【本編完結】おじ様好きオメガは後輩アルファの視線に気が付かない

虎ノ威きよひ

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一章

段階を踏む(杉野目線)

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 オメガ専用の黄色いタクシーが走り出すのを見届ける。
 杉野は安堵の息を吐いて、暗く肌寒い夜の街から再び職場のビルに戻った。

 廊下を歩きながら、藤ヶ谷の表情や香りを思い出す。
 腕を掴んだ手のひらは、まだ熱を持っているようだ。
 ヒート中なのだと意識すると、彼の全てが扇情的に見えて。
 欲望を抑えて冷静に対応するのが困難だった。

 結果的に怯えた表情をさせてしまったことは、杉野にとって想定外のことだった。

(もう抑制剤が切れかかってるのか?あれ以上一緒にいたら危なかったかもしれない)

 藤ヶ谷と離れると、早くなっていた鼓動も熱くなった体温も、全ての高ぶりが静まっていく。
 最後にカラー営業部の部屋を出たときの状況を思い描き、片付けをしなければとドアを開ける。

「部長。まだいらしたんですか」

 杉野のデスクに座って片手を上げる八重樫を見て、目を丸くする。
 デスクの周りに視線を走らせれば、藤ヶ谷がコーヒーカップを落としたはずの床には何の汚れもない。
 状況を把握した杉野は、八重樫の目の前まで歩いて深く頭を下げた。

「すみませんでした。騒がしくしてしまって」
「いやいや。思いとどまってくれて良かった」
「本当ですよ……ヒヤヒヤする……」

 八重樫がおおらかに笑うので、杉野も力が抜けた。
 藤ヶ谷が座っていたオフィスチェアの背をそっと撫でる。

「君たちがあのまま会社で番ってしまうかと思ったよ」

 杉野を見る八重樫は、上司の顔から年下を揶揄う年長者の顔になっていた。
 その言葉を聞いて、杉野は自分の先ほどまでの行動を顧みる。

 気持ちでは努めて論理的に藤ヶ谷を止めようとしていたつもりだったが、どう思い返しても感情的になっていた。
 職場の上司に醜態を晒してしまったと、ジワジワと実感し口元を片手で覆う。

「ひ、必死で」
「私の若い頃なら一緒に帰ってるよ。いや、家までもたないかもしれないな」
「そんなことをして間違いがあったら後悔します。ちゃんと段階踏まないと」
「偉いな。私も見習おう」

 本能にも恋情にも屈さず、あくまでも誠実に向き合おうとする姿勢を崩さない杉野の態度に、八重樫は心底感心した様子だ。
 そして茶化すような空気を切り替え、真面目な表情になる。

「ところで、藤ヶ谷の相手はどんな……」

 問いかけは途中で高い電子音にかき消された。
 杉野はスーツの内ポケットに無遠慮な振動を感じて視線を落とす。

「出てくれ」
「ありがとうございます」

 スマートフォンの画面を見た杉野に緊張が走る。
 電話の主は山吹だった。

 はやる気持ちを抑えて出ると、耳元に人好きする声が聞こえてくる。

「よう杉野。頼まれてた件、分かったぞ」
「面倒掛けたな。で、どうだった?」
「それが……」

 機械を通して聞こえる山吹の声のボリュームが、人目を気にするように下がった。
 告げられた内容に、杉野は唇を引き攣らせ眉を顰めた。
 スマートフォンを持つ手に力が入る。

「それは確かなのか?」
「残念ながら。しかも……」
「……そんな。すぐに知らせないと」

 動揺した声を出して電話を切った杉野は、画面に指を滑らせた。
 ただならぬ空気を察した八重樫は、すぐ動けるように組んでいた足を解いた。

「どうしたんだ、杉野。仕事のことか」
「いえ、実は個人的に調べて貰ったことがあって。急いで藤ヶ谷さんに伝えないといけないことが出来たので帰ります」

 言うや否や、八重樫の足元にしゃがみこみ、デスクの下に置いてある自分のカバンを掴む。
 すると、今度は短い音階がメッセージの着信を知らせた。
 間髪入れず内容を確認した杉野は思わず声を上げる。

「あの人はバカなのか!!」
「あ、おい!」

 杉野は床を蹴って走りだす。
 八重樫の声に何の反応も見せず、前だけを見て足を動かした。

 山吹からの電話の後、杉野は藤ヶ谷にメッセージを送った。

「電話してもいいですか」

 と。
 先ほどの着信はそれへの返事だ。
 内容は。

「ごめん、今ホテルに来てる。蓮池さんに、ちゃんと確認してみる」

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