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Episode1
はらぺこ淫魔、恋をする。−16
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リオンはそわそわしながらディナンを待っていた。
あれから、ディナンはしゃがみこんで立ち上がれないでいるリオンを店の中に連れていき、椅子に座らせると、手のひらくらいのガラス瓶を要求した。
何をしようとしているのかは全く分からなかったが、できるだけディナンの求める大きさに近いガラス瓶を渡すと、受け取ったディナンは「少し待ってて」と言って再び表の庭に戻っていったのだ。
ディナンがしようとしていることに興味がない訳ではなく、できることなら付いていきたかったのだが、先程の一件で体を動かす気力が底をついていたリオンは、言われた通り大人しく暖かいお茶を飲んでいた。
暖かいカップで手のひらを温めていると、カランカランとドアが開いた音がした。弾かれるようにしてドアの方へ視線を向ける。ドアを開けたディナンは驚いたように一瞬動きを止めると、待たせたね、と微笑んだ。
「全然、そんな待ってないです」
渡したガラス瓶はどこにいったのだろう。キョロキョロと視線を動かしていると、ディナンが喉の奥で小さく笑った。
はしたないことをした、と小さく首を竦めるリオンの前に、ディナンがことり、とガラス瓶を置いた。
「これは……」
ガラス瓶の中にはベゴニアの花が一輪浮いて(・・・)いた。
ディナンが悪戯っぽく微笑んだ。
「中の時間は止めてあるから、花はずっと綺麗なままだよ」
「じかんを」
ぱちくりと瞬きを繰り返す。魔法はそんなことも出来てしまうらしい。
ディナンが優しい声音で語り始めた。
「時間を戻す魔法はないし、一度壊れたものを元に戻すことも出来ないけど……」
いやあるにはあるか、とディナン。どこか苦々しそうなその口調にリオンは首を傾げた。
不思議そうな顔をしたリオンを見て、ディナンは小さく咳払いすると、でもね、と何事もなかったかのように続けた。
「残ったものを大事にすることはできるよ」
「残った、もの……?」
リオンの瞳が揺れる。視線をディナンから瓶に戻し、恐る恐る手に取った。中にあるのは綺麗に咲いたベゴニアだ。——けれど、よくよく見ると花弁の端が少し萎れている。
ディナンが苦く笑った。
「なるべく綺麗なのを探してきたけど、やっぱり少し汚れてるね」
「それって」
リオンは瓶から顔を上げ、ディナンの手を見た。リオンの瞳が驚いたように見開かれる。
白魚のようなディナンの手はうっすらと土に塗れ、爪の間は黒く汚れていた。
リオンの視線に気づいたディナンが気まずそうに手を擦り合わせる。
「ほら、私って繊細な作業が苦手だから」
「じゃあ、これって本当に表の」
「もちろん。表に咲いていた、リオンの母君が咲かせた花」
胸がいっぱいで言葉にならない。目に焼き付けるように花を見るリオンの前で、ディナンが情けないというように眉を下げた。
「助けると大口叩いておいてこんなことしか出来なくてごめんね」
「そんなことないですっ」
十分すぎるほど十分だ。瓶を握る手に力がこもる。
「本当に、十分です。でも、その、ごめんなさい。ディナン様は全然関係ないのに」
リオンにとっては大事な花でも、ディナンにとってはただの花だ。リオンの事情なんて関係ない。この魔法だって、きっともっと使われるべきところがあったはずだ。
眉を下げて謝るリオンを、ディナンが不思議そうに見た。
「でも、リオンはその花が大事なんでしょう?」
ディナンの言葉に小さく頷く。
なんてことないように、ディナンが微笑んだ。
「だったら理由はそれだけで十分だよ」
その言葉はリオンの心のいちばん柔らかいところにストンと落ちてきた。
諦めることは簡単だった。そうやってこの五年間を生きてきた。
でも、諦められないこともあるのだと、知ってしまった。
だから、しょうがない。
顔を上げたリオンはスッキリとした顔をしていた。
口にできない思いを全部込めて、リオンは笑った。ディナンが小さく目を瞠る。
「ありがとうございます、ディナンさま」
——常連客が言うように、リオンにも春が訪れていた。
