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Episode4
はらぺこ淫魔、溺れる。-9
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3
「あ、クロウさん」
「私のことはクロウと」
敬語も結構です、と重ねるクロウにリオンは困ったように眉を下げた。
「ごめんなさい、ずっと薬屋を営んでいたせいで中途半端に敬語が残っちゃうんです」
付き合いが長い地元の常連客が多いのもいけなかった。リオンの使う言葉は基本的に「それっぽい」敬語だ。直さなくちゃいけないとは思っている。
リオンが気まずそうに頬をかくと、クロウが心得たとばかりに話題を変えた。
「何かお探しですか?」
朝食の後、王都に向かうまでの間、時間が出来たリオンは屋敷を当てもなく歩いていた。ディナンはユリアンという旧友に会うため席を外している。ディナン曰く、ちょっと黙らせてくる。呼び出しは続いているようだ。
閑話休題。
やっぱり中庭かなあ、でもなあ……と、リオンが唸っているとき、クロウとばったり会ったのだ。クロウの手には大きなかご。中身は衣類——いや、あの白さはきっとシーツだ。リオンはそっと目を逸らした。
「えーと……その、エイミーに何かあげたくて」
「それは……」
どういう意味で? という疑問をクロウは行儀よく飲み込んだ。代わりに小さく頷いて続きを促す。張り詰めた空気に気づくことなく、リオンは促されるまま口を開いた。
「昨日、エイミーとの約束を破っちゃったんです。だからお詫びの意味も込めて何かないかな、って」
「ああ、そういうことですか」
クロウの顔色がパッと明るくなった。ほっとしたように頷くクロウを訝しみながらも、リオンはそうなんです、と頷いた。
「中庭の薬草で作った薬にしようかと思ったんですけど、やっぱり薬ならちゃんとしたやつを贈りたくて」
楽しむのも研究のうちであるが、人前に出すときはその限りじゃない。薬は使い方ひとつで毒にもなる。中途半端なものは許されない。リオンの薬師としての矜恃は一級品だった。
「母さんのレシピなら喜んで貰えるだろうけど、そういうのは全部薬屋に置いてきちゃったし……」
どうしようかと思ってたんです、と頬をかくと、クロウが小さく首を傾げながら尋ねた。
「お母様も、薬師だったんですか」
「あ、はい。母は僕の師匠なんです。もう亡くなっているんですけど」
「それは……素晴らしい方だったんでしょうね」
クロウの言葉に、リオンはしばらく考えて、大きく頷いた。
「えっと……はい。この国でいちばん凄い薬師だったんですよ」
リオンは照れくさそうに、けれどハッキリと言い切った。クロウの瞳が微かに見開かれる。らしくなく、子供っぽい言い方をしてしまった。ふい、と視線を上にやる。不思議と後悔はしていなかった。そうだ、母は凄い薬師だった。母に憧れて、リオンは薬師になりたいと思ったのだ。
……でも、国でいちばん、は言い過ぎだったかもしれない。嘘をついたつもりはないが、身内贔屓がすぎると思われても仕方ない。リオンは視線をクロウに戻すと、苦笑いを浮かべた。
「身内贔屓と言われたらそれまでなんですけど、なんというか、薬師の母は母というより師なんです。だから……いや、恥ずかしいことには変わりないですね」
忘れてください、と言ったリオンに、クロウは静かに首を横に振った。
「いえ……。いえ、わたくしも、分かるので」
「そうなんですか?」
「はい。わたくしの場合は母ではなく父ですが」
嫌になるくらい厳しかったんですけどね、とクロウ。父親のことを語るクロウはなんだか生き生きとしていて、リオンはおんなじだ、と思った。いつも一縷の隙もなく使用人としてそこに在り、どこか存在感が希薄なクロウの柔らかい所に触れられたようでリオンの口元が緩む。
