Lost Fiction

湯月@岑

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魚の城の女王は

昔の話と今の話

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 水占は、此の国では幼子のうちから親しむ遊びだった。花を取り、むしった花びらを水へ撒く。
沈む速さや沈む順番で吉凶を占うが、其れは其のまま勝敗となって、子供達は競って花をむしった。
 散らされた花びらが城や住居たる舟に寄せられて、時に絨毯でも敷いたかのような景色となった。花の季節の風物詩である。
 
 祭りが終われば、新たな女王の戴冠がある。

 此の時期の祭りは仮面の祭り。
 人々は行商から大輪の花を買っては仮面を飾った。鮮やかな赤を、大輪の白を、誇り高い黄色を。 

 小ぶりの紫と蔓草の緑、一粒の赤い実。野の花の仮面は、見窄らしい雑草を飾ったと見えるらしく、少女と擦れ違う人の中には驚いた顔をする者もあった。
 本当は其れは、亡くした者の仮面だ。喪に服す者の。

 忘れ去られた草花に彩られて、少女は道を歩いた。
 

 港に向かったのは気紛れで、だからこそ運命だった。


※※

 外つ国では、数日、休暇を取ることができる。
 アシェンのような従者も、交代で休暇を与えられた。其れは、今のうちに各国の様子を自分自身の眼で見て回るようにと云う事で、"役"に上がればもう身軽には動き回ることが許されない彼らの血肉となる経験を積めとのお達しだった。
 朝の鳥の鳴き声よりも早くに起き出すと、城外に駆け出した。港まで辿り着き、今日も霧に閉ざされた此の国の朝を見る。
 夜の気配を残した朝の匂いは独特で、朝霧はアシェンの身を濡らして冷えさせた。芯からの冷えに耐えかねて熱を求めれば、灯りを残した屋台が一つ。
 寄れば温かな湯気の気配。覗き込めば、どうやら粥のよう。寸胴鍋を満たす粥の中の米粒の一つ一つが艶々と輝いて見えた。
 ごくりとアシェンの喉が鳴る。急いで懐を探ると数枚の小銭を掴んで店主に差し出した。屋台周りに投げ出された椅子を一つ拝借するとズリリとカウンターに寄る。 
 店主は鍋の中身を大きな玉杓子でくるりくるりとかき回すと丁度椀に1杯分を掬い取った。上から煎り胡麻と香草をのせると、アシェンに差し出す。
 啜る椀の中味。腹から温まる。

 暫く過ごして、朝食を求める人々が増えたところで抜け出した。其の後も、店が開けば店を冷やかす。
 うっかりと外の様子を見逃した。

 思いも掛けず霧が濃い。今時分は霧の薄い季節と聞いていたのだが、何事にも例外はあるものらしい。急の白い闇に立ち往生を心配したが、慣れているらしい店店が次々にランタンに火を入れて九死に一生を得た。大袈裟でなく遭難の心配も有るのだと散々に言い含められていたものだから、暖かな光が一つ灯り、二つ三つと増えるのを見て本当に安心したのだ。
 其れにしても先程迄とはめっきり通りは気配を変えた。
 人を寄せる小鈴の音も暖簾も白に呑まれて、後に残るのは、ランタンの少しの明かりと暖かさ、余所余所しい顔の戸口だけ。
 早くお帰りと囁くような圧を感じながら、道の数多の灯りを足早に辿った。

 
 最後に港を見ようと向かったのは偶々で、だからこそ運命だった。


※※


ああ、ああ

「陛下」


 振り向いた人の面には、喪の仮面。

 前世で彼を拾い上げた白魚の手の主。
 其の傷一つない手を両手に押し頂いて、額を擦り寄せ号泣した日を覚えている。

 彼は彼女の死んだ日に側にはいなかった。
 其の前に、生きよと外に逃された。

 其の前に跪き、「生きました」と涙声の報告は、嘗て叶わなかった其れ。
 そっと与えられた掌は、彼の頭を小鳥にするように撫でた。

 涙は果てず絶え間ない。其れでもどうにかおさめた先で。
 一筋の乱暴さもなく少女の手を取り、其の掌に握らせた木札。其れは彼のための手形。彼の身分を示す。国の関を越える。何処にでもではないけれど、此の地からは出ることが出来る。

 深く深く頭を下げる。届いてくれと心は叫ぶ。

「どうぞ御心安らかに。万事煩わせらるる事無く、御健勝にあらせられますよう」

 どうかと自由にと、願っていた。


※※


 城の中で知らぬ内に迷っていた。
 今まで案内されて通ってきた此の城の路は何処も、よく香油で手入れされた彫刻ばかり。室の装飾には綾錦、タペストリー。絵画も壁画も見た覚えがない。
 いつ頃からか迷い込んだ路を彩る天井画は、極彩の染料と金箔で飾れた絢爛な花鳥風月。壁は色の褪せた錦絵。そっと爪を立てればパラリと欠片が落ちて、五弁の花びらが四枚になった。蔓茎は右の方へ流れて、何時しか色が掠れて消えていく。
 

