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Episode4

はらぺこ淫魔、溺れる。-4

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「……本当にここですか?」

 リオンは隣に立つディナンを伺うように見上げた。ディナンは鷹揚に頷いた。

「間違いないと思うよ。ほら、白い蛇もいるし」

 そう言ってディナンはドアの前でとぐろを巻く大蛇を指さした。そう、ドアの前だ。これじゃあ中に入れない。リオンは恐怖からそっとディナンに身体を寄せた。リオンの様子に気づくことなく、ディナンはふむ、と顎に手を置いて何か考え込んでいる。

「……珍しいくらい良くできた術だな」
「え?」
「これ、悪魔除けの一種だよ」
「でも、蛇は悪魔の眷属じゃ……?」
「白い獣は神の使いだ」
「ああ……」

 それならリオンも聞いたことがある。理由は分かったが、リオンの身長ほどもある大蛇を悪魔除けに使うのはどうかと思う。悪魔どころか人も祓ってしまいそうだ。

「……えっ、悪魔除け……?」
 
 困ったな、とリオンは眉根を下げた。これじゃあリオンは入れない。たらりと背中に汗が伝う。エイミーには会いたいが、こんなところで悪魔だとバレるのは避けたかった。どうやって回避しようかと視線を忙しなく動かしていると、ディナンがおもむろに大蛇の頭を撫でた。リオンがぎょっと目を見開いていると、大蛇は頭をゆっくりともたげ、ディナンの顔(と思われる場所)をじっと見つめると、ずりずりとその太い腹を引きずりながらドアの前から退いた。

「まあ、良くできていると言っても所詮人の子が作る術だ。さ、入るよ、リオン」
「えっ、えっ……?」

 ディナンがどうしたの? と言うように首を傾げた。ドアとディナンを交互に見ること三度、リオンはおそるおそるドアを開け、店の中へと足を踏み入れた。

「いらっしゃいま——リオンッ!」
「ゔッ……」
「っと」

 勢いよく飛んできた塊に押され、ふらりとよろけたリオンをすかさずディナンが支える。塊——エイミーの肩をそっと支えながら、リオンは弱々しい声で彼女の名前を呼んだ。

「エイミー……ちょっと離れて……」
「あれ、リオン痩せた?」
「さあ、そんなに変わってないと思うけど……。それよりどいて、エイミー」

 年頃の女の子がそんなにほいほい男に抱きつくものじゃない。リオンが男として見られていない、という可能性には見ないふりをしておく。
 もう一度軽く肩を押すと、エイミーはしぶしぶと言った様子で離れ、リオンから二歩ほど離れた正面に経つと、真っ直ぐにリオンを見据えて微笑んだ。

「久しぶりね」
「うん、久しぶり」
「まったく、いきなり連絡を途絶えさせたと思ったらいきなり来るなんて……。本当に心配したのよ!」
「ごめんね、色々忙しくて」
「いいの。独りで薬屋を営む大変さは分かるもの。ところで、どうして来たの? やっとこっちで薬屋をする気になった?」
「薬屋は……ううん、あそこ以外でする気は無いよ」
「そうなの? じゃあどうして王都に……どちら様……?」

 エイミーの顔が驚愕に染まる。目を見開いてじっとリオンの後ろを凝視している姿を不思議に思い、後ろを振り向くと、フードを取ったディナンがその美しい顔を晒してにこやかに微笑んでいた。

「はじめまして、お嬢さん」
「はっはじめましてっ!」

 上擦った声でエイミーが答えるのを、リオンは複雑な気持ちで眺めていた。
 意味もなく手を握って、開いてを繰り返していると、ほんのり頬をピンク色に染めたエイミーがリオンの腕を引っ張り耳打ちしてきた。

「誰、あの美しい人!」
「その……なんだろう?」

 リオンは困ったように眉根を下げて小さく首を傾げた。

「リオン、ちゃんと紹介して?」

 決して広いとは言えない薬屋では囁き声でも案外聞こえるものだ。曖昧な答えで濁そうとするリオンを許さないと言うように、ディナンの声が追いかけてきた。ちらりと男の顔を見る。いつもの笑顔だった。もしかしたらいつもよりイイ笑顔かもしれない。どことなく凄みがある。エイミーが怪訝そうな顔でリオンを見た。