「クロウさんのお父さんも、凄い方なんでしょうね」
はい、とクロウは頷いたように見えたが、チラリとリオンの背後を見ると、あっという間に浮かべていた微笑を消しさってしまった。どうしたんだろうと首を傾げていると、
「リオン?」
と、名前を呼ばれた。ディナンの声だ。大した声量ではなかったが彼の声はよく通る。声がした方を振り返ると、窓から顔を出したディナンが居た。優雅に手を振るディナンに控えめに振り返す。一歩、クロウがリオンから距離を取る気配がして視線をクロウに戻した。
「クロウさん?」
「出過ぎた真似をしました。お詫びの品でしたら消えものが一番でしょう。わたくしにお任せください」
「え? あ、はい。……ううん?」
大きなカゴを手に持ちながらも、クロウは優雅に一礼してくるりと踵を返して行ってしまった。
呆然とその姿を見送っていると、リオン、と声をかけられた。パッとリオンの顔が輝いた。気づけば四六時中といっていいほどディナンと一緒に居たことで、いつの間にかディナンの存在はリオンの中で当たり前になりつつあった。自覚こそしていなかったが、同じ屋敷にいても姿が見えないだけで寂しかったのだ。
くるりと振り返ったリオンは仔犬のようにパタパタとディナンの元へ駆け寄った。
「ディナン様っ」
「何を話していたの?」
「お話は終わったんですか?」
「うん、少し前に。……それで、クロウとは何を?」
「クロウさんとですか? エイミーに贈るものの相談をしてたんです。昨日、約束破っちゃったから」
「ああ……そういうこと。あまり驚かせないで、リオン。君もいたずらに契約を増やしたくはないでしょう?」
「? そうですね……?」
意味深に笑うディナンに、リオンは曖昧に頷き返した。別に増えてもいいのにな、と思ったのは既に契約が結ばれている自覚が薄いからだろう。
ディナンは仕方ないな、というように目尻を下げると、それで、とクロウが去っていった方へと視線を向けた。
「彼女への贈り物はクロウが何とかするって?」
「あっ、そうなんです。クロウさん忙しそうだったのに……」
仕事増やしちゃいましたよね、と肩を落とすリオンに、ディナンが不思議そうに首を傾げた。
「それぐらいクロウにとってはなんでもないよ。……ところで、クロウが何を用意するつもりかは知ってる?」
「消え物がいいって言ってましたけど、詳しいことは何も」
「ああ、そこはさすがだな」
よく分かってる、と呟いたディナンに、今度はリオンが首を傾げた。リオンの視線に気づいたディナンは何でもないよ、と微笑んだ。
「でも、そうだね。ごめんねリオン、少しクロウに伝えたい事があるから席を外すよ。戻ったら王都へ行こう」
「はい」
「……そんな顔しないで、すぐに戻ってくるから」
ディナンは眉根を下げながらそう言って人差し指でリオンの頬をくすぐった。
……どんな顔をしていたんだろう。思わずぺたぺたと頬を触るとディナンがころころと笑った。
「大丈夫、いつものように可愛いよ。さ、外は冷えるから中で待ってなさい」
「なか……」
困った、どこに居よう。リオンは未だに図書館と中庭以外よく分かっていないのだ。うろうろと視線をさ迷わせながら曖昧に頷くリオンを見かねたディナンが助け舟を出した。
「図書館でもいいから」
「そうします」
ディナンが声を立てて笑った。軽快な笑い声にむっとする間もなく、リオンもつられて笑う。
「っふ、くく……はあ、ごめんね、そろそろ行くよ」
「あっ、ごめんなさい。僕は……はい。図書館にいます」
わざと真顔を作ってそう言うと、ディナンが小さく肩を揺らした。
「ん、分かった。いい子で待っているんだよ」
リオンの頭をひと撫ですると、ディナンはクロウの元へと足を向けた。その背中が見えなくなるまで見送ると、リオンも図書館に向かうため踵を返した。
図書館に向かう道すがら、ふと気になることがあってリオンは足を止めた。
