All You Need is Love

国沢柊青

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<side-SHINO>

 いつしか、街はすっかりクリスマスモードだった。
 そりゃそうだ。
 今週末にはもう、クリスマスがやってくる。
 千春がいなくなってから、早くも一ヶ月が経っていた。
 あれから俺は、葵さんや美住さんに連絡を取ったり、千春と行った店を回ったりしながら千春の行方を探したが、千春はどことも連絡をとっておらず、それどころか姿も見せていないようだった。
 最後の手段で直接出版社に問い合わせてみたが、ただの熱狂的ファン ── というより、頭のおかしい危ないファンと思われて、「先生に関するプライベートな質問はお答えできません」と一蹴された。
 その間にも仕事をしなければならなかったから、俺は連日午前様の生活を続けていた。
 俺が千春の件で落ち込むのと反比例するように、『薫風』は随分と話題になっていた。
 無料でサンプルボトルを配布した戦略自体が話題になり、マスコミにも取り上げられた。元々薫風にポテンシャルがあるから、味についても話題になり、発売前だというのに問い合わせの電話が、毎日鳴り止まなかった。
 それを受けて、正式な発売日は12月24日と決定した。
 クリスマスイブに当たるその日は、発売イベントをデパ地下で行う予定になっている。
 俺はでき上がってきたDMを発送する作業を行いながら、ふと傍らに置かれたタックシールに目をやった。
 そこには、顧客リストに書いてくれた人達の名前と住所が印刷されてある。
 その中に俺は、『成澤千春』の名前を見つけた。俺の家と同じ住所が印字されている。
 俺は、そのタック紙にペンでバツ印をつけた。
「あれ? 篠田さん、そこ送らないんですか?」
 隣で作業をしていた田中さんが、声を上げる。
「その人、篠田さんのお友達でしょ?」
 そう言われ、うん・・・と俺は口ごもった。
「引っ越し、しちゃったんだ」
 俺がぼそりと言うと、田中さんが「このところ篠田さんが元気なかったのって、そのせいですか?」と訊いてきた。
 俺は、苦笑いを浮かべる。
「そう?」
「そうですよぉ! 会社中が『一体、篠田さんはどうしたんだ』ってもう動揺してますよ」
 何だかおかしくなって、俺は、ハハハと笑う。
「大げさだなぁ」
「何言ってるんですか!」
 田中さんに背中を叩かれる。
「皆、篠田さんのコト、心配してるんですよ! 篠田さんは、我が社のムードメーカーですもの」
「俺がこんなに変身してから?」
 俺は、島津さんのところで買ったスーツを見下ろして、言う。
 田中さんは、ぷっと頬を膨らませた。
「やだ、違いますよ。篠田さんは、前からそうです。そりゃ、素敵に変身したのは凄くよかったって思いますけど。そんなのなくったって、篠田さんはいつだって注目の的なんだもの。あの面倒見の悪い経理部長でさえ、『シノはどうしたんだ』って心配してたんだから」
 俺はパチパチと数回瞬きをした。
  ── 俺って、そんなに皆から心配されてたんだ・・・。
「ごめん。心配かけて」
 俺は謝った。
 本当に、申し訳ない気がして。
 今度は田中さんが苦笑いする。
「篠田さんって、本当に素直なんですよね。だから皆ほっとけないというか。すぐには無理かもしれないけれど、元気、出してくださいね」
 俺は、うんと頷いた。
 仕事に私情を持ち込むのは、やっぱりビジネスマンとして御法度だよな。
 頭では分かってるんだけどさ。
 今回の一件は、なかなか堪えるというか・・・、堪え難いというか・・・。
 両親が亡くなった時に限りなく近い感覚が、俺を支配してる。
 もう俺、千春に会えないのかな?
 そういう運命なのか?
 なら、神様ななぜ俺と千春を引き合わせたんだ。
 もしそれがイタズラだっていうんなら、俺は神様だって恨むつもりだ。
「君達、きちんと働いておるかね」
 会議室のドアが開いて、川島が入ってくる。
「おいおい、まだタックシール貼ってないのかよ。きりきり働けよ」
「何言ってるんですか、川島さん! そんなコト言うんなら、手伝ってくださいよ」
「俺は別の仕事があるの。あれ? 千春って・・・あの、千春?」
 川島が、バツ印のついてるタックシールをめざとく見つけて、俺を見る。
「バツ印してるって、お前、彼女と別れちゃったのか?!」
「え?! この人って、篠田さんの彼女、なんですか??」
 田中さんが、チンプンカンプンな顔つきをして川島を見上げる。
 俺は溜息をついて、「だから彼女じゃないって言ってるだろ」と呟いた。
 田中さんも、「彼女じゃないですよねぇ」と俺に同意を求めてくる。
「だってお前、電話で話してる様子とかさ、今晩の夕食がどうとかさ。俺、てっきり同棲までしてるんだって思ってたぜ。何だぁ、別れちゃったのかぁ・・・。道理でショゲてると思ったんだ。クリスマス前だってーのにな。ま、元気だせよ」
  ── だから、彼女なんかじゃないんだって。確かに恋人になってもらいたかったけど、その気持ちを伝える前に、いなくなっちゃったんだって。
 心の中ではそう思ったけど、口にするのがショック過ぎて、俺は口を噤んだ。
 その様子を、田中さんが心配げに見ていた。
「あ、ねぇ、ところで顧客リストの本体、どこに行った?」
 川島がそう訊いてくる。
「え? 本体?」
「そう。手書きのリスト」
「ああ、それなら・・・」
 俺は田中さんを見た。
 田中さんが眉間に皺を寄せる。
「あれは大切な顧客情報なので、私が厳重に管理してます。私のメモ書きもあるから、手元に置いておきたいんです! 住所が知りたかったら、パソコンに入ってるんだから、それをプリントアウトしてください」
「へいへい。分かりましたよ・・・」
 川島はそう不機嫌そうに言い残して、部屋を出て行った。
「川島さん、ざっとしたところがあるから、手渡して無くされたら大変だもの。ね、篠田さん」
「え? あぁ・・・」
 田中さんが俺の顔を覗き込む。
「本当に大丈夫ですか? ここのところ、仕事も根を詰め過ぎだし。体調管理、気をつけてくださいね」
「ああ、ありがとう」
 僕は笑ったが、どうやら上手く笑えてなかったらしい。
 田中さんは、子どもを心配する母のような目で、俺を見たのだった。
    