「どういうこと?」
「いや、えっと……ちょっと、専属契約してて」
「ちょっと専属契約してて!?」

 エイミーの声が裏返った。専属契約が結べるほどの腕じゃないのはリオンがよく分かっている。いたたまれなくて小さくなっていると、いつの間にか横に立っていたディナンに頬をつつかれた。

「まったく、そんなに謙遜しなくたっていいのに」
「えっ、なに、私、リオンが相応しくないとか思ってないわよ」

 当たり前でしょう、とエイミーは力強く言い切った。今度はリオンが驚いたように目を丸くする番だった。

「でも僕、魔法が使えないんだよ?」
「確かに万能薬や秘薬と言われる類の薬は魔法が使えなきゃ作れないわ。でも薬ってそれだけじゃないでしょう?」

 エイミーは若草色の瞳を細めながら、夢見る少女のように頬を染めながらこう言った。

「私、リオンの本当に困っている人に届く薬が好き。万能薬や秘薬なんて貴族や金持ちの見栄のためにしか使われないんだから」

 ふんす、と鼻息荒くそんなことを言うエイミーに、リオンは曖昧に頷いた。隣に金持ちで貴族のディナンが居るのだ。迂闊なことは言えない。
 と、いうリオンの気づかいは、隣にいるディナンの、確かにそうだ、という笑いを含んだ相槌によってなかったことにされた。
 エイミーはディナンの言葉にぱちくりと目を瞬かせると、リオンの顔を見た。

「この方、貴族じゃないの?」
「貴族だよ」

 それも紙幣ではなく金貨を使うタイプの。

「ふうん、変わっているのね」
「あはは……」

 エイミーってこんなにズケズケ言う子だったっけ。言う子だったな。彼女と過ごした一週間を思い出しながら、リオンは懐かしいというように目を細めた。この屈託のない性格が好きだったのだ。もちろん今も。リオンの視線に気づいたエイミーが、驚いたように目を丸くして、それから嬉しそうに破顔した。弾むような声でエイミーが言った。

「ところで、リオンはどうしてここに?」
「ああ、そう。実は東洋医学が気になってて」
「あら、リオンもついに気づいたのね。向こうの医学の面白さに」
「エイミー、詳しいの?」
「王都の薬師の間じゃ頭一つ抜けてる自信があるけど、お金を取れるレベルじゃないわ。でもリオンが居るならすぐよ。ね、また一緒に研究しましょう」

 とりあえずしばらく王都にはいるんでしょう? というエイミーの言葉に、リオンはぱちくりと瞬きをした。当たり前のようこの後は屋敷に戻るつもりでいたことに気づいたのだ。けれどエイミーの言うように、リオンが住む街から王都に来たならしばらく滞在するのが普通だろう。
 チラリとディナンの顔を見ると、男はいたずらっぽくパチリと片目を瞑ってみせた。これはきっと、移動手段は黙っていて欲しいということだ。リオンは小さく頷くと、エイミーに向き直った。

「うん、そう。多分しばらくはいる……と思う」

 しばらくって便利な言葉だ。そんなことを思いながら頷くと、エイミーはパッと顔を輝かせてパチンと手のひらを合わせた。

「ならいいでしょう? ね、明日も来てくれる?」
「明日は……うーん。でもきっとまた来るよ」

 具体的に言うとディナンとの契約が終わった後に。リオンの薬屋はディナンと離れることになれば遠からず畳まれる運命だ。その前に彼女の元へ来るのもいいかもしれない。リオンが飢餓感に耐えられれば、の話だけど。

「そう言ってまた音信不通にならないでよね」

 む、とエイミーが小さく口を尖らせた。しばらく続いていた文通を途切れさせたのは他ならぬリオンだ。それを言われると痛い。あはは、とリオンが苦笑いすると、今まで沈黙を守っていたディナンが口を開いた。

「……リオンが来たいなら、明日も来ようか」
「いいんですか!?」
「いいよ」

 リオンのしたいようにするって約束したからね、とディナン。その瞳の奥がちらちらと燃えるように光っている気がして、リオンは不思議そうに首を傾げた。
 
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