【本編完結】おじ様好きオメガは後輩アルファの視線に気が付かない

虎ノ威きよひ

文字の大きさ
15 / 110
一章

抑制剤

しおりを挟む

「喜ぶと思ったのに……」

 両手で頬杖をつき、パソコンが立ち上がるのを待ちながらポロリと本音がこぼれ落ちる。
 聞き逃さなかった杉野がすぐに食い付いた。

「なんで俺が喜ぶと思うんですか」
「え? だって俺のヒートが近づいてきても、抑制剤の量を増やさなくて済むだろ」
「……なんの話ですか」

 珍しく、杉野の瞳が揺らぐ。
 不自然なほどに平坦な声での質問は、逆に図星だと言っているようだった。
 藤ヶ谷はデスクに倒れている茶色い小瓶を指差した。

「それ」

 たまに杉野が飲んでいるもので、ラベルが貼っていなかったため気になっていたのだ。
 ずっと「もしかしたら」と思っていたのだが、確信を持った今はハッキリと言ってやる。

「二日酔いで栄養剤でも飲んでるのかなって呑気に思ってたけどさ。俺がヒートになる時期と重なってるのに気づいたんだよ」
「ただの事故防止なんで気にしないでください」

 そのままにしていた小瓶を今更自分のカバンに突っ込んだ杉野は、苦々しい表情になる。

 藤ヶ谷を含む一般的なオメガは、自分がヒートになる少し前から抑制剤を呑み始める。そして実際にヒートに入った時に効力の強いものを飲むのだ。

 しかしアルファは、いつどこでヒート中のオメガに出会うか分からない。
 即効性の抑制剤を持ち歩く者もいるが、杉野は常飲していると前に話していた。
 おそらくそれにプラスして、藤ヶ谷のヒートが近づくと小瓶の抑制剤を飲んでいる。

「お互い抑制剤を飲んでるのに、お前は俺のフェロモンが変わったのにいつも気づくもんな。敏感な方なんだろ?」
「……そうじゃないです」

 抑制剤は便利だし、ドラッグストアやコンビニで買えるほど身近なものになっている。
 しかしそれでも副作用がある時はある。
 そもそも薬を飲み過ぎるのは良くないのだ。
 無理をさせているのではないかと、常々思ってはいた。

 杉野が首を振るのを「気を遣っている」と受け取った藤ヶ谷は、小さく息を吐く。

「俺に番ができたらお前には影響なくなるし、喜ぶかなってさ」

 会話をしながらでも作業出来るはずの杉野が、パスワード入力の画面を睨み付けて最後まで聞いていた。
 2人の間に、不穏な空気が流れる。

「俺のことを気にかけてくれてたんですね。それなのに、子どもみたいなこと言ってすみませんでした」

 沈黙を破ったのは杉野だった。
 椅子を回転させて、体ごと藤ヶ谷に向けてくる。

「でも、聞いてください藤ヶ谷さん」
「あ、ああ」

 杉野の膝に置かれた大きな手は、白くなるほど握られていた。
 仕事の時以上の深刻な雰囲気に、藤ヶ谷も思わず背筋を伸ばして続く言葉を待つ。

「俺は」
「おはよう杉野ー!」

 けたたましい音とともに勢いよくドアが開く。
 元気のいい声が、2人しかいなかった部屋中に響き渡った。
 藤ヶ谷も杉野も、反射的に声の主に顔を向ける。

「あのさー! ちょっと聞きたいことが……あ、る……」

 姿を見せたのは、杉野の同期の男性社員だった。
 広報部に所属している彼は入ってくるなり要件を言おうとしたが、只ならぬ空気をすぐに察知した。
 気まずげに一歩後ずさる。

「すんません、お取り込み中っすか?」
「悪い悪い! また俺がミスって怒られてたんだよ! 逆に助かった」

 本当に出ていってしまいそうな男性社員を、藤ヶ谷は慌てて引き留める。
 わざとらしい作り笑いが、逆に話に真実味を持たせていた。
 実際に、落ち着かない状況を打破してくれて助かったし、大雑把すぎる藤ヶ谷が杉野に注意されているのもいつものことだ。

 だが杉野は藤ヶ谷の腕を掴んだ。

「藤ヶ谷さん、話はまだ」
「なんだ良かったー! お前、優秀だからって先輩にケンケン怒るなよー!」
「いやだから」

 にこやかに近づいてきた男性社員は、まだ何か言いたげな杉野の肩に腕を回す。問答無用で立ち上がらせた。

「んじゃ、借りていきまーす」
「おおー! ちゃんと始業時間までに返せよー」

 大きく手を振る男性社員に、藤ヶ谷は明るい声で親指を立てた。
 腰を屈めて引き摺られていった杉野の顔は見えなかったが、おそらく不服そうな表情なんだろう。

 2人の姿がドアの向こうに消えたのを確認すると、体と顔の力を抜いて椅子の背にもたれ掛かる。
 天井の照明に目を細めて大きく溜息を吐いた。

「……なんか、本気で怒らせたっぽいな……」

 全く理由が分からなかった。
 ただ、杉野のおかげで浮かれ切っていた藤ヶ谷は少し冷静になった。

 仕事の合間にまたきちんと話をしようと決めて、仕事を始めることにした。
しおりを挟む
感想 269

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

孤独の王と後宮の青葉

秋月真鳥
BL
 塔に閉じ込められた居場所のない妾腹の王子は、15歳になってもバース性が判明していなかった。美少女のような彼を、父親はオメガと決め付けて遠い異国の後宮に入れる。  異国の王は孤独だった。誰もが彼をアルファと信じているのに、本当はオメガでそのことを明かすことができない。  筋骨隆々としたアルファらしい孤独なオメガの王と、美少女のようなオメガらしいアルファの王子は、互いの孤独を埋め合い、愛し合う。 ※ムーンライトノベルズ様にも投稿しています。 ※完結まで予約投稿しています。

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

さかなのみるゆめ

ruki
BL
発情期時の事故で子供を産むことが出来なくなったオメガの佐奈はその時のアルファの相手、智明と一緒に暮らすことになった。常に優しくて穏やかな智明のことを好きになってしまった佐奈は、その時初めて智明が自分を好きではないことに気づく。佐奈の身体を傷つけてしまった責任を取るために一緒にいる智明の優しさに佐奈はいつしか苦しみを覚えていく。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

処理中です...