「そういえば、クロウさんに伝えたいことってなんだろう」
「あ、クロウさん」
「私のことはクロウと」
敬語も結構です、と重ねるクロウにリオンは困ったように眉を下げた。
「ごめんなさい、ずっと薬屋を営んでいたせいで中途半端に敬語が残っちゃうんです」
付き合いが長い地元の常連客が多いのもいけなかった。リオンの使う言葉は基本的に「それっぽい」敬語だ。直さなくちゃいけないとは思っている。
リオンが気まずそうに頬をかくと、クロウが心得たとばかりに話題を変えた。
「何かお探しですか?」
朝食の後、王都に向かうまでの間、時間が出来たリオンは屋敷を当てもなく歩いていた。ディナンはユリアンという旧友に会うため席を外している。ディナン曰く、ちょっと黙らせてくる。呼び出しは続いているようだ。
閑話休題。
やっぱり中庭かなあ、でもなあ……と、リオンが唸っているとき、クロウとばったり会ったのだ。クロウの手には大きなかご。中身は衣類——いや、あの白さはきっとシーツだ。リオンはそっと目を逸らした。
「えーと……その、エイミーに何かあげたくて」
「それは……」
どういう意味で? という疑問をクロウは行儀よく飲み込んだ。代わりに小さく頷いて続きを促す。張り詰めた空気に気づくことなく、リオンは促されるまま口を開いた。
「昨日、エイミーとの約束を破っちゃったんです。だからお詫びの意味も込めて何かないかな、って」
「ああ、そういうことですか」
クロウの顔色がパッと明るくなった。ほっとしたように頷くクロウを訝しみながらも、リオンはそうなんです、と頷いた。
「中庭の薬草で作った薬にしようかと思ったんですけど、やっぱり薬ならちゃんとしたやつを贈りたくて」
楽しむのも研究のうちであるが、人前に出すときはその限りじゃない。薬は使い方ひとつで毒にもなる。中途半端なものは許されない。リオンの薬師としての矜恃は一級品だった。
「母さんのレシピなら喜んで貰えるだろうけど、そういうのは全部薬屋に置いてきちゃったし……」
どうしようかと思ってたんです、と頬をかくと、クロウが小さく首を傾げながら尋ねた。
「お母様も、薬師だったんですか」
「あ、はい。母は僕の師匠なんです。もう亡くなっているんですけど」
「それは……素晴らしい方だったんでしょうね」
クロウの言葉に、リオンはしばらく考えて、大きく頷いた。
「えっと……はい。この国でいちばん凄い薬師だったんですよ」
リオンは照れくさそうに、けれどハッキリと言い切った。クロウの瞳が微かに見開かれる。らしくなく、子供っぽい言い方をしてしまった。ふい、と視線を上にやる。不思議と後悔はしていなかった。そうだ、母は凄い薬師だった。母に憧れて、リオンは薬師になりたいと思ったのだ。
……でも、国でいちばん、は言い過ぎだったかもしれない。嘘をついたつもりはないが、身内贔屓がすぎると思われても仕方ない。リオンは視線をクロウに戻すと、苦笑いを浮かべた。
「身内贔屓と言われたらそれまでなんですけど、なんというか、薬師の母は母というより師なんです。だから……いや、恥ずかしいことには変わりないですね」
忘れてください、と言ったリオンに、クロウは静かに首を横に振った。
「いえ……。いえ、わたくしも、分かるので」
「そうなんですか?」
「はい。わたくしの場合は母ではなく父ですが」
嫌になるくらい厳しかったんですけどね、とクロウ。父親のことを語るクロウはなんだか生き生きとしていて、リオンはおんなじだ、と思った。いつも一縷の隙もなく使用人としてそこに在り、どこか存在感が希薄なクロウの柔らかい所に触れられたようでリオンの口元が緩む。
「クロウさんのお父さんも、凄い方なんでしょうね」
はい、とクロウは頷いたように見えたが、チラリとリオンの背後を見ると、あっという間に浮かべていた微笑を消しさってしまった。どうしたんだろうと首を傾げていると、
