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第5話 (2025/02/20 改稿済)
花は咲き、露を滴らせ (3)
しおりを挟む櫻子が帰り支度をし始めてから暫く経ち、本来のドライバー業と言うのは先に車を回して来たり駐車場係による配車を手配するのが常ではあるがそれを彼女があまり望まないのでそのままにしていた大崎。櫻子の表向きの立場や考えもあるので彼も言及、口答えはせずに……そして彼女の支度が終わりそうな頃合いを見て忘れ物など無いかデスクまわりを軽く見て回る。
「それじゃオーナー、帰りましょうか」
寝室から出て来た櫻子からスーツケースを受け取った大崎はビジネスバッグを持って後ろをついて来る彼女を確認してビジネスホテルの仕事部屋を後にする。
別に恭次郎が悪い訳ではないが長い時間、二人を一緒にさせているとなんとなく櫻子の疲労がいつもより溜まっているような気がしていた。
男女の仲、と言うこと以外に二人の関係が複雑なのも知っている。
三島櫻子と言う女性はわりと自分といる時は素の状態を見せてくれるし、東京の極道者を束ねる女傑である事を除いても経営者、上司として手堅く硬派な姿勢は尊敬に値していた。
そんな精神的に強い女性が疲れてしまう程に気を張りつめさせてしまう相手が三島恭次郎だなんて……。
地下駐車場に辿り着き、車を回してくるから待っていて欲しいといつものように言おうとした大崎だったが櫻子が「歩きたい」と言うので瞬時に「分かりました」と返事をしてその通りにする。
「……オーナー、疲れてます?」
大崎の革靴の音と櫻子の軽いヒールの音が重なる。
桜東会の持ち物である商業ビルとは言え、駐車場係を使わない二人。なるべく目立たないように行動をしていたが「大丈夫っすか?」と大崎が少し振り向いて櫻子の表情を伺おうとした時だった。
“う・し・ろ”
品の良い淡い桜色の口紅に彩られた唇が動く。
あっ、と言う表情を見せないように何とか堪えた大崎は「ってか昼飯どうしますか?食っていきますか?」と明るい声音で問う。
「俺、肉が食いたいッス!!」
「お肉か……たまには良いかも」
声のニュアンスは柔らかいが櫻子の目は鋭く、自らの背後を気にする。
「俺、昼からやってる店知ってるんでそこにしますか?ランチ営業もしてて肉は店が焼いてくれて」
大崎は櫻子の背後と自分の前方が分かるように話しかけ続けながら桜東の上役専用の駐車スペースまで短い距離ではあるがエスコートする。そうすればただの肉が食べたいと話しているだけのドライバー兼付き人に見えるからだ。櫻子もそれを分かっており「どんなお店?」と話を引き延ばしてくれる。
「もとは夜営業がメインの店で目の前で肉を焼いてくれるちょっとイイトコロ系ッスね。肉も柔らかいしガチの焼き立てが食えて」
何でもない上司と部下の昼食についての会話が地下駐車場に足音と共に響く。
三島櫻子は桜東会フロント企業の経営者でありながら再従兄である会長代行、三島恭次郎の情婦――彼の贔屓目で分家の娘だと言うのに桜東内でかなり幅を利かせている、などと言う見せかけの情報が界隈の末端まで浸透している事が確信となった時だった。
直参の組長衆が集まっての緊急幹部会の情報は外部に流していない。それだと言うのに帰り際の自分たちが尾行、あるいは監視されていると言うことは少し前から既に……。
相手は何かしらの明確な理由を持ち、恭次郎の弱みともなれる情婦の櫻子だけか、それとも桜東の上役たち全員をマークしている。
自分たちより先に帰って行った組長衆も組事務所か邸宅あたりから尾行、監視されていた可能性が浮上した。
表向きは普通の商業ビルの時間制で料金が発生する駐車場なので一般車両も自由に出入りが可能な場所。
