R18『東京くらくら享楽心中』

緑野かえる

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第13話

静寂の抗争 (2)

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 櫻子の問い掛けに息を飲む者は誰もいなかった。
 大崎も、真っ直ぐに汪……のネクタイあたりを見つめている。移動中の車内で櫻子から相手の目を直接見ない方が良い、と言われていたからだ。それは社交のマナーと言うよりも、大崎が毒されない為の櫻子なりの思いやりだった。どす黒い交渉術なら自分に任せて欲しい、との思い。

「あなたの、お父上を?」
「ええそうです。桜東会三代目会長、三島誠一を殺した拳銃の出所はあなた方が当時、龍神との取引の際に良い値段で流した物だと……とある情報筋から」

 粛々と提供される食前茶の茶器の音に櫻子の落ち着いた声が重なる。

「なんとも……ああ、貴重なカードを切って来たようですね。今、桜東会は三代目の死後、四代目が不在で実子の三島恭次郎さんが代行として会長職に着任されている筈ですが?」
「こちらにも色々と事情があるんです」
「そうでしょう。勿論、我々にも込み入った事情はありますからね。こんな商売をしていればなおのこと。ふむ。そうか、そうだったのか……」

 どうぞ、と汪は櫻子と大崎に茶を勧めながら自らもひと口飲むと少し考えるような素振りを見せる。

「汪さんのような大きなご商売をされている方はよくカネの匂いのする所にタカりに来られますが、龍神の金庫の次は桜東を?」
「悪い話はしませんよ。私も、貴女と同じ商売人ですから」

 美しく整えられた櫻子の指先が小さな茶器を支え、丁寧な所作で食前茶を口にする。それを見ていた大崎も真似をするように茶を飲む。

 これは、あらかじめ櫻子から伝えられていた。
 相手はもう、桜東会の内部をかなり調べ上げた末に接触を試みている、と。だから何があっても動じないよう、背筋を真っ直ぐにして自分のそばに居て欲しいと頼まれていた。

「昨今、汪さんやアジア系以外の外国人の流入が盛んで……最近は随分と私の庭歌舞伎町にも程度の悪い者が増えていまして。元来、汪さんなどのご商売をされている中国系アジアのコミュニティは“我々が”管理をして場が荒れないように上手く共生を図って来たのですが」
「ええ、存じていますよ。その為に私も先日、都内へ。ひと仕事を終えて気楽に飲んでいたと言うのにとんだ目に遭ってしまいましたが」
「千玉は手を出してはならない所に手を出した」
「ふふ、三島さんが随分と話せる方で良かったよ」

 笑う汪に櫻子の口角も上がるがやはり互いに目は笑ってなどいない。

「三島さん、アイツらはやり方が古いんですよ」

 それでも話に乗って来る汪は食事の準備もしてくれ、と背後に付いている部下に指示を出しながらもう一口、茶を口にする。

横浜ここも随分と人が入れ替わりましたが、まあ素行の悪さは時代と言うことで。でも、ですよ」
「汪さん方も他の外国人コミュニティに狩場を横取りされては面白くない」
「そう、そうなんだ。千玉の連中は自分たちの手に負えない程のヤツらを入れてしまった。私たちとは性質が違うって事もよく理解しないままにね」
「日本人の立場からすれば同じ穴の……失礼。確かに、性質が違うと言うのはよく分かります」

 でしょう?と機嫌が良さそうに櫻子の風刺の舌を気にも留めずに汪はうんうんと深く頷く。

「汪さん方の後ろに控える組織を私もそこまで存じていませんが、管理された狩場の方が商売をするには合理的……と言う考えは上層部にもおありでしょうか」
「話せるねえ、良いねえ。男も女も関係なくただ貴女の、三島さんのお立場がどれほどか分かっただけでも収穫だと言うのに」
「と、まあ桜東からのお話はこれくらいにして……如何でしょう。龍神は私の庭の管理など出来ない。出来る筈もない。あなた方のような“触れてはならない者たち”を引き入れてしまったのですから」

 緩やかに、饒舌に、毒を孕ませ、それでいて品のある桜色の唇の口角は上がっているがその目はどこまでも冷たかった。
 最早二人の話を聞いていることしか出来ない大崎は心臓が強く脈打ち、逃げ出したい気持ちで一杯だった。それでも今、この隣に座ってとんでもない話をしている櫻子を、気高い女性を守れるのは自分しかいないのだと言い聞かせ、座り続ける。

「ッハハ!!こりゃあ良い。気に入った!!」

 からからと快活に笑い始める汪は母国語で背後に控えている付き人に早口で何かを伝えているが流石に聞き取る事は出来ない。
 櫻子にとっては汪のような背後に中国マフィアの濃い影がある者も、千玉が引き入れてしまった中国大陸よりも更に東の国の外国人も、どちらも危険性の高い民族だと考えていたのだがとりあえず今のところは“話が通じる方”を選んだ。
 それは選ぶ余地すらもあまりなかったのだが彼らは割と恩義については重んじる。筋を通そうと……それが汪個人以外にも通じるかはまた別ではあるのだが。

「大崎さんも、今回は本当に有難う。千玉の馬鹿なガキに絡まれた所を助けてくれた上に君の上司が桜東会の大物だったとは知らなんだ。会長代行の女である事くらいしか知らなかったからねえ。取り入って“龍神のように”喰ってやろうかとも思ったんだがとんだ失礼をしてしまうところだったよ」
「……オーナーが言うようにこれは商売、だと」
「そう、そうだよ大崎さん。君はまだ若いから……いや、三島さんも十分にお若いからここまで上り詰めるまで相当、苦労をしてきたんだろう」

 汪の言葉は何もかも正しかった。
 櫻子がそうならざるを得ない背景を……本当にどこまで把握しているのかは分からなかったが汪もまた、裏社会の黒く澱んだ世界に浸っている人間。極道の世界では珍しい女性の身、かつ若い櫻子の強靭な精神の一片くらいは理解しているようだった。

「で?日本の公安はどこまで君たちについてきている?今日、龍神側には上手いこと手を回して君たちを監視させないようにしてきたんだけど」

 櫻子の考えを見透かそうとしている汪の目もまた、気味の悪さを含んだ独特な冷たさがある。
 口ぶりや態度では機嫌が良くても、その根底は誰にも計り知れないように。だからこそ櫻子は大崎に『ネクタイを見ていた方が良い』と告げていた。

「どうでしょう。日本人が日本人の中に溶け込むのは容易ですから。それを仕事、職務として弁えているプロの集団ならなおのこと……私は彼らの行動については断言出来ません」
「うん、そうだね。まあ良い。君のその物言いは信用に足りる。日本の公安なんざ勝手にやらせておけばいい」

 ふう、と軽く息をついた汪は話題をパッと切り替えるように「この店、日替わりのスープが美味しいんだよ」と食事の説明を始めた。

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