「リオン?」
と、名前を呼ばれた。ディナンの声だ。大した声量ではなかったが彼の声はよく通る。声がした方を振り返ると、窓から顔を出したディナンが居た。優雅に手を振るディナンに控えめに振り返す。一歩、クロウがリオンから距離を取る気配がして視線をクロウに戻した。
「クロウさん?」
「出過ぎた真似をしました。お詫びの品でしたら消えものが一番でしょう。わたくしにお任せください」
「え? あ、はい。……ううん?」
大きなカゴを手に持ちながらも、クロウは優雅に一礼してくるりと踵を返して行ってしまった。
呆然とその姿を見送っていると、リオン、と声をかけられた。パッとリオンの顔が輝いた。気づけば四六時中といっていいほどディナンと一緒に居たことで、いつの間にかディナンの存在はリオンの中で当たり前になりつつあった。自覚こそしていなかったが、同じ屋敷にいても姿が見えないだけで寂しかったのだ。
くるりと振り返ったリオンは仔犬のようにパタパタとディナンの元へ駆け寄った。
「ディナン様っ」
「何を話していたの?」
「お話は終わったんですか?」
「うん、少し前に。……それで、クロウとは何を?」
「クロウさんとですか? エイミーに贈るものの相談をしてたんです。昨日、約束破っちゃったから」
「ああ……そういうこと。あまり驚かせないで、リオン。君もいたずらに契約を増やしたくはないでしょう?」
「? そうですね……?」
意味深に笑うディナンに、リオンは曖昧に頷き返した。別に増えてもいいのにな、と思ったのは既に契約が結ばれている自覚が薄いからだろう。
ディナンは仕方ないな、というように目尻を下げると、それで、とクロウが去っていった方へと視線を向けた。
「彼女への贈り物はクロウが何とかするって?」
「あっ、そうなんです。クロウさん忙しそうだったのに……」
仕事増やしちゃいましたよね、と肩を落とすリオンに、ディナンが不思議そうに首を傾げた。
「それぐらいクロウにとってはなんでもないよ。……ところで、クロウが何を用意するつもりかは知ってる?」
「消え物がいいって言ってましたけど、詳しいことは何も」
「ああ、そこはさすがだな」
よく分かってる、と呟いたディナンに、今度はリオンが首を傾げた。リオンの視線に気づいたディナンは何でもないよ、と微笑んだ。
「でも、そうだね。ごめんねリオン、少しクロウに伝えたい事があるから席を外すよ。戻ったら王都へ行こう」
「はい」
「……そんな顔しないで、すぐに戻ってくるから」
ディナンは眉根を下げながらそう言って人差し指でリオンの頬をくすぐった。
……どんな顔をしていたんだろう。思わずぺたぺたと頬を触るとディナンがころころと笑った。
「大丈夫、いつものように可愛いよ。さ、外は冷えるから中で待ってなさい」
「なか……」
困った、どこに居よう。リオンは未だに図書館と中庭以外よく分かっていないのだ。うろうろと視線をさ迷わせながら曖昧に頷くリオンを見かねたディナンが助け舟を出した。
「図書館でもいいから」
「そうします」
ディナンが声を立てて笑った。軽快な笑い声にむっとする間もなく、リオンもつられて笑う。
「っふ、くく……はあ、ごめんね、そろそろ行くよ」
「あっ、ごめんなさい。僕は……はい。図書館にいます」
わざと真顔を作ってそう言うと、ディナンが小さく肩を揺らした。
「ん、分かった。いい子で待っているんだよ」
リオンの頭をひと撫ですると、ディナンはクロウの元へと足を向けた。その背中が見えなくなるまで見送ると、リオンも図書館に向かうため踵を返した。
図書館に向かう道すがら、ふと気になることがあってリオンは足を止めた。
「そういえば、クロウさんに伝えたいことってなんだろう」
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