ずっとファンだった舞台の花形スターに認知されて浮かれている、わけがないのだ。
リオンは、この美しい人に恋をしている。
あれから、ディナンはしゃがみこんで立ち上がれないでいるリオンを店の中に連れていき、椅子に座らせると、手のひらくらいのガラス瓶を要求した。
何をしようとしているのかは全く分からなかったが、できるだけディナンの求める大きさに近いガラス瓶を渡すと、受け取ったディナンは「少し待ってて」と言って再び表の庭に戻っていったのだ。
ディナンがしようとしていることに興味がない訳ではなく、できることなら付いていきたかったのだが、先程の一件で体を動かす気力が底をついていたリオンは、言われた通り大人しく暖かいお茶を飲んでいた。
暖かいカップで手のひらを温めていると、カランカランとドアが開いた音がした。弾かれるようにしてドアの方へ視線を向ける。ドアを開けたディナンは驚いたように一瞬動きを止めると、待たせたね、と微笑んだ。
「全然、そんな待ってないです」
渡したガラス瓶はどこにいったのだろう。キョロキョロと視線を動かしていると、ディナンが喉の奥で小さく笑った。
はしたないことをした、と小さく首を竦めるリオンの前に、ディナンがことり、とガラス瓶を置いた。
「これは……」
ガラス瓶の中にはベゴニアの花が一輪浮いて(・・・)いた。
ディナンが悪戯っぽく微笑んだ。
「中の時間は止めてあるから、花はずっと綺麗なままだよ」
「じかんを」
ぱちくりと瞬きを繰り返す。魔法はそんなことも出来てしまうらしい。
ディナンが優しい声音で語り始めた。
「時間を戻す魔法はないし、一度壊れたものを元に戻すことも出来ないけど……」
いやあるにはあるか、とディナン。どこか苦々しそうなその口調にリオンは首を傾げた。
不思議そうな顔をしたリオンを見て、ディナンは小さく咳払いすると、でもね、と何事もなかったかのように続けた。
「残ったものを大事にすることはできるよ」
「残った、もの……?」
リオンの瞳が揺れる。視線をディナンから瓶に戻し、恐る恐る手に取った。中にあるのは綺麗に咲いたベゴニアだ。——けれど、よくよく見ると花弁の端が少し萎れている。
ディナンが苦く笑った。
「なるべく綺麗なのを探してきたけど、やっぱり少し汚れてるね」
「それって」
リオンは瓶から顔を上げ、ディナンの手を見た。リオンの瞳が驚いたように見開かれる。
白魚のようなディナンの手はうっすらと土に塗れ、爪の間は黒く汚れていた。
リオンの視線に気づいたディナンが気まずそうに手を擦り合わせる。
「ほら、私って繊細な作業が苦手だから」
「じゃあ、これって本当に表の」
「もちろん。表に咲いていた、リオンの母君が咲かせた花」
胸がいっぱいで言葉にならない。目に焼き付けるように花を見るリオンの前で、ディナンが情けないというように眉を下げた。
「助けると大口叩いておいてこんなことしか出来なくてごめんね」
「そんなことないですっ」
十分すぎるほど十分だ。瓶を握る手に力がこもる。
「本当に、十分です。でも、その、ごめんなさい。ディナン様は全然関係ないのに」
リオンにとっては大事な花でも、ディナンにとってはただの花だ。リオンの事情なんて関係ない。この魔法だって、きっともっと使われるべきところがあったはずだ。
眉を下げて謝るリオンを、ディナンが不思議そうに見た。
「でも、リオンはその花が大事なんでしょう?」
ディナンの言葉に小さく頷く。
なんてことないように、ディナンが微笑んだ。
「だったら理由はそれだけで十分だよ」
その言葉はリオンの心のいちばん柔らかいところにストンと落ちてきた。
諦めることは簡単だった。そうやってこの五年間を生きてきた。
でも、諦められないこともあるのだと、知ってしまった。
だから、しょうがない。
顔を上げたリオンはスッキリとした顔をしていた。
口にできない思いを全部込めて、リオンは笑った。ディナンが小さく目を瞠る。
「ありがとうございます、ディナンさま」
——常連客が言うように、リオンにも春が訪れていた。
ずっとファンだった舞台の花形スターに認知されて浮かれている、わけがないのだ。
リオンは、この美しい人に恋をしている。
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