁当でもスーパーの惣菜弁当でも何でも良かった。子供の時からずっとそうだったせいもあるが、日常で食べる物については頓着がまるで無い。

 ただ極道者と言う日陰の人間は罪を負って刑務所に収監され、食も何もかもを厳しく管理されたり、撃たれるなり刺されるなりなんなりで明日をも知れぬ身。それらは全て自業自得ではあるのだが古くからの年長者たちは特に食事に関して、煩かった。生きている内に“良いモン”を食っておきたいと言う身勝手な思想に基づいた行動だったが今、この現代を生きる櫻子にとってはさらさらどうでも良い話となっている。
 それにスーパーの惣菜など、本当に美味しいのだ。

「あ、でも……そうだ」

 半分に切り割った柔らかいチョコレートをピックに刺したまま櫻子が何か思い出したかのように「エビチリ食べたい、かも」と口にする。
 一応、伺ってみたものの櫻子が食に対して素っ気ないのを分かっていた恭次郎は珍しく自分が食べたい物をはっきり言う彼女に目を向ける。

「大崎君と食べたお店のエビチリがしっかり辛くて美味しかったの。四川風って言うのかしらね」

 新興系の食べ放題店にしては値段相応に美味しかったな、と思っている櫻子と話を聞いて若干ムッとした表情になる恭次郎。
 とにかく大崎の存在は自分にとって脅威に成り得ると判断してしまった彼は少しでも櫻子が大崎と食事をしたなどと知ると子供の様に、とまでは行かないが拗ねてしまう。

「ねえ恭次郎、この辺りで四川風の中華料理のテイクアウトをしているお店……ってあなたそんなに大崎君が好きなら足立と交換しても良いわよ」
「ソレ、分かって言ってんだろ」
「当たり前でしょ」

 チョコレートの欠片を口に運びながら櫻子は鼻で笑う。ふ、と鼻腔を抜けるのはヘーゼルナッツのいい香り。

「恭次郎……あまり大崎君の事、意地悪しないであげて」
「分かってる」

 その時、ふふっと儚げに緩く笑った櫻子の表情に影が差していたのを恭次郎は見破ってしまう。明日の幹部会で議題となる今回の龍神會と千玉会の案件からは嫌な予感が漂っていた。
 桜東会四代目会長としての三島櫻子を、気高く美しい彼女を他の男どもに辱しめられる訳にはいかない。

 腹を括り、とうに覚悟を決めている孤高の女が時折見せるこの言葉では言い表せない艶と影を含んだ表情。

 それを感じ取れない程、ボケた自分ではない。櫻子の全てを愛しているからこそ、彼女にそんな表情をさせてしまうのが心苦しい恭次郎はぬるくなってきたコーヒーを飲み干して「連中、派手な事やらかすつもりじゃねえだろうな」とやっとソファーに筋肉質な尻を下ろし、思案する。

「どうでしょうね。父が死んで、諸手を上げて喜ぶような連中が妙に大人しかったのを覚えている。桜東の崩壊を誰よりも願っている癖に、形としてとは言えしおらしく香典を包んで……三役の内の一人を連れて会長たち自らが線香を上げただなんて」

 先代の桜東会会長であった三島誠一みしませいいちは何者かの手によって凶弾に倒れた。場所はここ、歌舞伎町からそう遠くない場所。夜、会食を済ませて送迎用の車に乗り込もうとした時の事だった。

 誰が殺したのかは分からずじまいで警察の捜査も表向きは継続中とはなっているが動いている気配は微塵も感じられない。
 殺された方も、殺した方もプロなのだから当然の結果。ただそれは分からずじまいだけだっただけであり、端から警察も櫻子たちも“見当くらいはついている”と――いつかその事件が三つ巴の争いにまで発展するのではないのかと直ぐに開かれた幹部会でも跡目問題に次ぐ大きな議題となっていた。

 死んでしまったからには仕方がない。
 派閥、組織と言うものはすぐに次の長を決めなくてはならなかった。犯人を探し出して報復をするのか、と言う事に固執している間に他から出し抜かれる恐れがあり、あれこれと深く探るには当時の櫻子たちには時間が無かった。

 そして本家唯一の血脈を持つ櫻子が四代目会長に就任する決意の口上を幹部に述べ、裏社会の頂点の座に就く事を決めると同時に血の繋がりのない、養子として本部の若頭にまで既に上り詰めていた恭次郎が“四代目会長代行”と名乗り、今に至る。ただ、龍神會も千玉会も未だ桜東の会長席が空白になっていると思っている筈……だった。

「恭次郎が四代目になるまでの布石として一先ず会長代行への就任、と見せかけているけれどそれは桜東の弱みにもなる。弱みどころか私が会長だし」
「俺たちがわざわざ用意してやった隙につけ込み始めた、か?」
「そう考えるのが妥当ね。四十にもならない若造が、とでも思っているんじゃないかしら」

 その言葉はそのまま、櫻子自身があまりにも年若い自らの存在を皮肉っているように恭次郎には聞こえた。自分より五つ年下とは言え、ここ十年は本当に櫻子も頭から泥でも被るような真似すら厭わずに裏社会でのし上がって来た。

「あーもう、ダルい話は終いにして夕飯の話な」

 ぎし、と軋むソファー。

「何だっけ、辛いエビチリだっけか」

 頷く櫻子はこのまま恭次郎がオフィスに居座るつもりなのかと瞳を細める。

「それならもう食いに行かねえ?」

 集約されている情報の精査をしようとしていたのに、とは櫻子は言わない。せっかく大崎がデスクに用意してくれた仕事道具。残り二粒のチョコレートはまた後で、と蓋を閉じる。
 時刻はまだ夕方にもなっていない昼下がりで、腕時計をちらりと見て考える。



(※三役・・・大体、『若頭』『舎弟頭』『本部長』あたりの役職のことを指します)

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