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第9話
音もなく広がる暗雲 (3)
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本部には寄らずに一路、三島本家の屋敷に帰る恭次郎。
古くとも広い日本家屋の立派な門を潜った更に奥、玄関先では本家付きの舎弟たち三人が出迎え、足立も恭次郎を送り届けると「俺も今日は失礼します」と直ぐ近くのアパートへ帰る為に挨拶をして去ってゆく。
夜勤のように起きて番をする為に泊まる者もいるがごく少ない男達ばかりの三島邸。
本来ならば櫻子の家なのだが彼女がこの屋敷に足を踏み入れたのは本当に両手で足りてしまうくらいの僅か、数回のみ。誠一の葬儀の際やその後の襲名などで真相を知る者たちが集められた時など……三島の親族が集まっていてもおかしくない場が設けられた時にしか櫻子は自分の家に戻って来なかった。
部屋に着いた恭次郎は八畳間に既に敷かれている布団や置かれている文机やその前に置かれている座布団に目をやる。
学習机とは言えない純和風の文机、大人になっても使えるようにと誠一が買い与えてくれた大切な机にスマートフォンを置いて座布団に座って胡坐をかく。
すると襖の向こうから「兄貴」と若い声が掛かった。
「おう、どうした」
失礼します、と顔をのぞかせたのは大崎よりも更に若い役職も何もない住み込みの舎弟。いつも屋敷の掃除から食事の支度、管理などを任せている青年は「風呂、沸いてます。メシもいつも通り冷蔵庫ン中にありますんで」と遅く帰ってきても風呂と食事だけは欠かさないよう用意してある事を伝えてくれる。
これは昔からの……誠一の時代から続く方針だった。
風呂と食事、そして屋根のある寝床の存在。その大切さは三島邸で育った恭次郎もよく分かっていたので家を空ける事も多かったが自分の代でもそれらの用意は欠かさず続けて欲しいと伝えていた。
「いつもすまねえな。ああ、こないだの煮物、美味かった」
だからこそ、彼らの親として礼儀も欠かさない。
嬉しそうに「有難う御座います」とはにかみながら言う青年を長く引き留めないよう「お疲れさん」と言って部屋に帰させる。
彼らの奉公時間なども決まっていて、住み込みの者たちは夜九時以降は寝ても起きていても、近くのコンビニやスーパーに行くのも朝まで自由。もとより恭次郎がいない時は殆どが自由行動ではあったが屋敷はいつも清潔だった。
既に時刻は十時、寝る前に言付けに来てくれた礼を言って部屋に帰すと恭次郎もさっさと風呂に入るか、と直ぐに腰を上げた。
古くともよく磨かれている風呂場。
櫻子の住むマンションの最新の設備とは比べてはならないがこれはこれで居心地が良い。
ここが、自分の家だと思っても許されるだろうか。
きっと本当の家主の櫻子なら「何を今さら」と鼻で笑ってくれる。彼女はそう言う女性、粋と言うか……本当にさっぱりとしている。
だからこの家は誠一が去った後も丁寧に使っていた。
恭次郎も暫く誠一とは離れてアパートで暮らしていた時もあったのだが結局はこの家そのものに愛着があり、戻ってきてしまった。その時の誠一は「お前アレだろ、ここなら女が寄りつかねえし上げ膳据え膳だから戻って来たんだろ」と笑いながらなじられて……誠一は、よく笑う人だった。
肌にまで染み込んだ強い酒と甘ったるい香水の遊興の匂いを丁寧に流し、湯船に浸かる。
そうして気が抜けた時に限って櫻子は今ごろ何をしているだろうか、とよく考えてしまう。子供の恋愛じゃあるまいし。
(……やっぱり、ガキのまんまじゃねえか)
濡れた髪を掻き上げながら自分の幼稚さを鼻で笑った恭次郎は体の大きな自身には少し手狭な湯船に肩まで浸かる。櫻子の事だからまだ起きて仕事でもしているんだろう、と思いながら。
当の櫻子は恭次郎の読み通り、風俗店の事務所から帰って来てからずっと、仕事をしていた。
自宅マンションの執務用のデスクについて薄暗い部屋のまま、夕方ごろから据え置きのモニターや手元のタブレット、ノートパソコンなどとにらめっこをしながら諜報部が日々まとめておいてくれた情報をしっかりと自身に覚え込ませる作業に集中していた。