「…お客人。ひょっとして迷子でいらっしゃる?」

 声の相手を振り仰ぐ。
 草の仮面を小脇に抱えた娘が、キウを見下ろしていた。

 此処は裏道ですもの。通ったことは、表の方々の前では決して口にしないで。

 あなたのお国に借りが一つ。人一人に関することですもの、人一人に返しましょう。

 裏道とやらで出会った少女は、物知りだった。

「此処は霧が深い国だね。其の割に食べるものは、僕たちの国でも良く食べられているものばかり。採れるものも違うだろうに」
「…霧を、あまり浴びられませんように。此処は日を厭いがちな国ですが、此の霧は本当はあまり人の身に良いものでは無いのです」
 霧ばかりがある国です。合わぬ食材を喰らう国です。何もかもがチグハグで、其れに自分で気付かない。
「其れこそが不思議と云う人もいる」

 あなたも、興味がお有りですか?

 頷いて、語りださんと唇を湿した。
 近くて遠い隣国だった。行ってみたいと思ったのだ。どんな街が、どんな景色が広がっているだろう?どんな人々が住んでいるのだろう

「祖母が、良く話をしてくれた。もっと先の先祖から継がれた話を。…気になって」それで_今、此処にいる。

では。

「昔話を、いたしましょう」

 そう、此れは云うなれば悲劇の物語。_ああ、いいえ。ひょっとすると反対から見れば、英雄譚や好漢伝となるのかも知れません。
 其れならば、 いっそ笑劇と名付けましょうか。
 そう、此れは悲劇のような喜劇。てんでばらばらに走り出した、其の、結果の袋小路。


※※


 豊かの森に囲まれた其の国は、枝角持つ森の神に守られていた。

 其の王女は、全く不運の星の下に生まれた。
 産み落とした母は日を跨がずに死に、父親の後添いとなった叔母は直ぐに弟を産んだ。
 血筋は同じく。姉妹仲も悪くはなかった。でも姉の子を、「娘」と呼ぶこともしなかった。
 宙に浮いた王女の存在に頭抱えた諸官らが引っ張り出した古い習い。王の初子。継子の姉。_守り手の役。



 宵口に書庫に向かう。
 手元の燭台の白い光が、暗闇を押し開く。

 嘗ての本宮。今の別宮。
 与えられたわけでなく、偶然に見つけた書庫に篭もる。
 墓場のような書庫だった。
 小さな机の上に置いた燭台の灯りが、宝石と金箔で象嵌された装丁を燦めかせる。嘗ては財を尽くして飾り立てられる程に尊重された教え。小国から大国に移る際に相応しくないと捨てられて、置き去りにされて埃を被った。

 喪われた言ノ葉は戻らない。
 喪われた花は戻らない。



 ある年、先ず王が死んだ。
 初めに王が死に、次に死んだのが王の側近の一人。
 流行り病と悟る前に、日に一人、日に三人と次々と倒れだした。
 逃げようにも何処の貴族の家も、主流近くに罹患者を抱え込んだ。
 病は直ぐに、王国中に広まった。
 倒れ、倒れ、倒れる人の、回復するのは十人に一人_いるかいないか。逃げる暇さえ与えられなかった人々は、常の生活すらままならずに息を潜めた。
 2度春を迎え、漸く病は王国から去った。王族は死に絶えて、頭を抱える官らは漸くの王女を思い出した。
 死んでいませぬようにと(此処数年まるで応えては呉れぬ)神に祈り、駆けつけた場所。
 官らは呆けたように言葉もなく、別宮の有り様を目に映した。

 青々と茂る緑は鮮やかに輝いて清涼な風に揺れた。緑の中に実る果実は甘い芳香とたわわな実り。囀る鳥はルルルリリリと番を呼んでは、木々の間を寄り添いながら飛んでいく。
 官らの見た別宮は大禍の前と何も変わらず。数年前はひな と蔑んだ其れは、今では楽園と見紛う豊かさであった。

 緑の中で、佇む王女。

 上から上から降り注ぐ花。
 浮かんで、ポンと音を立てて咲く。
 花だった。花ばかりだった。彼女の傍に楽園があった。

 彼女だけが、楽園に在った。



 自分が渇くほどに求めたものを、眼の前で無造作に示す者。
 其れをどう、思うのか。





 王女は新たな王として迎えられ。
 大禍の記憶と大量の骸を捨てて、伝来の土地を捨てて。民は新しい土地と国を求めた。

 大魚のかたちをした神と縁を結び、嘗ての故郷を水に沈めて、_新しい国を手にした。
 



 余りに余りに死んだから、確かに土地は毒を溜め込んだ。土地を癒やすに数十年の禊は必要で、其の為にと新たな縁を繋ぐ。
 民には苦労を掛ける。しかし、他には法は無く。
 役に則り、神へと請願する。
 
 約束を破る。
 約束を果たす。

 其の重さは骨身にしみた。
 自覚無自覚関係なしに、大きなものは正しく取り立てる。

 知っていたでしょう?





