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43 自覚を持って行動を(2)
しおりを挟む夕美の問いに、平井はテーブルの上で組んでいた両手に力をこめた。
「十二月の初めに奥寺さんを弊社に呼び出したのは、先輩の指示でした。僕はweb上での打ち合わせで十分だと説明したんですが、却下されたんです」
千影の誕生日のことだ。夕美が選んだ腕時計を渡すイベントに参加できなかったのは、平井に呼び出されたからである。
「webではなく、私を直接呼んだほうがいいという判断だったんてすよね?」
「ええ。理由は……ご存知の通り、僕がいるのは女性が少ない職場で……。その、奥寺さんが来てくれたほうが、みんなが喜ぶと……。これってセクハラですよね。でも、あまりに当然のように先輩たちに言われてしまって、違和感を覚えつつ僕も流されてしまいました」
苦虫を噛み潰したような顔で平井は答えた。
「もしかしてお正月に平井さんが私を誘ったのも、その先輩方が……?」
平井の容姿を妬まれたというよりも、その見た目を利用されたのだろうか?
「……ええ、そうです。この会社にいても女性と出会いがないんだから、どんどん行けと……。皆で初詣に行って、その時に、奥寺さんに電話をしなければ僕を……チームから外すと言われて。最初は冗談かと思っていたんですが、彼らは本気でした」
「そんな、ひどい……!」
夕美の嘆きに、平井は「いえ」と首を横に振った。
「僕も自分の保身しか考えていなくて、先輩の言いなりになっていたんです。しかも彼らは、僕に奥寺さんを薦めるというよりも、あわよくば自分たちが奥寺さんと個人的に仲良くしたいという考えだったんです。……申し訳ありませんでした」
またも頭を下げる平井を見つめ、夕美は心に生まれた罪悪感を口にする。
「……私が平井さんの誘いを断らなければ、平井さんが責められることはなかったんじゃ――」
「いえっ、それは違いますよ……! 非常識なのはこちらのほうです。奥寺さんは本当に何も気にしないでください!」
平井は慌てて首を横にぶんぶんと振り、夕美の言葉を否定した。そしてまた目を伏せて、言葉を続ける。
「……ただ、直接謝りたかっただけなんです」
「平井さん……」
事の真相を知った夕美は、わざわざ待ち伏せてまで伝えたかったという平井の気持ちを理解できた。
「事情はわかりましたし、平井さんのお気持ちも受け取りました。お話が聞けて良かったです」
夕美が笑むと、平井はようやくそこでホッとした顔を見せた。
「ありがとうございます……! あ、ああ、そうだ。僕、不動産会社に入ったんです」
平井はビジネスバッグを探り、革の名刺入れを取り出した。
「nano-haカンパニーさんとはまだ取引がない会社なんですが、何かありましたらお声がけください。実は僕、T社の前は不動産業界にいたので、つながりは広いんです。微力ではありますが、お力添えしますので」
「ありがとうございます」
夕美は差し出された名刺を受取り、バッグにしまった。
「あと、その……」
平井は言いにくそうな表情をしたが、それをやめて真面目な視線をこちらに向けた。
「もし、お正月に奥寺さんが来てくれたら、先輩たちがいるところには招きませんでした。僕ひとりで、奥寺さんとお会いしたと思います」
「え?」
「仕事を通じて素敵な女性だと思っていました。一緒にお食事でも出来たら嬉しかったというのが本音です」
平井は微笑み、荷物を持って立ち上がった。
「今日は本当にありがとうございました。もしまたいつか、仕事で会うことがありましたら、その時はよろしくお願いします。お時間を取らせて申し訳ありませんでした……!」
平井はその場で再び深々とお辞儀をし、サッと伝票を持って行ってしまった。
「あ……」
お金を、と言おうとしたが、それはやめる。
彼のお詫びを受け取ったことにし、夕美はぬるくなってしまった残りのココアを口にした。
「千影さん、お帰りなさい!」
二十四時を過ぎた頃、千影が帰宅した。会食があっても極力早く帰ってくる彼だが、今夜は珍しく日を跨いでいる。
「夕美~……。起きててくれたのか、嬉しいなぁ」
千影から酒の匂いがした。
千影の酔ったところを見たことがなかった夕美は驚きながら、彼を見上げた。
「大丈夫? だいぶ酔っ払ってるみたいだけど……」
「いや、たいして酔ってないから大丈夫だよ。夕美の顔を見たら嬉しくなっちゃっただけ」
笑みを浮かべた千影が、夕美をぎゅっと抱きしめた。彼の着ているスプリングコートに夕美の顔が押しつけられる。
「んっ、苦しいよ~」
「ははっ、ごめん、ごめん。でも離さない」
笑いつつ、千影は本当に手の力を緩めはしなかった。
その腕の中でもがいていると、耳元で千影が低い声を出した。
「……ねぇ、夕美。何か僕に言うことない?」
「何かって?」
ふうと息を吐いて、どうにか顔を上げる。
「困ったこととか、迷惑な目に遭ったこととか……ない?」
「……」
退勤直後にT社の平井に呼び止められたが、困ったわけでも迷惑だったわけでもない。平井に謝罪をされたことで、すっきりした気持ちでいるくらいだ。
(その平井さんの件って、わざわざ千影さんに報告することだろうか? こんなふうに酔っ払うまでお付き合いがあって、しかも夜遅くまで大変なんだし、今は余計な心配をかけたくない)
激務の千影に負担をかけるわけにはいかないのだと、心に誓ったばかりだ。
「ううん、何もないよ」
夕美は明るい声で彼に返答する。
千影は今後T社とは関わらないと言っていた。それも1ヶ月以上前の話だ。
担当だった平井はT社を辞め、すでに別の会社で働いている。nano-haカンパニーとはもうなんの関係もない。
「本当に?」
「うん、本当。いつも私の心配をしてくれてありがとう、千影さん」
平井に名刺はもらったが、それはいつか必要になった時でいいだろう。帰り際に意味深なことを言われたが、気にするほどのことでもない。
「へぇ……、そうか」
腕の力を緩めた千影のつぶやきが聞こえた。
なぜかその声がいつもと違う気がして、夕美の胸がざわめく。
「僕は確かめたからね?」
視線を合わせた千影が、優しく微笑んだ。
「え?」
「いや、なんでも。シャワー浴びて寝るよ。夕美は先に寝てて。待っててくれてありがとうね」
千影は夕美を解放し、床に置いた鞄を持ち上げ、廊下を進んでいく。
疲れているのだろう。彼の言う通り、先に寝ていたほうが彼も気兼ねなくゆっくりできる。
「じゃあそうさせてもらうね。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
この些細な会話が元であのようなことになるなど、今の夕美には知る由もなかった。
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