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呪歌
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大して多くもない荷物をまとめて、街を出ようとして広場に立ち寄ると、トランがちょうど一曲終えたところだった。シロは近づいて手を振った。
「街を出るのか?」
「うん。急だったけど。ありがとうな、トラン。元気で」
「じゃあ、はなむけに一曲やろうか。特別に呪歌を歌ってやるよ」
トランは言うと、左手にとても美しい複雑な模様が入ったアーガの葉を置いた。柔らかい光を放ちながら、葉は手のひらに染みて行く。その左手が弦楽器を鳴らす。空気が変わった。先ほどまでの街の喧騒が消えてしまったみたいだ。
……禍々しきものよ 彼に道をあけよ
悪しき者たちは 彼に触れることはできぬ
聖なるものは彼に力を貸せ
その旅路にただ幸あれと
その歌は長かった。同じようなフレーズが何度も巡ってくる。楽器は一人で演奏しているとは思えないほどに音を重ね、トランの厚みのある不思議な声は、何人もが合唱しているように錯覚する。
アーガの木よ その葉の恵みよ
彼に道を示せ 行く末に花を咲かせよ
目の前に道なくば来し道を見よ
彼を形作るものなり
10分ほども続いただろうか。はっと気がつくと巡る歌が終わっていた。違う世界にいたみたいだった。
「すごい……すごい。トランのリジン?」
「そう。本当の呪歌を歌うときしか本当の吟遊詩人はリジンしない。特別だって言っただろう」
「ありがとう……なんかすごく感動したよ」
「いいんだ。いつか役に立つといいな。君に幸多かれと祈っているよ、闇のエイダン」
「シロ、ダイゴンに行く荷馬車が乗せてくれるって。もう出るって言うから急いで」
闇のエイダン。シュトロウにひじを取られて小走りで門に向かうあいだ、トランを振り返った。トランの顔はフードの影に隠れていたが、その口元は少し微笑んでいた。
荷馬車の荷台に乗ると、ネリもちゃんと付いてきていた。なんとなくほっとする。不思議なものだ。シュトロウにしろネリにしろ、たまたま会っただけなのに、もうすっかり一緒にいるのが当たり前みたいに思っている自分がいる。カラスたちは来ているだろうか?
「まずダイゴンにどうやって入るかだな。カインもそれには困るはずなんだ。だから領の境の関で会えるんじゃないかと思ってんだけど」
「案内所に届いてた紙には、どこで会おうとか無かったのか?」
「ないね。デュトワイユに戻るとだけ。あいつはそういうやつなんだよ。変に素直じゃないってか……」
別に仲良くもないし、とシュトロウは続けた。
「じゃあどうしてそいつを助けたんだ?ほっとけばシュトロウは逃げたりなんてしなくて良かったんだろ?」
「カインの言うことは正しいと思ったからさ。カインは言うべきことを言っただけだ。それで死ぬのはおかしいだろ……」
最近の税の取り立ては常軌を逸している。ほんの半年かそこらの間で、一割ほども税が上がった。ここ数年、日照りが続いて凶作になっているから、人々の暮らし自体が楽じゃないのに。徴収された税はどうなってるんだ?農家に援助でもされてるのなら納得する。でもそうじゃない。必死で働いている人々には一切還元されない金。
デュトワイユの町でも、鉱山はどんどん閉鎖されて行っている。それはそうだ、鉱物にも限りがある。無限に湧く山なんてない。事故もつきものだ。山で父親を亡くした家族は多い。もともと裕福な町じゃないんだ。その上で税額を上げられたら、母親と子供たちだけで糊口をしのいでいる家庭なんて行き場がなくなってしまう。カインが増税を承服できないというのは、町の人々の声の代弁だった。そんなカインを。
「みすみす殺させるわけにいかなかった」
国がどうしようもなく腐ってきている。
国が乱れると誰かが召喚者を呼ぶとトランは言っていた。二人一対で、片方が国を救い、もう片方が人を惑わす。俺は、闇の召喚者……。
「昔はそんな風じゃなかったよ。こんな、凶作でみんな苦しい時なんかはさ、ちゃんと税が下がって国庫が開いて、誰も文句言わなかった。たださ、それでも追いつかなくなってきてる感じはしたんだ。とにかくずっと天候がよくない年が続いて。国庫も尽きるんじゃないかって。それはわかってたけど、まさか増税になって搾り取られるとは……」
