春の小さな出会い

浅上秀

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4話

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おばあさんが暖簾の奥に消えたのを見届けた謙吾は携帯を開いた。

「圏外になってる……」

GPSマップで現在地を探すことも誰かに連絡することもできない。

「ゲームすらできねぇじゃん」

手持無沙汰になった謙吾は黙って店の中をぐるりと見回してみた。
壁には掛け軸が掛かっている。
そして大きな柱時計が置いてあり、ゆっくりとなかの振り子が動いている。

音楽も流れているが、謙吾には馴染みのない昔のポップスのようだった。
入口のほうを振り向くと、ビニール傘の刺さった傘立てがある。
暖簾の前にはレトロなレジが置かれている。

謙吾が店内を眺めていると、だしの良い匂いがしてきた。
皿や盆を動かすようなカチャカチャという音が微かに聞こえる。

それから少ししておばあさんが、暖簾の奥から盆を持って出てきた。

「お待たせしました。『初春』です」
 
まず、湯呑みが置かれた。
中には深緑の緑茶がユラユラ揺れている。

鯉の形の箸置きと漆塗りの赤い箸が置かれ、小鉢や茶碗が並べられていく。
どれもがどことなく春を感じさせる彩だった。

「わぁ、旨そう……」

謙吾のつぶやきが聞こえたのかおばあさんは微笑んでいる。

「さぁ、冷めないうちにどうぞ」

「いただきます!」

謙吾はまずスープに口を付けた。コンソメの中に、カリフラワーの甘さと水菜のシャキシャキとした食感が楽しめた。
生春巻きは一口かじると、桜の風味が口いっぱいに広がる。
その桜を口に残したまま、白飯を頬張るとまるで桜で炊いたかのような味になる。
鳥団子はプリプリと弾力があった。
カブも菜の花も苦みはなく、だしがしみているのでなんだかほっこりとする。

全体的に外食する際にファミレスなどで食べるものよりも味は薄めだった。
しかしだしや素材本来の味が出ているので、とても美味しい。

「ごちそうさまでした!」

料理を平らげた謙吾はお茶を飲んで一息ついた。

「お粗末さまでした」

おばあさんがお茶のおかわりを入れてくれる。

「ものすごく、美味しかったです」

「それはよかった。お料理に使ってるお野菜は畑で獲れたもの、山菜は裏の山で獲れたもの、だからとっても新鮮さね」

「お店に入ってくるときに畑が見えました」

「畑では蕪や玉ねぎ、人参に南瓜に胡瓜……色んな野菜を育ててね。旬を味わえる、まさに自然からの恵みだねぇ」

「そういえば来るとき通ってきたあの森みたいなところ、あそこはおばあさんのものなんですか?」

謙吾がそう尋ねるとお皿を片付けていたおばあさんはその手を一瞬止めた。

「そうねぇ…元々はあたしの主人が持っていたのだけど、五年くらい前に病気でぽっくり死んじまってね。だけどあの人と一緒にやっていた畑も、大切にしていた山菜も捨ててしまいたくなくてね。知り合いに支援をしてもらって、食事処を始めてみたんじゃよ。だけどなんせこんな山奥だからねぇ」

おばあさんは大きくため息をついた。
謙吾も寄り道しなければ来ないような道だ。
誰でも気軽なかなか来れないのだろう。

「そうだったんですか…」

「だからね、あなたみたいな若いお客さんが来るのは初めてでなんだかうれしいよ。いつもお友達のような年のお客さんばっかり、相手にしとったから」

おばあさんはケラケラと笑った。

「それにね、あなたの食べっぷりを見てると、清々しかったよ。美味しそうに食べてくれるからなおさら嬉しかった。さぁて、最後にここの名物を出さなきゃねぇ」

「あ、はい。水菓子ですよね。楽しみにしてます」

謙吾がそう答えるとおばあさんは大きく笑顔で頷いた。
そして持っていたお盆に空いた皿や箸を載せると暖簾の奥に戻っていった。





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