 薫風発売の前日、俺は久しぶりにデフォルトに顔を出した。
 発売イベントの前に髪を整えてもらおうと思ったからだ。
 明日に備えて、今日は早く仕事を切り上げようと定時に終わったので、来ることができた。
「あら、久しぶり。元気・・・なさそうね。ま、当たり前か」
 美住さんが、優しく俺を出迎えてくれた。
 そのままロフトに上がって、シャンプーをしてもらう。
「随分疲れてるみたい。頭の皮膚が、カチカチよ」
 美住さんは、シャンプーが終わった後も、念入りに頭から首にかけてマッサージをしてくれた。
「篠田くん、また痩せたんじゃない? 痩せたっていうか、やつれたっていうか。ちゃんと食べてるの?」
 鏡越しに美住さんにそう言われ、俺は苦笑いした。
 千春がいなくなってから、当然俺の食生活はコンビニ弁当に頼る生活が始まった。
 食べる量でいえば、千春の時より多くなっているはずだが、体重は減ってきていた。
 最近、筋トレしてても直ぐに息切れしてしまう。
 体力が、落ちてるんだ。
「あれから、千春、来ました?」
 俺が訊くと、美住さんは首を横に振った。
「ホント、どうしてるのかしらね。噂によると、夜遊びがまた始まったみたいだけど、これまでとは違うお店で遊んでいるみたい」
「どんな店ですか?」
 俺はそう尋ねたが、美住さんは教えてくれなかった。
「ダメよ、ダメダメ。ちょっと危ない店なのよ。バリバリのゲイ達が集まる店で、評判もよくない店ばかりだから、とてもじゃないけど篠田くんには教えられない。本当に危ないから」
「でも俺、千春に会いたいんです。凄く、会いたいから・・・」
 俺がか細い声でそう呟くと、美住さんは俺の髪にキスを落とした。
 それはいやらしい意味じゃなく、まるでお母さんが子どもにするようなキスだった。
「分かってるわ。アタシが気にかけておいてあげるから。知り合い通じて、澤くんに連絡取るよう、言い聞かせるようにする。ちょっと待ってなさい」
 俺はコクリと頷いた。
 その日はカットだけで終わったので、意外に早く済んだ。
 ロフトから降りると、受付カウンターに聡子ちゃんがいた。
「篠田さん、これ」
 彼女は俺に、小さなプレゼントの包みを差し出した。
「本当は、明日お食事に誘おうかと思ってたんですけど。 ── 私、失恋しちゃったみたいですね」
 聡子ちゃんはそう言って、苦笑いした。
 俺はそう言われて、聡子ちゃんが俺のこと好きでいてくれていたことに初めて気がついた。
 内心、本当にビックリして、なんて言っていいか分からなくて。でも、俺の気持ちはもう決まっているから、彼女が「失恋したみたい」と言ったことを否定しなかった。
 だって、俺の心にはもう、一人の人しかいないから・・・。
 俺が、いつまでも棒立ちでどうしていいか躊躇っていると、聡子ちゃんが俺の手を取り、プレゼントを手のひらにのせた。
「でも、プレゼントは折角なんで受け取ってください。それ男性用なので、私、使えないし」
 そう言われ、俺は包みを受け取った。
「開けていい?」
「ええ、ぜひ」
 包みを開けると中から小箱が出てきて、その中には牛皮製の名刺入れが入っていた。
「いいの?」
「ええ。ぜひ使ってください」
「お返し・・・どうしたら・・・。何が欲しい?」
 俺がそう言うと、聡子ちゃんは首を横に振った。
「お返しのプレゼントはいりません。ものが残ると、未練が残っちゃうから」
「でも・・・」
「じゃ、一度だけ、キスしてもらえますか? ここに」
 聡子ちゃんは自分の額を指差した。
「え・・・」
 俺は周囲を見回す。
 お客さんは何人かいたが、スタッフも含め、こちらの様子を見ている人達はいなかった。
 ただ、側に立っていた美住さんが、俺に向かって「やってやりなさいよ」と目で語っていた。
 俺は頷いた。
 だって彼女は、俺を初めて好きになってくれた女の人だもの。
 彼女には、感謝の気持ちでいっぱいだった。
 聡子ちゃんがカウンターから出てくる。
 俺は、彼女の肩に手を置くと、彼女の額にそっとキスをした。
 聡子ちゃんの瞳から、ポロリと涙がこぼれる。
「 ── ごめんな」
 俺が謝ると、彼女は涙を拭って、笑顔を浮かべた。
「私は、真っ直ぐな篠田さんを好きになったんです。だから、自分の気持ちを曲げないでほしいんです」
「うん・・・。ありがとう。本当に、ありがとう」
「篠田さん、これに懲りずにデフォルトに来てくださいね。でないと、私がオーナーから怒られますから」
「そうよ! 来なくなったら、お仕置きよ!」
 美住さん、そのポーズ、セーラームーンっすか?