シュトロウはため息をついた。だからあんたに変えて欲しいんだ。この国を。召喚者に会えるなんてすごいラッキーなんだ。
無理だ。シュトロウ。俺は汚いコソ泥なんだ。あんたは俺が掏った金を受け取らなかっただろ。わかってるだろ?俺が国を救う方のエイダンじゃないってことは。俺の能力だって泥棒だよ。どこかの誰かが血の滲むような努力をして身につけたものを、奪って借りて行く力だ。
揺れる馬車の中でうとうとと夢を見た。
お金。
男の大きな手のひらに、掏ってきた金を載せる。今日は捕まらなかった。うまいんだよ俺。
だめだよ、シロくん。こんなことをしてはいけない。
どうして?どうして褒めてくれないんだ……。
人のものを盗ってはいけない。それは君からも同じだけ奪っている。
俺から?何を?
奪う人ではなく、与える人になりなさい。そうすれば、君は……
「シロ」
はっと目を覚ます。
「関所だ。ここまでだ」
シュトロウが荷物を持って荷台から飛び降りる。夕方になっている。
「関所の中に入れりゃ宿があるんだけどな。俺たちは手形がないから……」
乗せてくれた人たちに礼を言って手を振る。関所は砦みたいになっていて、なるほど忍び込むのは大変そうだ。かがり火が焚かれて、弓兵が見張り台にいるのがわかる。
「ここもリストがあって照合する?」
「ここは領の境だから、ギムに入る時より厳しい。リストに名前があっても手形がないとだめだ。書類を揃えるより忍び込む方が早いかな……」
二手に分かれて手薄なところを探す。谷のような地形を利用して、砦から関所を見下ろせるようになっている。二人ずつ四人の兵士が砦にいて、弓を背負っている。何かあれば矢が降ってくるというわけだ。
「山越えかな……でもこの辺の山はわからないから怖い」
「うーん」
左手にリジンする。
「カラス!いるか」
二羽のカラスがひらりと目の前に降りてきた。
「呼んだカァー」
ほんとについてきてくれていたんだ。
「人間に見つからないように山を越えたいんだ。案内できないか?空から山が見えるだろ?」
「できないナァー!」
「こうくらくちゃァー」
「そうか!鳥目か」
「朝日がァー!登ったらァー、案内できるゥー」
「わかった。じゃあ明日の明け方に頼む」
カラスたちはまたひらりとシロの両肩に陣取った。この時間になると目が見えなくなってしまうようだ。
「カラスはなんだって?」
「暗くて今は案内できないって。明け方に案内してくれる」
仕方なく野宿することになった。暗闇で無理に山に登ってもろくなことにならない。兵士たちの目につかない所まで戻って、火を焚いた。シュトロウは今度はちゃんと火打ち石のようなものを準備していた。
「火矢は高いんだよ。火薬を使ってるから」
パトの実を焼くと、カラスたちが食べにきた。
「今回は前払いだぞ」
もうリジンが終わっているので、カラスたちは黙々と食べるだけだ。シロの方もマントを買ってあったので、かなり寝心地はいい。ネリもマントの中に入ってきた。ネリの綺麗な顔を見ながら、シロはこの生活に慣れつつある自分に驚いていた。スマホを何日触っていないのか。スリをやらないで過ごすのはどれくらいぶりだろうか。母親のこともほとんど思い出さなかった。元の世界では俺はどうなっているのかな。死んだのか、行方不明にでもなっているのか。母親のことは少し気にかかった。でも離れることができてホッとしていると言うのも、本心だった。
この世界での方がまともに生きている気がする。この世界の人々は優しい。この世界では、俺が悪いことをしなくても、求めてくれる人がいる。
シロはネリの髪をなんとなく撫でた。ネリはぎゅっと抱きついてきた。
「街を出るのか?」
「うん。急だったけど。ありがとうな、トラン。元気で」
「じゃあ、はなむけに一曲やろうか。特別に呪歌を歌ってやるよ」
トランは言うと、左手にとても美しい複雑な模様が入ったアーガの葉を置いた。柔らかい光を放ちながら、葉は手のひらに染みて行く。その左手が弦楽器を鳴らす。空気が変わった。先ほどまでの街の喧騒が消えてしまったみたいだ。
……禍々しきものよ 彼に道をあけよ
悪しき者たちは 彼に触れることはできぬ