古くとも広い日本家屋の立派な門を潜った更に奥、玄関先では本家付きの舎弟たち三人が出迎え、足立も恭次郎を送り届けると「俺も今日は失礼します」と直ぐ近くのアパートへ帰る為に挨拶をして去ってゆく。
夜勤のように起きて番をする為に泊まる者もいるがごく少ない男達ばかりの三島邸。
本来ならば櫻子の家なのだが彼女がこの屋敷に足を踏み入れたのは本当に両手で足りてしまうくらいの僅か、数回のみ。誠一の葬儀の際やその後の襲名などで真相を知る者たちが集められた時など……三島の親族が集まっていてもおかしくない場が設けられた時にしか櫻子は自分の家に戻って来なかった。
部屋に着いた恭次郎は八畳間に既に敷かれている布団や置かれている文机やその前に置かれている座布団に目をやる。
学習机とは言えない純和風の文机、大人になっても使えるようにと誠一が買い与えてくれた大切な机にスマートフォンを置いて座布団に座って胡坐をかく。
すると襖の向こうから「兄貴」と若い声が掛かった。
「おう、どうした」
失礼します、と顔をのぞかせたのは大崎よりも更に若い役職も何もない住み込みの舎弟。いつも屋敷の掃除から食事の支度、管理などを任せている青年は「風呂、沸いてます。メシもいつも通り冷蔵庫ン中にありますんで」と遅く帰ってきても風呂と食事だけは欠かさないよう用意してある事を伝えてくれる。
これは昔からの……誠一の時代から続く方針だった。
風呂と食事、そして屋根のある寝床の存在。その大切さは三島邸で育った恭次郎もよく分かっていたので家を空ける事も多かったが自分の代でもそれらの用意は欠かさず続けて欲しいと伝えていた。
「いつもすまねえな。ああ、こないだの煮物、美味かった」
だからこそ、彼らの親として礼儀も欠かさない。
嬉しそうに「有難う御座います」とはにかみながら言う青年を長く引き留めないよう「お疲れさん」と言って部屋に帰させる。
彼らの奉公時間なども決まっていて、住み込みの者たちは夜九時以降は寝ても起きていても、近くのコンビニやスーパーに行くのも朝まで自由。もとより恭次郎がいない時は殆どが自由行動ではあったが屋敷はいつも清潔だった。
既に時刻は十時、寝る前に言付けに来てくれた礼を言って部屋に帰すと恭次郎もさっさと風呂に入るか、と直ぐに腰を上げた。
古くともよく磨かれている風呂場。
櫻子の住むマンションの最新の設備とは比べてはならないがこれはこれで居心地が良い。
ここが、自分の家だと思っても許されるだろうか。
きっと本当の家主の櫻子なら「何を今さら」と鼻で笑ってくれる。彼女はそう言う女性、粋と言うか……本当にさっぱりとしている。
だからこの家は誠一が去った後も丁寧に使っていた。
恭次郎も暫く誠一とは離れてアパートで暮らしていた時もあったのだが結局はこの家そのものに愛着があり、戻ってきてしまった。その時の誠一は「お前アレだろ、ここなら女が寄りつかねえし上げ膳据え膳だから戻って来たんだろ」と笑いながらなじられて……誠一は、よく笑う人だった。
肌にまで染み込んだ強い酒と甘ったるい香水の遊興の匂いを丁寧に流し、湯船に浸かる。
そうして気が抜けた時に限って櫻子は今ごろ何をしているだろうか、とよく考えてしまう。子供の恋愛じゃあるまいし。
(……やっぱり、ガキのまんまじゃねえか)
濡れた髪を掻き上げながら自分の幼稚さを鼻で笑った恭次郎は体の大きな自身には少し手狭な湯船に肩まで浸かる。櫻子の事だからまだ起きて仕事でもしているんだろう、と思いながら。
当の櫻子は恭次郎の読み通り、風俗店の事務所から帰って来てからずっと、仕事をしていた。
自宅マンションの執務用のデスクについて薄暗い部屋のまま、夕方ごろから据え置きのモニターや手元のタブレット、ノートパソコンなどとにらめっこをしながら諜報部が日々まとめておいてくれた情報をしっかりと自身に覚え込ませる作業に集中していた。
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