 
 デフォルトを出際、聡子ちゃんが追いかけてきた。
 島津さんの店に寄ってほしいという。
 時間的にはもう8時を過ぎていたので店は閉店している時間だったが、島津さんが待っていてくれているとのことだった。
 なんでも、デフォルトに俺が現れたら、島津さんに連絡くれるようにと前から約束されていたようだ。
「きっと、私のより嬉しいプレゼントが待っていると思いますよ」
 そう言われ、俺は首を傾げながら島津さんの店に向かった。
 案の定、店は閉まっていたが、明かりはまだついていた。
 シャッターが半分降りかけていたガラス戸の向こうから、島津さんが俺を見つける。
「やぁ、待ってたよ」
「すみません。さっきデフォルトで聞いて。お待たせしちゃって申し訳ない・・・」
「いいんだ。こっちも売り上げの計算をしていたところだからね。さ、入って」
 俺は、店内に招き入れられた。
「 ── 凄く格好よく着こなしてもらってるようで、とても嬉しいよ」
 島津さんは、店の奥に俺を誘いながらも、時折後ろを振り返ってそう言う。
「篠田くんは、服屋冥利に尽きるお客様だから」
「ありがとうございます」
「新しい服も買って行ってほしいところなんだけどね。まだ終わってないんだろ? 支払い」
「そうなんです・・・」
 ほんと言うと、終わってないどころか、支払いすら滞っていた。
 毎月一万円の支払いは、千春に手渡しをしていたからだ。
 まさか、俺の目の前から千春が姿を消すなんてこと、思いも寄らなかったから・・・・。
「おい、あのコート、出してきて」
 島津さんは、スタッフの人に指示を出した。
 俺がポカンとしていると、スタッフの人が細身でシンプルな形の黒革製のロングコートを出してくる。
「これ。澤くんから」
「え?!」
「多分、クリスマスプレゼントだと思うけど。篠田さん、冬物のコート持ってなかったと思うからって」
「え? え?! どういうことですか? それって、お店に来たってことですか?」     
 島津さんは頷く。
「先週の水曜日にね。彼がきちんと選んでいったんだよ、これ。さすが彼、篠田くんの良さをよく分かってるよね。きっと似合うと思うよ」
 呆然としている間に、コートを着せられた。
「ああ、とてもよく似合うね。本当に、よく似合う」
「島津さん、連絡先は・・・」
 島津さんは首を横に振った。
「僕が他のお客を接客している間にさっさと出て行ってしまったんだよ。ごめん」
「いいえ・・・」
 俺は、キレイな光沢を持つそのコートを見下ろした。
 まるで千春の身体に包まれているかのように、温かかった。 
 でも、それが余計に千春のいない空虚さを強くして、俺の心はズキリと痛んだ。
 なんだよ、千春。
 こんなコートより、俺は千春に傍にいてほしいんだ。
 千春に、温めてほしいんだ・・・。
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