聖なるものは彼に力を貸せ
その旅路にただ幸あれと
その歌は長かった。同じようなフレーズが何度も巡ってくる。楽器は一人で演奏しているとは思えないほどに音を重ね、トランの厚みのある不思議な声は、何人もが合唱しているように錯覚する。
アーガの木よ その葉の恵みよ
彼に道を示せ 行く末に花を咲かせよ
目の前に道なくば来し道を見よ
彼を形作るものなり
10分ほども続いただろうか。はっと気がつくと巡る歌が終わっていた。違う世界にいたみたいだった。
「すごい……すごい。トランのリジン?」
「そう。本当の呪歌を歌うときしか本当の吟遊詩人はリジンしない。特別だって言っただろう」
「ありがとう……なんかすごく感動したよ」
「いいんだ。いつか役に立つといいな。君に幸多かれと祈っているよ、闇のエイダン」
「シロ、ダイゴンに行く荷馬車が乗せてくれるって。もう出るって言うから急いで」
闇のエイダン。シュトロウにひじを取られて小走りで門に向かうあいだ、トランを振り返った。トランの顔はフードの影に隠れていたが、その口元は少し微笑んでいた。
荷馬車の荷台に乗ると、ネリもちゃんと付いてきていた。なんとなくほっとする。不思議なものだ。シュトロウにしろネリにしろ、たまたま会っただけなのに、もうすっかり一緒にいるのが当たり前みたいに思っている自分がいる。カラスたちは来ているだろうか?
「まずダイゴンにどうやって入るかだな。カインもそれには困るはずなんだ。だから領の境の関で会えるんじゃないかと思ってんだけど」
「案内所に届いてた紙には、どこで会おうとか無かったのか?」
「ないね。デュトワイユに戻るとだけ。あいつはそういうやつなんだよ。変に素直じゃないってか……」
別に仲良くもないし、とシュトロウは続けた。
「じゃあどうしてそいつを助けたんだ?ほっとけばシュトロウは逃げたりなんてしなくて良かったんだろ?」
「カインの言うことは正しいと思ったからさ。カインは言うべきことを言っただけだ。それで死ぬのはおかしいだろ……」
最近の税の取り立ては常軌を逸している。ほんの半年かそこらの間で、一割ほども税が上がった。ここ数年、日照りが続いて凶作になっているから、人々の暮らし自体が楽じゃないのに。徴収された税はどうなってるんだ?農家に援助でもされてるのなら納得する。でもそうじゃない。必死で働いている人々には一切還元されない金。
デュトワイユの町でも、鉱山はどんどん閉鎖されて行っている。それはそうだ、鉱物にも限りがある。無限に湧く山なんてない。事故もつきものだ。山で父親を亡くした家族は多い。もともと裕福な町じゃないんだ。その上で税額を上げられたら、母親と子供たちだけで糊口をしのいでいる家庭なんて行き場がなくなってしまう。カインが増税を承服できないというのは、町の人々の声の代弁だった。そんなカインを。
「みすみす殺させるわけにいかなかった」
国がどうしようもなく腐ってきている。
国が乱れると誰かが召喚者を呼ぶとトランは言っていた。二人一対で、片方が国を救い、もう片方が人を惑わす。俺は、闇の召喚者……。
「昔はそんな風じゃなかったよ。こんな、凶作でみんな苦しい時なんかはさ、ちゃんと税が下がって国庫が開いて、誰も文句言わなかった。たださ、それでも追いつかなくなってきてる感じはしたんだ。とにかくずっと天候がよくない年が続いて。国庫も尽きるんじゃないかって。それはわかってたけど、まさか増税になって搾り取られるとは……」
シュトロウはため息をついた。だからあんたに変えて欲しいんだ。この国を。召喚者に会えるなんてすごいラッキーなんだ。
無理だ。シュトロウ。俺は汚いコソ泥なんだ。あんたは俺が掏った金を受け取らなかっただろ。わかってるだろ?俺が国を救う方のエイダンじゃないってことは。俺の能力だって泥棒だよ。どこかの誰かが血の滲むような努力をして身につけたものを、奪って借りて行く力だ。
揺れる馬車の中でうとうとと夢を見た。
お金。
男の大きな手のひらに、掏ってきた金を載せる。今日は捕まらなかった。うまいんだよ俺。
だめだよ、シロくん。こんなことをしてはいけない。
どうして?どうして褒めてくれないんだ……。
人のものを盗ってはいけない。それは君からも同じだけ奪っている。
俺から?何を?
