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第6話
勝てば官軍、ヤッたもん勝ち (2)
しおりを挟む小梢に付き添われて東宮近くまで散歩をしようと寄宿楼内の廊下に出た琳華に突如、凜とした声が掛かる。
「琳華様、お散歩ですか?」
「ええ。丹辰様は……」
「今から楊の部屋でお茶をしようかと思ったのですが」
今日の伯丹辰は濃い桃色の羽織に髪にも華やかな簪を挿していた。どうやら丹辰の取り巻きの一人である楊は彼女と昔馴染みらしい。丹辰が行動をする時には楊も必ずくっついている。
――秀女の数は今朝、八名に減っていた。
同格の貴族の娘たち同士なら仲が良いのも分かる。しかし琳華は丹辰とは歳が離れていたし、梢と一緒に行動をしながらも家庭教師として日中はよく働いていたのであまり友人と言える女性はいなかった。昔馴染みは皆、嫁いでしまっていたのだ。
「琳華様はお散歩がお好きなのですね」
「え……ええ」
「よく外で親衛隊の方々と立ち話もされているようで」
丹辰の言葉に鋭いな、と琳華は思ったが微笑むだけで無駄に喋らなかった。彼女はいつも何かしら、人の粗を探す言動が多い。自衛の為か、それとも何か警戒をしているのか。
やましい事がなければなんてことはないだろう。むしろ、皇子の為の秀女でありながら他の男性と話を気安くする事を咎めているのかもしれない。
それは伯丹辰のみぞ知る、とは言えお茶に誘われそうになった琳華は先に一歩を踏み出す。
「あまり頼りに見えないかもしれませんが年の功による筆頭と言う事で、なにとぞご容赦を」
儚げな表情をしながら、と言うか琳華は本当に少し疲れていた。
納得したような、しないような丹辰をはぐらかすように躱し、多くの人の目から逃げるようにそこまで人の通りが多くない東宮の方へといつもより早い足取りで歩いてゆく。
そして人の気配が減ったあたりで少し座ろうかと梢と話をしていた時、また声を掛けられた。今度は女性の声ではなく、男性の声。
「周琳華様、こちらにおいで下さい。隊長が御呼びです」
白い組紐に濃紺の装束。ひと目で親衛隊と分かる二人の兵が琳華と梢に声を掛ける。この時間、この東宮周辺は紙帯にあった通りに親衛隊の兵のみで番が構成されているようだった。
兵から話を聞くに、どうやら最初から呼びに行こうとしていたようで言われるがまま、そして護衛として偉明の執務室までついて来てくれた兵が中に呼びかけると扉が大きく開いた。
「やあ、ようこそおいで下さった。琳華殿、小梢殿」
ぬっと現れた雁風に初めて敬称を付けて呼ばれた梢の方が飛び上がる。しかも愛称の方だ。
「良かったわね、小梢」
これも琳華が梢を大切にしており、妹のように可愛がっていることが短い間でも雁風や偉明にも見て取れていたからであった。普通、いくら客人の扱いになっている上級貴族の娘の侍女に対してそこまでの待遇はしない。
「と言うことで小梢殿、それがしと少し雑用をしましょう」
あれよあれよと雁風に連れられて行ってしまった梢を見送る事も無く、琳華は偉明の執務室に置いて行かれてしまった。
どうやら偉明は自分と一対一で話をしたかったようだが妹のような侍女に聞かれて困る話など琳華には無い。
何か、今回の件について極秘事項でもあるのだろうか。いや、それなら梢も同席させる筈。
「ご息女が今考えている事が話の大半ではあるが」
「……見透かしているのならお言葉にしないでください」
座ってくれ、と促された広い方の卓の席。
書類なども端に片付けられて琳華の為に誂えたような可愛らしいお菓子とお茶の小さな膳が据えられていた。
偉明の執務用の卓にもお茶だけが置いてある。
「秀女が残り八名となった今、本格的にご息女にも情報を共有しようかと思ったのだ。昨日も纏まった時間が無くてな」
「それでは今まで何も教えて下さらなかったのは」
「私からの腕試し、と言ったところだな」
むぐぐ、と唇を噤む琳華はそれからすぐに肩の力を抜いて吐息を漏らす。
「ご息女が本当にこの任務を務め上げられるか見極めさせて欲しい、と私から周先生に進言をしたのだ。ゆえに通行証の発給に許可が出るまでご息女に情報を与えることをしなかった。万が一、あなたに危険が及んだ時にボロが出てしまわないように、と」
