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第5話
本当の秀女選抜 (4)
しおりを挟むどうやら蒸かしたてのようで口当たりはふかふか。中に胡麻餡も入っていたので夕食の膳にもついて来るかもしれない。
とりあえずまだ日は高い。お茶をしてからまた庭を散策……偵察しに行ってもいい。そう梢と話し合っていた琳華だったが扉の向こうから「周琳華様、少々宜しいでしょうか」と声が掛かる。
その声は丹辰の侍女でもなく、愛霖でもない。
「お嬢様、女官様からお話があるとのことです」
跳ねるように素早く扉の前に行き、訪ねて来た人物に取り合っていた梢がぴょこ、と衝立から顔を出したので琳華も席から立つ。
一瞬だけ、何かしでかしたか心配にはなったが部屋の前にいたのは秀女たちの座学を担当してくれている件の鶴女官で「別の場所でお話を」と部屋の外に誘われる。ひと息ついたら散歩に出ようとしていた琳華たちはそのまま、鶴女官について行くことになってしまった。
案内をされたのはつい先ほどまで座学を受けていた寄宿楼の二階部分にある広間の更に奥。用が無ければ誰も立ち入らないような端の部屋だった。
「どうぞ、こちらへ」
女官に案内をされて部屋に入った琳華の瞳に映るのは翡翠の玉飾りがついた白い組紐を腰に提げた涼やかな麗人……属している方の呼び方ではなく彼の名を言葉に出してしまいそうで口を噤む。
「親衛隊長様、お連れしましたよ」
「ああ、すまない」
偉明と雁風の二人が窓際に立っており、女官の鶴もそのままその場に留まる。琳華は礼儀として頭を傾いだがそう言えば偉明が勝手にやって来る時はこんな丁寧に挨拶をしていないと思い返す。
「急に呼び立てて悪いが周琳華殿、単刀直入に言おう」
目を細め、人あたりの良さそうな表情をしている偉明だったが琳華は彼の完璧な仮の振る舞いから少し目を逸らすように揺れる白い組紐飾りを見る。
「琳華殿は秀女たちの中では最年長。お父上に至っては私も大変お世話になっている。そこで琳華殿のお家柄や年功序列を考慮し、頼みたいことがあるのだ」
さらさらと清流のように喋る偉明に対して揺れる組紐の飾りをじーっと見ていた琳華の視線が少しだけ上がる。
「これから暫く、私と面談をする機会を設けたい。各部署とも話し合ったのだが日頃の宗駿様のご様子は私もよく存じ上げている。そして私自身もこちらとの行き交いの機会も多く、何より琳華殿はご聡明であると聞いている。そこで……そう、琳華殿には秀女を率いる者となって頂きたいのだが」
あまりにも突然の偉明の提案だったが琳華は戸惑いを見せることは無く、一度姿勢を整えるとすっと胸元の前に手を揃えて頭を下げる。
「わたくしを指名していただき大変光栄で御座います。最年長と言うこともあり幾ばくか気がかりではありましたがこれも宗駿皇子様の為とあらば……謹んでお引き受けをいたします」
偉明は皇子に近い存在として、皇子の政や身辺警護を理由に宮殿全体の中でもかなりの権力を持っている。それに、内部の不正も彼に見つかればひとたまりもない。だから――誰も偉明に強く言える者がいない。
今回はそれを逆手に取った彼の行動力。本当は動揺している心をぐっと抑えた琳華の臨機応変な対応も上手い具合に噛み合い、偉明は深く頷く。
「それでこそ宗駿様の将来の……このような姫が宗駿様のお傍にいらっしゃるともなれば安泰ですね、鶴殿」
「まあ、親衛隊長様はいつもお言葉がお上手で」
「では鶴殿、これで話は纏まったと言うことで宜しいか?」
「ええ、琳華様ならば華やかさの盛りの秀女たちを率いてくれるでしょう。我々も出来る限り、お支えしますからね」
多分、ここにいる全員が何かしらの嘘や偽りを隠し持っている。
偉明だけではなく、鶴女官の方も。琳華にはどうしても分かるのだ。それは彼女が生まれ持った繊細な気質にあり……だからこそ、父親は娘を使った。悪い空気も、良い空気も娘なら判別できると信じて。
「では早速で悪いが一応、機密を扱う事になる。私の執務室まで来て証文に一筆を頼みたいのだが……鶴殿、このまま琳華殿を東宮まで連れて行っても構わないだろうか」
「ええ、ええ。そうすれば明日にでも正式に通達が出ますでしょう。これでいよいよ“本格的な秀女選抜が”始まりましたね」
鶴女官の言葉に頭を下げたままでいた琳華は途端に眉根をきつく寄せる。
琳華はいわゆる父親のコネクションによる裏口入宮。本来の『秀女選抜』は丹辰や愛霖が受けて来た筆記試験や面接の事を指していると思っていた。今朝のように入宮した後も寄宿楼から帰された者がいたが本当の秀女選抜はまだ“始まってもいなかった”のだ。それを知り、背筋が寒くなる。
