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包み込む手

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 始まりを知らせる軽快なトランペットが鳴り響き、サーカスは開演した。

 暗転し、スポットライトが一人舞台に立つ道化師を照らした。彼は赤や青など派手な色を縫い合わせた衣装を着ており、髪までショッキングピンクである。圧倒的な存在感を放つ彼は、観客に向けて恭しくお辞儀をしたのだった。

「皆様お集まりいただき、ありがとうございます。私、司会進行役を努めさせていただく道化師のパルレと申します。さて、今回ご覧いただきますのは……」

 賑やかな見た目からは想像出来ない程に、パルレの言葉遣いは丁寧そのものであった。道化師はサーカスの中で笑われ役ではあるものの、抜きん出た能力が必要だと聞いたことがある。サーカス学校でも、道化師になれる者はほんのひと握りなのだそうだ。

 きっと彼も、その選ばれし者なのだろう。

「最後までどうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さいませ」

 パルレがそう言った後、最初の演目である空中ブランコが始まった。

 蝶々の描かれた衣装を着た演者二人が宙を舞う度に、歓声が沸き起こる。ひらりひらりと自由に‘‘飛ぶ’’様は、正に蝶々そのものであった。

 サーカスを見るのは私も初めてだったので、知らぬ間にすっかり夢中になっていた。

 マジックでシルクハットから鳩が出れば歓声を上げ、男が剣を飲む姿を見ては悲鳴をあげ、道化師が子供達に花を配り始めたら拍手をして。サーカスの演目は、全て観客を飽きさせないものばかりであった。

 ふと横を見ると、エドヴァルドと目が合った。暗がりの中で、深緑の瞳は妖しい光を放っているようにも感じられる。

 視線がかち合った途端、彼は私の耳元に唇を寄せてきたのだった。

「楽しんでいただけているようで、何よりです」

「……っ」

 サーカスを観て子供のようにはしゃいでいる姿を、彼に見られていたらしい。胸がドキドキとうるさい。 しかし、それが単なる恥ずかしさからであるのかを知る術は無かった。

「さて、とうとうお次が最後の演目となります。可愛らしい演者達を、どうぞ拍手でお迎えください!!」

 パルレがそう言うと、スタイを着けた小さなアヒル達がよちよちと舞台へと上がってきた。それに続くように、イヌやウサギやサル、果てにはクマやライオンまでもが姿を現したのである。

 動物達はみな大人しく、猛獣使いに従って芸をそつなくこなしてく。主人に撫でられる度に嬉しそうに目を細める様は、しっかりと築かれた信頼関係をよく表していた。

 そして、とうとうフィナーレの連続輪っか潜りが始まったのである。

「さあ、最後は皆で協力して成功させましょう!!」

 猛獣使いがそう言った途端、突然観客席から何かが舞台へと投げ込まれたのだった。

 パァンッ!!

「きゃぁぁぁぁぁっ!!」

 不審物が大きな音を立てて爆発し、観客達が一斉に悲鳴をあげる。どうやら、爆弾のようなものが投げられたらしい。舞台上の動物達も、突然のことでパニックになってしまっていた。

 リード無しに飛び跳ねたり暴れたりする猛獣を見て、客達は慌てて劇場から出ようと出口目掛けて進み始めた。押し合い圧し合いとなり、一歩間違えたらば大惨事になるのは目に見えていた。

「エドヴァルド王太子殿下、ご無事ですか!?」

 サーカスの団長らしき男性が、慌てて二階席へとやってきた。エドヴァルドはサッと立ち上がり、使用人達に指示を出し始めた。

「ええ、大丈夫です。お前達。ここはいいから、観客達の誘導を手伝って来てくれ。ドミノ倒しになるのは、何としてでも避けるんだ。特に小さな子供は押し潰されないよう気をかけてやってくれ!!」

「はい、かしこまりました!!」

「あ、ありがとうございます、それでは、どうぞこちらへ!!」

 団長と使用人達は、エドヴァルドからの指示を受けてバタバタと掛けていった。有事の際の対応に関する訓練を受けているのか、使用人達の動きは信じられない程に俊敏であった。

「メイベル様。動物達もここまでは来ないと思いますので、ここで一旦待機ということで……」

 彼がそこまで言いかけたところで、マジックの中で登場した鳩数匹が私達目掛けて飛んで来たのだった。

「殿下、危ない!!」

 顔だけ腕で守ってエドヴァルドを庇うように立ちはだかると、鳩達は私に激突した。鳥にぶつかられるのは人生で初めてだが、その衝撃は中々のものであった。

 とはいえ、ぶつかったことで鳩は正気に戻ったらしい。それ以上私を攻撃することなく、何処かへ飛び去って行ったのだった。

「メイベル様!?」

「ふふ、大したことではございませんわ。痛っ……」

「!?」

 見ればドレスの袖には穴が開き、私の腕や手には血が滲んでいた。鳩の嘴が当たってしまったのである。

 とはいえ、傷口としては小さなものだ。それに鳩達もパニックだったので、怒る気は無かった。

 ふと一階席を見ると、騒ぎは収まり始めていた。猛獣使いが動物を落ち着かせ、客達も大分安心したようである。

「良かった。騒ぎは収まったみたいですわね。って、きゃ!?」

「大したことです!! お怪我をしているではないですか」

 そう言って、エドヴァルドは私を横抱きにして持ち上げたのである。

「近くに救護室がありますので。そこで治療しましょう」

「で、殿下……私一人で行けますので、どうかお気になさらず」

「良いから!!」

 エドヴァルドの言葉には、凄まじい怒気がこもっていた。その理由は分からないが、私が出来ることはただ彼に運ばれることだけであった。

+

 救護室に行くと、そこは無人であった。察するに、観客の誘導のために出払ったのだろう。

「お手元、失礼します」

 私を椅子に座らせると、エドヴァルドは破れた袖を捲り、手ふきで拭った後消毒を始めた。本当に小さな傷ばかりなので、洗って薬を塗れば良いだけの気もするが、彼は絆創膏まで貼り付けたのだった。

 彼が私を有事の際に身代わりにしたいのではと、私は密かに考えていたのだ。恨んでいる相手ならば、心置き無く使い捨てられるのだろう、と。

 それが、どうしたことか。これではまるで正反対ではないか。

「先程は取り乱してしまい、大変失礼致しました」

「い、いえ……」

「ただ、一つだけ約束してください。どうか、自ら傷付きにいくことだけはお止めいただきたいのです」

 エドヴァルドは、私の手を両手で大事そうに包み込む。手袋は外しており、素肌が触れ合う温もりが感じられた。

 彼の手に血がついてしまうので手を引こうとしたものの、エドヴァルドの悲しげな表情を見て、それも出来なかったのである。

「私は、この人生で貴女を……」

「?」

「……いえ、何でもございません。それで。お約束いただけますか?」

「……わ、分かりましたわ」

 貴方にとって私は悪人なはずなのに。

 そんなことを言われたら、勘違いしてしまうじゃない。

 薬の塗られた傷口が、彼の手の中で切なく疼くのを感じた。
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