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第5話 転校生

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 楓が撃沈してから教室までは何もなかった。
 クラスが同じだと、厄介な奴と先生が来るまで話しかけてくるから、少しうざったいなと楓は初めて思った。
 前世では、友達と無駄話をして暇を潰すことが少なかった。そのためか、話せば毎度なんだかんだと楽しめていた。
 努力づけの日々でやっと並の実力だった楓は、ただ話して時を過ごすことがなかなかできなかったのだ。
 もちろん、話しかけられれば会話はした。だが、周りほどそこに楽しみを抱いていないことを自覚していた。
 人が嫌いだったわけではない。
 それならそもそも誰彼構わず無視したはずだ。それに、楽しむこともできなかっただろう。
 そうではなかった。
 友達でいるために、実力を維持するために、楓は勉強に励んでいたのだ。
 だから、こうして、たわいもないことを歓太郎と話していると、会話の輪に人が入って来ることに驚いていた。
 楓は顔が広いらしい。
 同程度のスペックというのは楽観視に過ぎなかったのかと後悔していた。
 今の楓は勉強づけにならずとも中程度の学力なのだ。
 そうなると、今の時間、友人と会話していて授業についていけるか表情には出さなかったものの、胸のあたりに冷たいものが広がり、不安になっていた。
 それに、楓は油断していたが体が勝手に動いてくれたおかげで、下着が見えるようなこともなかった。
 スカートをはいているから注意しないと、とは考えていたが、何気なく座っていた。
 前世のように足を開いて座っていたら、丸見えだったかもしれない。
 女子に見られたらまだしも、男子に見られたらたまったものじゃないと鳥肌がたった。
 そして、股を閉じているせいで登校の時から感じていた、ももの擦れる感覚がより意識された。
 男の時はズボンが間にあったため、直接ももが触れ合う感覚を意識することがなかった楓は、ここまで散々感じていたが、改めて女子は大変だと感じた。
 日々男の視線にさらされ、少しでもミスをすれば恥をかく。男とは違った世界だった。
 そんな、知らない世界の怖さを知った楓だったが、新たな友達との会話により、そこそこ気分を良くしていたため、教師がやってきて、会話が中断されようとも、嫌な気分が支配的になることはなかった。
「静かにー。今日はHRの前に転校生の紹介があります。入りなさい」
 禿頭が先生は入るなり言った。
 楓自身も精神的には転校生だが、こんな夏の時期に珍しいと思った。
 親の転勤の事情だろうか。
 楓が詳しい理由を予測をするよりも早く、転校生はクラスの空気を一瞬にして支配した。
 入ってきただけで、全員の視線が奪われた。それは、楓も例外ではなかった。
「あっ」
 っと声を出したのは歓太郎だった。
 クラスメイトたちのざわめきは止まらない。
 それもそのはずで、転校生は桃髪のツインテールの女子だった。
 背丈は楓より小さく、制服を着ていなかったら小学生でも通りそうな幼い顔つきと見た目だった。
 歓太郎が声を上げたのは、病院で見た人物だからだろう。桃髪という特徴が一致している。
 芸能人や都会ならまだしも、ただの学校や病院にそうそうピンク色の髪をした人間が何人も湧き出るとは考えられなかった。
「夏目向日葵です。仲良くしてください。よろしくお願いします」
 向日葵は見た目に反して挨拶を簡潔に済ませた。
 クラスメイトも続きを期待して、一瞬沈黙が訪れたが、向日葵が頭を下げたことで盛大な拍手をして自己紹介が終わった。
 ただの自己紹介で素晴らしい舞台を見た後のような拍手を聞くこともなかなかないだろう。そんな拍手をしているのは、主に男子だったが。
 女子は形だけ拍手しているようだった。目立つ女子はモテない。と心のメモに記した楓だった。
「夏目さんの席はー」
「先生、それより、夏目さんの髪色は校則違反じゃないんですか?」
 向日葵のことが気に入らなかったのか女子の一人が食ってかかった。
 その後数人も、
「そうですよ」
 と声を漏らした。
 だが、担任は禿頭をかくだけで向日葵を叱ったり、怒鳴ったりしなかった。
 そして、疑問そうに首を傾けて口を開いた。
「なぜか意外と知られてないんだが、うちは染髪OK、髪型自由なんだよ。進学校ってイメージで真面目じゃなきゃいけないって思ってるのかもしれないが、髪型で学力が決まるわけでもないだろうしな。先生もほら、スキンヘッドだし」
 今の先生の言い方だと先生も校則に縛られているのだろうか。
 だが、先生の事情はどうでもいい。
 それに、髪型自由の校則を見落としていたことに色めきだつクラスメイトも問題ではない。
 それより、問題は、向日葵が昨日髪を染めたのか。それ以前から桃髪だったのかだ。
 もし、以前から桃髪なら不審人物はほぼ向日葵で間違いないだろう。そうなれば、何をしていたのか聞くチャンスだ。
「席は秋元の隣な」
 意外なタイミングで舞い込んだ好機に笑みを浮かべていた楓に不意打ちが入った。
「え、ここですか?」
 最後列のため、ちょうど隣の席が空席だったのだ。
「そう、そこそこ。夏目さん、あそこね」
「はい」
 これまた端的に返事をすると、スタスタと人の目を集めて近づいてくる。
 動きからも人に好かれる雰囲気があるのか、楓は向日葵から目を離せなかった。
「よろしくね。えーと、名前は?」
「秋元楓です」
「よろしく楓ちゃん。向日葵でいいよ」
 尻込みせず、気さくに話しかけられただけだったが、楓は緊張して、目を泳がせていた。
「向日葵さん」