「ではここ数日、いいえ……初めからずっとわたくしのことを騙して」
「そうではない。それはどうか、分かってくれ。これも宗駿様の親衛隊長として、周先生の教えを通す為のことだ」
そう言われてしまえば琳華は何も言えなくなり、俯いてしまう。その視線の先には茶葉とお湯が入れられている可愛らしい女性向けの椀。ずらして置いてある蓋から湯気と共に良い香りが立っている。豪華な茶器の誂えではなく、ごく簡易的な蓋椀のお茶。琳華も家ではよく使っている物だ。
「わたくしが女人と言うだけで、頼りなく見えますか」
「いや、私が見る限り……ご息女は違う。そしてこの宮中に勤める女官の一部もやはりご息女と同じように強い志しを持ち」
また偉明が上辺だけの言葉を述べそうになっているのを琳華は見抜いてしまう。そう言う時の彼は決まって対象の人物をあまり見ないようにしている。今、彼は自分の執務机にある蓋椀を立ったまま手に取ろうとしていた。
「わたくしは、宮正になりたいのです。なので、今回のことも含め……その……」
「上級貴族の女人がなるような官職ではないぞ。ご息女が思うほど清廉で高潔な仕事でもない。それ相応の賄賂も横行し、不正を握り潰した事例は枚挙にいとまがない」
「つまり今、わたくしがここに秀女としていることも……同じ、ように……様々な便宜や、秘密のお金で……あ……の……」
「ああ、そうだ。この期に及んで急に後ろめたくなったか?ご息女はそれを理解してやってきたものだと」
細められた偉明の視線が刺さる。
自分は後宮内の不正を取り締まる宮正と言う部署に勤めたいと思った。それは自分に武芸の心得もあったし、何より正義心があったから。
もとより裏口での入宮。よく考えてなくても下積みをせずに宮正になりたいなど、思い上がりも甚だしかったのだ。
「……私で良いならば話を聞く」
こんなことを話せるのは偉明くらいしかいない。
「無礼と無知、浅はかさを承知で……わたくしは全部、父の威光のもとでしか物事を成せない無力な存在だとたった今、分かってしまいました」
「ふむ、そう来たか」
「偉明様なら様々な女人を見て来たことでしょう。わたくしのように世間知らずで甘ったれた考えを持った者も」
「それについては否定しないな。確かに、ここには腐るほどいる」
執務用の卓にあった茶をひと口飲んだ偉明に勧められ、琳華もそっと碗を手にして唇を寄せる。
「だからこそわたくしを観察し、成し遂げられるかを見極めていらっしゃった」
「ああ、大体はそんなものだ。ご息女のご兄弟も順調に官職を賜って尽力をされている。周一族は名門中の名門……とは言え相当、甘やかされて育ったに違いないと思っていたが先生から詳しい話を聞いた段階ですらとんだ大物だと知り、実際に……ふ、っくく」
細くも武骨な指先にある茶を傾けながら笑っている偉明に琳華の瞳は段々と涙目になっていた。
(なぜかしら……すごく恥ずかしいし、いつもと違う悔しさと言うか、急に己の無知や無力さが胸にいっぱい込み上げて来て)
そんな自分がこの大役、本当に果たせるのだろうかとにわかに不安になる。偉明もそれについて見極めていたのだから結果は……怖くて聞けない。
「あちらを立てればこちらが立たぬ世だ」
茶の入った碗を置いた偉明は琳華の目の前の椅子にどかり、とおよそ表向きの彼からは想像しがたい音を立てて豪快に座る。そして琳華用に誂えてあった小さな菓子の盆に手を伸ばし、小ぶりな干し柿をひと口で食べてしまった。
遠慮をせず食べろ、とでも言いたいのだろうが両手の先で碗を支え、胸がいっぱいになってしまっている琳華では菓子に指先が届かない。
「周琳華」
いきなり名を呼ばれ、琳華の唇にむぎゅうと干し柿が押し付けられた。
「む、う」
「食え。滋養だ」
「んぐ……っ」
琳華は慌てて碗を置くと押し付け、突っ込まれた干し柿を恥ずかしそうに指先で支えて咀嚼をする。そんな琳華に偉明は満足そうに頷いた。その瞳はまるで小動物に餌でも与えるかのようだったが「親衛隊長が直々に毒見役をしたのだ。光栄に思え」と笑いながら言う。
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