「何とも忙しなかったこと。人に非ずと遠ざけて。舌の根も乾かぬうちに、人ゆえ憎し、とは」

 一人豊かを保つ女王よ。ああ、何と憎らしい

「私は私。其れ以外の何者でもない。わざわざ何かをする程、お前達に興味も無かったのに。難儀。_誠に難儀だこと」

 いっそ、人と思わねば良かったのに。
 
 もう届きもしない言葉を吐いて、女王は 微笑った。




 新しい国、湖の中の国となって数年で、王は代替わりした。

 門に掲げられた首。

 望んだのは自分たちに都合の良い仕組み。其の為に犠牲にすることに、罪悪感など持たなかった。


※※


「何が起こるか分かっている。犠牲になるのは自分では無い。
 其の二つが揃えば、_新奇たる最善を選ばずに、瑕疵ある既存を望む方も居るのでしょう」

 此処は女王の国です。城は女王の城です。本当は殿方が坐するようには出来ていない。そういう形につくっていない。皆、勘違いしている。一時の避難の場に、数百年保つ仕組みは仕込まれていない。
 く早く立たれると良いでしょう。徐々にか急にかは私であっても分かりません。
 …あなたを助ける其の理由。_懐かしい顔が、泣いて、でも、決して不幸なだけでない顔をしていたので。

「お持ち下さい。あなたに一輪。上司の方にも一輪。今日と云う日が終わるまでは貴方方を守ってくれます。とても古いまじないの類です。ご不快でなければ、どうぞ」

 手渡された花は、淡く朱鴇とき色に輝いた。
 指先に感じるツヤツヤとした花弁の湿やかな潤いとヒヤリとした水の気配。
 
「勿論、秘密でございますよ?
 此処で見聞きされたこと総て」



 終わらせられなかったのなら、私が終わらせましょうか。
 私が始めたのだから。例え、正しく継がれて行かなかったのだとしても。
 終わらせるのは、私の義務で_権利。
 終わらせましょう。これ以上、続けることなど出来ないのだから。

「全く総てが最悪と云うわけではないのが、せめてもの慰め。_でも、此れ以上は無理」


 そも赦しを請うべきは女王へ。
 其のあがないを女王自身が行う愚かしさ。気付かずに、更に罪を重ねた。
 最後の最後までも。



 色のない花が天から垂れ落ち、壁を這い、床までを覆っている。慕わしい森の風景。懐かしい、私の園の風景。_最早誰も知らぬ、始まりの場処。聖域と呼ばれた、其の端にあった、私の園。
 希み、流石に果たせずに、此処だけに表した。豊かの形。森では豊かは実り、熟れて、落ちて、還る。_此の地の民は知らぬ。

さかりは、終わりで始まりの合図」




 呼ばれた気がして入り込んだ。
 誰もが忘れ去った、崩れかけた埃だらけの倉庫。
 半ば崩れかけた首は、塩漬けにされて残されていた。 

 少女はそっと手を伸ばした。
 _


 水上庭園は、お誂え向きに静か。
 水のきわ。手を放す。
 とぷりと 古い古い頭は沈んだ。


※※


 王女は_新しき女王は気配を感じた。
 部屋の隅に。王の間に。
 
「誰?」

 息を呑む。人。女? 
 断ち切られた首の、白い衣着た女。

 伸ばされる手が、_私を!
 手が届く紙一重。ザラリと目の前で、女が崩れる。
 予感。
 壊れてしまった。何もかもが。

 何も、かもが。


※※


 『何が起こるか分かっている。犠牲になるのは自分では無い。
 其の二つが揃えば、_新奇たる最善を選ばずに、瑕疵ある既存を望む方も居るのでしょう』


 其れは、お誂え向きの赦しに感じた。
 欲しいものは安寧。故郷の幸い。大切な人の心が、自らの心が、翳らずにあること。
 そうだ。皆、其れを望んだ。
 此の国の女王に其の力があるのならば、欲しいと思うのは当然のことだ。
 
 キウは狂い路を辿りながら独りごちる。
 _女一人を攫うだけで、故郷が潤うならば。
 手には守りと云われた朱鴇色の花を掲げて、彼は進む。

 知らなかったのだ。
 古い慣習では日の終りは日没で、日の落ちてから日が昇るまでは、夜が日を孕む。

 そっと、肩を叩く感触。
 振り返った先の、木乃伊が、
 
 仲間が欲しいと人間に惹かれて、同じ所に攫う事を。
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