「向日葵だよ」
「ひ、向日葵」
「うん。よしよし」
 名前を呼んだだけで、何故か撫でられる。
 教室はまだざわざわしている。そりゃ、突然隣の女子の頭を撫で始めたら何しているのか気になるだろう。
 とうの楓も自分が何をされたのかわかっていなかった。
 ただ、二度目の失恋のショックを吹き飛ばす出来事に困惑し。
 やっと、だめだ。ぐいぐい来る女子苦手だ。とだけ、思考をまとめたところだった。
 向日葵の笑顔に楓が笑顔で返すと、挨拶が終わったように二人は前を向いた。
 一呼吸置くと、楓は自分が今向日葵のやったことを女子との交際にこぎつけるまでやらなければいけないことを理解し、再び顔が暑くなっていた。
 加えて、何をしていたのか確かめるため、男子たちが集まる前にタイミングを見て約束を取り付けよう。とも考えていたが、あくまで形式的に考えただけで、いつどうやって約束を取り付けようかまでは思い当たっていなかった。
 歓太郎は何やら両手を楓というよりも隣の向日葵を見ている。楓には歓太郎が何がしたいのか理解できなかった。
 かろうじて、拝んでいるようだと思っただけだった。
 そして、
「えーでは静かにHRを始めます」
 という担任のかけ声で教室に静寂が戻ってきた。

 HRもなんとかなった。
 一限までは少し時間がある。
「ねえ、楓ちゃんってかわいいね」
 向日葵は一息ついたタイミングで楓に豪速球を投げた。
「え、突然なに?」
「そんなに見た目に気を遣ってるように見えないけど、動きが巧妙だよ」
「巧妙って、そ、そうかな?」
 何やら、殺気に近いものを感じ、意識せず身構えた楓。
 楓自身も自分の動きに驚いていた。
 楓には向日葵の姿に母の姿が重なって見えていた。
「あーわかっちゃうんだーでも、やっぱり巧妙だなー慣れてないはずなのに、でも、徐々に落としていくから」
 向日葵は独り言を言いながら楽しそうに笑った。
「なんの話?」
「なんでもないよ」
 続けて、誤魔化すように笑う向日葵。
 楓には、向日葵が何を企んでいたかまで判別することはできなかった。だが、何かしようとしていることと、今も何かしようとしていたことはわかった。
 向日葵を前に無警戒にはいかないようだ。と考えた楓だったが、虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。と思い、今度は楓から話しかけた。
「あのさ」
「何かな? 楓ちゃんの質問にならなんでも答えるよ。ふむふむ、スリーサイズが聞きたいって? バストが」
「ちが、違くて」
「え、ヒップから聞きたいタイプの人?」
「いや、そうじゃなくって、そもそもスリーサイズが聞きたいなんて言ってないよね」
「そうだっけ? 興味ない?」
 一気にまくし立てていた向日葵は、急に不安気に猫撫で声を出した。
 楓とて男。向日葵のスリーサイズに興味はあった。
 しかし、今の会話だけでもわかるが、向日葵に少しでもスキを与えると、話がハイテンポで関係ない方向へ進んでいく。
 謎を解くため、ドギマギさせられる情報を投下されたからといって、ずっと向日葵のペースというわけにはいかなかった。
「そんな自己紹介みたいにスリーサイズ教えられても、困っちゃうっていうか」
「そっか、じゃあ、聞きたくなったら遠慮なく言ってね」
 絶対に遠慮するだろうと心の中で突っ込んだ楓。
 とりあえず、横道にそれることは防げた。と心の中でガッツポーズの楓。
 本筋へ戻そうとした時、
「じゃあ要件は何?」
 向日葵から水を向けられた。
 意外な言葉に一瞬固まった楓だったが、関係ない話題を放り込まれる前に口を開いた。
「放課後に校舎裏に来てくれない? 話したいことがあるんだ」
「校舎裏ね? わかった。すぐ行きたいけど、放課後なのね。ここじゃだめなの? 私の心は楓ちゃんに対していつでもオープンだよ」
 楓としては確信のない中で、大勢の前で聞く勇気はなかった。
 勇気があればさらっと聞ければよかったが、放課後と言ってしまった手前、取り消すのは楓の性分ではなかった。
「人が少ないところがいいんだ」
「わかった。心していくよ」
「別に、警戒しなくていいからね」
「大丈夫だよ。その辺の護身術は全てマスターしてるから。何かあっても守れるよ」
「ははは。なら安全だね」
 軽くやって見せてくれるが、本当に実践で通用するのかは楓には判断できなかった。
「信じてないね? ちょっとやって見せてあげるよ。かかってきなさい」
「いや、そんな時間はないよ」
「じゃあ、一人でやってるから見てて」
「いいって、ちょっと落ち着いてよ」
 楓としては軽く嗜めただけだったが、向日葵はひどくしょんぼりとして、叱られた子犬のように大人しくなってしまった。
 申し訳なかったが、止めて正解だと思った。
 護身術の動きなどすれば、色々見えそうだ。
 それだけでなく、色々問題が起こりそうだ。ただでさえ注目の的の転校生で、クラスメイトの目が集まっているのに、騒ぎを広げてもらうわけにも、巻き込まれるわけにもいかない。と楓は思った。
 いきなりとんでもないこと言い出すうえ、楓に対して無警戒で馴れ馴れしい態度に、小一時間やりとりしただけだったが楓は疲労を感じていた。
 だが、無茶苦茶な態度でこられて困っていることに変わりはないが、楓は心のどこかで喜びを感じていた。
 楓にはそれが、呼び出しの用件を伝えることができた安堵なのか、話して楽しかったからなのかはわからなかった。
 確認するためにも、楓は早く放課後が来ることを祈った。
 祈ったところで時間の過ぎ方は変わらないと知っていながら。
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