話を途切れさせないようにしながら大崎は先に安全な車内に櫻子を座らせてからトランクルームに荷物を納め、彼女専用の黒塗りの国産車は地下駐車場から昼間の新宿へと出て行く。
地下駐車場から出て、それ以上は尾行されている様子は見受けられなかったが櫻子はスマートフォンを出して電話を掛けた。
「恭次郎、今すぐ地下駐車場の監視カメラを照会して。駐車場内で尾行された……ええ、そう。どうせ私のマンションなんてバレてる前提とは言え、組長衆の車両や幹部の車両に位置情報タグが取り付けられていないか確認を。まあおいそれとれと取り外しのしようがないから取り付けられてはいないと思うけど念の為、外部から見えない場所で車両点検をするように連絡だけはしておいて」
電話口の向こうでは「分かった」と答える恭次郎だったが「お前、マンションに帰ってるのか?」と問われる。
「……大崎君と近場でランチしてから帰るわ。監視カメラの件、宜しく」
すい、と整った指の先で画面を撫でて通話を終了させてしまった櫻子と渋い顔をして「冗談とは言えまた恭次郎さんに何か言われる」と言う大崎。しかし「本当に、お肉を食べてから帰りましょう?」と言われてしまい「この状況で、マジっすか?!」と命に代えても守らなくてはいけない三島櫻子の付き人として、若い彼は当たり前の反応を示した。
結局二人は新宿区内の肉料理系チェーン店のランチとなったが大崎は牛ステーキ肉、櫻子も「動物性たんぱく質を摂らなきゃ……」と呟いて大崎よりもグラム数の少ない物を選びつつも二人で肉を注文して食べる。
「大崎君、今日はもう上がりで大丈夫だと思うけど一応、お酒は駄目ね」
食事中、櫻子から言われて若干そわそわと辺りを警戒しながらも「分りました」と頷く大崎。
そんな彼をよそに「……私、誰かと食事するのが好きなのかもしれない」と櫻子は呟く。
ひとりぼっちの時間が長い彼女が食に興味が沸かないのはもう変える事の出来ない過去のせいだった。与えられた不自由のない暮らしだったとは言え、母親を失ってからの櫻子はどこか自分の存在に空しさを抱えている。
大学を卒業し、ただの一人の女性として生きる事も可能だった。けれど彼女が選んだのは黒く澱んだ裏社会の経営者としての道――店などは元から桜東会の持ち物だったとは言え自分がオーナーになって纏めるようになってからは父親の誠一に当て付けるように、意地で売上を右肩上がりにさせ続けていた。
そして父親亡き後の櫻子は娘を裏社会に染めたくないと言う誠一の今までの“自らだけに都合の良い父親としての振る舞い”を全て反古にするかのごとく『慣例通り世襲を取る』の誰も逆らえないたった一つの理由だけで若い女の身ながら東京の極道の派閥の頂点、桜東会の会長となった。
もう父親はいないのに。
もう引き返せない修羅の道を選んだ。
父親の敵討ちなど周りの人間の“都合の良い解釈”の最たるもので櫻子の白い入れ墨の奥に隠された胸中は誰にも……体を暴かせた恭次郎にすら教えていない。
母方の姓を名乗っていた時期もあったが本当に娘の事を思っていたのなら誠一は離婚するなり、妻である章子が亡くなった後も自分を母方の親族へ紙面上の養子にでも出してしまえば良かったのだ。
「オーナー?」
ナイフとフォークを握ったまま手を止めてしまった櫻子を心配する大崎は「今日はもうゆっくりしてくださいね」と伝える。事の成り行きでランチに来てしまったが彼女が疲れている事に変わりはない。
声を掛けられてハッとした表情になる櫻子。いつ何時も表情を変えてはならない、と大崎にも伝えた立ち場の人間は取り繕うように「そうね」と小さく切った肉を口に運んだ。
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