奪う人ではなく、与える人になりなさい。そうすれば、君は……
「シロ」
はっと目を覚ます。
「関所だ。ここまでだ」
シュトロウが荷物を持って荷台から飛び降りる。夕方になっている。
「関所の中に入れりゃ宿があるんだけどな。俺たちは手形がないから……」
乗せてくれた人たちに礼を言って手を振る。関所は砦みたいになっていて、なるほど忍び込むのは大変そうだ。かがり火が焚かれて、弓兵が見張り台にいるのがわかる。
「ここもリストがあって照合する?」
「ここは領の境だから、ギムに入る時より厳しい。リストに名前があっても手形がないとだめだ。書類を揃えるより忍び込む方が早いかな……」
二手に分かれて手薄なところを探す。谷のような地形を利用して、砦から関所を見下ろせるようになっている。二人ずつ四人の兵士が砦にいて、弓を背負っている。何かあれば矢が降ってくるというわけだ。
「山越えかな……でもこの辺の山はわからないから怖い」
「うーん」
左手にリジンする。
「カラス!いるか」
二羽のカラスがひらりと目の前に降りてきた。
「呼んだカァー」
ほんとについてきてくれていたんだ。
「人間に見つからないように山を越えたいんだ。案内できないか?空から山が見えるだろ?」
「できないナァー!」
「こうくらくちゃァー」
「そうか!鳥目か」
「朝日がァー!登ったらァー、案内できるゥー」
「わかった。じゃあ明日の明け方に頼む」
カラスたちはまたひらりとシロの両肩に陣取った。この時間になると目が見えなくなってしまうようだ。
「カラスはなんだって?」
「暗くて今は案内できないって。明け方に案内してくれる」
仕方なく野宿することになった。暗闇で無理に山に登ってもろくなことにならない。兵士たちの目につかない所まで戻って、火を焚いた。シュトロウは今度はちゃんと火打ち石のようなものを準備していた。
「火矢は高いんだよ。火薬を使ってるから」
パトの実を焼くと、カラスたちが食べにきた。
「今回は前払いだぞ」
もうリジンが終わっているので、カラスたちは黙々と食べるだけだ。シロの方もマントを買ってあったので、かなり寝心地はいい。ネリもマントの中に入ってきた。ネリの綺麗な顔を見ながら、シロはこの生活に慣れつつある自分に驚いていた。スマホを何日触っていないのか。スリをやらないで過ごすのはどれくらいぶりだろうか。母親のこともほとんど思い出さなかった。元の世界では俺はどうなっているのかな。死んだのか、行方不明にでもなっているのか。母親のことは少し気にかかった。でも離れることができてホッとしていると言うのも、本心だった。
この世界での方がまともに生きている気がする。この世界の人々は優しい。この世界では、俺が悪いことをしなくても、求めてくれる人がいる。
シロはネリの髪をなんとなく撫でた。ネリはぎゅっと抱きついてきた。
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