「この後すぐ、親衛隊側が通行証と組紐を発行しますが琳華殿に持たせて楼に帰らせても?」
「ええ、目に見えて彼女が特別な存在だと他の秀女たちに知らしめる良い機会です。競争心が芽生えればより一層、心身に磨きが掛かるでしょう」
なんて残酷なのだろう。
鶴女官に見送られ、侍女にも通行証を出すからついて来てほしいと言われた琳華は偉明に先導されるままに寄宿楼から初めて、皇子が住んでいる東宮へと向かう。
直前まで多弁だった偉明も何も言わず、警備の兵が挨拶をするとそれに答えてやっているだけで黙って廊下を突き進んでいくが――琳華はその真っ直ぐな背と揺れる長い髪を見つめていた。
場によって自然に振る舞いを選んでいる彼は自分よりも大人で格好いいと言うか、やっぱりちょっとだけ素敵と言うか。二人の兄たちの姿に憧れたように胸がぎゅっとなる。
そんな無言の時間を過ぎ、琳華たちは東宮内にある偉明の執務室に通された。親衛隊長専用の部屋とは言え、東宮の中に入ってしまった途端にさほど警備の目が無くなったのは意外なことだったがそれまではやはり相応に番をする者は多かった。
「ご息女、掛けてくれ」
煌びやかな装飾は無かったが威厳ある、偉明の年齢にしては些か渋い内装の執務室。彼が事務仕事をする為の卓とは別に、ちょっとした会議が出来るような広い卓が部屋の中央に置かれていた。そこの椅子を一脚、琳華の為に引いてくれた偉明は自分の執務用の卓の上に置いてあった小さなつづらを持ってくる。
「女人が身に着けても違和感のない物にしたのだが如何せん急ごしらえでな。気に入らなかったら……諦めてくれ」
偉明の手によって差し出された白い組紐飾り。女性ならば誰でも身に着けられる白藤を連想させるような布細工と糸の房が揺れる美しい飾り。帯にしっかり差し込めるようにと白銀に花模様が抜かれた差し込み板もついていた。
「何だ、受け取らないのか。これさえあればご息女が夜な夜な出歩いていようが誰も文句は言えまい。その辺で私や雁風と立ち話をしていようが……どうした」
「琳華殿」
「お、お嬢様……?」
黙りこくってしまった琳華に雁風が先ず呼びかけ、続いて梢も流石に心配そうに小さく言葉を発する。
「な、なんでもないです……周琳華、しかとお預かり申し上げみゃっ」
噛んだ。
みるみるうちに薄化粧の琳華の頬が赤くなってゆく。それを真正面から見られるのは偉明だけなのだが彼の表情は鶴女官の前とは違う、素の状態だった。
しかしその時、おずおずと受け取る為に両手を差し出した琳華の指先に偉明の指先が当たる。
「っ、ひゃん」
慌てて手を引っ込めてしまいそうになった琳華は組紐を落とさないように堪えたが今度は偉明が眉根を寄せ、大きく表情を変えた。
「女人というのは指先すらも柔らかいのだな」
偉明の真剣な眼差しと言葉を聞いた長い付き合いの雁風は目を見開き、絶句する。
「た、隊長……そう言ったお言葉は」
「は……ああ、すまない。私の配慮が無かったか」
多分、偉明に悪気はない。たまたま指先が当たってしまっただけでこれは偶然。琳華とてそこまで男性に対して驚いたりするような事はないはずなのだが先ほどから様子がおかしい。
「その組紐は通行手形。反面、ご息女が何者であるか分かる者には分かってしまう。周家の娘だと分かれば擦り寄って来る者も増えるだろうがご息女の健脚ならば蹴散らすなど造作もないとお見受けする」
「……は、い。わたくしは、これしきのこと……我が家名に難癖をつけようものならば」
「お嬢様、お言葉がっ」
「え、あ……やだ、わたくしったら」
しゃらりと琳華の手の中で白い藤の房が揺れ、流れる。
「えっと、あの……ゴホン。不肖周琳華、しかとお預かりいたしました。この組紐飾りの存在に恥じぬよう誠心誠意、役目を務め上げる所存です」
女性にしては珍しい口上を述べる琳華にぴく、と偉明の整った眉が動く。
「寄越した文では夜に、と言ったが急に予定が変わってすまなかった」
「いえ、それは……このような待遇を賜るなど」
「っくく、やはり周先生のご息女なのだな」
面白い姫君だと偉明が笑い、絶句していた雁風は驚愕する。
まさに開いた口が塞がらないような雁風は隣にいる梢とは反対側に顔を背け、肩を上下させながらなんとか衝撃に止まってしまっていた呼吸を整える。
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